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 SINCE 2011年9月25日
       

オーストリア旅行記(1)


オーストリア旅行決定のいきさつ


モーツァルトイヤー

 2006年は偉大な作曲家W.A.モーツァルト(1756〜1791)の生誕250年の記念の年である.端数に50があるのが何となく気になるが,生誕300年まで待つと2056年になってしまい,さすがの私もそこまで生きている自信があまりないため(なにせ90歳だ),まあ許してあげよう.本当は今年はショスタコービッチの生誕100年(こっちのほうがよっぽどキリがいい)なのだが,知名度が低いためか全く盛り上がっていないようだ(仙台の新星堂でも年初めには,ショスタコービッチ生誕100年コーナーを設けていたのだが,あまりにも注目されないためか4月に行ったら撤去されていた 泣).その点モーツァルトは知名度抜群,大いに盛り上がっている.2006年1月からはNHK BS2およびハイビジョンで「毎日モーツァルト」という10分間番組を放送しているのだが,案内人に”あの”山本耕史氏を起用していることも手伝ってかなり人気があるようだ(ウチのKもほとんど毎日欠かさず見ている).
 こんなわけで今年の旅行は何となくモーツァルト絡みになりそうな雰囲気が漂ってはいたのだが,それでも年初段階ではインド洋に浮かぶ大きな島であるマダガスカル島に行こうという企画もあり(マダガスカルでワオキツネザルを見ようと盛り上がっていた),旅行会社の資料を取り寄せたりしていたのであった.しかしモーツァルトイヤーが徐々に盛り上がり,テレビでも特集番組が次々と放送されるようになると,様相が大いに変わってきた.Kがテレビでモーツァルトの特集番組が放送されるたびに,「あー,やっぱりウィーンに行きたい,ザルツブルグに行きたい」と言い出したのである.1月に「毎日モーツァルト」が始まった頃から何となくそんな予感がしていた私は,「ウッ,来たか」と思っていたが,3月にはいるといよいよ我が家はモーツァルト一色になってきた(ユニバーサルミュージックのCD180枚組みのモーツァルト大全集を購入したのもこの頃であった).
 そういうわけで今年の旅行はオーストリアになりそうな感じになってきた(何となくそういう雰囲気になっていったというのが実感である).さて,実際にオーストリアに行くとして,どんな旅行にするかである.実は私は1991年夏にウィーンに行ったことがある.まだ学生時分の頃でバックパッカーのように安宿に泊まりながら約1ヶ月間ヨーロッパ各地を回ったのである.東西統一直後のベルリンやまだ改装中のルーブル美術館などに行ったのだった.ちなみにこのとき利用した航空会社はアエロフロートのモスクワ経由パリ行きであった.帰路モスクワ滞在中に世界を驚かせたソ連保守派のクーデター(当時のゴルバチョフ大統領が監禁され,赤の広場でエリツィンが戦車にまたがってシュプレヒコールを挙げていたあの事件)が発生したが,私は帰国までそのことを全く知らなかった(帰国して空港で多数の報道陣に囲まれて,「現地の様子はどうですか!」と聞かれて「????」となってあきれられたのだった.そういえば帰りにモスクワの空港でやけに軍人がたくさんいるなぁとは思ったが).情報がないことがいかに恐ろしいことか痛感した次第であった(知っていたら野次馬根性を出して赤の広場に行ったかもしれない 笑).それはともかく今回の旅行である.Kはせっかくモーツァルトイヤーに行くのだから,演奏会にも是非行って見たいという希望であった.さて,モーツァルトといえば何といっても生地のザルツブルグ,そして夏のザルツブルグ音楽祭が有名である.特に今年のザルツブルグ音楽祭は,モーツァルトイヤーということで,オール・モーツァルトのプログラムで準備しており,特にアーノンクール指揮で,アンナ・ネトレプコがスザンナを歌う歌劇「フィガロの結婚」は発売と同時にチケットが売り切れそうな人気ぶりであった(カシオペア・スイートみたい).我々としても是非ザルツブルグ音楽祭には行ってみたいと思ったのだが,やはり今年の音楽祭は人気も高く,しかも旅行代金もメチャクチャ高そうであった.実際,後でザルツブルグ音楽祭期間のツアー代金を見たら,まさに目が飛び出そうな感じであった(セイシェルでレムリア・リゾートに泊まれるくらいのお値段).普段納豆飯を食いながら夏休みの旅行代金を捻り出している我々にとっては,きつすぎる出費である.そんなわけでザルツブルグ音楽祭は諦めた(モーツァルトブームが去って値段が安くなってから行きたいと思っている).そこで音楽祭期間をはずして,かつ演奏会が観られる時期の旅行ということになる.ヨーロッパの演奏会シーズンは9月に始まり翌年の6月に終わるのがパターンである(7,8月は夏休み).このため我々は6月の旅行を選んだ(日本では6月は梅雨時で天気が悪いが,ヨーロッパの6月は初夏で最も気候が安定した時期である.しかも6月はヨーロッパ人も日本人もバカンスシーズンには早く,旅行代金も安いなど,旅行には最適の月なのである).
 


ロイヤルロード銀座

 さて,旅行時期が決まると次はどこの旅行会社に頼むかである.オーストリアはかなりメジャーな場所なので,航空券とホテルを自分で手配して行ってもいいのだが,今回は演奏会のチケット手配もしなければならないということで,結局旅行会社に頼もうということになった.そんなある日,たまたま盛岡市内のJTBをひやかしていた時に見つけたのが,JTBロイヤルロード銀座(ライブデスク ライブドアとの関係はないらしい)のパンフであった.この会社はヨーロッパの音楽絡みのツアーを中心に取り扱っており,特にベルリンフィル,ウィーンフィルなどのメジャーどころのチケット入手を得意としているとのふれこみであった.我々もせっかく行くからにはこれらメジャーなコンサートには是非行きたいと思っていたため,それではと,この会社に頼むことにした.

これが2006年夏のライブデスクのパンフレットです.盛岡市内のJTBで見つけました
 
 旅行会社も決まり次は日程である.今回は演奏会鑑賞が柱であるため,演奏会の内容に合わせて日程を決める必要がある.我々はライブデスクのパンフに載っている各地の演奏会日程とにらめっこしながら,行きたい演奏会を物色した.検討の結果行きたいと思った演奏会は次の通りである.

  6月11日昼  ウィーン・フィル定期演奏会 於:ウィーン楽友協会
  6月11日夜  歌劇「コシ・ファン・トゥッテ」 於:アン・デア・ウィーン劇場
  6月12日夜  歌劇「魔笛」 於:ウィーン国立歌劇場

  6月15日夜  歌劇「セビリアの理髪師」 於:マリオネット劇場

の4つであった.本当は「フィガロの結婚」や「ドン・ジョバンニ」も是非観たかったのだが,残念ながらこの時期のウィーンでは上演していないようであった(2006年のプラハでは「ドン・ジョバンニ」を毎日やっているらしかったが).さあ,最初の3つは3つともなかなかメジャーな演奏会である.特にウィーンフィルの定演は本来会員のみに販売される,入手が難しいチケットである(会員のキャンセル分が一般の市場に流れる).果たして取れるのだろうかと不安になったが,チケットの入手に自信がある会社らしいので信用して頼むことにした(3月中に申し込みをした.形態はウィーン4泊,ザルツブルグ3泊のフリープランである).
 その後5月の連休が明けるまで何の連絡もなかった(出発の1ヶ月前).さすがに楽天的な私も不安になってくる.まさかマックスエアーサービス(中国の会社を通じてサッカーW杯の観戦チケットを手配しようとしたところ,チケットが確保できず,W杯開幕直前になって観戦ツアーを中止する羽目に陥った会社である.そう,この年はサッカーW杯ドイツ大会の開催年でもあった)みたいに「やっぱりチケット取れませんでした〜(泣)」とか言ってくるんじゃないだろうななどと思ってしまった.しかしそこはさすがに天下のJTBの名を冠した会社であり,5月中旬からボチボチ連絡が入るようになった.まず「コシ・ファン・トゥッテ」のチケットが入手され,5月下旬には「魔笛」のチケットも取れた旨連絡が入った.ウィーンフィルの定演はさすがに難易度が高く,我々も半分諦めていたのだが,出発当日になって確保された旨が知らされたのだった.かくして希望のチケットは全て手に入り(さすがライブデスク),いざ出発となった.
 


旅行日程


月日  旅程  宿泊
 6月10日(土)  成田 − ウィーン  グランドホテル ウィーン
 6月11日(日)  ウィーン滞在  グランドホテル ウィーン
 6月12日(月)  ウィーン滞在  グランドホテル ウィーン
 6月13日(火)  ウィーン滞在  グランドホテル ウィーン
 6月14日(水)  ウィーン − ザルツブルク  クラウンプラザ ザルツブルグピッター
 6月15日(木)  ザルツブルク滞在  クラウンプラザ ザルツブルグピッター
 6月16日(金)  ザルツブルク滞在  クラウンプラザ ザルツブルグピッター
 6月17日(土)  ザルツブルク − 成田  クラウンプラザ ザルツブルグピッター



 

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