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マダガスカル旅行記(5)

2007年6月11日(月)


フォール・ドーファンの町

翌朝目が覚めて,活動開始となった.まずは朝食をとり,今日は移動は午後なので,午前中はフォール・ドーファンの町の散策をすることとなった.早速ラベさんが我々を迎えに来てくれて,一緒に行動することとなった(さすがに我々だけで歩くのはちょっと危なそうである)
  今日も好天である(日頃の行いが良いから 笑).フォール・ドーファン(タウランニャロ)は人口約7万人の,インド洋に面した海沿いの町である.ホテルを出て道路沿いに出てみるが,たくさんの人々が歩いている.道路わきには商店や屋台も数多く見られ,活気に溢れている.昨日は浜辺で何かのスポーツをやっている人々の姿も見られたが,どうやらスポーツイベントがあったようである.そして目の前に広がるインド洋には,座礁した船の残骸が点在していた.Kは近くにいた地元民の兄ちゃんに「
ニーハオ」と話しかけられ,「私日本人なんだけど…」とつぶやいていた.途中,廃墟のような建物が目に留まったが,これは今から2〜3年ほど前に

フォール・ドーファンからのインド洋です

サイクロンの被害を受けて廃墟になってしまったそうです
 
この地域を襲ったサイクロンによる被害の跡だということである.
 人通りの多いメインストリート沿いから裏道へ入り,ちょうど「山の手」方面とでもいうべき住宅街へと歩いてゆく.高台になっているところであるが,途中,崖下に見える海岸の岩場が,規模こそ小さいが丁度「千畳敷」のようであった.我々はラベさんといろいろ世間話をしながら,高台のほうへと歩いていった.丘の上には「LE MIRAMAR」というレストランの建物があり,ここは近日オープン予定であると聞かされた.リゾート地にはよくあるような外観の建物であった. 
 そして下り坂へと差し掛かり,裏道を歩いていくうちに,いつの間にかホテルの敷地内へと入っていった.どうもホテル周辺の道路をぐるりと一周してきたようであった.
 

フォール・ドーファンの町です.現政権は積極的に国土開発を進めているようです


丘の上の高台に立つホテルです.近日オープンするというウワサでしたがオープンしたんでしょうか?

ここは高知の桂浜じゃなくて,フォール・ドーファンのインド洋です(別に銅像は建っていません 笑)).
 


ムルンダヴァへ

 ホテルへ戻り,レストランで昼食をとることになったのだが,どうもお腹の調子が良くない.いつもなら食事のお供にビールを頼むところだが,どうもアルコールを受け付ける体ではないようである.よって今回はソフトドリンクにすることにした.(既にこの頃から,例の炒めニンジンが響いてきたようである).気がつくとKも幾度もトイレに行っているようである.
 昼食後,車に乗ってフォール・ドーファンの空港へと向かう.ここから一旦南西部の町・トゥリアーラを経由して,次の目的地・ムルンダヴァへと向かうことになっている.まずはフォール・ドーファンの空港であるが,チェックインを済ませてセキュリティチェックを通るのだが,機械はあるものの係員が誰もいない.地元の人たちが通るたびに金属探知機がピーピーなるのだが,誰も気にする様子はない.まさに鉄砲でもミサイルでも持ち込み放題である(推測するに,例の9.11の同時多発テロの影響で,セキュリティを厳しくしろという某大国の圧力から,とりあえず機械だけは導入したと言う感じだ).
 我々もブザーを鳴らしながら通過して登場口で待っていると,ラベさんが「飲み物は何にしますか?」と訊ねてきた(どうやら飲み物付らしい).私はコーラ,Kはスプライトをリクエストしたが,後で配られた飲み物は,日本ではもはや昔ながらの飲食店でしか見ることのできなくなったガラス瓶入りであった(今だったらほとんど500ccのペットボトルで供されるであろう.しかし我々が子供の頃は,ファンタやコカコーラもガラス瓶入りを飲んでいたものである).ガラス瓶から直接コーラやスプライトを飲む行為に,思わず懐かしさを感じたものである.飲み物と一緒に,チーズを挟んだサンドイッチもついてきたが,残念ながら体が受け付けず,結局食べることはできなかった.そうやって飛行機を待っていたのであるが,やはりマダガスカル航空だけあって(?)なかなか来ない.結局かなり遅れての出発となったのであった.
 今回我々が乗った便は,一度トゥリアーラに降り立つのだが,高度を下げるに従って,南西部地方特有の半砂漠地帯の光景が広がってきた.乾燥に強い多肉植物の姿がよく目立つ.そして大地は赤茶けている.そんな光景を眺めながら,飛行機は無事トゥリアーラの空港へと降り立った.
 ここで一旦乗客は全員降ろされる.我々は「TRANSIT」と書かれたカードを渡され,とりあえず空港の外に出てみることにした.さすがにここは乾燥地帯である.外には乾燥に強い植物が生えている.水分を保ちやすい形状の葉を持つユーフォルビアの仲間の木もあった.私はこのトランジットの時間を使ってトイレに行くことにしたが,公衆トイレは外にあった.そのようなことをしながらトランジットの時間を過ごし,我々はまたムルンダヴァへ向けて旅立ったのであった.
 今度はトゥリアーラから北へ向けてのフライトであるが,こちらは先ほどとはまた違い,眼下には水田地帯が広がっている.そう,マダガスカルでは主に米が主食とされており,それゆえに稲作が盛んなのである.上空から見ると,日本でもよく見られるような水田が広がっており,水面に太陽光が反射して光っている.ある意味で懐かしさを覚える光景である.そのような光景を眺めつつ,飛行機は高度を下げ,ムルンダヴァへと降り立ったのであった.

腹具合が悪くてすっかりのびてしまった私

ホテル ル・ドーファンの中庭

ムルンダヴァに向かう飛行機(プロペラ機)に乗り込みます

トランジットのトゥリアーラの空港です

空港で見かけたユーフォル
ビアの仲間の木です

ムルンダヴァが近づくと,眼下には水田が広がります

いよいよムルンダヴァの空港に着陸します
 


夕陽とバオバブ

 我々がムルンダヴァへと降り立った時には,かなり夕方近くになっていた(飛行機が遅れたためである).それでも何とか,夕陽を浴びるバオバブを見るのには間に合わせるべく急ぐことになった.我々は早速ラベさんの案内で車に乗り,あの「バオバブ街道」へ向けて走り出すことになったのである.
 この「バオバブ街道」への道も,例によってボコボコの道路である(頑張って走っても時速30キロが限度であろう.それ以上出したら車が壊れるか,乗っている人間がダメージを受けてしまう 笑).途中の集落では,軍による検問もあった(ドライバーが身分証明書を提示していた).軍の検問なんて初めてである.ある意味でさすがと思った. 
 このあたりは稲作や牧畜が盛んなようで,あちこちで牛の群れを率いた牛飼い達を見ることができた.マダガスカルの牛は背中に瘤が隆起しているのが特徴である(ゼブ牛という).このような牛の群れが時折道路をふさぐように,まるで「Gメン75」のように歩いているので,車は徐行しなければならない.しかも時折鶏も(妙に
足が長いのが印象的であった)道路を横断する.
 そんなのどかな光景を目にしながら車に揺られていると,まもなく原野に不思議な形の巨木が点在しているのが見えはじめた.おお,これがバオバブである.こうして見ると実にユーモラスな姿である.その姿は,「巨人が木を引き抜いて逆さまに植えた」という表現がピッタリするものである.
 さて,バオバブと一口に言っても,実はいくつもの種類があり,代表的なのはバオバブ並木で見られる最も高さがある「バオバブ・グランディディエリ(Adansonia grandidieri),先端に行くに従って幹が細くなり,ちょうど徳利のようなシルエットになる「バオバブ・フニー(Adansonia fony)」と,先端まであまり太さが変わらない「バオバブ・ザー(Adansonia za)」とが挙げられるが,実際にはこれ以外にもいろいろな種類があるようだ.
 次第に点在するバオバブは数を増してきて,いよいよ目的の「バオバブ街道」である.砂利道に沿って,バオバブの木が並び,なんともいえない幻想的な光景が広がっている.まさに奇観である.ちなみに,この赤茶けた砂利道の両脇ということから,この辺は赤茶けた乾燥地帯かとも思っていたのだが,実はバオバブの生えている辺りは,湿地帯が広がっているのである(どうも稲作のための灌漑の影響らしい).そのためこの湿地帯の水分により,このバオバブたちも危機的状態にあるということであった(実際,既に倒れてしまった木もあった).
 それでも観光スポットとしては有名どころということもあり,各国からの観光客も多数訪れていた.そして同時に観光スポットの宿命として,現地人が店を構えていた(もっとも,ほとんど屋台状態だが.主にバオバブの実などを売っていた).子供たちも集まってきたが,キャンディのおねだりをする子もいた(中には根負けしてお菓子を配ってしまう白人観光客もいた).時刻は丁度夕方,いい感じの夕陽である.なにやら楽器を奏でている現地人の姿もある.その音楽とも相まって,なんとも風情に満ちた光景を写真に収めることができたのだった.

ムルンダヴァの空港です

バオバブ並木に向かう道路はガタガタです

あちこちでゼブ牛(背中のコブが特徴)が放牧されています

有名なバオバブ並木です

現地の子供たちと

バオバブとゼブ牛

徐々に日が暮れていきます
 

双子のバオバブ


夕陽に映えるバオバブ

見上げるとその巨大さが
分かります.

 

バオバブ並木にて,現地の人が楽器を奏でていました
 


真っ暗なホテル

 夕陽を浴びるバオバブ並木を後にして,我々は今夜の宿泊先・ムルンダヴァへと向かった.もう夕方,特にこの辺は暗くなるのが早い.もちろんこの辺には外灯なんてものはなく,我々は車だからまだいいものの,特に徒歩の人は家路を急がなければならない.中には連れている牛が疲れ果てたのか動かなくなってしまい,てこずっている牛飼いの人の姿も見られた.確かに,真っ暗になったら身動きが取れなくなってしまうから,牛にもさっさと歩いてもらわないと困るからなあ.
 そのようにして集落を通り過ぎ,ムルンダヴァの町へ着いたころには,すっかり夜になってしまっていた.もう夜なので暗くて町の様子はイマイチよくわからなかったが,この辺はイスラム教徒も多いらしく,なんとなくアラブ風のムードも一部に漂っている.細い通りに入っていき,まもなく今夜の宿泊先,「バオバブ・カフェ」へと辿り着いたのだが…….な,なんと,
ホテルが真っ暗なのである.

ろうそくの明りでチェックインします(まだ自家発電が回っていません)

ワインを傾ける私.この時結構胃腸がきつかったです
 
これは一体どうしたことか?と思っていると,ラベさん曰く「これから発電機を回します」そう,この辺は電力の供給が不十分で,ホテルは自家発電,よって客が来てから発電機を稼動させるというシステムなのであった.よってチェックインはロウソクの明かりの下で行い,電気が来るまで部屋でもしばらくロウソク(と懐中電灯)で過ごすこととなったのであった.ホテルに着いたら真っ暗だったなんて,まさに初めての体験である.思わずKと「ネタだーっ!」と大喜びしてしまった(笑).
 しかしその一方で,なんだか我々の胃腸が悲鳴を上げていたようである.電気が使えるようになったのでシャワーを浴び,夕食となったのだが,どうも食欲がイマイチなので,パスタを注文することにしたのであるが,これがまた山盛りなのである(泣).いかん,オスロとミュンヘンで体験したあの悪夢が蘇ってきた.そう,過去に我々はこの2ヶ所でも,大盛りのパスタの前に力尽きたことがあったのである.しかし大盛りパスタということ以外に,どうやらフォール・ドーファンで食べた炒めニンジンが響いてきたようである.食後に部屋に戻ってから,えらい目にあってしまった.やはりここはマダガスカル,これまでに行った国とは勝手が違う.やはり一度はお腹を壊してしまうのは免れないようだ.後で夜中に,私は胃腸を落ち着けるために,日本から持参した「マグヌードル」を作って食べ,何とかお腹を落ち着かせたのである
 



 

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