ビザンチン皇帝の部屋 本文へジャンプ
アクセスカウンター
 SINCE 2011年9月25日
       

ナミビアの概要


1.ナミビアの地理と気候


          ナミビア概要図
 アフリカ大陸の面積は3000万平方キロであり,日本の(約38万平方キロ)80倍にもあたる.このためひと口にアフリカといっても地域によってその様相は大いに異なる.一般にはサハラ砂漠を挟んで北側と南側に分けられる.北側は地中海に面する部分であり,古来ハム系のエジプト人やギリシャ人,後にはアラブ人などが活躍した歴史のある地域で,主要な宗教はイスラム教である.一方の南側は黒人が中心の地域であり,中世にはマリ王国やソンガイ王国などの文明が栄えたが,  
近代以降ヨーロッパ人が進出するとその植民地とされていった地域である.宗教的にはキリスト教ということになる.
 ナミビアはアフリカ大陸の南西部,大西洋に面した国である.北部をアンゴラ・ザンビアと,東部をボツワナと,南部を南アフリカと接している.南緯17度から29度,東経12度から29度に位置し,国土は南北にやや細長く,なんとなく秋田県か熊本県のような形をしている.
 アフリカ大陸の南西部海岸にはベンゲラ海流という南極からの寒流が流れている.この影響でナミビア(特に沿岸部)は緯度の割りに冷涼でしかも乾燥が著しい(ちょうど南米の太平洋岸と同様の気候である).国土の大部分が砂漠もしくはサバンナに覆われている.特に大西洋岸のナミブ砂漠と内陸部のボツワナとの国境にあるカラハリ砂漠が有名である.また,大西洋沿岸部には通称スケルトンコースト(骸骨海岸)と呼ばれる不毛な土地が広がっている.1年のうち12月から3月までが雨季にあたり,ある程度まとまった雨が降ることもあるが,それ以外の季節は連日の晴天で降雨は期待できない(寒流の影響で沿岸部では朝に霧が発生することは多いが)
 このため牧畜をのぞく農業は困難で,野菜等はほとんどを輸入に頼っているのが現状である.
 


2.ナミビアの歴史

 古来今のナミビア周辺にはブッシュマンの異名をもつサン族が住んでいた.彼らは狩猟と採集を主とする非定住の人々である.ナミビア北西部のトゥエイフルフォンテインには彼らが描いた動物などの岩絵が残されている.中世期からサハラ砂漠の南に居住していたバントゥー語族(現在サハラ以南アフリカに後半に見られる黒人)の南下が始まるとナミビアは彼らの勢力圏に入り,一方のサン族は居住地を追われ,東部のカラハリ砂漠に移った.
 近代になり欧米諸国のアフリカ進出が強まるとこの地に目をつけたのはドイツであった.1871年に国家としての統一を果たしたドイツは宰相ビスマルクのもと海外進出を図り,ナミビア沿岸部の土地を現地の首長から購入,これを足がかりにしてこの地をドイツ領南西アフリカとしたのである.現在のナミビアにドイツ語風の地名が多いのはこのためである.ただ,大西洋岸にあった港町ワルヴィス・ベイのみはそれ以前からイギリスがケープ植民地への航路の中継地点として領有していたため含まれていない(それゆえ今でもこの町だけは他のナミビア都市と趣が異なる).
 1914年に第一次世界大戦が始まると,海軍力に劣ったドイツとナミビアの連絡が途絶えたため,その隙に乗じて南アフリカがこの地に侵攻しその占領下に入った.大戦でドイツが敗れたためナミビアは国際連盟によって南アフリカの委任統治領となった.その後第二次大戦が起こり国際連盟が解散すると南アフリカは一方的にナミビアの併合を宣言,事実上南アフリカの一部とされた.しかしアパルトヘイト政策などで南アフリカが国際的に孤立する中独立の気運が高まり,南西アフリカ人民機構(SWAPO)による独立戦争が起こった.その後紆余曲折を経て,正式に独立したのは1990年,アフリカの旧欧米植民地の中では最後の独立国である.
 


3.ナミビアの概要

 首都  ウイントフック(人口30万人)  
 公用語  英語だが,アフリカーンスやドイツ語の方が通用する  
 通貨  ナミビアドル(1NAD=約12円),ちなみにナミビアドルと南アフリカランドはナミビア国内では等価で流通する.  



 

ナミビアトップへ   旅行記(1)へ