ビザンチン皇帝の部屋 本文へジャンプ

トップページ
マダガスカル概要
マダガスカル1
マダガスカル2
マダガスカル3
マダガスカル4
マダガスカル5
マダガスカル6
マダガスカル7
マダガスカル8
マダガスカル9
アクセスカウンター
 SINCE 2011年9月25日
       

マダガスカル旅行記(6)

2007年6月12日(火)


愛し合うバオバブ

 翌朝になって,何とか私の胃腸の調子は落ち着いてきたようだった(それでも本調子ではないが).何とか朝食は取れそうである.とりあえずレストランに行って朝食をとることにした.
 昨夜は真っ暗だったので気付かなかったのだが,ここのレストランは川に面しており,対岸にはマングローブの林も見えるのであった.ちなみに朝食はフランスパンに卵料理,フルーツジュースと紅茶である.
 朝食の後は少しホテルの内部を散策してみることにした.ここのホテルにはプールもあるが,あまりここで泳ごうという気にはなれない感じのものであった(それでも,後でここで泳いでいる白人女性を目撃したが).それ以外では,素朴な内装のホテルである.階段の手すりの彫像がなかなかいい味を出していた.
 今日の午前中は,まず昨晩と同じ道路を通り,バオバブ街道へ行った後,「愛し合うバオバブ」を見学し,その後途中にあるメナベ公園を見学する手順になっている.ひとまず車に乗って,昨日と同じボコボコの道路をひた走る.途中ではお約束のゼブ牛による「Gメン75」(笑)も見られた.これから放牧地へと向かうのだろうか.
 まず昨日も訪れたバオバブ街道の見学である.夕暮れ時ともまた異なる雰囲気の中で見るバオバブ並木は,また趣のあるものである.
 その後更に車を進め,「愛し合うバオバブ」のある区域へと向かっていった.前述したように,近年このバオバブの群生地が湿地帯のようになってきており,その影響で既に倒れてしまった木もあるということであるが,我々はその中の1つである倒木を見ることができた.触ることもできたが,結構柔らかい質感であった.

これが我々が泊まったバオバブカフェです

ホテル内はプールもあるなど質素ながらも洒落ています

ホテルのレストランから見える景色です

小奇麗な感じの朝食会場のテラスです
 
 そして目的の「愛し合うバオバブ」である.これはバオバブ・フニー(Adansonia Fony)といわれる種類のバオバブ2本が,ちょうどツイストドーナツのように絡み合っているものである.見た感じでは,1本の木にもう1本が寄り添って,巻きついているようであった.それにしても,自然の造形というものは,時に我々の想像を絶するもので,実に面白いものである.私も思わず,この木に抱きついて横恋慕しているネタ写真を撮ったりした(笑).  

ゼブ牛の大群が我々の行く手を阻む

右側の方がガイドのラペさん,左が運転手.

白昼のバオバブ並木は夕方とはまた違った雰囲気です
 

こうして見ると,まさに悪魔が木を逆さまにして植えた感じです


愛し合うバオバブ

湿地帯の影響を受けて倒れてしまったバオバブ.徐々に危機が…
 


メナベ公園

 さて,「愛し合うバオバブ」を見学した後は,バオバブ街道への道の途中にあるメナベ公園の見学である.ここはマダガスカルに生息する動物やダチョウ,サカラヴァ族の墓のレプリカなどが展示されている施設である.ラベさんに案内されて公園内に入ると,まず我々を出迎えてくれたのは,ここで飼育されているダチョウであった.足元ではホロホロチョウが数羽うろついている.思わず「愛染かつら」主題歌「旅の夜風」の一節(“ほろほろ鳥よ〜♪”)を口ずさんだのはいうまでもない(笑).ところで,マダガスカルにはかつて,「エピオルニス」というダチョウのような外観の巨大な飛べない鳥(「千夜一夜物語」に登場するロック鳥のモデルになったといわれる)が生息していたが,今から200〜300年ほど前に絶滅してしまった(マダガスカル南部のべタンティという砂丘には,今もエピオルニスの卵の破片が散らばっているのが見られる).この公園で飼育されているダチョウは,南アフリカ産らしいのだが,もしかして「エピオルニスは絶滅してしまったのでダチョウで我慢してください(泣)」という意味で展示しているのだろうか?
 この公園ではダチョウ以外にも,キツネザル(イタチキツネザルだった)をはじめとしたマダガスカル産の動物達を飼育・展示していた.イノシシやフォッサ(食肉目の動物の一種)などの哺乳類,コザクラインコに似たインコの一種やムクドリ(モーツァルトが飼っていたのと同種かどうかは不明)などの鳥類,各種のヘビやカメレオンなどの爬虫類が展示されていた.
 しかし,メナベ公園の展示の目玉は,実はもっと別なものであった.そう,
サカラヴァ族の墓のレプリカである.一体何が凄いのかといえば,その彫像である.人の姿なのだが,その描写がモロなのである.かつては本物のサカラヴァ族の墓が,観光スポットのひとつにされていたのであるが,

未舗装の道路なので車が通るとご覧の通りです

メナベ公園に向かう途中の集落です

メナベ公園ではダチョウが放し飼いになっています

こちらはモーツァルトも飼ってたムクドリです
 
その彫像のモロさ加減のゆえに大部分が盗難にあってしまい,今ではレプリカで公開するよりほかなくなってしまったということである.しかしそれにしても,人間の性というものは,どこの国でも大して変わらないものなのだなあ…と,改めて思ったのであった.  

イタチキツネザルは夜行性なので暗がりに隠れていました

ダチョウに追われて逃げ惑う私(ネタ写真です)

見ての通りです(笑)
 
     
 
サカラヴァ族のお墓のレプリカです(見ての通りなのでコメントはなしです).
 


ベタニア漁村

 メナベ公園の観光を終えた我々は,再びムルンダヴァの町に戻った.今度はホテル裏の岸辺から海を隔てて反対側にあるベタニア半島を訪ねるという企画だ.
 ベタニア半島にはヴェズ族という種族の村があるのだが,ここは電気もガスも水道もなく,本当に昔ながらの生活が営まれている村なのであった.マダガスカルでムルンダヴァを訪問するツアーでは,各社とも必ずこのベタニア漁村に立ち寄る日程になっており,それだけマダガスカルの人々の生の生活に触れることができる場所というわけなのだろう.
 ホテル側の岸辺に行くと,一艘のアウトリガーカヌー(船体の脇に浮子が付いたカヌー)が待っていた.これに乗ってベタニア漁村を訪ねることになる.私とK,そしてラペさんが乗り込むとカヌーはゆっくりと海に乗り出した.漕いでいるのは屈強そうな黒人の男性である.海とはいっても半島の入り江は波もなく穏やかである.周囲はマングローブの林が広がっており,海というより川のような景色だ.ふと見ると,近くに我々が乗っているのと同じようなカヌーが走っていたが,どう見ても定員オーバーといった感じで船体がかなり深く沈み込んでいる.大丈夫なんだろうかと心配になった(乗っている人々は誰も不安そうな表情はしていなかったが).
 10分ほど揺られていると,船の先に家々が点在する陸地が見えてきた.どうやらあれがベタニア漁村らしい.

ベタニア漁村の全景です

アウトリガーカヌーに乗って上陸します.この海はモザンビーク海峡です

どう見ても定員オーバーのカヌーです
 
よくNHKなどのドキュメンタリー番組で目にする,アフリカの漁村そのものといった感じの村である.
 藁葺き屋根のような素朴な造りの家々が集まって,集落を形成している.ロープを張った上に洗濯物が多数干してあり,素朴な日常生活を垣間見るようであった.集落には井戸があり,生活用水はここから得ているようであった.おそらくここの人々は,もう何十年(いや,それ以上?)にも亘って,このような生活スタイルを守ってきたのであろう.浜辺では魚釣りをしている人もおり,我々は獲物のシュモクザメを見せてもらった.入り江の向こうにはモザンビーク海峡が広がっており,まさにアフリカの海岸地方といった風情をかもしていた.そして我々は再びカヌーに乗り,ホテル側の岸辺へと戻ったのであった.
 

ベタニア漁村上陸での記念撮影でした

ベタニア漁村の風景.ピンクの花が綺麗です

本日の漁の収穫を見せてもらいます(サメのようです)
 


再びイヴァトゥ国際空港へ

 ホテルへ戻り,昼食となった.だいぶ腹の具合も落ち着いてきたようである(それでもまだ厳しいが).ここでKは鴨のローストを注文していたが,肉に弾力性があるせいか,それともナイフの切れ味が悪いのか,なかなか切れずに苦戦していたようであった.彼女は「もしかして鴨は鴨でも粛清された芹澤鴨の肉なんじゃないか」とさえ言っていた(笑).
 それでも何とか昼食を終え,我々はホテルを後にすることとなった.ホテルの前から車に乗り,ムルンダヴァの町に別れを告げる.この町はアラブ系の人も多いため,街中にはモスクがあった.実は我々は,今までモスクを生できちんと見たことがなかった.それまでまとまった数のイスラム教徒がいる地域に行ったことがなかったためである.さすがに車窓越しで,中に入って見学することはできなかったが,これもまた良い経験であった.それ以外では,この町はまた素朴な町並みであった.
 ムルンダヴァの空港に着き,我々はここからまたイヴァトゥ国際空港へ飛ぶ便に乗ることとなった.空港内に入ると,隅のカウンターにゲストブックがあるのを見つけた.早速私達も記帳したことはいうまでもない.搭乗手続きを済ませ,のんびりと搭乗までの時間を過ごすこととなった.空港内には寄生虫疾患に対する注意を促す旨の記事や,児童買春撲滅を呼びかける旨の記事が書かれたポスターが何枚か貼られていた(このようなポスターが貼られているということは,裏を返せばそれだけこれらの問題がこの国では深刻であるということの傍証であろう).特にKは寄生虫関連のポスターを真剣に見ていた.
 そのようにして飛行機の到着を待ち,この国らしくかなり遅れて到着した便に乗り,我々はムルンダヴァを後にしたのであった

小さい子供でも上手にカヌーを操っています

こちらは漁をしている船です(ホテルのテラスから)

ムルンダヴァの街です(結構賑やかな感じです)

ムルンダヴァ空港の前に立つ私です(暑いです)
 


イヴァトゥ抜け道マップ

 飛行機は約1時間強といったところで,イヴァトゥ国際空港に降り立った.今日はここから車で約3時間ほどかけて,ペリネ自然保護区のあるアンダシベへと向かうことになっている.空港から外に出ると,例によって車が待っていた.早速出発である.しばらく走って市街地に入ると,もの凄い渋滞!交通網が整備されているわけでもなく,片側一車線の普通の道路である.まして夕方,ちょうど帰宅ラッシュの時間帯である.このままこの主要道路を走っていたのでは,今夜の宿泊先に付くのは明け方になってしまいかねない(誇張ではない.本当に凄まじい渋滞なのだ).自動車の数が多いのもさることながら,とにかく歩行者がメチャクチャ多い.まさに人の洪水だ.人の波をよけながら自動車が走っている感じである.考えてみれば公共交通機関が発達していないマダガスカルでは,徒歩は極めて重要な交通手段なのだ.そこでガイドの提案で,この主要道路を一旦抜けて,裏道を通ることになったのである.なお,この幹線道路を走っている途中で,我々は水汲み場でバケツ持参で水を求める市民の姿を見かけた.そう,普段水資源の豊富な日本,しかも龍泉洞の水に代表される美味しい水に恵まれた岩手県に住んでいると忘れがちであるが,世界中ではこのように上下水道が完備されていない地域のほうが圧倒的に多いのである.
 それはともかく,抜け道である.我々の乗った車は,住宅街の道路のようなところを通ることにしたのであるが,この道路が凄い!舗装などされておらず,深い轍でボコボコなのである.まさに四輪駆動車でなければ走れなさそうな道路である(住宅街なのに).しかも途中では牛馬も歩いている.その意味では,幹線道路よりもスリリングな体験をすることができた,そんな抜け道であった.

マダガスカルの玄関口であるイヴァトゥ国際空港

もの凄い渋滞です

幹線道路沿いの水汲み場

住宅街(?)の抜け道です.空いてはいますが凄い道です
 


ペリネ保護区へ

 どこをどう走ったかのかは全く解らなかったが,ようやく周囲から車の数が減り,マダガスカルらしい(?)一般道路になってきた.
 とっくに日も暮れていて真っ暗な中を走る.日本であれば,街燈があったり,ファミレスがあったりでそれなりに賑やかな街道筋であろうが,ここマダガスカルにはそのようなものはない.ひたすらに闇の中を走るだけだ(時折やってくる対向車のヘッドライトだけが明りらしい明り).
 そんな道をひたすらに走り,ようやく町に入って車が停まった.着いたのかと思ったら,ガイドのラペさん曰く,「ちょっと私達の夕食を買ってきます」.そうなのだ,私とKにはホテルの夕食が待っているが,彼ら(ラペさんと運転手)は自分の食料を調達していかなくてはならない.ここを過ぎると,食料を買える場所はないということらしい.
 ラペさんたちの買い物が終わって再び走り始める.街を離れて今度は森の中に入った.対向車とすれ違うことができるのか不安になるほど道幅は狭く,未舗装の道路をひた走る.本当にこの先にホテルなんかあるのか不安になってきたが,しばらく走ると湖畔になり,向こう側に明りが見えてきた.どうやらあそこがそうらしい.そこからしばらく走ってようやくこの日の宿泊所である”バコナロッジ(VAKONA LODGE)”に到着した.
 バコナロッジは,例によってバンガロー形式の宿泊施設であるが,これまで泊まったホテルの中では一番立派だった(結局今回の旅行では,後になるほどホテルが立派になるという法則があった.逆だったら悲惨だ).
 すでに夜10時近くになっており,レストランはしまっているとのことで,我々の夕食はルームサービスタイプの食事だった.内容はゼブ牛のステーキにトマトサラダ,パンにデザートだった.アルコールは部屋の冷蔵庫からビールを出して飲んだ.山深い場所のせいか,ヒーターが入っているものの結構寒かった.
 その後シャワーを浴びて,長距離移動の疲れからか,我々はすぐに爆睡モードに入った.
 



 

マダガスカルトップへ   旅行記(5)へ   旅行記(7)へ