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 ペルー旅行記(10)


2012年9月29日(土)


ペルー最後の朝

 マリオットホテルでの朝を迎え,いよいよ今回の旅行の観光最終日となった(現実に帰国するのは2日後の10月1日,時差があるとはいえいかに南米が遠いかがわかる).この日は午前中は主としてリマ市内の観光,午後からは博物館の見学,その後長いフライトに向けて夕方までホテルで休んだ後出発の流れとなる.
 まずは朝食会場へ,一般的なビュッフェスタイルの朝食だが,さすが高級ホテルだけあってメニューも充実している.定番のサラダバーや卵料理コーナーはもちろんのこと,特にここでは絶対に食べた方がいいと添乗員さんに言われていたフルーツ,チリモヤがあった.何とも言えない甘さで,アイスクリームのような食感である.

ホテルから見える太平洋

チリモヤ
 

アルマス広場とサン・フランシスコ教会

 朝食後一旦部屋に戻って準備をして市内観光に出発となる(チェックアウトはまだ).バスで向かうのはリマのセントロ地区(旧市街),いわゆる歴史地区といわれて世界遺産にも指定されている地域だ.
 リマは1533年にインカ帝国を征服したフランシスコ・ピサロが建設した.アンデスを源流に太平洋にそそぐリマック川沿いに開けた都市である.街の中心がアルマス広場で,まずはそこを目指す.途中サン・マルティン広場が車窓からみえた(中央には独立の英雄サン・マルティンの像が立っている).そこから数ブロックでアルマス広場に到着である.バスから降りてまずは広場の中心に立つ.ここにはかつて,ピサロの像が立っていたとされるが,ペルーの独立後撤去され,今では噴水とキューピットの像に代わっている.ここから見渡すと広場に面して大聖堂(カテドラル),大司教宮殿,大統領府,市庁舎といった超重要施設が立ちならんでいる.まさに国の中心といった趣だ.カテドラルは1535年にピサロ自身が礎石を置いたといわれるリマ最古の教会である.その隣にはかつて当地の大司教が住んでいた宮殿も併設されていた(現在は博物館).特に宮殿の2階部分にある木造の出窓(バルコニー)は当時の様式(コロニアル様式)を色濃く残すもので興味深い.広場の北東には大統領府があるが,これは元々ピサロの邸宅だったところで,その後何度か建て替えられ,1821年7月28日にはここでサン・マルティンがペルー独立宣言を発している.
 広場の観光が終わると一同大統領府の東側の道を北に向かった.この通りの先端にあるのがデサンパラドス駅である.その名の通り鉄道の駅で,今でも線路が通ってはいるのだが,駅としての機能は失われていて,図書館として利用されているらしい.この駅から右に折れて進んでいくと,大きな教会が見えてきた.

アルマス広場

ペルー大統領府

リマ市庁舎

大聖堂と大司教宮殿
 
ここがサン・フランシスコ教会である.ここも16世紀に建立された古い教会&修道院で,地下にはカタコンベと呼ばれる地下墓所があり2万柱以上の遺骨がある(現在は新規の遺骨は納めることができないらしい).  

リマで一番古い聖堂

大司教宮殿の内部

ブルーのタイルが素晴らしい
 

木製の出窓

デサンパラドス駅

地元の中学生?
 

駅からサン・フランシス教会まで1ブロック

サン・フランシスコ教会


内部の様子

 

黄金博物館

 サン・フランシスコ教会の見学を終えるとそのままバスに乗り込む.次に向かうのはリマ市南東にある黄金博物館である.旧市街周辺のゴミゴミした街並みから,徐々に周囲は広々とした緑の多い地域に入っていく.市内でもこのあたりは高級住宅地の趣であった(アメリカ大使館もこの辺にある).
 黄金博物館は実業家だった故・ミゲル・ムヒカ・ガヨ氏の個人コレクションを展示している私設博物館である.

リマ市民の足はバスです
 
黄金という名が付いているように,主としてプレインカ時代の黄金の装飾品が展示されているほか,中世ヨーロッパの甲冑や日本の鎧兜,刀剣などが展示されているコーナーもあった.内部は写真撮影禁止のため,それらの品々を紹介することはできないのだが,なかなか見ごたえのある展示であった(まあもっとも,展示品の保存状態等に関しては専門の博物館に比べると??なところはある)..  

黄金博物館

1階は武器,地階が黄金を展示しています

ミゲル・ムヒカ・ガヨ氏の像
 

昔の大砲

巨大な壺

なんか笑える
 

セビーチェをいただく

 黄金博物館の見学が終わるとちょうどお昼時になる.この日の昼食は,ミラフローレス地区の海岸にあるレストラン「ラ・ロサ・ナウティカ」での海鮮料理だ.
 ペルーの沿岸部は南極からやってくる強力な寒流であるフンボルト海流と赤道からやってくる暖流がぶつかる位置にあるため,良好な漁場となっている(ちょうど日本の三陸沖と同じ状況).このため海産物が豊富で美味いのである.「ラ・ロサ・ナウティカ」は海岸から桟橋を歩いた先の海に浮かぶレストランだった.駐車場でバスを降りて歩いて向かう.周辺の岩場を見たら大きなカニが歩いている.まさかここの食材にされているのでは(笑)などと思ってしまった.桟橋の上はそれなりに風があった.リマは南緯12度と南回帰線よりも北に位置するのだが,風は意外に冷たい.もちろんこれは寒流の影響なのだが,やっぱり海流が気候に与える影響はすごいなと実感した次第である(昔読んだ本に「海流は地球の冷暖房装置」と書かれてあったが言いえて妙である).
 店内はピアノの生演奏が行われているなどおしゃれな感じ,ガイドさんの話だと地元の若いカップルなんかが記念日で気合を入れてくるようなお店らしい.我々も海外旅行という非日常だから似たようなものか(笑).
 この日のメニューはオードブルとして各種海鮮料理の盛り合わせ,メインはトマトパスタだった.海鮮料理は日本でいうイカリングのようなものや海鮮グラタンに加えて我々が注目していたのがセビーチェだった.これは細かくスライスした白身魚に玉ねぎとトマトのみじん切りを加え,レモン汁で和えたマリネの一種で,自分はペルー風刺身と呼んでいる.今回本場のセビーチェが食べられるということで楽しみにしていたのだが,あっさりしていて美味しかった.実は本来はこれにパクチーが加えられるらしかったが,日本人には苦手な人も多いため添乗員さん判断であらかじめパクチー抜きにしてもらったとのことだった(ウチのKはパクチーが苦手なので,もし入っていたら悲劇だった).一方でメインのパスタはというと… やっぱりソフトだった.コシのしっかりとしたパスタは日本とイタリア以外では無理らしい(笑).

水上に浮かぶレストラン

カニがいます!

ラ・ロサ・ナウティカ

ピアノもある店内

海鮮料理が並びます
 

海鮮グラタン

イカリング?

これがセビーチェです
 

魚介盛り合わせ

海鮮パスタ

マンゴーアイス
 


ラルコ博物館

 昼食後は再び博物館見学となる.一般に日本からやってきてリマを観光するツアーでは,日本人実業家でアンデス文明研究家でもある故・天野芳太郎氏が研究収集した標本等を展示した天野博物館を訪問するパターンが多い.我々のツアーも本来ならばそうだったのだが,今日,土曜日は天野博物館休館の日なのだった.ということで,代わりに訪問したのがラファエル・ラルコ・エレーラ博物館(ラルコ博物館)である.ここはアンデス研究家のラファエル・ラルコ・ホイエ氏が収集した,主としてペルー北部のモチェ文化の遺物を展示している博物館である.
 昼食会場のあったミラフローレス地区から海岸沿いに北上,途中から内陸に入って20分ほどで到着した(プエブロリブレ地区).この博物館は一見小高い丘の上に立っているように見えるのだが,実はただの丘ではなく,7世紀のプレインカ時代のピラミッド遺跡なんだそうである.敷地内に入ってみると,緑の多さに驚いた.
 内部はインカやプレインカ時代各地の文化における土器や石の彫刻,織物,金銀の装飾品などが多数展示されていた.主要な展示品には各国語での解説文が添えられているのだが,日本語の解説もあってわかりやすかった.
 この博物館で面白いのは,18禁(?)の別館である.これは性をモチーフにした土器を集めて展示しているコーナーで,人間の本性は時代や世の東西を問わないことが実感できた(笑).

ラルコ博物館

膨大な収集品です

二つとして同じ顔がありません
 

石を掘った仮面


この博物館を代表する器
(モチェ文化)

サンタ文化の土器

 

チャンカイ文化の土器

ティワナク文化の土器

インカ帝国期の壺
 

ナスカ文化の土器

ワリ文化の土器

不思議な形をしています
 

石像です

パラカスの大布

ワリ文化影響下のナスカの布
 

石柱

断崖から突き落とされる生贄

擬人化された土器
@

擬人化された土器
A
 

宝飾品の数々


黄金の頭飾り

貝殻とクリソコラの
胸当

トルコ石と黄金の
胸当
 

黄金の飾り


トルコ石と黄金の
飾り

このグリーンは
翡翠?

頭飾り

 

エロチック土器@

エロチック土器A

エロチック土器B

エロチック土器C
 


帰国への長〜い旅路

 ラルコ博物館の見学後は市内のお土産物屋さんに寄ったあとホテルに戻る.今夜のフライトで帰国の途に就くわけだが,長旅に備えて休んでもらうという趣向である.我々は荷物はあらかた整理してあったので,シャワーを浴びてしばらく寛いだ.日没頃に夕食代わりの和食弁当が届けられる.美味しかったが量が多く全部は食べられなかった.
 集合時間となりロビーへ,そのままバスに乗り込んで空港に向かう.2年前のベネズエラの際は国際線のチェックインなどの手続きに非常に時間がかかった思い出があるのだが,同じ南米でもペルーの出国はいたってスムーズだった(ここでガイドさんとお別れ,一同持参してきて余った日本のお菓子等を差し上げた).
 アメリカ・ヒューストン行きの便はほぼ定刻に出発,我々は機上の人となる.夜中にひたすら飛ぶ便なので,寝るだけである.途中機内食もあったはずだが記憶にない.ヒューストンには翌9月30日の6時半ごろに到着した.
 ここで4時間の乗り換え時間,普通なら余裕がありすぎる時間だが,アメリカの手続きは厳しい.ここで近年導入された全身スキャン装置を初体験することになった.機械に入って両手を上にあげてスキャンするのだが,なぜか引っかかってしまった.そのまま係員の方へ行ってボディーチェックを受けるのだが,これがやたら細かい.テープのようなもので手をぬぐってそれを検査に回していた(もしかして麻薬の反応を見る検査かもしれない).結局無事に解放されたのだが,他の参加者から拍手で迎えられた(添乗員さんも,これだけ念入りなのは見たことがないと言っていた).
 その後乗り換えの飛行機で一路日本へ,日付変更線を越えて成田空港に到着したのは月が変わった10月1日の午後だった.

 
      完 (明日からまた日常の世界)  
   
   



 

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