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スバールバル旅行記(3)


2003年6月30日(月)


スーツケース見つかる

 翌朝目を覚ましたのは8時ごろであった.外は快晴である.ホテルで朝食を済ませた後,フロントに頼んで空港の指定された場所に電話をしてもらった.ブラーテンズ航空からの返事によると,どうやら荷物が見つかりホテルまで届けるとのことであった.意外にあっさりと見つかったようだ.少なくともテルアビブまで行ったわけではなさそうである.荷物が見つかった旨を説明するとKは安心したのかベッドに倒れこんでしまった.
 1999年の時はトロムソを1日観光して博物館等を見て回ったのだが,今回は昼にはスバールバルに向けて出発しなくてはならず,残念ながら観光の時間はなかった(個人的には前回行けなかったマックビールの工場に行ってビールが飲みたかったのだが).チェックアウトをしようとフロントに行くと見覚えのあるKのスーツケースがあった.おそらく今空港から届いたものだろう.私たちはこれから空港に行くわけで,考えてみたらスーツケースはホテルに届けなくてもそのまま空港に置いててもよかったような気がする.ともかく荷物がそろったことで憂いなくスバールバルに出発できるわけだ.
 シャトルバスの発着所まで行くのが面倒だったのでフロントでタクシーを呼んでもらった.51番の車が来るという.トロムソのタクシーは車の頭(日本ならタクシー会社の名前やマークがついている部分)に番号がついている.ホテルの前で待っていたら51番のタクシーが現れた.タクシーに乗り込んで空港に向かう.トロムソの繁華街を横切る.通りを見ると1999年にお世話になった世界最北のバーガーキング(おそらく)が見えた.空港から来るときはトンネルをくぐって来たが今日は峠道のようなところに入っていく.たしかこの道が1999年に通った道かと思う.天気がいいのでドライブとしてはこちらの方が快適だ.山道を下ると空港が見えてきた.トンネルを通らないので遠回りかと思ったが料金は昨日と大差ない金額であった.
 


いざ,スバールバルへ

 トロムソ空港はノルウェー国内で利用客数第2位を誇る空港だそうであるが,雑然とした感じはなく落ち着いたたたずまいである.ブラーテンズ航空のカウンターでチェックインを済ませて2階の出発ロビーに行く.お土産屋が並んでいたのでのぞいてみたり,カフェでビールを飲んだりして時間をつぶした.出発の30分前に搭乗ゲートに行ってみると既に多くの人で賑わっていた.トレッキング目的らしい老人クラブのような集団や,家族連れらしき人たちが待っている.見たところアジア系は我々だけのようであった.搭乗が開始され続々と機内に乗り込んでゆく.フィンツアーの案内によると,スバールバル出発時にはパスポートが必要とのことで準備していたが,結局提示を求められることはなかった.この便はオスロ−トロムソ間と同様に機内は自由席であった.
 12時15分ほぼ定刻に飛行機はトロムソ空港を離陸し一路スバールバルに向かう.1999年の時はこのトロムソから双発のプロペラ機で沿岸沿いを飛んでノールカップを目指したのであるが,今回はジェット機で一気に真っ青なバレンツ海に入る.飛行時間は1時間40分である.水平飛行に入ると機内食が配られた.

ロングイヤービーエン行きの機内食.チキンとエビの組み合わせがノルウェー風である

機内から見たスバールバル.
荒涼とした山と氷河が見える
 
スバールバルは一応ノルウェー領であるが外国扱いのためかアルコールも出る.食事の内容はチキンといかにもノルウェー風のエビであった(写真参照).
 食事が終わってしばらくすると飛行機はゆっくりと高度を落としていく.どうやらスバールバルが近いらしい.飛行機の下には雲が広がっていたが,その切れ間にこげ茶色の山々とその間を縫うように走る氷河が見える.「あっ,スバールバルだ」私とKは感動して窓に顔を寄せる.夢にまで見たスバールバルについに来たのである.その間にも飛行機はどんどん高度を落とし雲の中に入ったため山は見えなくなってしまった.しばらくして雲の下に抜けると鉛色のどんよりした海とこげ茶色の荒涼とした大地が見えてきた.その先には赤や青や黄色といったカラフルな建物がたくさん見える.あれがロングイヤービーエンの町に違いない.町を横目に見ながら飛行機は着陸態勢にはいり,そのまま無事に着陸した.
 


ロングイヤービーエンへ

 飛行機からはタラップを使って滑走路に降りる.第一声は「うっ,寒い」であった.2003年夏のヨーロッパは猛暑で死者がでたほどであり,まだ6月とはいえ途中寄ったオスロ,トロムソはかなり暖かかったのだがここは別世界である.さすが北緯78度と感心(?)しながら空港のターミナルに入っていく.ここはジェット機が就航しているためなのか,二階建て(上にはカフェがあるらしい)で荷物をピックアップするターンテーブルもあるなど予想外に立派であった.中は当然暖房が効いており白熊の剥製が飾ってある.荷物をピックアップしたあと,インフォーメーションに置いてあった各種のパンフレット(諸島の案内図や白熊の危険性についての警告など)を取り外に出た.
 空港前広場にはバスやタクシーがたくさん並んで賑わっていた.広場の真ん中にはポールが立っていて,世界の各都市への方向と距離が記された札がついている.よく見ると下のほうにTokyo 6830kmと書いたものもある(地球が丸いため実は日本とスバールバルは思いのほか近いのである).
 市内に行くシャトルバスがあるという話であったが探すのが面倒だったためタクシーで行くことにした.その辺のタクシーの運転手にスピッツベルゲンホテルまでいいかと訊くと,OKだったので乗り込む.ここのタクシーは初乗りが50クローネだった.タクシーは海岸沿いのまっすぐな道(一応舗装されている)を時速80km位で飛ばしていく.ノルウェーのタクシーは料金メーターが1クローネ(約17円)刻みなのでどんどん数字が変わる.道の左手は鉛色の海(後でわかったのだが,町を流れているロングイヤー川が上流から大量の泥を海に運び込んでいるためこのような色になっているようであった),右手は原野でところどころに建設機材と思われる重機が置いてある.3,4分走るとさっき機内から見えた赤や黄色のカラフルな建物が周囲に増えてくる.どうやら町にはいったようだ.

ロングイヤービーエン空港.
人口1400人の空港とは思え
ない程立派である


空港でお出迎えの白熊の剥製.スバールバルを代表する生き物である


空港正面にあるお約束の
モニュメント.一番下に東
京までの距離も出ている
 
 ロングイヤービーエンは海に向かってちょうどアルファベットのTの字のようになって広がっている.その縦棒の道路と横棒の道路の交差点に世界最北の大学(UNIS)があり,タクシーはその交差点を右折して町に入って行った.ここがロングイヤービーエンのメインストリートのはずだが恐ろしく寂れている.左手にRaddison SASホテルを見ながら進みしばらく行くと,左手の小高いところに朱色の大きな建物が見える.あれが目指すホテルらしく,そこに向かってタクシーは左折した.細い坂道を200〜300メートルほど行くと例の朱色のホテルに着いた.ここが今回の我々の宿泊地のスピッツベルゲンホテルである.ちなみにタクシー料金は130クローネ位であったと思う.  


スピッツベルゲンホテル

 スピッツベルゲンホテルはラディソンSASポーラーホテルとともにスバールバルの二大高級ホテル(?)であるが,大都市やリゾート地の高級ホテルとは趣を異にしており山荘といったたたずまいである(昔岩手山の山麓に岩手高原ホテルというのがあったが,その雰囲気に似ている).
 裏口のような入口から中に入るとそこは下足所になっている.スバールバルには公共の建物内は土足禁止というかつての日本のような風習があり,ここで持参したスリッパに履き替えて中に入るのである(備え付けのサンダルも一応ある).

外観が山荘風のスピッツベルゲンホテル.裏口のような玄関を入り,フロントは2階にある
 
 フロントは2階にあるということでそばにあったエレベーターで上がると,こじんまりとしたフロントがあった.そこでチェックインして鍵と日本で頼んでおいたオプショナルツアーのクーポンをもらい部屋に向かう.外見は山荘風であったが内部はまともなホテル風であり廊下にはスバールバルに関する絵や写真が飾ってあった.我々の部屋は3階であったが,客室の内部は赤や茶色系のインテリアで落ち着いたたたずまいであった.窓からは荒涼としたツンドラが広がっており,ところどころに雪が残っている.面白いと思ったのは窓の外側に温度計が設置されていることであった.これで寒さを実感してもらいたいという配慮(?)であろうか.この時の気温は摂氏6℃であった(ちなみにこの旅行中は気温は5℃から10℃くらいで一定であった).  

玄関口にあるプレート.ここで靴を脱ぐことを求めている.向かいには合宿所によく見られるような下駄箱がある

外観とは裏腹に内部は立派なホテル風であった.スバールバルに関する写真や絵も飾ってあるなど装飾も充実

部屋の外にある温度計.白夜の季節は5〜10℃とほぼ一定であった.冬季には-20℃くらいまで下がるらしい
 


ロングイヤービーエンの商店街

 部屋でお茶を飲んだりしてしばらく休んだ後,ロングイヤービーエンの町を見学することにした.外は寒いのでセーターを着込んで出かける.スピッツベルゲンホテルはちょっとした高台にあるため細い坂道を下っていく.しばらく行くと右側に自動車通行止めの細い道が分岐していたためそっちに行くことにした(ちなみに元の道をそのまま行くとロングイヤービーエンのメイン道路に出る).
 しばらく歩くと店らしきものが並んだそれなりに人がいるところに出た.ここがロングイヤービーエンの中心商店街(?)である.ここにはButikkenとLOMPENという2つの大きな店を中心にインフォーメーションセンターのほかいくつかの小さな店が並んでいる.
 Butikkenはこの町唯一(と思う)のスーパーで食料品や日用雑貨から簡単な土産物まで豊富な品揃えを誇っていた(アルコールも扱っている).店の広さは日本の田舎町にあるスーパーとは比較にならないほど広い(さすがに最近日本各地に展開している郊外型ショッピングモールのスーパーには負けるが).入口から入っていくと正面に主食や調味料,缶詰,左手に肉や野菜売り場があり,右手に雑貨や土産物売り場がある.

ロングイヤービーエンの商店街.スーパーやショッピングモールなどが並んでいる.奥に見える赤い屋根がLOMPENである


ButikkenとLOMPENの間に立っている炭鉱夫の銅像
 
ここの野菜は全て輸入品であるため並んでいる品(一品ずつご丁寧にパッケージされている)はみな萎びているくせに値段はとても高い.肉は冷凍できるのでさすがに萎びてはいなかったがやはり値段は高かった.主食のコーナーは大体日本のスーパーと同様(パスタはかなり充実している)で即席ラーメンも売っていたが残念ながら日清やまるちゃんなどの日本のメーカーは少なく,主として韓国系のものが並んでいた.入って右手の日用雑貨のコーナーはほぼ日本のスーパーと同様の品揃えであった.結局ここでは白熊の絵柄のプラスチック製のマグカップを購入した(日本から持ってきた瀬戸物のマグカップが壊れてしまっていたからである).
 Butikkenを出て今度は向かいのLOMPENに行く.ButikkenとLOMPENの間は広場のようになっており,炭鉱夫の銅像が立っていた.LOMPENは二階建てのショッピングモールといった趣で中には洋服屋や登山用具店,電器屋などの専門店がいくつも入っていた.人口1400人の町には不釣合いな規模であり,中は日本のモールとは比較にならないほど閑散としていた.果たして商売が成り立っているのか心配になってしまったが,一通り見物した後結局何も買わずに外に出た.
 この商店街(?)にはほかにもいくつか小さな店があり,LOMPEN隣の土産物屋には巨大な白熊の毛皮が飾ってあった.その近くにはSvalbard Arctic Sports(スバールバル北極スポーツ?)というスポーツ店があり,Kはそこで防寒用のキャップを買っていた.その他には地元の新聞社や郵便局,インフォーメーションなどがあった.
 


世界最北の大学

 商店街を一通り見物したあとさらに海の方へ行くことにした.商店街のすぐ北にはロングイヤービーエン病院がある.白塗りの板を張り合わせた外観で脇には救急車が入っていそうな車庫らしきものもついていた.近づいて中をうかがってみたがひっそりとしており営業している様子は無い.今日は平日のはずだが大丈夫なのだろうか.
 病院を過ぎてさらに先に進むとねずみ色の大きな建物が見えてきた.これがラディソンSASポーラーホテルで,今回私たちが泊まっているスピッツベルゲンホテルと並ぶスバールバルの2大高級ホテル(?)である.ホテルの周りを歩いて見物していると,大地に生えている雑草を食べている2匹のトナカイがいた.近くによって見てみると2匹とも痩せこけており,毛なんかほとんど抜けかかっている.トナカイは北極圏に広く住んでいる動物で,荒涼とした大地に生えている雑草やコケを食べて暮らしている.元々粗食なのであろうがあまりにも哀れな姿である.我々が近づいていっても街中に住んでいるトナカイは人間なんか慣れっこになっているのか逃げる気配はなかった.
 トナカイを離れて北に向かうと海岸道路(ロングイヤービーエンは北に向かってTの字になっており,Tの横棒が海岸道路で左に行くと空港に至る)が見えてきた.道路そば,ちょうど海岸道路と街のメイン道路がぶつかるところに黒っぽい外観の建物がある.これが世界最北の大学The University Courses on Svalbard (UNIS)である.ちょうど我々が向かっている時,学生らしい人が自転車に乗って中から出てくるところであった.UNISは1993年に設立された大学で現在は世界中から集まった200人ほどの学生が極地の生物学や地質学,地球物理学などを学んでいる(日本からここに勉強に行った方のホームページがある).大学周囲をしばらく散策した後ホテルに引き返すことにした.帰りはメイン道路を歩いていく.メイン道路とはいうもののセンターラインもなく,車2台がやっとすれ違えられる程度の道である.忘れた頃に自動車が通り過ぎていく.道路の右手はロングイヤー川になっていて遠くに対岸の建物がちらほら見えている.尖塔のある教会と思しきものも見えた.ロングイヤー川はスバールバルの荒涼とした大地にふさわしくこげ茶色の濁流であった.スバールバルには草原や森は全く無く,不毛の荒地がむき出しになっているため土地の保水力はゼロに等しく,このために上流から多量の土砂が流されてこんな色になっているのだろう.
 20分ほど歩いてホテルに戻った.すでに夕方6時くらいになっていたが周りの景色は全く変わっていない.夕食にしてもいい時間であったが私もKもくたびれてそのまま眠ってしまった.結局夜10時頃(とはいっても北緯80度なので外の明るさは昼間と同じ.夜中になればそれなりに薄暗くなるヨーロッパ本土の白夜とは違う)に起きてカップ麺を食べた.

ロングイヤービーエンの病院.出入りする人もなく,果たして営業しているのか不安になった

ラディソンSASホテルそばで見かけたトナカイ.食糧事情が悪いせいか痩せこけている

ロングイヤービーエンのメイン道路.右端に見えるのがUNISである

世界最北の大学UNIS前に立つ私.学生数は200人ほどということでかなりこじんまりとしている

町の中央を流れるロングイヤー川.見ての通りの濁流である
 



 

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