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スバールバル旅行記(1)
私がスバールバル諸島の存在を知ったのはそう古いことではない.以前から北極海に色々な島があることは知っていたが,「どうせ寒く氷に覆われた,生き物といっても白熊やアザラシくらいしか生息していないような場所だろう.そんなところは探検家でもない限りいけるところではない.」といった程度の認識であった.1999年のノルウェー旅行で北極圏のトロムソという街に行った時に当地の観光案内所で見かけた1枚のパンフレットが私とスバールバルとの出会いである.それはトロムソから船で北上してスバールバル諸島に行き戻ってくるという約1週間のクルージングであった.そのパンフを読んで理解したことは
・ノルウェー本土の北,北緯80度付近にスバールバルという諸島があるらしい
・スバールバル諸島の中で一番大きい島はスピッツベルゲン島らしい.
・スピッツベルゲン島には郵便局や映画館,スーパーなどもある,人間が定住している町が存在するらしい.
・その町はLongyearbyen という,どう発音したらいいのかすらわからない名前らしい.
ということであった.
元来私は地の果てとか世界のはずれといったものが大好きで,高校生の時には日本最北端の宗谷岬や最東端の納沙布岬に憧れて北海道旅行に行ったこともあるくらいである.この1999年の旅行にしてもヨーロッパ最北のノールカップに立ちたいがために行ったのである.ところがそのノールカップよりも1000キロも北に人間が住んでいるという事実に大いに興味を駆られたのである.ただこの時はまだ,「スバールバル諸島というのはこのパンフのようにクルーズでないと行けないのだろう.だとすれば一週間位しか休暇が取れない現状では行くのは無理だな」と考えていた.ところがその2日後ノールカップからオスロに戻るスカンジナビア航空(SAS)機内で何気なく機内誌を読んでいたところ,なんとSASの路線図にスバールバルに行く路線があるではないか!これで
・スバールバル諸島には飛行機で行くことも可能であり,しかも定期便もあるらしい.
ということも明らかになったのである.定期便があるくらいなら当然宿泊施設もあるに違いない.スバールバルへの私の夢は俄然現実味を帯びてきた
帰国した後(1999年の旅行の最大の収穫はもしかしたらスバールバル諸島の存在を知ったことかもしれない)私はスバールバルやスピッツベルゲン島についてインターネットで検索を始めた.当時は(今もだが)スバールバル諸島に関する日本語のガイドブックはなく(あの地球の歩き方シリーズにすら,スバールバルに関する情報はない),ノルウェー大使館のホームページからリンクしていってようやくスバールバルのホームページにたどり着いた.このホームページは結構充実していて,ここでスバールバルに関して多くのことを知ることができる.また検索の過程で日本人のスバールバル旅行記も発見した(AOYAMAさんのページ).ちなみにスピッツベルゲンで検索するとたくさんヒットするのだが,その大多数はスバールバル諸島の情報とは関係ないスピッツのファンクラブに関連するページである(スピッツの公式ファンクラブの名前がスピッツベルゲンというらしい). |
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1999年にスバールバルを知ってからすぐにでも行きたい気持ちであったが2000年の夏期休暇は国内旅行でお茶を濁してしまい(この年は先立つものが先立たなかった),2001年と2002年は南太平洋リゾートにはまってしまった.しかし私の頭の片隅には常にスバールバルがこびりついて離れなかった.これだけ強い思いをいだいているのに3年も行かなかった理由のひとつは手配のことであった.20代の学生時代は航空券だけ買って現地に行き,あとは行き当たりばったりで活動するバックパッカーのような旅行もできたのだが,私も35を過ぎて,旅行の楽しみの半分は計画段階にあることはわかっていてもどうしても億劫になってしまったのである.しかし2003年の3月ごろに,今年の旅行をどうするかという話になった時私があまりに「スバールバル,スバールバル」というため,Kに「そんなに行きたいならいけばいいのに」といわれて,「それもそうか,たしかに行きたいところにいつまでも行かないでいるとそればかりが気になって今後の人生に支障が出るかもしれない(大げさである)」と思い,「じゃ行くか」となったのである.Kにしてみれば本当はウイーンなどのメジャーヨーロッパに行きたいのだが,私がいつまでもスバールバルにこだわっていると連れて行ってもらえないと考えているようであった. さて,スバールバル行きを決意した後やるべきことは手配である.スバールバルは北極であるがノルウェー領であり,行くときもノルウェー経由になるのだから北欧に強い会社を使おうというわけで,1999年にお世話になったフィンツアーに頼むことにした.しかし,いくら北欧に強いフィンツアーといってもスバールバルはどうだろうと思いホームページをのぞいていたところ,な,なんとスバールバル行きの企画があるではないか.1999年のパンフにはスバールバルのスの字(沿岸急行船で知られるロフォーテン諸島にスヴォルバールという似た名前の町はあるが)もなかったのにである.おそらくこの数年で私と同じようにスバールバルに興味を抱き問い合わせをする人が増えたのだろうか.ともかくスバールバル行きの企画があるなら便乗するしかないと早速電話した.今回の担当は中島さんであった.フィンツアーの旅行は基本的に添乗員付きの団体旅行ではなく,航空券と現地のホテル,現地での交通手段をパックにしたした形である.フィンツアーのスバールバルの企画はスバールバルに2泊する4泊6日のツアーであった.しかしせっかく行くのだからスバールバルに3泊はしようということになり,さらに1999年はオスロをほとんど素通りしたため,オスロ観光のため帰りにオスロ1泊を追加して6泊8日とした. |
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月日 |
旅程 |
宿泊 |
6月29日(日) |
成田 − トロムソ |
ラディソンSASトロムソ |
6月30日(月) |
トロムソ − ロングイヤービーエン |
スピッツベルゲンホテル |
7月 1日(火) |
ロングイヤービーエン滞在 |
スピッツベルゲンホテル |
7月 2日(水) |
ロングイヤービーエン滞在 |
スピッツベルゲンホテル |
7月 3日(木) |
ロングイヤービーエン − オスロ |
ホテルオペラ |
7月 4日(金) |
オスロ滞在 |
ホテルオペラ |
7月 5日(土) |
オスロ − 成田 |
機中泊 |
7月 6日(日) |
成田 − 大東町 |
帰宅 |
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