我々が乗ったセスナ機は,ほとんど空き地のような状態の滑走路に降り立った(施設は他には給油所ぐらいしかない).ここでもう一機の到着を待つのだが,その間少し滑走路周辺を散策してみることにした.周囲は一面の荒地である.とても農業などできそうにない.せいぜい遊牧が精一杯であろう.とはいえよく見ると足元には,可愛らしい紫色の花が咲いている.一見枯れ草ばかりのように見えるこの一帯だが,そのような中でも健気に生きている植物もあるのだ.
まだ午前中の早い時間帯なはずだが気温の上昇と空気の乾燥でのどが渇く.持参したミネラルウォーターを口に含んだ(極度に乾燥しているので汗がどんどん蒸発してしまうため,油断するとあっという間に脱水になってしまう).
そのうちに他のメンバーも到着し,ここからまた車に乗ってヒンバ族のいる集落へと向かうのだが,集落を訪問するにあたり,彼らの長老との折衝を担当する現地人のガイドが我々一行に同行することとなった. |
Kの心配をよそに無事に着陸しました(笑) |
荒地にひっそりと咲く花です |
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集落の訪問に当たっては彼らに心づけとして穀物や日用品などを贈呈するのだが,この謝礼が各集落平等にいきわたるように現地ガイドが訪問先を調整させているのである.ヒンバ族といえども文明社会と無縁ではいられない時代になっているのである.
集落に向かう途中この地方最大の町であるオプヴォを通ることになったのだが,この町が近づいてくると,すでにあのパンフレットの写真そのままのいでたちの人々が道路を歩いているではないか!普通の洋服を着ている人たちに混じって,あのヒンバ族として写真で紹介されている,あのままのスタイルの人が,まさに我々の目の前を歩いていたのである.「本当に普段からああいう格好してるんだ…」と感動を覚えたのはいうまでもない. |
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さて今回独自の生活習慣を守るヒンバ族の集落を訪問するにあたって,観光客が注意しなければならないことがいくつかあるが,その中に「勝手に写真を撮らない」というものがあった.彼らとの折衝にあたる現地人ガイドが,事前に彼らの長と交渉し許可を得て初めて我々は彼らとの接触が許されるのである.これは観光客としては絶対に守らなければならないことであった.
オプヴォの街に向かう反対側の道路を走っていき,我々は現地ガイドが指定したヒンバ族の集落にたどり着いた.集落にはいかにもといった感じのアフリカ先住民の住居にありがちな小屋が点在し,たれ耳のヤギの群れも見られた.
先ほど書いたように,部族の長の許可が出るまで撮影は禁止である.現地ガイドが長と交渉し,やっと撮影OKとなった.まずは集落の住民の紹介である.午前中の訪問だったため,男性はみな集落の外に狩などの作業に出ているということで,村にいるのは女性と高齢者,子供がほとんどであった.みんなあのパンフレットの写真にあるようなチョコレート色の肌をしている.現地ガイドの解説によると,この色はこの地で採れる赤茶色の岩石の粉にバターを混ぜたものを塗ることによって出るもので,これが強い日差しから肌を守るのだそうである.また,この「ファンデーション」を塗るのは,彼らにとってはいわば入浴と同じような行為なのだそうだ.またこの行為と共に,香木のようなものを火で焚いて,その煙で全身に香りをつけることも行うらしく,「そういえば平安貴族にも,似たような習慣があったなあ」と興味深く思ったのであった. |
ヒンバ族の住居です |
ここは倉庫のようです |
綺麗にまとめています |
家の内部です |
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集落を見学したら,いよいよヒンバ族との「ふれあいタイム」(?)である.まず我々が添乗員さんの提案によりみんなで日本の歌(今回は「汽車」)を振りつきで歌うことにした.これが結構ヒンバ族の皆さんにウケたようで,次には彼らが部族に伝わる歌と踊りを披露してくれることとなった.彼らの踊りは両腕を大きく振る動作があったことから,最初は鳥の動きを模したものかと思ったが,実は牛の動きだったらしい.彼らは狩猟のほかに牧畜も主な生業としているため,このような踊りが行われてきたのであろう.我々も彼らの踊りの輪の中に入り,楽しませてもらった.そして締めには彼らの手工芸品(アクセサリーなど)の販売も行われ,我々は楽しい思い出を胸に集落を後にしたのであった. |
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子供は塗っていません |
記念撮影(1) |
記念撮影(2) |
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彼らへの日常雑貨品 |
寛いでいる様子 |
ヒンバ族の踊り |
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ヒンバ族の歌と踊りです
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こちらは褐色のクリームを肌につけるところです
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