ビザンチン皇帝の部屋 本文へジャンプ
アクセスカウンター
 SINCE 2011年9月25日
       

オーストリア旅行記(9)


2006年6月17日(土)


帰国の日

 あけて6月17日土曜日,いよいよ帰国の日である(まだまだ当地に滞在して休暇と洒落たい我々にとっては,まさに「涙の日(Lacrimosa)」).朝起きて朝食を摂り,部屋で荷物をまとめる.外を見渡すと昨夜からの続きで雨が降っていた.
 荷物を下ろしてチェックアウトをすべく,フロントに行くとライブデスクの現地係員の女性が待っていた.この女性は元々音楽関係の仕事で40年ほど前からこの町に住み始め(モーツァルテウム管弦楽団でバイオリンを弾いていたらしい),そのままここでガイドの仕事もするようになったということである.しかも我々の所属する合唱団にかつて在籍していた女性と,深い付き合いをされているらしい.世間というものは結構狭いものである.「何か気になったことはありませんか?」とのことだったので,Kは昨日のこと(ザンクト・セバスチャン教会に行ったらモーツァルトの父親の墓標が無くなっていたこと)について質問していた.この係員の女性の話によると,例のDNA鑑定に際し,墓を掘り返すということで,その行為自体に対し,かなり大きな誹謗中傷があったらしい(まあ,そうだろうな……).恐らくそのような事情も絡んでいるのだろうということであった.そのほか,元々音楽関係の仕事をされていた方ということで,モーツァルトや彼の作品に思いをはせながらいろいろと世間話をしていたのであった.
 そしていよいよ出発の時間である.我々はスーツケースを車に積んでもらい,自分たちも乗り込んだ.ちなみにドライバーはヴォルフガングさんという名前らしい(名づける時にモーツァルトを意識するかどうかは不明.もっとも,男性の名前としてはポピュラーらしいが).来る時は優雅に列車の旅であったが,帰路は飛行機である.空港までの道はすっかり雨道である(我々が帰る日になっての雨である).

Mozart2006と描かれたオーストリア航空の飛行機です

オーストリア航空の国内線の機内です

ザルツブルグ地方の小さな町が見えます

オーストリア土産と戯れる我が家のハムスターです
 
 ザルツブルグの空港はザルツブルグW.A.モーツァルト空港という(日本でいえば「高知龍馬空港」みたいなもの).地方空港ではあるが,国際線も発着しており,意外と大きかった.
 オーストリア航空のカウンターでチェックインを行って,係員の方と別れた.少し時間があったため,空港内の売店をひやかした(モーツァルトの絵柄が描かれたお猪口やお菓子PEZの買いだめをした).
 ウィーン行きの飛行機は小型のプロペラ機だった.なんたって列車でも3時間の距離である(東京-名古屋より近い).それほど需要が多いわけではないのだろう.時間になってプロペラ機はゆっくりと飛び立った.プロペラ機なんていつ以来だろう(実は2004年夏のプララン島-マヘ島以来である).などと,感傷に浸っているうちにもうウィーンについてしまった(は,はやい).
 プロペラ機を降りて,今度は日本へ向かう国際線に乗り換える.乗り換え時間が1時間程度で意外に短く,2003年のオスロの危機を思い出したが,今回は荷物の預け替えの心配もなく楽に事は進んで,我々は再び機上の人となった.
 現地時間の14時5分,オーストリア航空51便は日本に向けて飛び立った.私にとっては2度目のオーストリア,楽友協会でウィーンフィルの定演も聴けたし,ライモンディの歌声も生で楽しむことができた.国立歌劇場で魔笛も観られたし,各地でモーツァルトの足跡に触れることもできた.そして何と言っても,クロハラハムスターに会えた(剥製だったが)のは大きな収穫であった.今回の旅は2006年ということもあって,なんだかんだいって「モーツァルト!モーツァルト!」という感じではあったが,それでも各所で「どうでもいい事」をも楽しむことは出来たと思う.(例・クロハラとか「黒馬亭」とか)今回も実に良い旅であった.
 様々な思いを胸に抱き,我々は無事帰国の途についた.成田空港のラウンジで携帯電話の充電をして,列車に乗って帰路に着き,途中二戸の金田一温泉の公衆浴場でお風呂に入り,旅の疲れを洗い流した……のはいいが,車に戻ると携帯電話に着信が.どうしたんだと思い,電話をしてみると,なんとラウンジでパスポートを預けたまま,返却してもらうのを忘れていたのだった.旅行中は紛失しないように,誰でも細心の注意を払うものだが,無事帰国してしまうと,気が抜けてしまうようであった(泣).


         完 (明日からまた日常の世界)
 



 

 オーストリアトップに戻る   旅行記(8)へ