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スバールバル旅行記(5)


2003年7月 2日(水)


北極海のクルージング

 真夜中の太陽の感動の後再び眠りについた私は体内時計にしたがって7時半頃に目を覚ました.夜中は快晴であった(変な表現)が今は曇っている.今日は船でバレンツブルグへのクルージングに行く予定である.朝食を済ませて玄関口で待っていると前日とは打って変わって立派な観光バスがやってきた.係員にクーポンを渡して乗り込んでいくと既に何人かの先客が乗っている.前日と同様途中ラディソンSASホテルに寄りさらに10人程の客を乗せた後UNISのT字路を左折し,海沿いに1kmほど行った所にある船着場で下ろされた.岸壁には見るからに観光船とおぼしき船が停泊している.係員に案内されるままに我々は船に乗り込んだ.
 観光船に乗り込んだ我々はとりあえず甲板から下の船室に降り窓際の座席に陣取った.外は寒いため行きは船室でのんびり過ごすことにしたのである.全ての客が乗り込んだ後観光船はゆっくりと岸壁を離れた.出発してしばらくするとスピッツベルゲントラベルの係員がやってきてライフジャケットのありかなど,緊急事態時の説明をしていた.熱帯のリゾート地ではあるまいに,もし船が沈没して北極海の冷たい海に放り出された日には生き延びる自信はないなあなどと考えて聴いていた.
 船は左手にスピッツベルゲン島の山々を見ながら進んでいく.スピッツベルゲンとはオランダ語で尖った山という意味だそうだが,船から見る山々はその名の通り山頂が尖っていた(氷河に削られたせいであろうか).目指すバレンツブルグは南西の方角,距離は約50kmである.出発当初は上空厚い雲に覆われていたのだが次第に青空が広がってきた.

救命胴衣の説明をするスピッツベルゲントラベルの係員

観光船から見たスピッツベルゲンの山々.その名の通り尖っている

海から見たバレンツブルグの街.レンガ造りの重厚な建物が並んでいる
 
 2時間程の航海の後,陸の高台に厳粛な感じの建物群が見えてきた.ここがロシア人集落バレンツブルグである.我々は上陸の準備に取り掛かった.   


バレンツブルグ上陸

 バレンツブルグの桟橋に降り立ってみると,街は上のほうに広がっていた.どうやらあそこまで登らなくてはならないらしい.船の乗客が全て下船して桟橋で待っていると若い女の人がやって来た.この街のガイドのカタリーナさんである(本来はロシア本土の学生でアルバイトのためにここに来ているらしかった).彼女が街の方へどうぞと皆を先導し,乗客たちはぞろぞろと後についていった.バレンツブルグの街は高台にあるため木でできた階段を上っていかなくてはならない.尾瀬沼などに見られる遊歩道を思わせる木道である.階段の途中ではホルスタインとおぼしき牛たちが大地にわずかに生えた草を食んでいた.結構長い階段を登っていくと高台に拓けた街に入った.
 バレンツブルグの街並は原色で塗装されこじんまりとした建物が多いロングイヤービーエンとは全く異なりレンガ作りの重厚な建物が並んでいた.これは昔テレビで見たソ連の地方都市そのものである.階段を登りきった地点にある労働者用の食堂の前にペンギンの形をした箱が置いてあった.実はこれはゴミ箱で,バレンツブルグのあちこちに設置してあった.社会主義的な重厚な町並みとペンギンのゴミ箱というセンスのギャップが面白かった.

桟橋から階段を上って町に入っていく

ペンギンの形をしたゴミ箱です.
 
 ガイドの案内に従って街を歩く.まっすぐ行って右手に大きな二つの建物が見えてきた.手前の黄土色の建物はスポーツセンターであり正面に五輪のマークがついていた(五輪マークがあるところを見ると1980年のモスクワ五輪時に作られたのか?).一方奥の茶色の建物(Polar Star)は劇場や映画館などが入った文化施設で正面にはなんとなく社会主義的なセンスの看板(写真参照)が掲げられている.ここにはまた後で来るとのことで今は素通りして先に進む.Polar Starの角を右に曲がると今度は左手に木造の建物バレンツブルグ博物館がある.正面には,天に掲げた右手から光が出ている労働者とその周囲に未来風都市や宇宙ロケットが描かれているという200%共産主義的な絵が掲げられている(21世紀の今,こんな絵はもはやここか北朝鮮でしか見られないのではないか).
 博物館の奥にはHOTELと書かれた黄土色の建物が見える.とりあえずここで休憩するとのことで一同中に入った.
 

バレンツブルグで草を食む牛.やっぱり痩せています

街の入口にある食堂.ここにもペンギン型のゴミ箱があります

バレンツブルグスポーツセンター.中にはプールもあるらしい
 
 


バレンツブルグあれこれ

 バレンツブルのホテルはロングイヤービーエンのようなおしゃれな感じは全くなく,いかにも旧ソ連といった無骨な作りであった.殺風景なロビーを通って休憩用のカフェ(のようなところ)に入る.途中廊下の壁にはダイヤル式の電話が設置してあった.今では日本でもほとんど見ることがなくなったダイヤル式電話だがここではまだ現役らしい.カフェはカウンターと丸テーブルがいくつか並んだ普通の作りであった.カウンター上にはコカコーラなどのソフトドリンクが積み上げられている.私はビールを,Kはレモン風味のソフトドリンクを注文した.休憩しているとガイドのカタリーナさんがやって来て我々に日本人かと聞いてきた.そうだと答えると鞄から楽譜を取り出して我々に見せた.見せられた楽譜は浜崎あゆみの曲であった.彼女はロシア本土で学生をやっているらしいが,日本の歌謡曲に興味があるとのことで,これがどんな曲なのか教えて欲しいとのことであった.しかし私もKもこの方面には全く暗いため,申し訳ないが良くわからないとしか答えられなかった.
 20分程休憩した後出発となる.来た道を引き返し今度はPolar Star(文化施設)に入った.ここには多目的用の大きなホールがあり,正面に舞台,対面に客席が階段状に並んでいる.壁や天井には照明装置がごてごてと付いていた.客席数はざっと見たところ800から1000くらいであり,下手をするとこの街の全住民(1000人)を収容できそうな気がする.旧ソ連時代にはここで人民会議でも開いたのだろうか.ホールの外側にはお土産物屋が並んでいた(とはいっても専用の店舗があるわけではなく,露天が並んでいるだけである).民芸品などに混じって旧ソ連のものと思われる勲章や帽子なども売っていた(ベルリンの壁崩壊後の東ベルリンを彷彿させた).私は軍帽を買い,Kはボールペンを買っていた(結局不良品で字が書けないシロモノであったが).

バレンツブルグ博物館.ロングイヤービーエンの博物館よりはかなり立派に見える


博物館前の看板.手から光を発した労働者,未来都市と宇宙ロケットといかにも昔の共産主義国家を髣髴させます


ガイドのカタリーナさん.後に見え重厚な建物がバレンツブルグホテルです
 
 買い物に熱中しているうちに周りを見渡すと他の人々はみな出発した後だった.我々もあわてて外に出る.辺りを見渡していると近くにいたロシア人が教会の方に行ったよと教えてくれた.指差された方を見ると茶色い木造の塔が見えた.どうやらあれが教会らしかった.
 バレンツブルグの教会はロングイヤービーエンのものとは異なり礼拝堂のみのこじんまりとしたものであった.内部にはロシア正教会特有の横棒が一本多い十字架が掲げられている.ここで他の観光客と合流して船に戻る時間になった.
 

ホテル内にあったダイヤル式電話.シブイです

ホテル内のカフェ.カウンターには飲み物の缶が.

カフェでくつろぐ私.手に持っているのは大東町のライター
 

Polar Starの正面.社会主義的な絵が飾ってあります

こちらがホールの内部,住民総会が開けそうな規模です

バレンツブルグの教会です.内部は礼拝堂のみでした
 


エスマルヒ氷河

 船に乗り込むと全員船室に入るよう指示された.なんだろうと思い入っていくとどうやら昼食らしかった.メニューはハッシュドビーフのようなものと飲み物であった.食事をしているうちにも船はバレンツブルグを離れて行く.予定ではこの後エスマルヒ氷河に行くことになっていたため我々は甲板に出てみることにした.甲板は予想通り風があり寒かった.しばらくすると船の左舷に海に落ち込んでくる巨大な氷が見えてきた.これがエスマルヒ氷河であろう.山あいから氷がすべるように海に落ち込んでいた.この氷が全て解けると残ったところがフィヨルドになるわけである.氷河の河口にはちょっとした棚氷が広がっている.白熊でもいないかと双眼鏡で観察したがそれらしい姿はなく,代わりに数頭のセイウチが寝そべっていた.彼らが余裕でくつろいでいるところを見ればどうやらこの辺には白熊はいないらしい(今白熊に襲われたらあっという間に喰われてしまうだろう).
 しばらく氷河を眺めていると観光船から一艘のボートが氷河の方に向かって行った.ボートには運転手の他何人かの人が乗っている.なんだろうと見ていると接岸して人を降ろし,そのままこちらに帰ってきた.氷河の方を見ると,降ろされた人々がこちらに向かって手を振っている.何かの観測隊なのか,はたまた新手のオプショナルツアーなのかはわからないが,彼らはこのままここに残留するらしかった.無事を祈るばかりである.

お土産に買ったボールペン

露天で売っていた
旧ソ連の軍帽

氷河に向かう観光船.看板にも白熊の絵が
 
 ボートを回収した後観光船は再び動き出し一路ロングイヤービーエンに帰る.我々は船室には戻らずにそのまま北極海の荒涼とした眺めを堪能した.しばらくすると右手に空港が現れ,次第に建物が増えてきた.ああクルージングも終わりかなどと感傷に浸っているうちに今朝出発した桟橋に到着した.
 桟橋からは朝と同じバスでホテルに戻った.既に7時ごろになっており今日はもう外出はせずに夕食にすることにした.昨夜はビュッフェを選択したので今日はアラカルトにしようと適当に注文した.当然のようにワインも空け,気持ちよくなったためかそのまま部屋に帰って寝てしまった.明日はいよいよスバールバルを離れる日である.
 

これがエスマルヒ氷河.氷が海に落ち込んでいる光景が見事だと思います

エスマルヒ氷河での1枚.2004年の年賀状のメイン写真はこれを採用しました

人を陸地に下ろして帰ってきたボート.乗っていた人たちはどうなったのでしょうか
 



 

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