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スバールバル旅行記(6)


2003年7月 3日(木)


ロングイヤービーエン南部の探検

 前日もワインを飲んでぐっすり眠ったがこの日もまたまた体内時計にしたがって7時半に目が覚めた.今日はスバールバルを去らねばならない日である.朝食のためレストランに行く.到着した最初の朝はレストランも閑散としていたのだが,今日はかなりの宿泊客が来ている.おそらく7月になってヨーロッパがバカンスの時期に入ったためと思われた.スバールバルの朝食も食い納めかなどとやや感傷に浸りながらパンとハムやチーズをほおばった.食事の後レストランの近くにある図書室をのぞくことにした.立派なソファーが置いてあり書棚にはたくさんの本が並んでいる.残念ながら(?)日本語の本は無いようであった.その後部屋に戻り荷物をまとめる.飛行機の出発時刻は午後2時55分とのことでまだまだ時間がある.せっかくなのでまだ行っていない街の南側を探検してみることにした.
 チェックアウトを済ませ,荷物を預けて外に出た.街の南部にあるものといえば映画館とギャラリースバールバルである.ギャラリーは12時にならないと開かないのでまず映画館に行くことにした.映画館はロングイヤー川の対岸にあるためホテルを出てから一昨日も通った橋を渡る.ここを道なりに右に行けば博物館や教会に行くわけであるが,今日は左に南下する.左に曲がる道は未舗装の砂利道であった.何もない荒野を一本の砂利道が続いている.

ここはスピッツベルゲンホテルの図書室です

映画館へ向かう道とは思えないほど寂れている

映画館の正面.中にはレストランも入っている
 
はるか彼方に目指す映画館が見えるがとても文化施設に向かう道とは思えない.途中右手に墓地を眺めながら15分ほどで映画館に着いた.
 ロングイヤービーエンの映画館は,映画館の他にレストラン(Huset)なども併設した複合娯楽施設であるが,上映が行われるのは月に一回程度で我々が行った時は誰もおらず,入口にはカギがかかっていた(レストランもまだ営業していないらしい).仕方がないので建物の前にあるモニュメントを見物したりして時間をつぶした.
 


ギャラリースバールバル

 映画館を後にして今度はギャラリースバールバルに行くことにした.映画館の三叉路を左に進むと川を越える.橋を渡ってしばらく行くと建物が並んでいるところに出た.ここには宿泊施設であるスピッツベルゲンゲストハウスとゲストハウス102がある.この二つは同一経営なのかどうかは不明だが体験者の話では寮のような感じであるらしい.ここの一角にギャラリースバールバルはあった.ここの外観はスバールバル博物館に比べるとそれっぽく,入口には白い手すりのある階段が付いていた.早く着きすぎたせいか入口にはまだカギがかかっている.仕方がないのでしばらく待つことにしたが,摂氏5℃前後の中を黙って待っているのは正直辛かった.これでイタリアなどの南国時間で営業されたらたまらないななどと心配していたが,北国ノルウェーは時間には正確らしく12時丁度に係員がやってきてカギを開けてくれた.

ギャラリースバールバルの入口.中は美術館の趣である

ロングイヤービーエン最南端の宿泊施設です
 
 入口には例によって下足所があり上履きに履き替えて中に入った.正面に受付があり入場料を払う.受付には絵葉書やら写真集など定番のお土産に混じって白熊の絵柄が描いてある缶入りキャンディーも売られていた.展示品である絵画の多くも販売されていた.展示はスバールバルを題材とした絵画や写真(多くは氷河やオーロラなどを描いたもの)を中心としたものであったが,興味深かったのは北欧の古地図である.16世紀の地理上の発見以後,この地域の地形が少しずつ明らかになっていくさまが順々にわかる仕組みになっていた.
 しばらく見学しているうちに13時になったため出ることにした.
 


さらば,スバールバル

 ギャラリーを後にして帰ることにした.目の前の道をまっすぐに行けばホテルに戻ることができる(地図参照).寒いなと思って見上げると小雪が舞っていた.10分くらいで見慣れたスピッツベルゲンホテルの朱色の外壁が見えてきた.ホテルの周囲にはどこから来たのか2頭のトナカイが一心不乱に地面に生えた苔を食べている.熱中しすぎて我々が近寄っても気が付かないようであった.
 13時半になったためホテルで荷物を引き取ってタクシーを呼んでもらう.ホテルの外で待っていると車体のてっぺんにLongyearbyenと描かれたランプがついたタクシーがやってきた.乗り込んで空港に行くよう頼むとタクシーは軽快に走り出す.3日間滞在したロングイヤービーエンの街並みが通り過ぎていく.この街ともお別れと考えると寂しさがこみ上げてきた.果たしてまたここに来る日はあるのだろうか.そんな感傷に浸っているうちにあっという間にUNISの交差点を左折して空港への一本道に入った.

スピッツベルゲンホテル付近で草を食むトナカイ

今回スバールバルで購入したネクタイ
 
来た時と同じように鉛色の海を右手に見ながら軽快に走り,10分くらいで空港に到着した.タクシーを降りて空港の建物に入り時計を見るとまだ13時50分であった.出発までまだ1時間ある.大空港と違ってこういった小さな空港は搭乗手続きにほとんど時間がかからないため,極端な話し出発の10分前に到着してもどうにかなるのである.
 早めに搭乗手続きを済ませて2階のカフェ(なんとここにはカフェがある.人口1400人,1日の発着便わずか2便の空港とは思えない)で休むことにする.ここのカフェはお土産物屋も兼ねていてキーホルダーやガイドブックなどが並んでいたが,これらに混じってなんとでっかい白熊の絵柄が入ったネクタイを売っているではないか.LOMPENで買ったネクタイよりよっぽど立派な白熊である.私が急いで購入したのは言うまでもない.
 例によってビールを飲みながら(今回の旅行でいったい何リットルのビールを飲んだのやら)時間をつぶしているうちに何やら放送が聞こえてきた.ノルウェー語のため何を言っているのかは解らなかったが,飛行機の搭乗が始まるぞということであるのは明らかであったので1階に下りることにした.行ってみるとすでに何人もの客が来ており,予想通り搭乗が始まるところであった.形式的な甘いセキュリティーチェック(いつもなら必ず引っかかる私のベルトも大丈夫だったことから,相当感度が低いと思われた)を抜けて駐機場に止まっている飛行機に乗り込んだ.
 この便はトロムソ経由のオスロ行きであり座席は全席自由席であった(ビジネスクラスなどというものは当然存在しない).1日の発着便が2本しかない空港のため,発着時刻が狂うはずもなく定刻の14時55分に出発した.窓から外を見るとスバールバルの大地がみるみる小さくなっていく.ああスバールバルが離れていく,この数年ここに来ることだけを考えていた.たしかに南国リゾートのような快適性は望むべくもないが,私にとってそれを補って余りある最果ての魅力に満ちたスバールバル,いつか機会があればぜひまた来たいと思わせる旅行であった.などと柄にもなく感傷に浸っているうちに飛行機は真っ青なバレンツ海に入っていた.水平飛行に入ると機内食が配られ飲み物のサービスも始まった.
 


再びオスロへ

 約2時間のフライトで飛行機はトロムソに到着した.ここで乗客はいったん外に出される(スバールバルが一応外国扱いになっているためであろうが,行きと同様にパスポートコントロールは無かった).空港に降り立つと生暖かい空気が感じられる.常に5℃前後だったスバールバルからようやく人の住める(?)世界に帰って来たという実感が湧いてきた.搭乗口付近でぶらぶらしているうちに搭乗の時間となる.再び自由席の飛行機に乗り込むとまもなく出発となった.
 トロムソ・オスロ間のフライトも2時間であるが今度の飛行は主として陸の上である.窓から下を見ると次第に木が多くなっていくのが解った.どうやら森林限界の内側に入ったらしい.そうこうしているうちに飛行機は高度を下げ着陸態勢に入り,無事にオスロのガーデモエン空港に着陸した.
 ガーデモエン空港はスバールバルと違って直接飛行機からターミナルに入れるようになっている.来た時は時間に追われて慌しく走り回ったこの空港も,この日はもう乗り換えの必要もなくゆっくりと歩くことができた.ターンテーブルで荷物をピックアップしたがロストバッゲージになることもなく2つとも無事に出てきた.今日はもうオスロに入ってホテルにチェックインするだけである.1999年の時は空港からオスロ市内へのアクセスはシャトルバスのみであったが,この数年の間に空港から市内への鉄道が開通したらしい.列車で行こうかとも考えたが,乗り場を探すのが面倒だったためシャトルバスで行くことにした.ターミナルの外はトロムソより一段と暑く,気温5℃の土地からやってきた我々にはやや堪えた.時刻は午後7時になっていたが外はまだまだ明るい.シャトルバスの乗り場には1999年にも利用したSASのバスが停まっていた.料金を払って乗り込んだが車内は打って変わって冷房がガンガン効いており肌寒い.バスは6割くらい座席が埋まった状態で走り始めた.シャトルバスでのオスロ市内への所要時間は約50分である.
 オスロでのホテルは中央駅の目の前にあるため,中央駅付近で下車した我々はそのままホテルを目指した.既に午後8時を過ぎていたが外は明るく,駅前にはたくさんの人がたむろしていた(この一角だけでロングイヤービーエン並みの人口がありそうであった).目指すホテルオペラはすぐに見つかり,そのままチェックインして部屋に転がり込んだ.スバールバルのスピッツベルゲンホテルは3階建てのこじんまりしたホテルであったが,ここは10階くらいある本格的な都市型のホテルであった.
 すでに8時を過ぎており,また外に出るのも面倒だったためこの日の夕食はカップ麺にした.食事を終えてミニバーのビールを飲んでふと外を見るとかなり薄暗くなっていた.オスロは北緯60度で北極圏から外れているために,短いながらも一応夜がある.11時過ぎくらいには日暮れになるはずであるが,くたびれている我々はあっという間に寝てしまった.
 



 

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