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 ボリビア旅行記(9)


2015年2月13日(金)


ムリリョ広場

 さてラパスでの一夜が明けて2月13日になった.いよいよ帰国の途に就く日である(あるいは休暇のお終いともいう).
 スケジュール表によると今回のツアーは2月15日までの10日間ということになっているのだが,8日目にしてもう帰国とは… 日本と南米は非常に遠く,しかも途中に日付変更線があるためにこうなってしまうのだった(逆に南米に来た日は時計の上では半日くらいしか経過しなかった).

ホテルから見えるラパス市内
   
 ロビーでの集合時間は9時半とゆっくりめだったので,我々はホテルの朝食も摂らずにぎりぎりまで寝ていた(笑).チェックアウトを済ませて昨日と同じバスに乗り込む.
 この日の予定は市内をささっと観光して空港に向かう流れである.まず向かったのは市内中心部にあるムリリョ広場(ムリリョはボリビア独立の英雄のひとり).実は昨日,「明日はムリリョ広場に行く」というのを森の広場に行く」と聞き間違えて,郊外ののどかな広場に行くのかと想像してしまったのはナイショである(笑).

ムリリョの像
   
 スクレでの体験から,広場というキーワードに敏感になっている一同だったが,ここは下車しての観光だ.
 広場はその名の由来であるムリリョの銅像を中心とし,それに面してカテドラルや大統領府,国会議事堂が置かれているまさにこの国の中枢である(三権のうち最高裁判所のみスクレにあって首都の面目を保っている).
 この広場は街の中心だけあって大勢の観光客でごった返していたのだが,それよりすごいのが鳩の数… ヒッチコックの鳥を彷彿させる光景となっていた.また国会議事堂の時計塔の時計が左右反転された状態になっていたのが面白かった(これだと左回りが時計回りになってしまう.そういえば日本でかつて床屋向けにすべてが反転された時計が売られていたというのを思い出した).

カテドラル

大統領府
   

国会議事堂

すごいハトの群れ

逆さまの時計
   


ハヤン通りにて

 ムリリョ広場を後にして今度はそこから数ブロック北にあるハエン通りへ.ラパスは近代以降無秩序な開発が進んだこともあり,植民地時代の建物や通りの保存状態ははっきり言って悪いのだが,ここはそんな古い時代の趣が良く残っている数少ない通りである.はるか向こうに見える住宅街と併せて写真スポットとしてもいいポイントだった.
 ここでしばしのお買い物タイム,この時ちょうど広場では地元民のお祭りが開催されていて町の人々が踊ってたのだが,我々もちゃっかり混じっていたのだった(標高3700メートルで大丈夫か 笑).
     

ハエン通りから市街地を望む

コロニアル調の趣ある通りです

地元のお祭りに混ざる
     

ボリビアを出国

 買い物&観光が終わり,再びバスに乗って一路空港に向かう.途中の道路がスムーズすぎて,なんとまだチェックインも始まっていない時間に着いてしまった.まだターミナルビルに入ってもしょうがないということで,ここでちょっと早めの昼食タイム,昨日の夕食をいただいた「ふるさと」謹製のお弁当だった.ラパスの空港は標高4000メートルだが,こんな高地で食べても問題ないほど順応している自分たちに感心した(バスの中で食べるという,ちょっと遠足な気分).
 昼食のあとはいよいよターミナルへ.まずはチェックインの手続きになる.ここからは国際線なのでガイドさんや添乗員さんに代行してもらうわけにはいかない.ここではパスポート,eチケットに加えて,税関申告書とLAN航空のなんだかよくわからない紙を書かされたのだが,最初適当に書いてカウンターに出したらダメ出しされ,書き直す羽目になった(笑).

仮装した人たちが…

”ふるさと”謹製のお弁当
   
 手続きが終わるといよいよ出国の流れである.ここでサンタクルスからずっとお世話になったガイドのみずえさんとお別れ,名残惜しいがまたご一緒する機会があるかなと思った(エクアドルのキトが拠点とのことなので,ガラパゴス諸島に行けば会えるかも).
 さて出国だが,たいていの国は外国人の入国には厳しくても出国には関心がない.しかしボリビアは麻薬の密輸出があるため,外国人の出国には厳しい目が注がれている(そういえばベネズエラもそうだった).順番としてまずは出国審査,ついで警察による手荷物チェックが行われる.

ガイドのみずえさんと
   
ここでは持ち込みカバンを開けられチェックを受けた.常備薬のボックスを指して,「これはなんだ」と聞かれたので「メディシン(medicine)」と答えたが,ここで「ドラッグ(drug)」なんて言ったら別室行きなんだろうかと思った.この後普通のセキュリティチェックを経て出発ロビーに入る.      


リマ経由,そして帰国へ

 飛行機は定刻よりも若干遅れて出発,我々は機上の人になった.この飛行機は途中サンタクルスを経由してペルーのリマへの便である(来た時と逆のコースだが,どうしてサンタクルス−ラパス−リマの順じゃないのかわからない.その方が距離も短いのに…).夕方無事にリマの空港に着陸,一週間ぶりの下界は酸素が多いなと感じた(笑).ここでロサンゼルス行きに乗り換えるのだが,乗継便の出発までなんと8時間!もあるということで,いったんペルーに入国して夕食を摂ることにした.

リマ空港のラウンジにて
   
入国審査の際に今夜の便で発つといったら「クスコか?」と聞かれたため,「LAだ」と言ったら怪訝な顔をされた(人によっては31ドル要求された人もいたらしい).
 それでも無事に入国して空港前のホテルへ(実は初日に宿泊したホテル).夕食はシーフードリゾットだった(さすがリマは海産物が旨い).私やKほか一部の人はビールやワインもたらふく頂いたのはいうまでもない.
 その後添乗員さんが撮った写真を見たりして時間をつぶし,夜の8時半に再び空港へ.ペルーの出国審査はあっという間なのでまだまだ時間が余っている.結局空港ラウンジでうだうだしながら時間をつぶした(先ほどのレストランに引き続きワインをしこたま飲んだため,出発の段階で半分意識がなかった 笑).
 ペルー−LA間はほとんど記憶がないままに移動,2月14日の朝にLAの空港に到着,今度は5時間の待ち合わせで成田へ,結局日本に到着したのは2月15日の夕方になっていた(あっというまに2日経ってしまった.なんか損した気分).明日から仕事だと泣きたい気分になりながらも,途中お寿司屋さんに入って,やっぱり食は日本に限るなと実感したのだった.
   
完 (明日からまた日常の世界)     
       
       



 

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