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マダガスカル旅行記(9)

2007年6月15日(金)


不思議の島を去る日

 とうとうマダガスカルを去る日が来てしまった.思えばこの6日間,実に刺激の多い日々であった.貸切状態の皇帝の旅に始まり,穴だらけの道路,水シャワー,「アフリカの市場」そのものの光景,真っ暗なホテル,そして珍しい自然のいろいろ….これほど刺激の多い旅も,これまでなかったのではないだろうか.
 それはともかく,最終日はかなり朝が早かった.かなりの渋滞が予想されるために出発は早朝である(なお飛行機は7時45分発である).早朝にホテルのロビーに出ると,日本人の団体観光客の姿があった.どうやらクラブツーリズムのグループのようである.この人たちも同じ便で帰国するのであろう.アンタナナリボやその周辺は渋滞が多いので,時間に間に合うのか不安であったが,何とかフライトに間に合うように空港に着くことはできた.
 空港で各種の手続きを終え,残ったアリアリを使い切るために,少し買い物をすることにした.

現地通貨の10000アリアリ紙幣(日本円換算で約600円)

一週間の間我々と行動を共にしてくれたガイドのラベさんと(感謝)
 
売店には他の日本人の団体観光客も多く見られ,現地ガイドの案内でいろいろな買い物を検討しているようであった.ガイドといえば,我々もここで,6日間お世話になったラベさんとお別れである.この未知の国で,本当にお世話になった彼に感謝を込めて,我々は岩手県のお土産(南部型染めの小銭入れや,「雨ニモマケズ」がプリントされた手ぬぐいなど)をプレゼントしたのであった.ラベさん,本当にありがとう.
 そうして搭乗の時間となり,我々も順次,バンコク行きのこの便に搭乗して離陸を待ったのであるが….さあ,いよいよ離陸,という時点で,なぜか飛行機が離陸を止めてしまった.ふと横を見るとKが青ざめている.「なんか異常が見つかったのかも…」と不安になっているようであった.一方,他の乗客の表情は,別に不安をにじませているようでもなく,「なんだ,またかよ…」とでも言いたげな人もいた.私の近くの席では,ユーラシア旅行社の添乗員の女性が,到着時間が大幅に遅れそうだということで,スケジュールの調整に四苦八苦しているようであった.我々は今晩はバンコクで一泊するからよいのだが,どうも彼女の引率するツアーは,同日のバンコク発の便で帰国する予定らしい.沢山の観光客を引率する側ということで,添乗員の苦労を垣間見たひとときであった.
 どうやら機体の再チェックが終わったようである.予定の時刻を大幅に過ぎて,MD010バンコク行きは離陸したのであった.
 


レユニオン,そしてバンコク

 一時はどうなることかと思ったが,それでも飛行機はバンコクへ向けて無事飛び立つことができた.そして例によって,行きの便と同様に,この便も途中でレユニオンに寄るのである.アンタナナリボを発って約2時間,飛行機はレユニオンへと降り立った.空港の建物や設備を見ると,やはりここは海外領とはいえフランスだなあ,としみじみ感じたのであった.せっかくだからトランジットで一度降りてみたいとも思ったのだが,残念ながら時間がなく,レユニオン上陸は断念せざるを得なかったのであった.
 レユニオンから再び離陸して,飛行機は一路バンコクへ向かっていった.マダガスカル航空の機内には,客席用のモニター画面がない上に,正面の画面でも地図が常に表示されているわけでもないので,現在地がどこなのか,よくわからないのであった.今どこを飛んでいるのかわからない,という状態はなかなかきついものである.それでも長いフライトの末,深夜になってようやくバンコクへと着いたのであった.
 スワンナプーム国際空港は,行く途中でも通ったはずだが,マダガスカルから帰ってから見ると,なおさら向こうとの激しいギャップを感じるのであった.空港内も凄い賑わいである.しかも湿気が凄い.我々は今夜はバンコクで一泊だが,なにせ飛行機が遅れたために,ホテルに着いてもほとんどシャワーを浴びて仮眠を取るぐらいしか時間がない.タイ入国はしたものの,本当に一瞬だけのバンコク滞在である.
 まもなくバンコクの現地ガイドと合流し,車でホテルへと向かった(あまり時間がないにもかかわらず,エアポートホテルではなかったのである).途中で高速道路を通ったのであるが,経済発展目覚しいタイ,マダガスカルと比べると,まさに未来都市のような高速道路である(首都高のようなノリであった).しばらく道路を走って市街地に入り,ホテルへと入っていった.ホテルでは久しぶりに日本のTVニュースを見ることができ,まだまだ帰国の道は長いにもかかわらず,「ああ,日本の近くまで来たなあ」とホッとした気分になったのであった.しかし明日の成田行きは8時10分発,今からだとシャワーを浴びたら2〜3時間仮眠をとるぐらいしかできない.結局ほとんど寝たか寝ないかのうちに,もうチェックアウトであった.
 


帰国の途へ

 まさにちょっと横になっただけでもう出発時刻,タイ出国である.フロントでチェックアウトを済ませ,朝食用の弁当(中身はパンやソーセージ,ゆで卵など)を受け取って,空港へと向かっていった.いつものようにチェックイン,荷物の検査などを済ませるが,朝食を食べる時間がなかなかない.実はあまり睡眠をとっていないために,水分の少ないパンを食べる気がなかなか起きなかったのである.しかし手続きを済ませて身軽になり,売店や食堂を眺めていると,ふと,「味噌ラーメン」の文字が目に留まったのであった.実は汁物が恋しくなっていた我々,早速この味噌ラーメンを食べることにしたのであった.出てきた味噌ラーメンは,日本で見るものとやや異なってはいたものの,それでも味噌風味の出汁が太目の麺に絡まって,実にうまかったのであった.結局我々は,この味噌ラーメンを朝食としたのであった(なお,朝食用の弁当は,Kが成田行きの機内で機内食を断って食べたのであった).
  そうしてバンコクから成田へと,我々は帰国の途についたのである.さすがに行きとは違って結構機内は埋まっており,座席に横になることはできなかった.なお,帰国後はその足で宇都宮に向かい,2007年のひのパレでご一緒させていただいたコシゾウさんのお店でもんじゃ焼きに舌鼓を打ちながら,旅行の報告や新選組談義に花を咲かせたり,まつりのビデオを鑑賞したりして過ごしたのであった(ちなみに宿泊先は宇都宮駅前の東横インである).翌日は宇都宮城を見学したりして過ごし,そして家路へとついたのであった.

     
   完(明日からまた日常の世界)
 



 

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