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マダガスカル旅行記(8)

2007年6月14日(木)


世界遺産アンブヒマンガ

 一夜明けてアンタナナリボで迎える朝となった.今日の予定はまずアンタナナリボ郊外の村アンブヒマンガへ出かけ,ここに保存されている王宮の跡を見学し,その後は市内に戻って観光を行うという手順になっている.まず朝食をとり,出かける準備をして,車でアンブヒマンガへと出発である.天候も晴天で上々である.
 アンブヒマンガは16世紀,初めてマダガスカルを統一したメリナ王国の首都だった場所であり,1794年に首都がアンタナナリボに移転するまで,代々4人の王が暮らしていた.今回我々が訪ねるのは,4代目の王が暮らしていた王宮の跡で,ここは2000年にユネスコの世界文化遺産に登録された(マダガスカル国内の世界遺産は,西部のべマラハ国立公園のツィンギーと,ここアンブヒマンガの2箇所である).王宮の跡がある丘に行くには,狭い道を通っていく必要があるが,しばらく走って王宮の門の前あたりに来ると,すでに大勢の観光客でごった返していた.中には課外学習らしき小学生の一群も多く見られた.まずはチケットを購入し,石段を登って見学開始である.石段の両脇には土産物店があり,各種の民芸品の他,空き缶を利用して作られたチョロQモドキも売られていた.
 まずは王宮の跡の外部の見学である.この王宮は2つの堀で守られており,その中心に4代目の王アンドリアナンプイリメリナ(1787〜1810)が暮らしていたパレスがある.炭ででもできているかのような黒々とした木造の建物(黒檀でできているためである),一見小屋のようであるが,これがパレスである.我々もこのパレスの中に入ってみることにした.内部は土間になっており,生活や儀式,戦いに使われた各種の道具や武器類が展示されていた.また,マダガスカルには今も民間人の中に独自の土俗信仰が伝わっており,その巡礼らしき一群がこの王宮の各所で祈りの儀式を執り行っていた.彼らはそれらの儀式をこのパレスの内部でも行っていたのはいうまでもない(なお,パレス内部は世間の他の歴史的展示物の例に洩れず,撮影禁止であった).王宮のそばには王が沐浴に使ったという浴槽もあるが,当時ここに水をためる作業はさぞかし大変であったことだろうと思いながら眺めていた我々であった.
 また,このパレスの隣には,アンドリアナンプイリメリナの後に政権を握った女王ラナヴァルナ1世(在位1828〜1861)が避暑のために住んでいたという住居が展示されていた.この中にも各種の調度品が展示されているが,丁度世界史でいえばヴィクトリア女王の統治による大英帝国の発展の時期と重なっており,調度品や写真にもその影響が色濃く現れていたのが印象的であった.展示品には当然「触らないで下さい」と書いてあったが,どうしても「触ったやつが一人はいるな」と思ってしまう(笑).

アンブヒマンガの入り口です

王宮の前で

課外授業と思しき地元の小学生達です

ここが王の住居であるパレスになります

奥の赤い屋根がヨーロッパ風の住居です

巡礼者のようなグループが断崖でお昼にしていました
 
 なお,王宮の前の門の辺りに「裁きの場」ともいうべき場所があり,罪人がここで有罪か無罪かを判定するらしいのだが,その方法はなんだか古代日本でも行われていた「盟神探湯」(くかだち)にも通じるものを感じさせるのであった.
 王宮の裏手に回ると,ちょうど高台のようになっていて,ここからアンブヒマンガの街や田園風景,また遠くにアンタナナリボの街並みを眺めることができた.空も晴天,実によい眺めである.少し離れたところでは,先ほどパレス内部で見かけた巡礼者のグループが集まっていた.しかしよく見ると皆裸足である.この高台の地面は岩場,かなりごつごつしている.彼らはいつもそのようにしているのであろうから,慣れているとは思うのだが,どうしても痛そうに見えてしまう.それでも彼らは何食わぬ顔で世間話をしたり,祈ったりしているようであった.
 こんな風にして我々はアンブヒマンガの王宮の見学を終え,再び車へと戻ったのであった.入り口付近へ戻ると,課外授業らしき小学生の集団がわらわらと群がっており,凄い行列になっていた.
 


アンタナナリボ市内へ

 アンブヒマンガを発った我々は,一路アンタナナリボ市内へと向かっていった.途中には丁度日本でいえば「平安閣」のようなノリの結婚式場も見えた.そしてやがて車はアンタナナリボ市内へと入っていく.それにしても街中は凄い賑わいである.途中,いくつかの市場も見えたが,この人ごみの中を不用意に歩いたら,間違いなくスリに会いそうである.
 我々はその後,街の高台にある女王宮を訪ねることにした.ここはメリナ王朝の女王・ラナヴァルナ1世の命で建設された王宮であるが,残念ながら今回は工事中で立ち入り禁止になっており,内部を見学することはできなかった(1995年11月に火災にあってしまったらしい).しかしその代わりに,我々はこの高台からアンタナナリボ市内を一望することができた.多くの観光客や地元の人でごった返していたが,好天ということも手伝って,実によい眺めである.街並みもよいが,アヌシ湖や我々の泊まっているヒルトン(高層ビルなのでよく目立つ),マハマシナ競技場もよく見えた.なお,女王宮の中には入れなかったが,城門は外からも見ることができ,鷲(?)が止まっているデザインの石柱が立っていたのが印象的であった.
 市内観光の後は独立大通りを通って,昼食会場へ向かうことになった.この大通りも活気に溢れており,独立記念日(6月26日)を控えていることもあって,いたるところに国旗のディスプレーをしているのも目だつ.今日の昼食は中華料理である(中華はどこの国でも食べられるのがよい).店に入って,我々は麻婆豆腐と中華スープ,ビールをオーダーした.久しぶりの中華で,くたびれた臓器もホッとしていることであろう.スープもさっぱりしていて美味しかった.ところで,食事の後にトイレを借りたKによると,トイレに「使ったトイレットペーパーは,流さないで専用の箱に入れてください」と書いてあったらしい(余談だが,中国や台湾では,使ったトイレットペーパーはトイレに流さず,別途ゴミ箱に捨てるのが習慣らしい.どうも水圧が弱いためのようである.そういえば,花巻空港のトイレには,「使ったペーパーはトイレに流してください」と中国語“だけ”で書いてあった).

この駅からまっすぐ伸びる大きな道が,アンタナナリボのメインストリート「独立大通り」です

このように街中には沢山の露店が並び,大勢の市民でごった返しています

女王宮です.残念ながら1995年の火災で被害を受け,現在修復工事中でした

女王宮のある高台からは市内が一望できます.アヌシ湖とその湖畔に立つヒルトンが見えます
 


チンバザザ動植物園

 昼食の後我々は,中心部から少し離れたところにあるチンバザザ動植物園の見学に行くことにした.ここはマダガスカル特有の動植物が展示されている公園で,あのアイアイも展示されているということであった.入場門付近で車を降り,早速中に入ることにした.
 園内には様々な動物や鳥類,植物が展示されていたが,マダガスカル産ではないものも普通に展示されていた.鳥類のケージにはキンケイ(アジア産の派手な色彩のキジ科の鳥,日本の一般家庭でもたまに観賞用として飼育される.R・コルサコフの「金鶏」とはあまり関係ないと思う)もいたし,別のフィールドにはゾウガメもいた

チンバザザ動植物園の入り口です.TONGA SOAとはマダガスカル語で歓迎という意味のようです
 
(多分アルダブラゾウガメ,セイシェルが懐かしい).
 植物に関しては,最初に歩いている区域は,主に乾燥地帯に生育しているものが展示され,多肉植物やアロエ,三角椰子などが栽培されていた.Kはマダガスカルに来たからには,是非珍名植物「
アアソウカイ」(キョウチクトウ科の植物で,園芸植物としても知られている.この“珍和名”は漢字では「亜阿相界」,つまりアジアとアフリカの境という意味で命名されたそうだ)が見たいといっていたが,残念ながらはっきりとそれであるものを見つけることはできなかった(多分どこかで展示してあるとは思うのだが).
 
 ここで展示されているのは動植物だけではない.ここではマダガスカル各地のそれぞれの部族の住居や墓のレプリカも展示されており,各部族の生活環境についても学習できるようになっているのであった.そこにはベレンティ保護区でも展示されていたアンタンドルイ族の墓のレプリカも展示されており,「あー,確かにこれ見た見た」と感慨深く思ったものである.住居のレプリカも,確かに道中で見かけたスタイルのものがあり,「そういえばこのタイプの住居が,いまだ現役で使われているんだよなー」と感動したのであった.しかし墓といっても所詮はレプリカなので,結構この墓のそばで遊んでいる子供達もいるのであった(なんか罰が当たりそうな気がするが).
 そしてなんといっても,この動植物園の目玉は,原猿類である.特にアイアイは野生下では観察が非常に困難ということで,ぜひここで本物のアイアイを見たいと思ったのであった.アイアイは夜行性の原猿類を展示する専用の動物舎にいるということで,ラベさんの案内によって中に入ることにした.館内は確かに真っ暗だが,イタチキツネザルやネズミキツネザルの展示ブースでは,暗めの照明を使っていたようで,こちらは比較的観察しやすかった.しかし,アイアイのブースはかなり暗さが保たれており(それだけデリケートな動物ということなのだろう),顔を見るのは非常に困難であった.よく見ると2匹いるようで,確かに猫ぐらいのサイズの動物が枝から枝へと動き回っているのが見える.おお,これがアイアイか.顔がよく見えないのが残念だが,それでも童謡や図鑑などでしか見られなかったアイアイが見られたのは感動する出来事であった(後日談:当初アイアイは世界中でも飼育されている動物園が非常に少なく,ここと英国のブリストル動物園にしかいないという話を聞いていたのだが,帰国後,実は上野動物園でも飼育されていたという事実を知り,「せっかくマダガスカルまで行ったのに,上野にいたのかよ…」という気持ちになってしまったのでした 泣)
 夜行性の原猿類を観察した後は,昼行性の原猿類の観察である.クロキツネザルをはじめとする原猿類がケージで展示されていたのだが,どうもこの動植物園で日本人研究者が勤務していたことがあったらしく,「動物にエサを与えないで下さい お腹をこわして死んでしまいます」という日本語表記もある注意書き看板が掲示されていた.やはりどこの世界にも,展示動物に食べ物を与えようとする奴はいるものだなあと思ったのであった.
 園内には大きな池があり,ここで水生植物も展示されていたが(湿地帯に生えている,巨大な葉のサトイモ科の植物,エレファント・イヤーがよく目立つ),その内部に設けられた小島にも,原猿類が展示されていた.ここにはシロクロエリマキキツネザルとワオキツネザルがそれぞれ展示され,エリマキキツネザルはどうやらバナナを食べていたようである(彼らの姿は,まるで着ぐるみのようである).ワオキツネザルも,洗面器のような食器で何やら食べていたようである.
 ここは世界各地の動物園の例に洩れず,やはり市民の憩いの場となっているようで,多くの家族連れで賑わっていた.小学校の課外授業らしき一群もあり,なにやらイベントもやっていたようである.そして日本から遠く離れたこの地でも,日本のキャラクターは知られているようで,我々は「クレヨンしんちゃん」がプリントされたTシャツを着た男の子に出会ったのであった.

マダガスカル中央部に住む部族のお墓です

ベレンティ保護区のある南部のお墓です

東部のお墓.湿気が多い地方なので通気性が良さそうです

これはお墓ではなく,マダガスカル東部の伝統的な家です

「えさを与えないで下さい」というプレート

日向ぼっこをするシロクロエリマキキツネザル

島北部に住むクロキツネザルのメスです

ワオキツネザルが一心不乱にえさを食べています
 


マダガスカル最後の夜

 チンバザザ動植物園の見学を終えた後は,買い物の時間である.まず我々は,市内にあるおみやげ物店に行くことになった.ここは主に民芸品や宝石類を扱っている土産物店である.我々はここでアンモナイトの化石や置物,キツネザルの絵が描かれた壁掛けなどを購入した.これらは主に自宅用である.次に行った店は,「JUMBO」という大型スーパーである.ここは日本にもあるような郊外型の大型ショッピングセンターで,食品系のお土産はここで購入することにしたのであった.
 実際にこのスーパーに入ると,確かに日本にいるのと変わらないくらいに豊富な品揃えである.同時に,今までマダガスカル国内で見たほかの町との格差の激しさを感じたのも,また事実であった.日本も格差社会と言われるようになって久しいが,それでもここで感じるほどの格差はない.こういう点でも世界の広さをつくづく感じたのであった.ともかく,我々はこの店でワインやチョコレートなど,職場や友人に配るためのお土産を購入した.

アンタナナリボ随一の大型スーパー,その名も「ジャンボ」

これがマダガスカル名物のグレイワイン(灰色ワイン)です
 
 なお,日本人に好評なお土産の一つは,カカオ70%のチョコレートだそうである.我々も早速購入したことはいうまでもない.ところで,ここのスーパーには,日本の大手スーパーで見られるようなポイントカードのシステムはあるんだろうか?
 買い物を終えてホテルへ戻り,シャワーを浴びて着替えた後は,マダガスカル料理の夕食である.車でレストランに行き,料理とワインを注文して食事となった.主に牛肉や魚が使われた料理で,ソースにココナツの風味が感じられるなど,南国風の味付けであるが,なかなか美味しく頂くことができた.そしてマダガスカルだけあって,米が添えられていたのが印象的であった(マダガスカル人はかなり米を食べるようで,米を主食とする日本人としては,かなり親しみを感じるのである).食事の最中にはマダガスカルの民族音楽のライブ演奏もあり,なかなかムードのよい食卓であった(後で彼らの演奏によるマダガスカル音楽のCDを購入した).こうしてマダガスカルの最後の夜は更けていったのである.
 



 

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