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 ペルー旅行記(7)


2012年9月26日(水)


インカ道を歩く

 さて一夜明けた9月26日,マチュピチュ滞在2日目かつ最終日の朝である.前日は午後から休養十分だったことあり爽快な目覚めだ(笑).例によってビュッフェスタイルの朝食を摂った後,さっそく遺跡の観光に向かうことにした.まずは昨日行けなかったインティプンク(太陽の門)へのインカ道小トレッキングである.ホテルを出ると目の前はもう遺跡の入り口,これがサンクチュアリ・ロッジに宿泊するものの特権だ(笑).天気は曇りだったが雨は降っていない.気温はやや肌寒い程度で,トレッキングには最適な条件である.昨日と同じように受付で許可証とパスポートを提示して中に入っていく.
 昨日お昼に入った時は大勢の観光客でごった返していたのだが,この日は朝早いせいか,観光客の姿はまばらだった.歩きながら周囲を見ると石垣が見えるのだが,その雰囲気が日本の近世城郭の石垣に似ているなぁと感心してしていた(実はマチュピチュの建設は15世紀の後半で,日本の近世城郭の時代の少し前である.また日本のマチュピチュという異名のある竹田城の築城はほぼマチュピチュと同時期).
 そんなことを考えているうちに昨日も歩いた上り坂にさしかかった.息が上がるのは昨日と同じなのだが,気のせいか今日の方が疲労感が強いような気がする.思うに昨日は昼食前に歩いたのに対して今日は朝食後だったために血液が消化器系に集まっていて,その分脳や筋肉への血流量が減っているためではと考えたのだった.それでもなんとか登り切り石垣がずらっと横に伸びている場所まで到達した.
 ここから右に行くと昨日行った見張り小屋に至るが,今朝はここを左に曲がって歩く.見るとはるか向こうまで石畳の道が続いているのがわかる.実はこれがインカ帝国時代の道路,インカ道なのである.インカ帝国は15世紀に南米の広大な範囲に広がっていたが,その円滑な支配の要となったのが国中に張り巡らされた道路網だった.ここマチュピチュも決して山中に孤立した都市ではなく,首都のクスコと道路でつながっていたのである(現在でも自動車道はつながっていないものの,このインカ道をたどって行けばクスコまで行ける).
 そんなインカ道を西に向かって歩いていく.道はよく整備された石畳,右手には石垣が並んでいるが左手は崖である.見下ろすと宿泊しているサンクチュアリ・ロッジの中庭が見えた.歩いているうちに道は徐々に上り坂になって息が上がり,日頃の運動不足が実感される.大体15分くらい歩いたところで,右手に巨大な岩が出現した.これは大岩の墓跡と呼ばれるところで,ハイラム・ビンガムがこの下から遺骨を発見したことにちなむという.ここで暫しの休憩を取った.

日本の城郭にもありそうな石垣

左がインティプンク

インカ道

サンクチュアリ・ロッジが見える

けっこう怖い道です

マチュピチュ村が
 

大岩の墓跡

永遠に道があるようです

なにやら遺跡が見えてきた
 

インティプンク

 その後再びなだらかな上り坂を進んでいった.ふと見るとはるか向こうの山にまでこの道が続いているのがわかり,少し気が滅入ってくる(笑).それでも何とか歩いているうちに,ちょっとした遺跡のような場所に到着した.ここがタンボというインカ時代の宿泊所跡で,すぐ近くには儀式の石と呼ばれる大きな石が置かれていた.ここで再度休憩をとり水分補給,その後さらに進んでいく.道は相変わらず石畳が基本だが,ところどころには岩を登らなければならないところもあった.そうしてタンボから20分ほどで目標だったインティプンクに到着した.
 ここに立って見ると,マチュピチュの全貌が良く見える.下界から登ってくるヘアピンカーブの自動車道もわかる.見張り小屋からの展望とはまた違った趣が感じられた.マチュピチュ遺跡の右にはワイナピチュ山も見えたのだが,なんだかワイナピチュの山頂よりも今自分が立ている場所の方が高いんじゃないかと感じた(後で確認したらまさにその通りで,ワイナピチュ山頂よりもインティプンクの方が標高が高いのだそうだ).
 ちなみにインカ道はもちろんここが終点ではなく,ここからさらに西に延びてアンデスの山々を越えてクスコに向かっている.しかし,このインティプンクを過ぎるともはやマチュピチュ遺跡の姿は見えなくなることから,当時の旅人にとってこの場所は,マチュピチュに向かう者には街を初めて目にする感激の場所として,マチュピチュを去る者には街との別れを実感する場所だったんだろうと思われた.
 しばらく景色を堪能してきた道を引き返す.行きは登りだったので帰りは必然的に下りになり,来る時よりはだいぶ楽である.結局往復2時間半ほどでインカ道トレッキングは終了,我々はいったん遺跡を出てホテルに戻った.

タンボが見えてきました

かつての宿泊所です

儀式の石

へばってしまった自分(笑)
 

さらにインカ道を進む

インティプンクです

太陽の門とも呼ばれます
 

村から登る道が見えます


インティプンクからのマチュピチュ遺跡とワイナピチュ

サンクチュアリ・ロッジ前で

 


インカ橋へ

 しばしの休憩後10時半にホテルのロビーに集合となる.今度は現地ガイドの案内でもう一つのインカ道トレッキングポイントであるインカ橋まで行く ことになっているからだ.インカ橋というのはインカ道の途中にかかっている橋のことである.次にホテルに戻るのは昼食時ということで,先にチェックアウトを済ませ,更には大きな荷物を駅まで預ける手続きも行い身軽になった.参加者はワイナピチュ登山に行っている若いカップルを除いたメンバーである.再び受付で許可証とパスポートを見せて遺跡に入り,今朝も歩いた貯蔵庫沿いの坂道を登る.朝食がこなれたのか,同じ上り坂でも朝よりはだいぶ楽に感じた.朝は左に曲がった分岐点を今度は右に曲がって見張り小屋に向かう.そこからさらに南へ歩いた.しばらくは最初の貯蔵庫付近と同じくらいの上り坂で息が上がったが,ちょっと歩くと何やら事務所のような小屋が見えてくる.ここでインカ道に向かう観光客は名前を書くことを求められるようだった(登山者名簿のようなもの.我々はガイド付きのグループということで免除らしかった).
 事務所から先は打って変わって平坦な道になる.ここもインティプンクに向かう道と同じように石畳なのだが,狭いことに加えて,左手は険し い垂直な山肌で右手は断崖絶壁,確かにあそこで名前を書かされる理由がわかるような気がした(ビデオカメラなんかで撮影しながら歩いていると谷底に転落しそう.過去にそんな人がいたのでは…).古の蜀の桟道というのがあったが,まさにこんな道だったのではと思わせるような道だった(日本なら絶対にガードロープや柵が設置されそうだが,もちろんここにはそのようなものはない).
 そんな道を15分ほど歩くと目指すインカ橋が見えてきた.まさに断崖絶壁に架かる橋である.こんなところ行けるのかと思ったが,さすがに危険すぎるらしく橋そのものは立ち入り禁止になっていた.我々はそれぞれ記念写真を撮ったりしてこの危険な空間を堪能し引き返したのだった(ちょうど我々が引き返したところで,ワイナピチュ登山に行っていたカップルが戻ってきた.一同拍手で迎えたことは言うまでもない).

インカ橋途中の事務所


蜀の参道ってこんな道だったんでしょうか


インカ橋をバックに(後ろは崖でちょっと怖い)


インカ橋です

 

ここからは立ち入り禁止

名残惜しい光景です

参加者一同記念撮影
 


マチュピチュに別れを告げる

 その後はそのままホテルに戻る人,添乗員さんと一緒に遺跡を歩く人,自由行動の人に分かれてしばしの解散となる.我々は添乗員さんと一緒のコースに入り,昨日行かなかった遺跡を見学した.マチュピチュ遺跡に関しては過去には砦などの軍事施設だったという説もあったが,結構長い年月をかけて徐々に建設された形跡があることから(石垣が古いもの精巧なものが混在しているなど),近年では宗教施設だったという説が有力である(このほか夏の離宮だったとも.いずれにせよ水源の数などから実際にここに住んでいたのは最大でも1000人は超えないといわれている).添乗員さんによるとマチュピチュ遺跡の実態については,インカ人が文字による記録を残していない以上,正確なことは誰にもわからず,所詮言ったもの勝ちなのだそうだ.たとえば天体観測の石といわれる円形の2つの石があるが(ここに水を張って星を観察したという説がある),実は単なる石臼だったのではないかという説もあるし,現在コンドルの神殿と呼ばれているところも,当初発見者のビンガムは牢獄だったと考えていたそうだ.
 結局ギリギリ近くまで遺跡を堪能しホテルに集合,既にチェックアウトは済ませているので,そのまま下界へのシャトルバスに乗り込む.バスが出発すると一同名残惜しそうに遺跡の方を見ていた.

天体観測の石

石のでっぱりには屋根がかけられていたとのこと

水源です
 

先端の穴から排水していたと考えられています

市街地入口(ワイナピチュが見えます)

ここに紐を通したといわれます(入り口そば)
 

遺跡で最も精巧な石垣です


こうしてみると場所によって精度が異なるのがわかります

マチュピチュ訪問証明書

 
 つづら折れの急斜面を下ってマチュピチュ村に到着すると,まずは昼食会場であるTOTO'S HAUSEというレストランに入った.ここはビュッフェスタイルのランチだった.その後列車の時間まで自由行動となり,少し村を歩いてみることにした.マチュ ピチュ村は両側を山に囲まれたウルバンバ川沿いの谷間に広がる村である.メインストリートを中心に小さなホテルや商店,レストランが並ぶ風景は何となく日本の温泉街を彷彿させるものがあった(実はここ,実際に温泉が湧いている.入る機会はなかったが…).昨日通過しただけのバザールのようなお土産物屋街には小物からアルパカのセーターまでいろんなアイテムが所狭しと並んでいて,賑わっていた.
 しばらく散策した後時間が来たため,一旦レストランに集合,そこから集団で駅に向かった.マチュピチュ駅は

シャトルバス乗り場

昼食会場TOTO'S HAUSE
 
列車を待つ観光客で大賑わい(マチュピチュから他の都市に行くにはこの列車に乗るしか方法がないので当たり前なのだが…),現地ガイドから各自チケットを受け取り出発の時を待っていた.往路は聖なる谷のオリャンタイタンボからの乗車したのだが,復路はクスコ近くのポロイ駅まで乗り通す行程である(約3時間半).  

マチュピチュ村市街

土産物街

駅の改札口
 


再びクスコ

 帰りの列車も来る時とおんなじビスタドーム号だった.定刻になって列車は出発する.マチュピチュからクスコへは上り坂になるということと,ディーゼル機関車による牽引ということであまりスピードは出せないのだった.列車はゆっくりとウルバンバ渓谷を走っていく.しばらくすると軽食と飲み物のサービス開始,私はというと当然のようにワインを注文していたのだった(笑).その後は乗務員が扮するなまはげのよ うな仮面や衣装を着けた踊りや,アルパカ製品をファッションショー感覚で紹介・販売するイベントなどが行われた.  

ペルーのなまはげ?
 
 そうこうしているうちに外は徐々に暗くなり,夜になっていった.周りの人たちはというと,マチュピチュ観光の疲れからか寝入っている人が多かったようだ.列車は途中なんどか停車を繰り返していたこともあって,結局1時間近く遅れてポロイ駅に到着した(到着は夜8時過ぎになっていた).
 標高2千メートル台のマチュピチュから再び3500メートルのクスコに戻ってきて,気のせいか空気の薄さを自覚する.我々は駅から迎えのバスに乗 り込みホテルに向かった.
 ポロイ駅はクスコの郊外にあるのだが,実はクスコ市街地よりも標高が高い.つまりポロイからクスコへは道を下っていくことになるのだ.このため途中クスコの夜景が一望できるスポットがあり,そこでで停車しその夜景を堪能することもできた.
 この日の宿泊先である,リベルタドール・パラシオ・デル・インカは,市内の中心部に位置し,その昔インカの征服者であるフランシスコ・ピサロの邸宅だった場所をホテルに改装したものと言われている.重厚な石造りのホテルは歴史を感じさせるものとなっていた.
 到着すると前々日ウルバンバから別送されていたスーツケースが来ていた.一旦部屋に入って簡単に荷物整理をした後さっそく夕食となる.重厚なホテルだけあってレストランも立派な雰囲気を醸し出していた.この日もチョイスのコースメニュー,私はメインにマス料理を選択した.ワインはどうしようか悩んだのだが,再び3千メートルを超えた晩だったのと,列車でも飲んできたのでこの日はお休みにした.
 夕食後は部屋に戻り,シャワーを浴びてそのまま眠り込んだ.明日はチチカカ湖に向かうドライブである.

こんなシーンも

クスコの夜景

トウモロコシのスープ

マス料理
 



 

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