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 ペルー旅行記(9)


2012年9月28日(金)


プーノの朝

 今回の旅行最高地点での一夜が明けて9月28日の朝を迎えた.前夜は早めのホテル入り&ワインのために就寝時間も早かったことからこの日は朝早くに目が覚めた.部屋のカーテンを開けて外を見る.昨日の夕方は曇りでどんよりしていたチチカカ湖も,この日は朝日に輝いている.よい観光日和になりそうだ.
 時間になってレストランへ.チチカカ湖を展望しながらの朝食はよかったのだが,立地の条件から高地の強い日差しが直接降り注いでくるのは厳しかった(笑).
 朝食後は部屋に戻って荷物をまとめておく.この日の予定はまずチチカカ湖の沖合に浮かぶウロス島を訪問,その後郊外のシルスタニ遺跡を見学してその後リマに戻る流れである.

夜明けのチチカカ湖

朝日がまぶしい
 

チチカカ湖

 我々の宿泊したリベルタドール・レイク・チチカカはプーノの町の北東,チチカカ湖の岸辺そばのエステベス島という小島に建つホテルである(本土とは長い橋で直結している).本日のチチカカ湖観光船はその島から出るとのことで,一同玄関前の長い階段を降りて桟橋に向かう.降りてみると待っていたのは,日本の湖でも遊覧船に使われていそうなこじんまりとした船だった(まあ,我々の貸切だからこのくらいでちょうどよいのだが).各自思い思いの席について出発を待つ.まずはこれから向かうウロス島についての解説が行われた.
 チチカカ湖は琵琶湖の13倍もの面積があるのだが,プーノの周辺はちょうどこの巨大な湖の入り江のような地形になっている.そしてこの地域にはトトラと呼ばれるイグサの一種をたくさん積み重ねて造った人口の浮島に住んでいる人々がいる.それがウル族であり,彼らが住むこの人口島がウロス島と呼ばれるものなのである.
 一通りの説明が終わるといよいよ出航,遊覧船は桟橋を離れて沖合に出ていく.しばらく航行していると前方に藁を積み上げたような土地があって,カラフルな衣装を着た現地の人々が立っていた.どうやらこれがウワサのウロス島らしい.プーノの沖合には,こうしたウロス島が40ほどあるといわれ,大きさはワンルームサイズの小さなものから300人以上が暮らしている大きなものまでさまざまである.面白いのはこうした島は離合集散が行われるということで,小さな島同士が合意の上にくっついてより大きな島になることもあれば,逆に島の住民同士が仲たがいをして,島を分割することもあるという具合だ.言ってみれば,この島々自体が地球の縮図なのかもしれない.
 我々はこうしたウロス島のひとつに上陸するわけだが,どこに上陸するのかは現地スタッフ任せである.島の住民は昔ながらの生活をしているとはいえ,こうして

はるか下に桟橋が

ボートの内部

チチカカ湖マップ

湖に乗り出す
 
観光客がやってくる以上,世間の経済活動と無縁であるはずはなく,観光客によって得られる経済的利益をどう人々に分配するか,調整役が必要だからである(この辺は2008年に訪問したナミビア北部のヒンバ族の集落訪問に通じるものがある).
 そんなことを考えているうちに,我々は一つの比較的大きな島に上陸することになった.
 

トトラの群生

住民が手を振っている

我々の上陸する島
 


トトラの浮島

 島では住民らしき人々が外に出てきて出迎えをしてくれた.足元はまさに草の絨毯である.見た目のイメージだとツンドラみたいなブヨブヨした感じで歩くのが大変なのかと思っていたが,予想以上にしっかりとした踏み応えである.これなら大丈夫だ.見渡したところ,島の大きさは50メートル四方くらいで10軒程度の家(というか小屋)が立っている.家はただ雑然と建っているわけではなく,広場(のようなところ)を中心にして建っているというのが興味深かった.広場にはちょうど丸太のような長椅子が置かれていたのだが,丸太と思ったそれは,実は草を編んで作ったものだった.島は元来昔ながらの電気もなにもない生活が営まれていた地域であるが,アルベルト・フジモリ氏が大統領だった1990年代にソーラーパネルによる発電や,公立小学校(これもウロス島にある)などインフラが整備され,今ではテレビを持っている島民もいるらしい(フジモリ氏はこの地域を実際に訪問した初めてのペルー大統領だったそうで,この辺では今でも人気があるそうだ).
 上陸(?)後はまずはこの島の構造や作り方などのレクチャーを受ける.島の住民が説明するのかと思いきや,前に出てきたのはガイドのアレックス!(\(^o^)/) まあたしかに現地語での解説→日本語訳よりは,直接アレックスが日本語で解説した方が楽なわけだが(笑).島の作り方に関しては実際にトトラを束ねてロープで結ぶところを実演して見せてくれたのは興味深かった.
 続いて島民による歓迎の歌,その後は住居の中を見学したり,地元の民族衣装を着て記念写真を撮ったりして過ごした.ふと見ると島の端に見張り台のようなものがある.何だろうと思って見ていたら,アレックスが登って記念写真を撮ったらどうかと言う.望むところとばかりに急な梯子を登った我々だった.上から周囲を見下ろすとまた違った趣がある.回りの他の島の様子や湖に浮かぶトトラ船が良く見えて興味深い(このトトラ船には後で乗った).結局,約1時間半ほどの滞在で最初のボートに乗ってホテルのある島に戻ったのだった(桟橋に降り立って,標高3800メートルの中,ホテルの玄関まで長い階段を登るのかと恐れおののいていたのだが,迎えのバスが来てくれてホッとした 笑).

島の概要の説明

トトラ加工の実演

こうやって束ねる

歓迎の歌です

湖で取れる魚
 

民族衣装にて

住居の内部

見張り台
 

見張り台から島を望む

住居は広場に面しています

他のグループ
 

見張り台から湖と隣りの島を望む
 

近代的な家もあります

ホテルが見えてきました

ホテル前にて
 


シルスタニ遺跡

 ホテルに戻ってチェックアウトを済ませると,そのままバスに乗り込んで出発である.昨日来た道を引き返す形になるため,湖畔からどんどん標高を上げていく.振り返るとチチカカ湖とプーノの街が良く見える.せっかくだから写真を撮りたいなと思っていたら,ちゃんと展望スポットで停車,撮影タイムとなった(笑).こうして改めて見ると雲が低い! やっぱりここは富士山の山頂よりも高地なんだと実感した.  

プーノの街とチチカカ湖の展望
 
 バスはそのまま町を離れて走っていく.このまままっすぐ行けば空港のある大きな町であるフリアカに行くのだが,この日は途中で左に折れた.昨日悪天候のため行けなかったシルスタニ遺跡に向かうためである.シルスタニ遺跡は西暦1000年頃のプレインカ時代(チューラホン文化)から15世紀のインカ時代に造られた墳墓群で,チュルパと呼ばれる円柱形の塔が特徴的だ.プレインカ時代のチュルパは小さな石を積み上げた素朴なものだが,インカ時代のものは,クスコやマチュピチュの石組みと同じような精巧なものとなっている.当時は100基を超えるチュルパがあったといわれるが,落雷やスペイン人による破壊によって大部分が失われ,現在残るのは5~6基程度である.
 駐車場でバスを降りて遺跡に向かっ歩く.実はここはプーノよりもさらに標高が高くて4000メートルくらいあり,かなり酸素が薄い.しかも途中から登りになり一同黙々と坂を上がっていく(添乗員さんも辛い人は無理しないでバスで待ってて下さいと言っていた).しばらく上がっていくと,円柱形の塔が見えてくる.これがチュルパらしい.構成している石をよく見ると,トカゲの絵が描かれているものがある.トカゲは尻尾を切り離してもまた生えてくるなど,再生の象徴であり,この墳墓に埋葬されたミイラが再び命を得られるようにという願いが込められているものと思われた.遺跡にあるのはチュルパだけではなく,ストーンサークルのようなものもあった.これはインティワタナと呼ばれる日時計である(同じ名前の施設がマチュピチュにもある).その他,ピューマの石と呼ばれる岩もあった(形がピューマの顔に似ているからという話だったが,どの辺がそうなのか分からなかった 笑).
 遺跡の一番高いところに立つと,眼下には大きな湖が見える.ここがウマヤ湖で,湖の中央には平らな地形の島がある.ここでは良質な体毛で知られるビクーニャが飼育されているのだそうだ.
 約1時間ほどの遺跡散策の後,再びバスに乗り込んだ.

駐車場から丘を登ります


チュルパが見えてきました


こちらはストーンサークル


解説をするアレックス

 

古い時代のチュルパ

インカ時代のもの

トカゲの文様が!
 

不思議な光景です

ピューマの石

ウマヤ湖にて
 

ウマヤ湖(中央の島にビクーニャがいるそうです)
 


アンデスに別れを告げる

 シルスタニ遺跡見学の後,空港あるフリアカの街に向かう.とはいえ,飛行機の搭乗の前に昼食というわけで,まずは市内のレストランへ.この日は豆のスープがメインだったのだが,デザートに登場した紫トウモロコシのゼリーが興味深かった.
 食事の後は空港へ.途中に立ち寄ったフリアカ市内は雑然とした南米的な熱気の感じられる(そしてちょっと危険な香りのする)街だった.
 フリアカの空港は”Aeropuerto Internacional Inca Manco Cápac”という,東日本在住の日本人には発音することが憚られる名前である(笑).フリアカ-リマ便は国内線なので,チェックイン手続は添乗員さんがやってくれるので,我々は空港の隅で待機,手続きが終わってそのままターミナル内に向かった.ここで4日間お世話になった現地ガイドのアレックスとお別れとなる.リマへは直行便だと1時間半程度なのだが,今日我々の乗る便は

レストランに出ていたボード(なんか微妙な日本語 笑)

空手教室のようです
 
アレキパを経由するので倍以上かかるらしい(汗).搭乗までまだ時間があったので,お店を覗くことにする.この空港にアルパカの専門店があったので,自分用&お土産用のアルパカのマフラーを購入した(ついでに売店で見つけたペルー風カップ焼きそばも 笑).
 そうこうしているうちに出発の時間となり,一同機上の人となった.
 

フリアカ市内

Manco Capacの像

フリアカの空港
 


久々の下界

 先述のようにこの飛行機はアレキパを経由する便である.アレキパは人口90万を誇るペルー第2の都市(第1位はもちろんリマ)で,市内の歴史地区は世界遺産にも認定されている.今回は観光の機会はなかったが,いつか再びペルーを訪問することがあればぜひ見てみたいものだ.飛行機は1時間弱でアレキパに到着したが,ここで降機しない乗客はそのまま待機ということで,我々は降りて見物というわけにはいかなかった.ただ,トイレに立つついでに外を見ることは可能だったので,アレキパ郊外にそびえたつミスティ山を眺めることができた(コニーデ型なので,本当に富士山にそっくりである).
 乗客の入れ替えが完了して再び飛行機は飛び立った.ここから約1時間半のフライトででリマに到着となる,約4日ぶりの下界はやっぱり酸素が豊富だと実感した.到着ロビーで4日前までのリマ・ナスカ観光でお世話になったガイドさんと合流しそのままバスに乗り込んだ.この日の宿泊先はリマ新市街のミラフローレス地区にあるマリオットホテルである.旅の最後ということで高級なホテルを用意したということであろうか(笑).到着後はそのまま夕食に繰り出す.この日は近くのショッピングモールにある中華料理屋さんだった.連日のアンデス高地帯料理から久々の中華ということで,なんとなく新鮮な気分になったのだった.
 さあ,明日はいよいよ旅行最終日である.
 

アレキパのミスティ山

JWマリオットホテル

ホテルのバー
 



 

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