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 ペルー旅行記(6)


2012年9月25日(火)


オリャンタイタンボ駅

 高地でワインが一気に回ったこともあって爆睡した翌朝,9月25日はいよいよ今回の旅行最大のハイライト,マチュピチュ入りする日である.外に出てみると爽やかな晴れ空だった(日頃の行いがいいからだとほくそ笑む 笑).
 例によってビュッフェ形式の朝食を済ませて出発となる.ここからマチュピチュへはバスと列車を乗り継いでいくことになり,しかも列車にはスーツケースを積みこめないため,一泊分の荷物をあらかじめボストンバッグなどに入れて持っていかなければならない(スーツケースは明日宿泊するクスコのホテルに別送).スーツケースの整理をしていてしゃがみこんでいた際に,ふと頭を上げたら一瞬くらくらした.やっぱり酸素が薄いんだなと感じる.
 ペルーを代表する観光地であるマチュピチュだが,実はリマやクスコといった主要都市から車で行くことはできない.なぜなら途中の聖なる谷から麓の村までの自動車道がないからだ.そのためマチュピチュを訪れる観光客の大半は鉄道を利用することになる(その他,昔のインカ道を数日かけて歩くインカ道トレッキングで行く方法もある).
 マチュピチュ行きの鉄道にはクスコ郊外のポロイ駅か,聖なる谷のオリャンタイタンボ駅から乗車することになるが,今回我々が利用したのはオリャンタイタンボ駅である.一方で鉄道を運行している会社は複数あって,今回は一番老舗のペルーレイル社を利用することになっていた.
 バスで聖なる谷を30分ほど走ってオリャンタイタンボ駅に到着する.マチュピチュを目指す大勢の観光客が集まる駅ということで,周辺にはお土産物屋なども並んで賑やかだった.

爽やかな朝

我々が宿泊したホテル

聖なる谷です

オリャンタイタンボ駅
 

ホームのカフェ,緑茶の文字が…

ビスタドーム号が入線してきました

乗客でごった返すホーム

 

ビスタドーム号

 ペルーレイル社のマチュピチュ行き列車には豪華食事付きのハイラム・ビンガム号,車内からの展望がよいビスタドーム号,もっともエコノミーなバックパッカー号の3種類がある.それぞれ走っている時間帯が異なっているので,乗りたい列車を選ぶというよりも,自分たちの観光日程に合う時間帯の列車に乗るという方がイメージが近い.今回我々が乗車するのはビスタドーム号だった.駅の売店でコーヒーを飲んだりトイレを借りたりして待っていたところ,ほぼ定刻に列車が入線してきた.さっそく指定された車両に乗り込む.ビスタドーム号は全席指定であるが,進行方向のどちら側に座るかで見られる景色には差があるらしい.ほとんどの参加者は初めてのマチュピチュなのでどっちがどうなのかは分かるはずもないので,席は添乗員さんにお任せとなった(帰路は逆にするとのことで公平を保つそうだ).
 この鉄道はさすがに電化されておらず,ディーゼル機関車けん引の客車形式という,最近日本ではほとんど見なくなったパターンである.日本でこのパターンの運行をしているのは函館−札幌間のカシオペアはまなすのみであり,大半のローカル線はディーゼルカーによる運用だからだ.ここからマチュピチュ麓の村まで約1時間半の行程となる.列車はウルバンバ川の清流に沿うように走り,周囲には民家の姿もちらほらと見えた.そして上を見ると,万年雪をいただいたアンデスの山々が見事な展望を誇っている.こうした車窓からはの眺めを楽しみながらビスタドーム号の旅は進んでいった.しばらく走っていると駅とも思えないところで一旦停車した.交換列車の待ち合わせでもあるのかと思っていたのだが(この路線,もちろん単線である),ここからインカ道トレッキングに入っていく人たちを下ろすための停車らしかった.その後も晴天の中を快調に進み,無事終点のマチュピチュ駅に到着した.

ビスタドーム号内部

ウルバンバ川沿いを進みます

雪を頂くアンデスの山

ここにもインカの遺跡でしょうか
 


いよいよマチュピチュ

  到着後各自荷物をもって下車する.マチュピチュは人口わずか3000人程度の小さな村だが,年間50万人以上の観光客がやってくるだけあって,駅はそれなりに大きく,周囲にはイスラム圏のバザールのような商店街(土産物屋街)が広がっていた.カラフルなお土産が並んでいるため,みんなそっちの方に視線が行ってしまったが,すぐにバスが出るからと添乗員に促されてそのままバス停に向かう.

マチュピチュ駅での機関車
 
 村から遺跡まではシャトルバスがピストン輸送を行っており,我々もさっそくバスに乗り込んだ.ただこのバスは我々の貸し切りではないため,他の観光客も乗りこんで満員になってからの出発だった.
 村を出たバスはつづら折れ(いわゆるヘアピンカーブ)の未舗装の細い道を登って行く.途中で対向してくる遺跡から下界に降りてくるバスと何度かすれ違ったが,さすがに慣れているのかスムーズに通行していた(クスコにせよマチュピチュにせよ,狭い道を通る機会が多いため,車長の短いバスが一般的である).高度を上げるに従って遺跡の石垣が見えてきて車内から歓声が上がり,いよいよバスは遺跡の入り口に到着した. 
 

駅前の土産物屋

マチュピチュ駅

駅前にはホテルが並びます
 


サンクチュアリ・ロッジ

 バスを降りた我々はまず,遺跡入り口そばに立つサンクチュアリ・ロッジに入った.ここは遺跡に隣接する唯一のホテル,実は今回我々の宿泊先である.一般にマチュピチュで宿泊する場合は麓のホテルに泊まってバスで行き来するパターンが大半なのだが,このサンクチュアリ・ロッジに泊まると,バスの時間を気にせずゆっくりと観光ができるのである.そんな立地にあるこのホテルの人気は高く,ハイシーズンともなれば予約がとりにくくなるのだが,せっかく行くならぜひ泊まりたいと思い,ここでの宿泊が確定していたこのツアーに参加したのだった.
 ホテルではまずウェルカムドリンクをいただき,荷物を預けて,添乗員さんおよび現地ガイドから説明を受ける.その後トイレを済ませて(遺跡内にはトイレがないため,観光前には必ず済ませなければならない)いよいよ遺跡に向かうことになった.

遺跡そばのサンクチュアリ・ロッジ

これがマチュピチュ入場許可証です

入場ゲートで許可証とパスポートを見せる
 


見張り小屋からの展望

 遺跡のゲートはホテルの目の前,係員に入場許可証とパスポートを提示して中に入る.世界遺産のマチュピチュは近年訪問する観光客が増加しており,遺跡保護の意味合いから一日に入場できる人数に上限が設けられるようになった.このためピークシーズンにはあらかじめ許可証を購入していくほうが安全なようだ(せっかく現地に行っても定員オーバーで許可証が購入できないなんて事態もありうるということ).一方で許可証は1日間有効なので,何度でも出入りすることは可能である(遺跡内にはトイレがないし,飲食も禁止されているため一日中遺跡内で過ごすのは困難).
 入場してしばらくは林道風の道を進んでいくが,ところどころに姿を見せる石垣が気分を盛り上げてくれる.しばらく歩くと上り坂が始まった.意外に急なのと酸素が薄い高地であるのとで息が上がる.少し行くと建物が見えてきた.これが貯蔵庫と呼ばれる施設である.ここで道が二つに分かれていて,我々は左に向かう(マチュピチュ遺跡内は基本的に時計回りの一方通行になっている).
 さらに登りが続いて息が苦しくなったところで,展望のよい高台に到着,ここが見張り小屋と呼ばれるところで,その名の通り,マチュピチュ遺跡を一望できるスポットである(ガイドブックに載っているマチュピチュの全景写真はここから撮影したものが多い).もちろんみんなここで写真タイムとなったことは言うまでもない.
 高台から見下ろすと向こう側にワイナピチュが,その手前にマチュピチュの都市遺跡が並ぶ壮観な眺めである.ちなみにワイナピチュとはケチュア語(インカ時代の言葉)で若い山という意味で,それに対してマチュピチュは老いた山の意である.尾根の上に立ち並ぶ市街地の周辺には山の斜面に沿って階段状になった土地,段々畑が広がっているが,当時ここでトウモロコシなどが栽培されたと考えられている.ワイナピチュをよく見ると,結構な数の人が登っている様子が見える.この山は事前に許可を受けることで遺跡から登ることができる(往復1時間半〜2時間程度,途中結構きつくて危険な箇所もあるらしい).我々は登ることはなかったが,同じグループの若いカップルが翌日挑戦することになっていた.

貯蔵庫

結構な上り坂です

見張り小屋

見張り小屋傍の儀式の石

見張り小屋からマチュピチュ遺跡の全貌
 

マチュピチュのパノラマ写真
 

ワイナピチュにはたくさんの登山者が

記念写真


段々畑

 
     


マチュピチュの市街地

 さて,見張り小屋からの展望を堪能した後,今度は左下に見える市街地に入っていく.マチュピチュは街全体が城壁に覆われた城塞都市のため,外界から入れる場所は限られている.街への入り口は,こんな大きな遺跡とは不釣り合いなほど小さな門である.ただ,この門からはワイナピチュの姿を眺めることができるということで,格好の撮影スポットにもなっていた(逆にいうと,ワイナピチュが見えるスポットに門を造ったということだろう).

マチュピチュ遺跡の概要図を作ってみました
 
 そんな門から市街地に入って行く.ここには作業小屋や旅行者の宿泊所,水道といった生活のための施設をはじめ,王の別荘・各種神殿といった政治的・宗教的に重要な施設までが整然と並んでいた.興味深いのはそれらの施設の配置である.平野部など標高の低いところでは身分の高い人の家や重要施設は高い場所に,庶民の家などは低い場所にあるのが一般的である(日本の城下町を連想するとよくわかる).しかし,ここマチュピチュでは逆に重要施設は低地に,身分の低い人たちの住居や施設が高地に位置しているのだ.これは高地特有の事情があるからで,高い場所は風や落雷の被害を受けやすく,また生活に必須である水の確保が低地の方がたやすいという意味のようだ.まさに所変わればというわけである.見学の途中で,ワイナピチュ登山のための入り口を発見,大半の参加者はワイナピチュに登るわけではないのだが,みんなここで記念写真を撮っていた(笑)
 この日はガイドアレックスの案内で,日時計や主神殿,コンドルの神殿,王の別荘,太陽の神殿といったマチュピチュ遺跡の主要な部分を見学した.遺跡内のあちこちにはにはリャマの姿があったのだが,実はマチュピチュが栄えていた頃にはここにリャマはいなかったといわれている(後に観光用に持ち込まれたらしい).

石造りの遺跡が並んでいます

きちんと区画がされています

一周するだけで結構な距離です
 

先端がインティワタナ(日時計)です

市街地への入り口の門


非常に地味な門です
 

ここは倉庫として使われたようです

遺跡で唯一湾曲した石垣となっている太陽の神殿

遺跡最高地点のインティワタナ(日時計)
 

窓からはマチュピチュ山が見えます

主神殿


精巧な石組み

 

南十字と呼ばれる石(正確に南をさしている)

太陽の神殿

神殿内にある一枚岩の階段
 

コンドルの神殿にある石

王の別荘と呼ばれる石垣

ワイナピチュの入り口
 

広場から見える石垣

メイン広場

リャマがいました
 
 一通り市街地を見学した後はいったんホテルに戻って昼食となる.ビュッフェ形式のランチであるが,飲み物のコーナーに日本では見かけなくなった色彩のファンタオレンジがあって嬉しくて取ってしまった(笑).
 昼食後は有志の人は遺跡内のインカ道を太陽の門(インティプンク)まで歩いていく企画があったのだが,ランチでワインを飲んでしまった私は酔いが回った上に,これまでの疲労が出てきたために参加せず,そのまま部屋で

ホテルが遺跡そばなので楽です
 
寝てしまった(爆).起きたら個人的に遺跡に行ってみようかなと考えていたが,午後には本格的な雨が降り始めたために断念,結局夕方にホテル周囲で鳥を観察したりして過ごした.この日の夕食はホテルのレストランで羊肉をいただいた(結局またまたワインも飲んでしまった 笑).  

アミューズ

前菜のスープ

メインは羊肉
 



 

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