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ナミビア旅行記(5)


2008年9月18日(木)


化石の森

 団体ツアーでの朝は早い.今日は午前中はダマラランド地方にある「化石の森」と,2007年にユネスコの世界遺産に登録されたブッシュマンの岩絵のあるトゥウェイフルフォンテーンを見学する予定になっているが,4駆での移動のため5時半起きであった.ちなみに団体旅行では朝に各部屋にモーニングコールがかけられるのが一般的だが,ここドロナワーズロッジの客室には電話がないので係員が一部屋づつ「Good morning!」と言ってドアをノックして回るモーニングノックがされる.

ダマラランドの朝
 
 まだほの暗い中,朝食である.ビュッフェスタイルであったが,珍しくオートミールのようなお粥があり,Kが早速取ってきていた.元々は砂糖とミルクをかけて食べるものらしいのだが,Kは塩と胡椒で食べていた(お粥に甘みをつけて食べるという習慣がないため).  
 わずか一晩の付き合いだったドロナワーズ・ロッジに別れを告げ,まずは「化石の森」を目指す.ここは約2億6千万年前に太古の木々が氷河期後の洪水によって流され,その後埋没したり風雨にさらされたりして化石化したとされるものが多数発見されている場所である.まずは入場に先立ち,現地の係員による注意事項の説明であるが,要はここにあるものは「持ち出し禁止」ということであった(確かに博物館などと違い,すぐ手の届くところに化石が普通に転がっているので,持ち出したくなってしまうが,これらは全て学術的に貴重な自然文化遺産なので,決して「お持ち帰り」してはならない).その後現地係員とともに散策開始である.あちこちに転がっている木の化石,ぱっと見は石に見えるのだが,やはりよく見ると木目が見える.中には大きな倒木がほぼそのままの形で化石化したものもあり,これが実に壮観であった.
 そしてこの化石の森では,これら化石群だけではなく,現役の植物も各種見られるのだが,あの奇想天外(ウェルウィッチア)もあちこちに生えているのであった.ここに自生しているものは,比較的若い株でまだ小さいものばかりなのだが,それでも200〜300年くらい生きているものらしい.すごい生命力である.ちなみにこの植物は,2枚の葉がそのままどんどん伸びていくものらしく,何枚も葉があるように見えるのは,風にさらされて“すずらんテープ”のように裂けるからなのだそうだ.確かによく見ると,右と左とで裂け方が異なる株がある.風の当たり方が違うためだろう.そのほかの植物としては,昨日のサファリツアーでも紹介された有毒植物があった(ユーフォルビア・ガラビナといい,その毒液をブッシュマンが毒矢に用いたそうだ).
 2億6千万という雄大な時の流れを感じつつ,我々は化石の森を後にした.

係員の説明を受けます

後方に化石の森があります

木のように見えますが実は化石です

一本の木がそのまま化石
になったもの(緑色の植物
がウェルウィッチアです)
 


トゥウェイフルフォンテーンとオルガンパイプの岩

 次に我々が向かったのはトゥウェイフルフォンテーンである.ここは先史時代にサン族(いわゆるブッシュマン)によって描かれた岩絵群が多数残っている遺跡で,2007年にユネスコの世界遺産にも登録された場所である.岩石の転がるサバンナの荒涼とした風景の中に,やがて「TWYFELFONTEIN」と書かれた看板が見えてきた.簡単な歩道と掘っ立て小屋のような管理棟(トイレや休憩所,売店がある)があるほかは,ただひたすら岩だらけの場所であった.ここで我々は現地ガイドとともに岩絵群を見学することになった.
  ここは一見するとただの岩山にしか見えないのだが,よく見るとその岩の表面に,確かに様々な動物や鳥の絵が描かれていた.よく世界史の資料集なんかに載っている「先史時代の洞窟に描かれた動物」のような原始的なタッチの壁画である.どうもこれらは岩に彫り付ける方式で描かれたものらしく,そのために今日までこのように鮮明な形で残っているということであった.なおこれらの岩絵は,宗教上の儀礼の一環として描かれたという説や,学校や地図の役割としてのものだったという説があるそうだ.それにしてもキリンやライオン,サイ(?)や牛など,その種類は実に多彩である.中にはオットセイらしき海洋性の動物の岩絵もあるのには驚かされた.ちなみにこの岩絵群がある場所は,一部足場が整備されて

岩絵のあるTwyfelfontein

あちこちに岩絵があります

ミリンダも置いてある売店です
 
いるとはいえ基本的に岩場である.そんなに高低差があるわけではないのだが上るのはややハードであった.岩絵の見学を終え,管理棟でトイレ休憩(売店では,日本ではあまり見られなくなってしまった懐かしいミリンダが売られていた)をした後は,オルガンパイプの岩へ向かって出発である.  

岩絵1

岩絵2

岩絵3
 

 オルガンパイプの岩とは,柱状節理によってできた景観が,ちょうどパイプオルガンのように見えることから名づけられたもので,同じ柱状節理による地形は,日本でも北海道の層雲峡や福井県の東尋坊などで見ることができる(岩手県の雫石にも,かつて同様の柱状節理が見られる「玄武洞」があったのだが,残念ながら1999年に崩落してしまった 泣).

ここがパイプオルガンの岩です
 
 車で荒野を走っていると,川が流れていたであろう場所(乾季なので涸れていた)に,それらしき節理が見えてきた.ここで車を降り,川底(水は流れていません)へと降りていくと,ちょうど両岸に角材を縦に並べたような実に不思議な光景が広がっていた.オルガンパイプとは実に言い得て妙である.尤も,私の目には,どちらかというと「縦にした角材」に見えるのだが(笑).この不思議な地形を観賞した後は次の宿泊地・スワコプムントへ向けて南下である.  

たしかにそう見えます

かなり暑いです

まさにパイプオルガン
 


スケルトンコースト

 スワコプムントに向かう前に,まず近くの町のレストランに寄って昼食ということになった.ここではトーストやスパゲティ,ハンバーガーやサラダなどの軽食が取れるのだが,Kの注文したスパゲティが,なんだか麺が固まっていて味がイマイチだといっていた.ドライバーのレイノ君は,相変わらずすごいボリュームのステーキバーガーを注文して平らげていた.店の外では,この辺で採掘される水晶を初めとした鉱石を売っている人がいたのだが,

レストランにて
 
うっかり手にとって見たりすると法外な値段で売りつけてくるらしいので,ここでは無視することにした.
 昼食の後はひたすら南下である.今回は「スケルトンコースト」と呼ばれる沿岸地域を通っていくのだが,その名が示している通り,この辺はまさに荒野である.ところどころに丈の低い草が生えているほかは,ただひたすら砂地である.
 
 我々の乗った車は,時速120kmでこの荒野を駆け抜けていったのだが,周りには本当に何もない(そういえば,ナミビアという国名の由来ともなった,ナミブ砂漠の“ナミブ”とは,“何もない”という意味であった).他の車が走っている気配もない.こんなところで車がガス欠でも起こしたら,我々もここで骸骨(スケルトン)になってしまうかもしれない.車窓から外を眺めてみても,同じような何もない光景が延々と続いている.そのうち我々は車内で眠りこけてしまったが,これほど何もない場所なら,ドライバー自身が眠ってしまっても普通に走っていられるかもしれない.
 しばらくうとうとしているうちに,徐々にみんな目を覚ましつつあるようであった.よく見ると地平線のかなたに何かが見える.気楼だ.海が近づいてきたこともあり,確かに蜃気楼が現れるにはちょうどよい環境かもしれない.実に神秘的な,面白い現象であった.海が近づいてくるにつれ,周辺にはポツポツと人工物の姿も見られるようになってきた.久しぶりに見る,人が生活している気配である(笑).まもなく,ようやくまともな舗装道路に出た.座礁した船や工場,その他の建造物が周囲に増えてくる.スワコプムントはもうすぐであった.

昼食を摂った集落

スケルトンコーストです

海岸線の一本道
 


スワコプムントに到着

 市街地が近づくにつれ,様々な建物が道路わきに現れるようになった.海沿いということもあり,別荘風の建築物も目立つ.そういえば有名なハリウッド・スター,ブラッド・ピットアンジェリーナ・ジョリーが,2006年に出産のためにナミビアを訪れたという報道があったが,彼らが滞在した別荘もこの辺なのだろうか.
 さて,まもなく我々もナミビア沿岸の小都市,スワコプムントに到着である.ここは人口約2万5千人という小さな町ではあるが,ドイツ植民地時代の面影を残す町並みが印象的である.道路は碁盤の目のように整備され,建物の看板にはあの「亀の甲文字」(近代以前のドイツ語表記に使われていた文字)も目立っている.イギリスやフランスの植民地だった地域は世界各地にあるが,ドイツの植民地はもともと少なかったため,ヨーロッパ以外の大陸でドイツ的な町並みを見るのは珍しい(ナミビアはビスマルクと喧嘩した皇帝ヴィルヘルム2世の肝いりで獲得された植民地,ドイツ領南西アフリカである).

ドイツ風のホテルです

これがいわゆるジャーマンツインです
 
そして我々が今日から2連泊するホテルはその名もズバリ,「ドイチェス・ハウス」(モーツァルトとコロレド大司教の決裂の舞台となった館と同名 笑)であった.
 この「ドイチェス・ハウス」,規模は初日に泊まったサファリ・コートほど大きくはないが,インテリアに19世紀のドイツ植民地時代の香りが感じられるほか,無線LANが使えたり,室内プールがあるなど設備も充実しており,なかなか感じのよいホテルであった.ちなみに部屋のベッドはやはりドイツ系ということで,いわゆる「ジャーマン・ツイン」(通常のツインと異なり,ベッド二つがくっついた状態で並んでいる.もちろんベッド同士は離すことができる.2005年に所属する合唱団の演奏旅行でドイツに行った時,
 
滞在したデットモルトのホテルのベッドがこのタイプであった)であった.その一方,部屋のサービス品として置かれているお茶の中にはルイボスティー(主に南アフリカで生産される)もあり,さすがは南部アフリカだと感じたのである.
 しばらく部屋で休憩したり,シャワーを浴びたりしているうちに夕食の時間となった.今日は市内にあるシーフードレストランでの夕食である.みんなで車に乗って,大西洋が見渡せる海沿いのレストランに到着した.そう,実は我々は大西洋を生で見るのはこれが初めてである.食事の前に,まずは大西洋に沈む夕陽をバックに写真を撮ろうということになった.外は雲ひとつない晴天,実に美しい夕陽を観賞することができた.しかし実は海風がかなり強く,しかもこれが寒い!
 実はこのあたりはベンゲラ海流という,南極方面からやってくる寒流が流れているために,その影響で緯度のわりに寒いのである(実際,内陸部と違い,昼間でもかなり寒かった.「寒流の影響とはこんなに強いものなのか!」
 と感心した次第であった).寒いので撮影会を終えたらさっさと店内に入ることにした.その店内での食事であるが,新鮮な生牡蠣(レイノ君もモリモリ食べていた),イカフライ(日本のイカリングそのもの),ツナサラダにシーフードピザ,エビの焼き物と実に盛りだくさんであった.
 しかしそれにしても,寒くて料理の旨いアフリカ….それまではなかなか想像できなかった概念であった.海鮮鍋が旨そうな環境ではないか(笑).これらのシーフードに舌鼓を打った我々は,満足した面持ちでホテルへと戻ったのであった.その後我々はホテルのバーでワインを飲み,部屋へと戻ったのである.

大西洋に沈む夕陽

完璧逆光です(笑)

イカのフライです

こちらはシーフードピザ
 



 

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