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マダガスカルの概要

1.マダガスカルの地理と気候

 マダガスカルはインド洋西部,アフリカ東海岸からモザンビーク海峡を隔てて400キロ沖合いにある島である.その面積は587,000平方キロと日本の1.6倍,南緯12度から26度,東経43度から51度に位置する世界で4番目の大きさの島である.国土のほとんどが南回帰線以北にあり,気候区分は全域が熱帯性気候となるが,地形や海流,風の影響を受けるため,実際の気候は地域によって大きく異なる.  
具体的にはマダガスカル島の中央部には標高1000m以上の高地帯が存在する.また南東からの貿易風のため,一般的なマダガスカルの気候は東が湿潤で西が乾燥する傾向になる.その一方アフリカ大陸に近いという特性上季節風の影響もあり,夏季は湿潤で冬に乾燥する(日本と同じ).以下に具体的な気候を示す.

 

@ 中央高地:   首都アンタナナリブがある地域である.標高が高いため夏は暑いものの,冬は朝夕を中心にかなり気温が下がる.降水量は東部と西部の中間である.  
A 東部:   セントマリー島などの地域.非常に雨が多く,熱帯雨林が広がる地域である.  
B 西部:   乾燥している.特にトゥリアールなどの南西部には広大な砂漠が広がっている.  
C 北部:   ディエゴ・スアレスなど.赤道に近いため特に夏は非常に暑く,降水量も多い.  


2.マダガスカルの歴史


ヨーロッパ人来航前

 今から2億年程昔,地球上にはゴンドアナ大陸と呼ばれる,今の南米大陸,アフリカ大陸,マダガスカル,インド亜大陸,オーストラリア大陸を含む巨大な大陸が存在していた.ジュラ紀(1億5千万年以上前)にゴンドアナ大陸は南米・アフリカからなる西部とインド・オーストラリア・南極からなる東部に分裂した.この時マダガスカルは東側に付いていた.その後白亜紀(1億5千万年〜7千万年前)になると西部は南米とアフリカに分裂し間に大西洋が誕生,東部もインド(その後北の大陸と衝突しユーラシアの1部になる)とオーストラリア,南極に分裂しこの時マダガスカルも独立した島になったという.つまり,マダガスカルは地理的にはアフリカに近いものの,歴史的にはインドやオーストラリアにより近いわけである.
 その後マダガスカルは1つの島として独自の歩みを始める.1億年以上前に大陸から分かれたことによって,この島の生物は独自の進化を遂げた.マダガスカルの生物の特色である豊富な固有種(そこにしか存在しない種)の誕生である.たとえば原猿類やバオバブの木,カメレオンなどはこの島でしか見られない種が非常に多いことで知られている.
 さて,マダガスカルにいつから人類が住み着いたかは,はっきりしていない.ただ最初に住み着いた人々は,アフリカ系ではなく東南アジア系であると言われている.その後アフリカ系の人々も住み着くようになり,次第に混血が進んだと考えられている.中世にはイスラム商人やって来て交易を行っていた.またマルコポーロの東方見聞録にはインド洋の大きな島の記述があり,これがマダガスカルを示していると考えられている.一方15世紀初頭,明の永楽帝の命でインド洋の航海に乗り出した鄭和艦隊の一部もマダガスカル付近まで到達したといわれている.

ヨーロッパ人の来航から植民地化まで

 ヨーロッパ人がマダガスカルを発見したのは1500年のことである.インド洋を航行していた,ポルトガル人ディエゴ・ディアスが率いる船体が嵐に遭遇,マダガスカル東岸に漂着したのである.彼はここを聖ロレンソ島と命名した.その後ポルトガルが植民を試みたものの,結局失敗に終わった.続いてこの島にやって来たのはフランス人である.1642年にフランソワ・ジャック・プロニスが島南東部のフォール・ドーファンに町を築いた.その後フランスから派遣された総督がこの町を拠点として周囲の開発を進めようとしたものの,現地人との摩擦が起こり開発はなかなか進まなかった.
 一方,ヨーロッパ人がやってきた時,多くの部族による小国家が乱立していたマダガスカルであったが,18世紀頃から統一の機運が高まってきた.当時の有力な部族は中央高地のメリナ族,西部のサカラヴァ族,南部のアンタンドルイ族などであったが,徐々にメリナ族が優勢となる.そして1794年にメリナ族の王アンドリアナンポイニメリナ王(在位1777〜1810)がタナナリブ(現在のアンタナナリブ)を首都と定めて統一に乗り出した.そして彼の子ラダマ1世(在位1810〜1828)の時についにマダガスカルの統一に成功した.ラダマ1世は開放主義をとり,軍隊をイギリス式に調練するなど国の近代化を図った.しかし彼は1828年に亡くなり,その後彼の妻,ラナヴァルナ1世(在位1828〜1861)が即位,彼女は先王と反対に,宣教師を追放するなど排他的な政治を行ったため,フランスの介入を招き国勢は次第に傾いていった.
 1861年にラナヴァルナ1世が亡くなると,あとを継いだラダマ2世は再び開放政策をとったものの,1863年に暗殺されてしまう.その後はラソヘリナ,ラナヴァルナ2世,ラナヴァルナ3世と3代女王が続いたが,度々フランスとの紛争が起こり国家の衰退は明らかであった.最後の王ラナヴァルナ3世は国難を乗り切るために行政改革を行い,イギリスに接近して軍の建て直しを図ったものの,1895年9月30日に首都タナナリブがフランス軍に制圧され,1896年8月6日正式にフランスの植民地となった.

第二次世界大戦と独立

 フランスの植民地となったマダガスカルではあったが,独立の気運は徐々に盛り上がり,第2次世界大戦後の経済混乱を機に運動は一気に燃え上がった.1947年には東海岸を中心に暴動が起こった.これはすぐに鎮圧されたものの,その後も運動は続いた.1956年には行政権の一部を取り戻し,1960年6月26日に独立宣言が出され,正式に独立したのであった.
 独立後のマダガスカルはフランスの影響を排し,1975年からは社会主義体制となったが,1990年代に世界的な社会主義の行き詰まりのなか再び自由主義に戻り現在に至っている.
 


3.マダガスカルと日本

 マダガスカルは日本から遥かに離れた島であり,両国を結ぶ線はあまり無いように思われる.しかし実はこの島にも,第2次世界大戦時の日本海軍の戦跡があるのだった.
 1940年フランス本国がドイツに降伏してしまったため,フランス植民地はドイツ占領下のヴィシー政権に付くか,イギリスに亡命したド・ゴール将軍の自由フランスに付くかの決断を迫られた.この時マダガスカルはヴィシー政権に付くことを決めた(この時同じくヴィシー政権についたフランス領インドシナに対して,1940年9月に日本は軍を進駐させている).
 1941年12月日本が第2次世界大戦に参戦すると,イギリスはマダガスカルに対して危機感を抱いた.ヴィシー政府の承認の下,日本軍がマダガスカルに進駐する可能性を考えたからである(現実には当時の日本にはそこまでの余力は無かったが).実際に1942年春には日本の空母機動部隊がインド洋に進出し,当時セイロン島に拠点があったイギリス海軍はその攻撃を受けていたからである(1942年4月のセイロン沖海戦では日本海軍の攻撃でイギリスの空母ハーミス以下,巡洋艦や駆逐艦など多数の艦が撃沈されている).もし日本海軍がマダガスカルに進出すると,連合軍はインド洋の制海・制空権を失い,インドや中国への補給が途絶えるだけでなく,中東も脅威に晒されるのであった.このためイギリスはマダガスカル攻略作戦を開始,同年5月5日に地上部隊をディエゴスアレスに上陸させた.ヴィシー政府軍も抵抗したものの,5月7日にはディエゴスアレスはイギリス軍の占領下に入った.この時ヴィシー政権への支援として日本海軍が派遣したのが,2隻の特殊潜航艇であった.特殊潜航艇は2人乗りの超小型の潜水艦で,有名な真珠湾攻撃の際にも参加している.
 大型の潜水艦(イ16とイ20)に搭載された潜航艇は1942年5月30日未明に,マダガスカルの北部のディエゴスアレス湾に侵入し,停泊中の連合軍艦艇に対して果敢に魚雷攻撃を敢行,イギリスの戦艦ラミリーズを大破し,タンカー1隻を撃沈するという戦果を挙げた.この攻撃で湾内は大混乱に陥ったという.攻撃の後,潜航艇の乗組員(1艇2名合計4名)は上陸し,イギリスの地上部隊と交戦し,全員戦死したとされている(特殊潜航艇は後の特攻兵器と異なり,攻撃後の収容計画は立てられていた.しかし,小さい潜航艇が母艦との邂逅地点にたどり着くことは難しく,実際の作戦でも潜航艇が生還した例はない).このマダガスカルで戦死した,特殊潜航艇乗組員4名の記念碑が,このディエゴスアレスにあるのだった.
 


4.マダガスカルの動植物

 マダガスカルは歴史的に,かなり早い段階で他の大陸から分離したため,この島にしか生息していない,いわゆる「固有種」を多く持つ.原猿類やカメレオン,バオバブの木などがその代表例である.  
 @ キツネザル  

ワオキツネザル

ブラウンキツネザル

シファカ

インドリ
 

シロクロエリマキ
キツネザル

アイアイ


イタチキツネザル


ネズミキツネザル

 

 A カメレオン
 
 
 
 
 

B 擬態シリーズ
 〜 擬態する動物 〜
 

木の枝そっくりの
ナナフシ

葉っぱにそっくり
な昆虫

木の幹と一体化
したヤモリ

枯葉にまぎれ
たヤモリ
 

 C 植物
 

三角椰子
(ミツヤヤシ)

旅人の木
(オオギバショウ)


バオバブ・グランディディエリ
(Adansonia grandidieri)

バオバブ・フニー
(Adansonia fony)

バオバブ・ザー
(Adansonia za)
 


5.マダガスカルあれこれ

人口 1860万
首都 アンタナナリボ
通貨 アリアリ(1,000アリアリ = 約70円)
言語 マダガスカル語とフランス語
 



 

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