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オーストリア旅行記(5)


2006年6月13日(火)


ウィーンの動物園

 昨夜の魔笛の余韻に浸りながら寝ていたが,やはり体内時計に従って朝7時には目が覚めた.今日は演奏会鑑賞の予定がなく,一日中観光に当てられる日である.外を見ると,もちろん快晴である(日頃の行いが良いから 笑).納豆飯と味噌汁,そして朝っぱらからスパークリングワインの朝食をとった.
 この日の予定は,日中は適当で,夕方から”ウィーン・ナイトツアー”(ライブデスクとは別の会社でやっているオプショナルツアー)に参加する予定である.これは,プラーター遊園地で大観覧車(映画「第三の男」でオーソン・ウェルズとジョゼフ・コットンが対峙した,あの有名な観覧車である)に乗り,その後郊外のホイリゲ(新酒のワインを飲ませる,ウィーン風居酒屋)でオーストリア料理を頂くという企画であった.
 日中どうするかについては,検討の結果,シェーンブルン宮殿に行くことにした.シェーンブルン宮殿を見なければ,ウィーンを見たウチには入らないとも言われているからである.そこで我々は路面電車に乗り,そこへと向かうことにした.この路面電車は,1991年にも乗ったことがあるのだが,今回は当時走っていた車両(今回我々が乗ったのはこの古いモデルの車両)の他に,新しいモデルの車両も見かけることができた.この新車両は,外観の塗装が成田エクスプレスそっくりであった.
 シェーンブルン宮殿は,ハプスブルグ家の夏の離宮であり,18世紀の女帝マリア・テレジアが,フランスのベルサイユ宮殿に負けるなとばかりに気合を入れて作らせた(当時オーストリアとフランスは犬猿の仲であり,たびたび戦争をやっていた.16世紀の神聖ローマ皇帝選挙でハプスブルグ家のカール5世とフランス・ヴァロア家のフランソワ1世が争って以来の敵対関係)宮殿である.幼い頃のモーツァルトもここで演奏をやっている.
 ところで,ここシェーンブルン宮殿の隣には動物園が併設されている.1752年には存在していたという,現存する世界最古の動物園だそうである.我々は折角だからと,まずは動物園を見物することにした.

シェーンブルン動物園 (動物園についてのリンクです)

ウィーン市内の路面電車や地下鉄が24時間乗り放題になる優れものの切符です

何となく,成田エクスプレスを髣髴させる外観です

シェーンブルン宮殿には動物園の他,温室もあります

トーテムポールのようです

道の向こうに夢殿のようなカフェがあります
 


生きものウィーン紀行

 シェーンブルン動物園は,中心に法隆寺の夢殿のような建物(ここはカフェになっている)があり,そこから放射状に伸びた通路沿いに800種の動物が配置されている(昔の網走刑務所と同じような造り 笑).入り口から中に入ると,最初のほうにはパンダやキリンといったメジャーな動物が展示されていた.パンダは雌雄2頭飼育されていて,仲良く並んで食餌をとっていたが,残念ながら我々には背中を見せていて,そう簡単に顔を見せてくれなかった.仲良しに見えるつがいであるが,繁殖させようという計画はあるのだろうか.(パンダの繁殖は大変難しいそうであるが)またこの近くには,コアラの飼育舎もあった.コアラは木の上で心地良さそうに眠っていた.コアラは日本国内の動物園でも飼育されているが,国内だとなかなか見に行く機会がないため,今回ここで見ることができたのは幸運であった.

コアラが寝ています

パンダはあっちを向いたままで振り返ってくれません
 

 これらの動物を観察して,しばらくは順路に従って歩いていく.場所によっては同じ大陸に生息する動物2〜3種を,同じ区域で飼育しているコーナーもあった.その1つとして,南米産の動物と鳥を集めた一角があった.同じ敷地内に,ラクダの仲間で絶滅危惧種でもあるビクーニャ,世界最大の齧歯類といわれるカピバラ,ダチョウの仲間ダーウィンレア,そしてカンムリサケビドリが展示されていたのである(もっとも,同じ南米産といっても,ビクーニャはアンデスの高山帯,カピバラはアマゾンの湿地帯,鳥類2種は主にパンパス地帯などと,棲んでいる区域が微妙に違うような気もちょっとするのであるが).その他,カバや象(妙にやせこけていたのが気になったが),野牛やプレーリードッグやシママングース,更には白熊やペンギンといった寒い地方の動物もいた.また,途中には昆虫館と呼ばれる,主として昆虫を取り扱った建物があり,ここにはバッタの拡大模型(ミニチュアではなく拡大模型である)が展示されており,何か圧倒される気分になった.ちなみにここには,日本でならよく見かける,ウサギやモルモットに触れるという形の,いわゆる「ふれあいコーナー」のようなものはないようだ.しかし私もKも動物を見るのは好きなため,ここを本気で見ると宮殿を見学する時間が無くなってしまいそうなので,一部の施設(熱帯雨林館など)は割愛せざるをえなかった.なお,前日に自然史博物館で剥製を見ることのできた,クロハラハムスターの生体はいないかなぁ

キリンです

ワニの大きな口

妙に痩せこけた象
 
と思って見てみたが,残念ながら飼育や展示はしていないようであった.
 ひと通り見学した後,例の夢殿のようなレストランに入って昼食(スパゲティミートソースを食べた)にした我々であった.
 

水牛です

プレーリードッグです

バッタの拡大模型

大迫力!
 

ゾウガメです(セイシェルが懐かしい)

夢殿みたいなレストハウスです

内部にはハプスブルグ家の装飾品が

ここはちょっとしたカフェになっています
 


シェーンブルン宮殿

 午後からはいよいよシェーンブルン宮殿の見学である.前述したように,この宮殿はハプスブルグ家の夏の離宮であり,あのモーツァルトが幼少時にマリア・テレジアの御前演奏をやった場所でもある.宮殿の前には広大な庭園が広がっており,迷路や温室のほか,なんと日本庭園まである(20世紀初頭に作られたらしい).宮殿の中には数多くの部屋があり,ガイドフォンを聞きながら(ここには残念ながら日本語のフォンはない)順番に進んでいく.途中2006年秋にNHK BS Hi-visionで放送された,「毎日モーツァルト」の特番(案内人の山本耕史氏がウィーン,ザルツブルグ,プラハを旅する企画)で出てきた,1760年のヨゼフ2世の結婚記念コンサートの絵も飾ってあった.この絵には観客の中に,幼いモーツァルトが描かれている.実際にこの演奏会にモーツァルトが参加したわけではなかったが,当時の有名人として描きこまれたのだった(山本氏は「あ,こっち見てる.いやー,思いっきりカメラ目線ですねぇ」といっていた).
 ちなみにこのシェーンブルン宮殿の見学チケットには何種類かあり,それぞれ見学できる範囲が決まっている.全室の3分の2を見学できるインペリアルツアーや,全ての部屋を見学できるグランドツアーの他,温室や動物園も見学可能なゴールドパスなんてのもあった.動物園も見学するつもりだった我々はゴールドパスを購入したのだが,宮殿見学の途中で係員に「ここから先は行けない」と言われてしまった.ゴールドパスはグランドツアーを含んだチケットであり,宮殿内どこでも見学できるはずだと食い下がって,通してもらったが,時に良く分からない係員がいるため(もしかしたらこの係員はパスの存在を良く分かっていなかったのかもしれない),我々観光客は注意が必要である.

シェーンブルン宮殿の正面口

シェーンブルン宮殿はハプスブルグ家の夏の離宮です

宮殿にある日本庭園

確かに,日本の庭です
 
 ひと通り宮殿内を見学し終わった我々は庭園に出て,正面に見えるグロリエッテ(小高い丘の上にある砦のような建物)を目指すことにした.このグロリエッテは戦争の記念碑として18世紀に建てられたものである.パッと見ると近そうに見えるが,実際歩いてみると,これがかなり遠いのであった.丘をエッチラオッチラ登っていくのはなかなかしんどい(しかも,丘も綺麗に刈り込みがなされており,最短距離を歩くことは許されず,道に沿って迂回しなければならない.足の悪い人はかなりつらいのではないか).約15分ほど汗だくになりながら歩いて,やっとたどり着いた.グロリエッテから見下ろす宮殿の眺めは見事なものだった.  

シェーンブルンをバックに

はるか後方がグロリエッテ

宮殿の庭の小路です
 

やっとグロリエッテに到着

グロリエッテから宮殿を

バロック様式の幾何学的な庭
 

実はこれ,1991年の旅行の際に撮ったパノラマ写真です
 


プラーター遊園地の大観覧車

 シェーンブルン宮殿・動物園の見学を終えた我々は地下鉄でウィーン市内に戻り,まだちょっと時間があったため,ウィーン国立歌劇場に併設されている売店で買い物をすることにした.ここでは主にCDや音楽をモチーフとした各種グッズが売られているのだが,とりわけ我々の目を引いたのは,ショーウィンドーに飾られたある1枚のTシャツ.なんと日本語で「モーツァルト」とプリントされているではないか!(笑).「日本人以外に買う奴がいるのか〜?」と言いながらも,我々もつい購入してしまった(苦笑).ちなみにこのTシャツを実際に着用している人はさすがに見かけなかった.
 買い物が終わった後ホテルに戻り,シャワーを浴びて着替えをする(さすがに今夜はコンサートではないため,気合が入った服にはしない).本日の集合場所は国立歌劇場の裏手である.予定時刻の5分前に待ち合わせ場所に着いたところ,そこには川平慈英似のお兄さんがひとり立っていた.我々がキョロキョロしていると,件のお兄さんが寄って来た.「○×サンですね.お待ちしていました.あちらのバスにどうぞ」と,向こうに停車中のバスを指差した.「なんだ,みんな早いじゃないか」と我々もバスに乗り込んだ.バスにはすでに15, 6人位の先客が乗っていた.
 まもなくバスは走り出し,それに伴って件のお兄さんの説明が始まった.「これからまずプラーター遊園地へと向かい,「第三の男」で有名な大観覧車に乗って頂きます.その後ウィーン郊外のホイリゲへと向かい,ワインとオーストリア料理を味わいながら,シュランメル(ホイリゲで奏でられる昔ながらの音楽)の生演奏を楽しんでいただきます」なお,このお兄さんは,その洋風の顔立ちから絶対ハーフだろうと思っていたが,実は純粋な日本人らしい.ともかく我々は,このお兄さんの説明に耳を傾けながら,バスに揺られていたのである(後でわかったのだが,このツアー参加者は我々以外みな同じ旅行会社のツアー客らしい.そのイベントに我々が加わったという話であった.どうりでみんな早いはずだ)
 ほどなくして我々は,このツアーの最初の目的地・プラーター遊園地に到着した.ここは元々は貴族の狩猟場であったが,1766年にヨーゼフ2世によって一般市民に開放され,以降市民の憩いの場として親しまれている.モーツァルトもよくここでの散策を楽しんだらしく,新婚時代には妻コンスタンツェに「もしここでぼくたちが喧嘩を始めたら,(そのとき一緒に連れていた)この犬がどんな反応をするだろうね」と言って「実験開始」(殴りかかる真似)をしようとしたところ,お忍びで散歩していたヨーゼフ2世に「おやおや,もう夫婦喧嘩かね?」とつっこまれたというエピソードもあるらしい.なお,彼は「プラーターに行こう」(K.558)というタイトルのカノンも作曲しているが,その歌詞は「プラーターで会えるのは 蚊とう○この山さ」といったしょーもないものである(今から40年以上前にこの歌を含むカノン集のレコードが出た際に,日本語の解説を担当した人が,お下品な歌詞をそのまま書こうとしたところ,会社側の人から大クレームがきて,いくら「これはモーツァルト本人が書いたことだから,単なる事実を書いたまでです」と言っても取り合ってもらえずに,下品な歌詞は全部伏字にされてしまったというエピソードが,「モーツァルト大全集」の解説書に紹介されていた.「アマデウス」が上演されるずっと前,モーツァルトの“お下品”な一面など世間にほとんど認知されていなかった時代の話である).1873年(明治6年)には万国博覧会がここで開催され,日本も参加したということである.
  しかしなんと言っても,ここを有名にしたのは,あの「第三の男」であろう.よって当然我々も,この映画で最も重要なスポットになったともいえる大観覧車に乗ることとなった.この観覧車は1897年設計という,世界最古の観覧車である.皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の即位50年を記念して建造され,第2次世界大戦で爆撃されるまでは30基のゴンドラで(現在は15基)稼動していたということである.ゴンドラ1基は25人乗りということで,傍から見るとマイクロバスぐらいのサイズはありそうである.我々はチケットを受け取って,順番を待つことにした.ところでこの観覧車は,ゴンドラ1基を借り切って結婚式やパーティーをすることもできるらしく,我々が来たときも,あるグループがパーティーをやっていた.楽しそうである.ほどなくして我々がゴンドラに乗る番となった.ゴンドラの中は結構広く,ゆったりと腰掛けることができる.壁には世界各国からやってきた人の落書きが多数残されていた.やはりこういう場所では,落書きがしたくなるのが人間の性というものか.

国立歌劇場前にはモーツァルトとワールドカップが一体化したようなものがあります(笑)

どう見ても日本人観光客向けのお土産です(笑)

オーストリアにはカンガルーはいません(笑)

結局,我々も購入してしまいました(笑)

これが有名な大観覧車です

これは1991年の写真です

同左(なんて若いんだ!!)

観覧車とジョゼフ・コットン(映画「第三の男」より

マイクロバス位の大きさがあるゴンドラです

第三の男ではここで有名なシーンが行われました

ゴンドラからはウィーン市街がよく見えます

隣のゴンドラは結婚式かなにかのイベントのようです
 
 我々の乗ったゴンドラはゆっくりと高度を上げてゆく.眼下には遊園地の他のアトラクションや,ウィーンの町並みが見える.6月なのでこの時間でも外は明るく,さすがに夜景というわけにはいかないが,ここは地上65m,よい眺めである.そして旧市街で最も目立つのは,やはりシュテファン寺院である.こうして見ると,いかにシュテファン寺院が巨大な建造物であるかがよくわかる.今回は明るい状態での町並みをゴンドラから眺めたわけであるが,もしここにまた来る機会があったら,是非ここからの夜景を楽しんでみたいものである.ウィーンの町並みを楽しみながら,ゴンドラはゆっくりと回り,一回りして降りる時間となった.
 大観覧車から降りて,しばらく土産物店で過ごしていたが,今回はあまり時間がないため,他のアトラクションは見ることができなかった.いつか半日くらい使って,のんびりと遊園地全体を見てみたいものである.そして我々はまたバスに乗って,次はホイリゲである.
 


ホイリゲの夜

 ホイリゲとはheuriger Wein(今年のワイン)を意味するが,今年のワインを飲ませる店という意味もあるらしい.ウィーン郊外にはブドウ畑が広がっており,いたるところで地場ワイン(地ワイン?)が楽しめるが,特に19区はホイリゲが多くある場所として有名である.プラーター遊園地を後にした我々はバスでこの19区に向かった.途中ベートーベンの夏の家(1808年夏にベートーベンが滞在し,ここで田園交響曲の構想を練ったといわれる家)を過ぎて,坂道を登っていくとあちこちに民宿風の店らしき建物が見えてきた.どうやらこれがホイリゲらしい.そのたたずまいは,最近日本でも増えてきた,民家を改造したお蕎麦屋さんを髣髴させる.これらホイリゲのひとつに我々も入った(残念ながら店の名前を忘れてしまいました).
 店に入り,まずはテーブルに案内される.木製のテーブルと長いすはアウトドア用品を髣髴させた.座って待っていると,パンとチーズが出てきた(お通し代わりか?).次にデカンタに入った赤白のワインが並べられる.このワインを好きなだけ,ジョッキで(グラスではない!)ゴクゴクと飲むのである(周囲を見渡すと,現地人と思しきおっさんが,本当にゴクゴクと飲んでいた).
 ワインを飲んでいると,楽器を手にして,オーストリアの民族衣装を着た人たちが入ってきて演奏を始めた.なんだかディナーショーの趣になってきた.

プラーター公園を後にします

バスでホイリゲに向かいます

演奏が行われます
 
見たところ平均年齢が低そうなところから,地元の音大の学生がアルバイトでやっているのではとも思った.演奏を聴いているうちに,キャベツの煮た奴やハムなのかチャーシューなのかよく分からない肉などが出てきた(日本でいえば漬物ごった煮であろうか.この辺のアバウトさが,ホイリゲのよさでもある).それらの料理を味わいながら,生演奏に耳を傾ける我々であった.曲は「ヴィリアの歌」(レハールの「メリー・ウィドウ」に出てくる曲)や,J・シュトラウスの「こうもり」などの,ウィーンでなじみの深い曲が中心であった.ちなみに我々は,学生時代に「メリー・ウィドウ」に出演したことがある(当時住んでいた弘前市の市民オペラ団体での公演である)ため,これらの曲は懐かしさを感じるものがあった.
 こうしてワインと食事を味わいながら,音楽とダンスを楽しみ,ホイリゲの夜は過ぎていった.ほろ酔い気分で我々は再びバスに乗り込み,それぞれのホテルへと戻ったのであるが,我々以外の参加者はみんな別のホテルで降りてしまい,我々だけ別途グランドホテルまで送られたのであった.
 さあ,明日からはいよいよ,ザルツブルク編のスタートです(山本耕史風に 笑).
 

ジョッキでワインを飲みます

お店の女将さんのようです

様々なエンターテイメントが
 



 

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