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マダガスカル旅行記(3)

2007年6月9日(土)


イヴァトゥ国際空港にて

 イヴァトゥ国際空港はマダガスカルの玄関口となる空港だが,成田やバンコクとは違って,こじんまりとしている.寝不足の目をこすりながら外に出た我々の第一声は「うっ,寒い」だった.南半球のマダガスカルの6月は我々北半球の12月にあたる.一応熱帯に含まれるマダガスカル島だが,首都のアンタナナリボは標高1400メートル以上の高地にあり,この時期の朝夕は冷えるようであった.
 ターミナルに入り,入国審査を済ませてロビーに出ると,年配の日本人らしき男性に声をかけられた.そう,この人が「地球の歩き方」にも写真が載っている現地のツアー会社「マダガスカル・サービス」の社長,浅川氏である.我々は浅川氏にいろいろ説明を受けながら,まず空港の両替所で両替を行った.その後浅川氏は,我々に今回同行する日本語ガイド,ラベ(Rabe)氏を紹介してくださった.彼は若くてかなり人の良さそうな男性である.これから我々は,このラベ氏と行動を共にするのだ.他に参加者がいないため,まさに専属ガイド,貸切状態である.
 ラベ氏は我々にミネラルウォーターと,マダガスカルに生息する原猿類に関するパンフレットを渡してくれた.我々も日本から動物図鑑(学研の図鑑 動物)を持ってきてはいたのだが,この度もらったパンフレットには,原猿類に関する解説がより詳しく書かれている(アイアイに関する解説もある.「へんないきもの」(早川いくを著,バジリコ株式会社)にも書かれているが,アイアイは現地では「悪魔の使い」と呼ばれて恐れられ,現地人はアイアイを捕らえて殺してしまうこともあるそうだ.そんな彼らが日本で「アイアイ」というタイトルの歌が能天気に歌われているのを知ったらどう思うだろうか……).ますます原猿類に会えるのが楽しみになってきた.さて,次は国内線に乗り換えて,フォール・ドーファンまでのフライトである(なお,航空会社預かりの荷物は一度ここイヴァトゥ国際空港で受け取り,乗り換えの際に再び預けての搭乗である.なお,成田のカウンターで航空券を見せた際,係員が「Fort Dauphin」の綴りを見て「なんて読むんだ,この綴りは……」というような表情を浮かべていたのが印象的であった(フォート・ダウフィンとか言っていた).そんなに世間に知られている地名でもないし).バンコクからの便は予定通りに到着したので,「いやあ,(マダガスカル航空の)飛行機が予定通りの時刻に到着するのは大変珍しくて凄いことですよ」と浅川氏は仰っていたのであるが,フォール・ドーファン行きはなかなか来ない.マダガスカル航空の便は,発着が遅れるのは日常茶飯事であるらしく,この国内便でさっそく本領発揮であった(苦笑).


フォール・ドーファン(タウランニャロ)の町

 結局定刻より2時間遅れで,フォール・ドーファン行きの飛行機は出発した.約1時間のフライトである.眼下にはマダガスカルの大地が広がっている.原猿の島として有名なマダガスカルであるが,近年南部を中心に砂漠化が進行しており,大地には木々が少なく,一面赤茶けた裸の土地が広がっていた.このまま砂漠化が進むと原猿たちも絶滅の恐れが出てくるのかもしれない(現にアイアイは一時絶滅が危惧されていた).機内では客室乗務員が飲み物のサービスをしていたが,こういう地域では,飲み物をもらう際に氷は断るのがミソである(飲料水はミネラルウォーターだが,氷は水道水を使っている場合があり,現地の水は我々日本人の胃腸には厳しいため).間もなく飛行機は着陸態勢をとり,無事にフォール・ドーファンの空港に到着した.
 フォール・ドーファンは人口7万人のマダガスカル南部の中心都市である.歴史的にもフランス人がマダガスカルに最初の拠点を築いた土地でもある.そもそもフォール・ドーファンという名前自体がフランス語で「皇太子の砦」という意味があるらしい.そのため独立後のマダガスカルでは,フランスの影響を減らそうと考えたのか,この町の名前も現地語風に「タウランニャロ」と変えている(ただ,完全には浸透しておらず,いまだにフォール・ドーファンの方が通りがいいようだ).
 フォール・ドーファン空港はアンタナナリボのイヴァトゥ空港よりもはるかにローカルだった.空港から外に出ると,迎えの車が待っている.どうやらこれに乗って町に行くらしい.ガイドのラベさんの案内で車に乗り込み町を目指す.一応舗装がなされているセンターラインのない狭い道をガタゴトと走っていく.道路の舗装はあちこちで剥げて陥没しており,日本の基準ではとても舗装道路とは呼べないような道路だった(後で聞いた話では,フランス植民地時代の1950年代に舗装されたっきりらしい).しばらく走ると周囲には人家がチラホラと出現し,道を歩く現地人の姿も目立ってきた.その光景はテレビで見たアフリカの町そのものである.我々にはちょっと衝撃的な光景であった.
 町の中に入り一軒の大きなホテルの前で車は停まり,我々もおろされた.ここが「ホテル・ドーファン」というこの町一番の高級ホテルである(この町一番とは言ってもあくまでも比較の問題であり,リゾート地のホテルとは比べられない).まずはここで昼食を摂り,その後本日の目的地であるベレンティ保護区に向かうことになる.
 ガイドのラベさんの案内で,我々はホテル内のレストランに通された.席に着くとラベさんがメニューを持ってやってくる.どうやらメニューから前菜一品,メイン一品を選択するらしい(各3〜4品選択肢があった).

マダガスカルの道路はあちこちに穴が開いています

フォール・ドーファンの街

ここがホテル・ドーファンです

マダガスカルでお世話になったビール”three horse”です

私が注文した地元産の牡蠣

このニンジンの油いためが,後に私の胃腸を直撃します
 
当たり前だがメニュ−はフランス語&マダガスカル語で,日本語なんか書いていないのだが,そこはラベさんが解説してくれたので理解できた.結局私は前菜に”牡蠣”(もちろん三陸産ではない),メインは魚料理を選択した.牡蠣は小粒ではあったが,附属のレモンで美味しくいただけた.メインの魚料理もあっさり味で私好みだったが,付け合せに大量のニンジンの油炒めが付いていてこれには閉口した(私はあまりニンジンが好きではない).それでも頑張ってニンジンを全て平らげたのだった(これが後日問題になってくるとは知る由もない).  


国道13号線

昼食後しばらくロビーで寛いでいると,赤いジャンバーを羽織った現地人の男性がやって来た.彼は「こんにちは,一緒にベレンティに行きましょう」と流暢な日本語で話しかけてきた.彼がこのフォール・ドーファン在住のベレンティ保護区のガイドらしい(彼は以前マダガスカルで仕事をしていた日本人の動物学者の助手をやっていて,日本語を覚えたそうだ).結局ベレンティ保護区に向かう車には,我々の他,ラベさん,運転手,そしてこの赤ジャンのガイドの5人が乗り込んだ.オーッ,客よりも現地スタッフの方が多い,まさに皇帝の旅行だなどと悦にいる我々であった.
 フォール・ドーファンからベレンティ保護区までは,国道13号線を南西に約90kmの行程である.日本の感覚なら高速道路で1時間,一般道でも2時間弱といった距離だが,ここマダガスカルではそうは行かない.一応国道と名乗ってはいるが,日本の感覚では林道に近いような道路であった.フランスの植民地だった1950年代に舗装されて以来,そのままになっている道路である.半世紀の歳月の間にあちこち舗装がはがれ,道路は穴ぼこだらけになっている.自動車はせいぜい時速30〜40キロ程度で,穴ぼこでは徐行しながら進むので,90kmの行程に3時間以上かかるのであった.しかし,別に急ぐ旅行ではないので,周囲の景色を見ながら行くことにした.
 
フォール・ドーファンとベレンティの間には山岳地帯があり,峠を境にして気候が一気に変わる(フォール・ドーファンは熱帯雨林の町だが,ベレンティは砂漠地帯).出発当初は,鬱蒼とした木々が茂る森林地帯を進んでいくが,徐々に木が少なくなってくる.山岳地帯に差し掛かったところで,件の赤ジャンのガイドが,「あっ,カメレオン」と言って車を停めさせた.降りて彼の示す方向を見ると,確かに赤茶けたカメレオン(木の枝に擬態しているようだ)が木の枝にいた.それにしても,走っている車の中からよく見つけられるものだ,と違う意味で感心した私だった(やはりアフリカの人々の視力は凄いらしい).また,この地域でしか自生していないという三角椰子や旅人の木といった珍しい植物もチラホラと見られた.三角椰子は一見,何の変哲もない椰子に見えるが,この辺にしか生息していない珍しい椰子である.また旅人の木は,オオギバショウ(扇芭蕉)という和名もあるが,英名”travelers tree”の訳である,この”旅人の木”という名で知られている.名前の由来については2つの説があり,ひとつは葉っぱが東西方向に伸びるという性質から,旅人に方向を教えてくれる道標になるからという説,もうひとつはこの木の葉柄には水が蓄えられており,刃を入れると水が出てくるため,乾燥地帯を旅してきた旅人がこの木から貴重な水を得ることことから名付けられたという説でである.どちらの説にせよ,旅人にとってはとてもありがたい植物なのである(現地の人たちはこの木を無駄なく使って家を建てたりするらしい).
  その後峠に入ると,周囲の景色が一気に変わる.大きな木がなくなり,周囲は乾燥したサバンナの様相になった.ふと見ると,妙な形の木が生えている.これがマダガスカル名物(?)のバオバブの木である.サン・テグジュペリの「星の王子さま」にも登場するバオバブは,全世界に9種類あるそうだが,そのうち6種類がここマダガスカルに存在するのだという.バオバブの木のそばには,露天の土産物屋も出ていた.
  更に進んでいくと,周囲はどんどん砂漠っぽくなってきた.途中何度か大きな川を渡ったのだが,川の橋も道路並に狭く,しかも歩行者も大勢歩いているので,超徐行運転になっていた.

ベレンティ保護区のガイド氏と

国道13号線沿線果物屋です

これが旅人の木です

これがフォール・ドーファン付近にしか自生しない三角椰子

ガイドが驚異の視力で発見したカメレオンです

峠を越えると植生が一気に変わり,サバンナの様相になる

マダガスカル名物(?)バオバブの木です

土産物を勧められるK
 

地元の子供たちと

大きな川に現地人の小舟が

橋は人でごった返しています
 


ベレンティロッジ

 そんなこんなで徐々に夕方の様相となってきた.この頃から周囲はサイザル麻の畑が目立ってくる.ガイドによると,目的地はもうすぐとの事である.国道13号線から右折して,細い未舗装の道に入った.この辺に来ると至るところにサイザル麻が栽培されていた.しばらく行くと,ゲートがある.どうやらここがベレンティ保護区の入り口らしい.中に入って行くと,何やらこちらをじっと見ている動物の一群が,「オオッ,ワオキツネザルだ!」と感激する我々だった.
 ベレンティ保護区は,サイザル麻畑の地主のフランス人,ホルム氏が設立した民営の保護区である.ちなみにフォール・ドーファンで昼食を摂ったホテル・ドーファンも同一経営らしい.我々は本日宿泊するバンガローに案内された.バンガローは,3年前にセイシェルのバード島で泊まったロッジと同レベルの質素な造りであった.今後の予定はここでしばらく寛いだ後に,夜行性のキツネザルを観察する「ナイトサファリ」に参加,そして夕食である.
 バンガローの内部もやはり質素な造りであった.ツインのベッドにそれぞれ蚊帳がセットしてある.マダガスカルはWHOも指定するマラリア汚染地域のひとつであるため,蚊に刺されないように細心の注意を払わなければならない.蚊帳の使用と同時に蚊取り線香も焚くことにした(今回は日本から○鳥の蚊取り線香を用意).さて,長旅で汗もかいたので,シャワーを浴びることにしたのであるが…….このシャワー,水圧が低い上にお湯が出ない(泣).

ベレンティが近づくと,サイザル麻が目立つようになってくる

赤茶けた道路の周辺にはサイザル麻畑が広がっています

ベレンティロッジのバンガローはとてもシンプルな造りです
 
気温もそんなに高いわけでもないので,これが結構寒いのである.この状態で洗髪もすると何だか風邪をひきそうなので,洗髪はしないで体を洗うだけにした(Kは強引に洗髪もしていたようだが).しかし考えてみると,この地球上で「シャワーを使って普通に熱いお湯が出る」という地域は,本当に限られているのである.世界には満足にシャワーすら使えない地域だってザラにあるのだ.  


ナイトサファリ

 約50時間ぶりのシャワー(その前にシャワーを浴びたのが,出発前日の夜だったため)を浴びた後は部屋でしばらく寛ぎ,その後ナイトサファリに参加すべく,集合場所であるレセプション前に出かけた(部屋から50メートルほど).既にラベさんと赤ジャンのガイド氏が待っていた.先ほどの車に乗り込んでナイトサファリの出発地点まで走る.2〜3分後,田んぼのあぜ道のようなところで降ろされた.
 ここからは,例の赤ジャンガイド氏の案内で森の中に入っていく.周囲は外灯などはなく漆黒の闇である.ただガイドのヘッドランプ(とラベさんの懐中電灯)のみが森の中にかすかな光を灯している.
 森の中は草を踏む我々の足音のみで静まり返っている.こんな闇の中で本当にキツネザルを見つけられるのかと不安に思っていると,突然件のガイド氏が,「あそこっ」と木の上を指差した.ヘッドライトに照らされた木の枝には何やら生き物が,「あれがイタチキツネザルね」とガイド氏,小さな原猿が木の枝にしがみついて我々の方を見ていた.

これが夜行性のキツネザルの一種,イタチキツネザルです

こちらはネズミキツネザルです(ネズミなのかキツネなのかサルなのかはっきりさせてほしい名前です(笑)
 
 その後も樹上にいるキツネザルを次々に見つけ出して我々に示すガイド氏だった.「いやー,それにしてもよく見つけられるなぁ」と感心しきりの我々だった.こうして30〜40分森の中を探索した後,どこをどう歩いたかわからないうちに森を出た(自分たちだけなら100%遭難するな).見上げると満天の星空である.マダガスカルは南半球なので,見られる星も南半球バージョンだ.周囲には明かりが全くないため,有名な南十字星はもちろん,大小のマゼラン星雲もはっきりと雲のように光っている(石炭袋も見えるんじゃないかと思った).しばらくガイド氏らと星座談義をしていると,迎えの車がやって来たので乗り込む.
 車でロッジに戻った後は夕食である.ラベさんの案内で,ロッジ内のレストランに移動した.夕食もまた前菜とメインを一品ずつチョイスするスタイルであった.我々はそれぞれ別なものを頼んだ(後でお互いにつまみ食いしあうため).別注のワインを飲みながら夕食を摂っていると,ラベさんが1.5リットルのペットボトルのミネラルウォーターを2本持ってきて,「コレハ,カイシャカラデス」と我々にくれた.確かに案内には1日1本ミネラルウォーターを支給と書いてあったが,1.5リットルとは書いてなかった.もしかして3日分なのかといぶしがる我々だった.
 夕食後バンガローに戻ったが,30時間以上の長旅と夕食のワインの酔いからか,我々はあっという間に眠りに落ちてしまった.
 



 

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