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ナミビア旅行記(3)


2008年9月16日(火)


ウィントフックのモーツァルト通り

 飛行機からはタラップで降り,そのまま歩いて空港のターミナルに向かう.空を見上げると雲なんて影も形もないほどの快晴である.気温はそれほど高くはなくむしろ涼しいくらいだ.一方で空気は非常に乾燥しているらしく,早くも口の中が乾いてきた.
 ターミナルに入るとまずは入国審査になるのだが,日本のパスポートを持った善良そうな人間のためか(笑)驚くほどスムーズに完了した.その後スーツケースを受け取るためにターンテーブルの前で待機する.我々のスーツケースはすぐに出てきたが,同じツアーのほかの人のがなかなか出てこない.ロストバゲージだったらいやだなあと少し心配になったが,しばらく待っているとようやく出てきたので一同ひと安心,税関では特に申告するものがあろうハズもなくそのまま緑のランプのところを通過した(この辺は万国共通なようだ).
 続いて添乗員さんに促されて両替所へと進む.ナミビアの通貨はナミビアドルであるが,この国での両替は日本国内,特に空港などで日本円から米ドルやユーロに両替するようにはすんなりとはいかない.空港の両替所に並んで両替をしてもらうのだが,これが結構時間がかかるのである.こっちは少しイライラしてくるのだが,係員はこれがナミビア流なのかいたって平気な顔でのんびりと作業をしている(笑).
 かなり待たされてようやく両替は完了した.ちなみにナミビア国内ではナミビアドルと隣国南アフリカの通貨ランドとが1対1対応しており,両方同じように使えるのだそうだ(逆に南アフリカに行くとナミビアドルは必ずしもランドと等価で使えるわけではないらしい).この後は送迎の車に乗ってホテルへと向かうことになる.
 空港の外へ出ると,サファリカーのような形体の四輪駆動車と共に,体格の良い白人系の若いお兄さんが待っていた(後で聞いたところでは,彼はまだ20代らしい).これがレイノ君で,この時から丸々一週間我々と行動をともにしてくれる現地ガイドなのだった.見たところ感じのよさそうな青年である.
 対面を済ませた後さっそく車に乗り込むのだが,ここウィントフックは晴天(まさに大晴れ),カッと照りつける太陽が熱い.我々が乗る車はちょうどサファリカータイプ,よく見るとルーフが開ける構造ではないか.そこで我々は添乗員さんとともに,このルーフを開けて走ろう!と,作業に取り掛かったのであるが….残念ながらレイノ君に「ダメ」といわれてしまい(どうも一般道では,ルーフを開けて走行してはいけないらしい),残念ながらルーフは元のように閉じることになった(泣).
 空港を出発した自動車はしばらくサバンナのような風景の中を走っていく.これだけ見てるととても一国の首都に向かっている感じはしないのだが,しばらくすると周囲に建物が見え始めあっという間に町の中心部に入っていった.
 まず目指すのはこの日の宿泊先である,「サファリ・コート・ホテル」である.すでに時刻は午後3時近くになっているのだが,ここのレストランで遅い昼食を摂ることになっているのだ.ランチメニューはハンバーガーとサンドイッチ程度という軽食ではあったが,ハンバーガーを注文してみるとこれがまたでかい!かなりのボリュームである.食事とともにビールも頼んだが,このとき出てきたビールがこの後何度もお世話になるウィントフック・ラガーであった.ナミビアはかつてドイツの植民地だったこともあり,その影響から美味しいビールが飲めるということのようだった.

ウィントフックの国際空港

ターミナルの内部です

これが我々がお世話になる四輪駆動車です

サバンナの中をひたすら走っていきます

周辺の景色はとても一国の首都の雰囲気ではありません

しばらくするとようやく街らしくなってきました
本日の宿泊施設サファリコートホテルです

これがウィントフックラガー,すっきりとしたのどごしです
 


           ウイントフック市内地図

 昼食の後は車でウィントフック市内を一通り見学することとなっている.ウィントフックの市内はいたるところにドイツの植民地時代の影響が残っており,教会をはじめとした建物の多くがドイツ風である.そしてそれは建物に留まらず,街中の通りの名前にも現れているのであった.
 

ドイツ帝国時代の騎馬像が立っています

ウィントフックのランド
マーク,クリストゥス教会

ナミビアの国会議事堂.1913年に建てられたそうです
 

 我々は今回の旅行に先立って,トーマス・クック社から出ている英文のガイドブックを入手していたのだが,それによるとウィントフック市内にはバッハやモーツァルト,ベートーヴェンといった著名なドイツ系作曲家の名前を冠した通りがあるらしいのだ.これは是非行って見なくては思い,添乗員さんとレイノ君に頼んで連れて行ってもらうことにしたのであった(少人数のツアーは,この辺の融通が利くのが実にありがたい).
 

 この「作曲家通り」は市内の西部,住宅街のようになっているあたりにあるのだが結構道が複雑でちょっと探しにくいようであった.
 それでも何とか走ってもらい,ついに「作曲家通り」を発見したのだった.見ると,おお,あるわあるわ,バッハにヘンデル,モーツァルトにベートーヴェン,ワーグナー通りまである.

ワーグナー&ベートーベン
 
私のような音楽好き&変なもの好き(笑)人間の琴線をくすぐる通りばかりである.
 それにしても故国の作曲家の名前を,遠く離れたアフリカのこの地の通りの名前に取り入れるこのセンス,なんとも粋なものである(これが当時のドイツ皇帝ヴィルヘルム2世のセンスなのかどうかは定かではない).なお今回の市内観光では,治安の面からもほとんど車窓からの観光という形であったが,特に「アフリカ社会」を痛感したのは駅周辺である.そこにはたくさんの路上生活者があふれてごった返していたのである.この国の経済格差がいかに深刻なものであるかがうかがえるひとコマであった(実際ナミビアは世界でも有数の貧富の差が激しい国である).
 

バッハ&ヘンデル

モーツァルト&ベートーベン

ウィントフック駅
 


ナミビア風焼きそば

 さて,市内観光でモーツァルト通りにも出会うことができ,満足してホテルに戻った.部屋に入ってシャワーを浴びることにした.しかしそれにしてもさすがはナミブ砂漠を抱えるナミビア,部屋の空気の乾燥がすごい.濡れタオルでも吊るさないと喉を痛めてしまいそうである(その代わり洗濯物はあっという間に乾いてしまいそうだ 笑).
 シャワーの後,今夜はホテルのレストランで夕食である.この日はビュッフェスタイルであった.ここのレストランで,我々はドレスデンから来たという男性と話す機会があった.彼はフランクフルトからの便で来たという(ナミビアはかつてドイツの植民地だったということで,今でもドイツからの観光客が多いのである.ちょうどかつて日本領だったサイパンに,今でも日本人観光客が多いのと同じ理屈である).
 飲み物の注文のあと,各自で料理を取りに行くのだが,なぜか生肉と生野菜が並んだコーナーが.

ウィントフック中心部.こうしてみると町です

ナミビア風焼きそばを作っています
 
よく見るとこれは,好みの肉と野菜を皿にとった後,鉄板の前にいるスタッフのところに持っていって焼いてもらうシステムであった.そして肉の種類も豊富である.牛肉や鶏肉はいうに及ばず,さすがアフリカだけあって,野生動物の肉も用意されていた.とりわけ目を引いたのは,偶蹄類の一種・クドゥの肉である.あまりメジャーではない動物なので,他のメンバーも「どんな生き物!?」と思ったようであるが,これは2本のねじれた角が特徴のウシ科の動物である.確かにそうそう食べられる食材ではない.早速我々も試してみることにした.さて,これらの肉と野菜を皿に取り,焼いてもらうわけであるが…鉄板ではなんと,ゆでたスパゲティが用意されている.どうも肉と野菜を炒めたところにこの麺を投入し,そこへ醤油かウスターソースのようなソースを加えて炒め合わせるらしい.かくしてナミビア風焼きそばの完成と相成ったのであった.お味はというと,麺がややソフト麺気味だったのが残念であるが,まずまずといった感じであった.我々はこれらの料理と共に会話を楽しみ,夕食のひと時を過ごしたのであった.食事の後は部屋に戻り,写真の整理をしたりして,明日に備えて眠りについたのであった.  



 

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