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 SINCE 2011年9月25日
       

南部アフリカの概要


南部アフリカの地理と気候
 アフリカ大陸は3000万平方キロと日本の80倍もの面積を持つ巨大な大陸であり,その姿は一様ではない.一般にはサハラ砂漠を境として北と南に分ける考え方がある.この場合サハラ以北は古代はローマ世界,中世以降はアラブ世界として栄えた地域であり,主要な宗教はイスラム教である.
 一方でサハラ以南は黒人が中心の地域であり,中世にはマリ王国やソンガイ王国が栄えた時期があったものの,近代以降ヨーロッパ人によって植民地化されていった地域である.宗教的には土着の宗教あるいはキリスト教が中心となる.

南部アフリカに該当する国々
 
  この中でサハラ以北は比較的歴史的背景や気候などが一緒なので論じやすいが,サハラ以南は地域による差異が大きいためこれをひとつのくくりとするのは問題がある.そこでサハラ以北を北部アフリカとする一方で,サハラ以南のうち大西洋・ギニア湾に面した西部アフリカ,赤道付近の熱帯雨林地域である中部アフリカ,インド洋に面した東部アフリカ,最南部の南部アフリカとする区分がある.今回取り上げる南部アフリカはそうしたアフリカ大陸最南部の国々で,具体的には南アフリカ,ボツワナ,ナミビア,ジンバブエ,ザンビア等を含む.
 南部アフリカはアフリカの中では緯度の高い地域になるため,他地域に比べると冷涼で,特に最南部の南アフリカ共和国でははっきりとした四季が見られる.また海流や風の影響もあり,大西洋岸のケープタウンは地中海性気候,インド洋岸のダーバンは温帯湿潤気候となっている.

 
   1月  2月  3月  4月  5月  6月  7月  8月  9月  10日  11月  12月
 ウイントフック
 (ナミビア)
  
30.5 29.1 27.8 26.2 23.7 21.0 21.3 23.9 27.6 29.7 30.4 31.6
17.8 17.2 16.1 13.2 10.0 7.1 7.0 9.0 12.6 15.0 16.2 17.3
91.3 87.0 69.5 32.3 6.2 1.2 0.4 0.8 3.8 11.4 25.7 33.2
 ケープタウン
 (南アフリカ)
  
26.1 26.5 25.4 23.0 20.4 18.1 17.5 17.8 19.2 21.3 23.5 24.9
15.7 15.6 14.2 11.9 9.4 7.8 7.0 7.5 8.7 10.6 13.2 14.9
15  17 20 41 69 93 82 77 40 30 14 17
 ヨハネスブルグ  
 (南アフリカ)
  
25.6 25.1 24.0 21.1 18.9 16.0 16.7 19.4 22.8 23.8 24.2 25.2
14.7 14.1 13.1 10.3 7.2 4.1 4.1 6.2 9.3 11.2 12.7 13.9
125 90 91 54 13 9 4 6 27 72 117 105
 ダーバン
 (南アフリカ)
  
28 28 28 26 25 23 23 23 23 24 25 27
21 21 20 17 14 11 11 13 15 17 18 20
134 113 120 73 59 28 39 62 73 98 108 102
 リビングストン
 (ザンビア)
  
30.0 29.7 30.3 29.9 28.0 25.6 25.5 28.4 32.5 34.0 32.6 30.4
18.9 18.6 17.6 14.8 10.1 6.7 6.3 9.2 14.2 18.2 19.1 18.9
174 141 80 24 6 0.6 0,2 0.5 1.8 25 70 169
 
 


南部アフリカの歴史(第二次大戦まで)
 南部アフリカの歴史はそのまま人類の歴史ということができる.南アフリカのスタークフォンティンでは約300万年前の人類であるアウストラロピテクスの化石が発見されており,ここは人類のゆりかごとも呼ばれている.その後この地域ではサン族などの狩猟民族が生活していたが,1000年代になると各地に国家が形成された.代表例として11世紀〜13世紀に南アフリカ北部に栄えた都市国家マプングブエや13世紀〜14世紀にジンバブエで栄えたグレートジンバブエがある.
 16世紀の大航海時代以降ヨーロッパ人の海外進出が始まると,アフリカ南部はインドなどアジア航路の重要な拠点として彼らの関心を集めるようになった.そうした中で当時アジア貿易で先行していたポルトガルがまず大西洋岸のアンゴラとインド洋岸のモザンビークに進出し当地を植民地化した.17世紀になるとオランダが東インド会社を作り,今のケープタウンに植民地を形成した.また同時期に本国で宗教的迫害を受けたフランスの新教徒たちもこの地に入り開拓植民を開始した.これらの白人たちは後にボーア人と呼ばれるようになる.
 他方この地への進出が遅れていたイギリスは,18世紀末のフランス革命以降オランダの勢力が衰えた間隙を縫い,ケープタウンを占領し以後英領ケープ植民地が成立する.その後徐々にイギリス人の入植が進んでいくと,先住していたボーア人との摩擦が起こった.その背景には黒人奴隷を使って農場経営を行っていたボーア人と,この時期には奴隷制度を廃止していたイギリスとの対立があるが,この時はボーア人側がイギリスの勢力の及ばない内陸部に移動し自治政府を作ることで摩擦が抑制された.
 しかし19世紀の末にボーア人の支配地域でダイヤモンド鉱山や金鉱が発見されると,イギリスは同地の併合をもくろみ二度のボーア戦争を経て英領ケープ植民地に併合させた.
 これに対し大西洋岸のナミビアは海岸部から砂漠が広がり,経済的価値に乏しいと思われていたことから手つかずの状態で残されていた.そこに目を付けたのが19世紀後半に国家統一を成し遂げたばかりのドイツだった.ヨーロッパ内のバランス外交を行っていた宰相ビスマルクを遠ざけたヴィルヘルム2世は海外への植民地獲得に力を入れ,この地をドイツ領南西アフリカとすることに成功した.
 16世紀からのヨーロッパ人のこの地への進出は交易路の中継点という意味合いだったため,その中心はもっぱら沿岸部で内陸部への関心は薄かった.しかし19世紀に入り,内陸部の事情が判明するとそうした地域への関心も高まっていく.こうした中,南のケープ植民地と北のエジプトを縦断するルートを作ろうとしたイギリスと,大西洋のアンゴラとインド洋のモザンビークを横断しようとしたポルトガルが衝突した.結果的にイギリスが勝利し,その地はローデシア(今のジンバブエ),北ローデシア(今のザンビア)と呼ばれた.
 ボーア戦争でボーア人を支配に組み入れた英領ケープ植民地だったが,人口の上ではボーア人が優勢であり,20世紀初頭に行われた選挙の結果ボーア人の意向が強い政権ができた(南アフリカ連邦).当初イギリス人と対立していたボーア人だったが黒人を犠牲にすることで経済的な発展を遂げ,徐々に両者の対立は緩和されていった(これが後のアパルトヘイトにつながっていく).南アフリカ連邦は1931年にカナダやオーストラリアと同様にイギリス連邦内での自治権を獲得,事実上独立した.
 第一次世界大戦が始まり,ドイツとナミビアの連絡が途絶えると南アフリカ連邦がナミビアに侵攻しこれを占領した.大戦後国際連盟が成立し,ナミビアは南アフリカの委任統治領とされた.
   


南部アフリカの歴史(第二次大戦以後)
 第二次世界大戦後国際連盟が消滅すると,南アフリカは一方的にナミビアの併合を宣言し国際的な非難を浴びた.またこの頃からいわゆるアパルトヘイト政策を強化していったことも同国の国際的孤立を深めることになった.
 1960年代に入りアフリカ諸国独立の波は南部アフリカにも及ぶ.1964年にザンビアが(東京オリンピック開会式の日はまだ北ローデシアだったが閉会式の日に独立し,閉会式にはザンビアとしてその新国旗とともに行進した),1980年にジンバブエが,1990年にナミビアが独立した.
 1990年代の冷戦終結後の南部アフリカ各国の状況はさまざまである.南アフリカでは1990年にネルソン・マンデラが釈放され,1994年には非白人初の大統領に就任,アパルトヘイトが終焉した.マンデラ大統領は人種間の対立を防ぎながらの政治経済運営を目指したが,黒人の雇用はなかなか増えなかった.逆に近隣諸国から仕事を求めて南アフリカに流入する黒人が激増したことから失業率はかえって増加し都市部の治安が極度に悪化している.
 ジンバブエは1980年の独立後首相職に就いていたムガベが実権を握り,1987年からは大統領にとなり国政を主導した.当初は人種融和的な政策をとっていたものの,2000年以降白人の土地などを強制収用する政策に転換した.その結果国内の白人が逃げ出す事態となり,ジンバブエの産業は荒廃してしまった.2017年に事実上のクーデターでムガベは失脚した.
 ザンビアは1964年に独立したものの,銅の輸出に大きく依存したいびつな経済体制のため不安定な状況が続いた.1970年代からは中国との関係を深め,その援助による鉄道建設などで銅産業の振興を図った.しかしながら中国依存の高まりに対する国民の不満も大きく,その政情は不安定である.
   


南部アフリカ諸国あれこれ
@ 南アフリカ共和国   首都     プレトリア(行政)、
 ケープタウン(立法)、
 ブルームフォンテーン(司法)
    通貨     南アフリカ・ランド
 (1ランド=7円70銭)
       
A ジンバブエ   首都     ハラレ
    通貨     米ドル、過去はジンバブエドル
 だったが、2000年代のスーパー
 インフレで使用が停止された.
       
B ザンビア   首都     ルサカ
    通貨     ザンビア・クワチャ
 (1クワチャ=4円90銭)
       



 

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