その後はそのままホテルに戻る人,添乗員さんと一緒に遺跡を歩く人,自由行動の人に分かれてしばしの解散となる.我々は添乗員さんと一緒のコースに入り,昨日行かなかった遺跡を見学した.マチュピチュ遺跡に関しては過去には砦などの軍事施設だったという説もあったが,結構長い年月をかけて徐々に建設された形跡があることから(石垣が古いもの精巧なものが混在しているなど),近年では宗教施設だったという説が有力である(このほか夏の離宮だったとも.いずれにせよ水源の数などから実際にここに住んでいたのは最大でも1000人は超えないといわれている).添乗員さんによるとマチュピチュ遺跡の実態については,インカ人が文字による記録を残していない以上,正確なことは誰にもわからず,所詮言ったもの勝ちなのだそうだ.たとえば天体観測の石といわれる円形の2つの石があるが(ここに水を張って星を観察したという説がある),実は単なる石臼だったのではないかという説もあるし,現在コンドルの神殿と呼ばれているところも,当初発見者のビンガムは牢獄だったと考えていたそうだ.
結局ギリギリ近くまで遺跡を堪能しホテルに集合,既にチェックアウトは済ませているので,そのまま下界へのシャトルバスに乗り込む.バスが出発すると一同名残惜しそうに遺跡の方を見ていた. |
天体観測の石 |
石のでっぱりには屋根がかけられていたとのこと |
水源です |
|
|
先端の穴から排水していたと考えられています |
市街地入口(ワイナピチュが見えます) |
ここに紐を通したといわれます(入り口そば) |
|
|
遺跡で最も精巧な石垣です
|
こうしてみると場所によって精度が異なるのがわかります |
マチュピチュ訪問証明書
|
|
|
つづら折れの急斜面を下ってマチュピチュ村に到着すると,まずは昼食会場であるTOTO'S HAUSEというレストランに入った.ここはビュッフェスタイルのランチだった.その後列車の時間まで自由行動となり,少し村を歩いてみることにした.マチュ ピチュ村は両側を山に囲まれたウルバンバ川沿いの谷間に広がる村である.メインストリートを中心に小さなホテルや商店,レストランが並ぶ風景は何となく日本の温泉街を彷彿させるものがあった(実はここ,実際に温泉が湧いている.入る機会はなかったが…).昨日通過しただけのバザールのようなお土産物屋街には小物からアルパカのセーターまでいろんなアイテムが所狭しと並んでいて,賑わっていた.
しばらく散策した後時間が来たため,一旦レストランに集合,そこから集団で駅に向かった.マチュピチュ駅は |
シャトルバス乗り場 |
昼食会場TOTO'S HAUSE |
|
|
列車を待つ観光客で大賑わい(マチュピチュから他の都市に行くにはこの列車に乗るしか方法がないので当たり前なのだが…),現地ガイドから各自チケットを受け取り出発の時を待っていた.往路は聖なる谷のオリャンタイタンボからの乗車したのだが,復路はクスコ近くのポロイ駅まで乗り通す行程である(約3時間半). |
|
|
|