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ペルー概要

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 ペルーの概要


1.ペルーの地理

 ペルーは南米の太平洋側に位置する国である.面積は約130万平方キロで日本の3.4倍ある.南緯3度から18度と全域が南回帰線以北に位置するため,緯度的には熱帯地方にあるといえるが,国土の中央をアンデス山脈が南北に縦走しており,その影響で地域によって気候環境は大きく異なっている.
 まずアンデスの西から太平洋沿岸にかけてはコスタと呼ばれる海岸砂漠地帯になっている.ペルーの沖合には南極からやってくるフンボルト海流という強力な寒流が流れており,この海流によって沿岸部の陸地は冷やされ,緯度の割には冷涼で過ごしやすい.雨は少ないが霧はしばしば発生するため,砂漠と呼ばれる割には湿度はある.
ペルーの気候区分

黄: コスタ
茶: シエラ
緑: セルバ
 
この地域にはアンデスの雪解け水を運んでくる川があるため,その周辺に街が広がっている.首都のリマもリマック川に開けた都市であり,ペルーの人口の半分以上はこのコスタに住んでいる.
 次にアンデス山脈の高地帯に広がるシエラと呼ばれる地域である.インカ帝国が出現した地域で,標高が高いために冷涼である.雨季と乾季に分かれていて,代表的な街であるクスコでは11月から3月が雨季に当たる.この地域では今でも伝統的な農業や牧畜が行われており,人口に占めるインディヘナと呼ばれる先住民族の割合が高い.
 そしてアンデスよりも東のセルバと呼ばれるアマゾン川源流地域である.ここは大西洋から貿易風に乗ってやってくる湿った空気がアンデスにぶつかって大量の雨を降らせる熱帯雨林地域となっている.ペルーというとリマやクスコの地形イメージが強いのだが,実は全土の60%を占めるのがこのセルバである.
 

2.ペルーの歴史

 ペルーの歴史は大きく分けて,スペイン人による征服前後に分けられる.
 インカ以前の歴史に関しては彼らが文字を残していないことから詳しいことはわかっていない.ただ考古学的な考察からこの地域最古の文明は紀元前3000年頃にさかのぼるとされる.その後紀元前1000年頃からアンデス全域にチャビン文化と呼ばれるものが発達した(ジャガーやピューマといったネコ科の動物を描いた遺跡が多い).
 紀元前後にチャビン文化は消滅し,その後は北部のモチェ文化,今のリマ周辺にあったリマ文化,南部のナスカ文化(地上絵で有名)などのローカル文明の時代となる,そして紀元600年頃から今のペルーのコスタとシエラの大部分を占めるワリ文化とチチカカ湖周辺を中心に主に現在のボリビアの領域に栄えたティワナク文化の時代になる.
ペルーの歴史概略図
(プレインカからインカ帝国まで)
 
 ワリ文化は紀元1000年頃には衰退し,以後はシカン文化,チムー文化など再びローカル文明の時代となる.そして15世紀半ばにクスコの周辺で興ったインカ文明が急速に勢力を伸ばし,わずか100年で今のペルーのみならず,エクアドルやボリビア,チリ,アルゼンチンの一部に至る大帝国を築いたのである.
 しかし,16世紀に入るとこの頃すでにアメリカ大陸に上陸していたヨーロッパ人によってもたらされた感染症(天然痘と思われる)の流行と,王位継承争いによって国力が衰退し,1533年にスペイン人フランシスコ・ピサロの一隊によってあっけなく征服されてしまった.
 この地を征服したピサロは国の拠点を高地のクスコから沿岸部のリマに移し,以後南米の中心地として発展していく.征服されたインカの住民はスペイン人による奴隷的な労働によって,人口を減らしていく一方ヨーロッパ人との混血も進んでいった.
 スペインの植民地として搾取され続けたペルーであるが,時代の進展に伴い現地生まれの白人も増え,次第にスペインに対する帰属意識が薄れていった.そうした中18世紀末に起こったフランス革命に端を発するヨーロッパの混乱にさなか,各地で独立の機運が高まっていく.この時独立を目指す彼らがその理念としたのがインカ帝国であった.ただ現実にはこれは名目的なもので,これによって先住民の権利が増えたわけではない.紆余曲折の末,1821年にスペインから独立した.その後チリやボリビアなど隣国との戦争によって領土は何度も変化し,現在の国境が確定したのは20世紀になってからである.独立後も長い間政情不安定であったが,近年ようやく安定しつつあるようである.
 


3.ペルーの観光スポット

 インカ帝国に代表されるアンデス文明の中心地だったペルーにはその関連の遺跡が多い.マチュピチュ遺跡はその代表格であるが,そのほかにもクスコの市街地やナスカの地上絵,チャビン遺跡などが世界遺産に指定されている.
 
 

T.マチュピチュ遺跡

   
 ペルーを代表する観光地である.アンデス山脈の山中の尾根筋に広がるさまから,天空の城の異名もある.インカ時代の後期に築かれたといわれ,かつては砦だったともいわれていたが,現在では宗教施設であったと考えられている.
 インカ帝国滅亡後,マチュピチュにいた住民は自発的に街を退去したため,この地はアンデス山中に眠り続けることになった(インカを征服したスペイン
 
人もここには来ていないと考えられている.なぜなら,もし彼らに発見されていたらこの街も破壊され,今の姿を残しているはずがないと考えられるからだ).
 公式には1911年にアメリカの歴史学者ハイラム・ビンガムが発見したとされているが,ペルーの現地人の間ではそれ以前から存在が知られていたともいわれる.

 
U.ナスカの地上絵    
 ペルーの海岸部(コスタ)の南,ナスカにある巨大な地上絵である.大地の上からではその全貌は全く分からず,飛行機などで上空から見て初めてその存在に気づくほどである.1939年にアメリカの考古学者ポール・コソックによって発見された.
 紀元前後のナスカ文化時代に描かれたといわれているが,いったい何のためにどうやって描いたのか,大きな謎とされている
 
(このため,宇宙人の技術によるなどというオカルト系の説も多い).

 
V.クスコの市街地    
 インカ帝国の都だったクスコは標高3500メートルのアンデスの高地帯にある.インカ時代に築かれていた寺院や宮殿は,スペイン人によって破壊されてしまい,彼らは残されたインカの石組みの上にスペイン風の教会や住宅を建設した.ただ,16世紀末に発生した大地震によって,スペイン人の建てた教会や住居は大きく傷ついたが,インカの石組みはビクともせず,その堅牢さを示したといわれる.街全体が見ど
 
ころであるが,郊外のケンコー遺跡やサクサイワマン遺跡など周辺の遺跡も見どころである.

 
W.アレキバの歴史地区    
 ペルー南部にある同国第2の都市アレキバは,13世紀のクスコの国王マイタ・カパックによって建設された町と言われている.この街の建設資材は近郊から算出される石灰岩を使用しているために,白い街の名が与えられている.この町並みが世界遺産になっているほか,郊外にそびえるコニーデ型火山(富士山型)のミスティ山の雄姿も見事である.

 
X.リマの歴史地区    
 ペルーの首都リマは16世紀にインカを征服したスペイン人,フランシスコ・ピサロが建設した太平洋岸の海岸砂漠の街である.そのメインとなるのがアルマス広場を中心とした地域(セントロ)である.ここにはピサロ自身が礎石を置いたとされるカテドラルをはじめとするコロニアル調の建物がたくさん立ち並んでいる.
 
     


4.ペルーあれこれ

首都  リマ   
人口  29,165,000人  
政体  大統領をいただく共和政   
通貨  ソル(1ソル≒38円)   



 

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