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オーストリア旅行記(4)


2006年6月12日(月)


モーツァルトハウス・ウィーン(旧フィガロハウス)

 普段は寝坊なくせに,旅行に行くとなぜか早起きになる我々は,朝7時には起きて活動を開始した.朝食会場に行き,私はご飯と味噌汁と納豆,海苔,漬物という純和風の朝食を食べる.辺りを見るとヨーロッパ人らしき(もしかしたらアメリカ人かも)人も味噌汁を取っている.要するに他に汁物がないため,スープとして飲んでいるようだった(お椀からスプーンですくって飲んでいた).
 朝食を終えて出かける準備をする.今日も天気は快晴である.昨日の午後,モーツァルトハウスに行こうとしたら多くの観光客でごったがえしていて,結局入場を断念したため,今日は開館と同時に行くことにしたのだった.

ここがモーツァルトハウス・ウィーン(旧フィガロハウス)です
 
 ウィーンのリンク内は広くはなく,その気になれば歩いて回れる規模である.モーツァルトハウス・ウィーン(旧フィガロハウス)はシュテファン教会の裏手にあり,ホテルからも十分に徒歩圏内である.昨日も歩いたケルントナー通りを歩いてシュテファン寺院に出る.寺院の裏手に回って小さい路地を入ったところにそれはあった.   

 モーツァルトはウィーン時代合計11回の引越しをしたといわれているが,当時のままの建物が残っているのは1784〜1787年に住んでいたこの家のみである.丁度モーツァルトの生活が一番安定していた時期にあたる.ここは今年の1月に”モーツァルトハウス・ウィーン”として新装オープンしたが,以前はフィガロハウスと呼ばれていた(歌劇「フィガロの結婚」をこの家で作曲したため).
 実は私は15年前にこのフィガロハウスを訪れたことがあった.当時は,何の変哲もないモーツァルト時代の部屋に,モーツァルト関係の品が展示してあるだけのジミーな場所であった(訪れた時,客は私ひとりで,完全な貸切状態だった).そんな地味なフィガロハウスが生誕250年を機に大改装に踏み切ったのである.内部には近代的な内装や現代風の照明装置が施され,なんと!エレベーターや売店,カフェまでが設置されていた(ほとんど大阪城状態).15年前には貸切状態だったが,今では多くの観光客が訪れる超有名スポットになったようだ(昨日我々が行った時も,大勢の客が順番を待っていた).
 この日は開店と同時に入場しようと,9時45分頃にやってきた.入り口には既に何人かの観光客が待っている.我々もその後ろについて待っていた.ふと見ると中国語を話す団体客がゾロゾロとやって来て,我々の後ろでまくし立てていた(中国語なのでそう聞こえるだけで,別に怒っている訳ではないようだ).

モーツァルトハウスの前.まだ開店前なのでそれほど人がいません(でも1時間後には…)

見ての通り2006年のモーツァルトハウスは大勢の観光客でごった返しています

ちなみにこれは,1991年に行った際の旧フィガロハウスです(貸切状態!).左の写真と反対方向からの撮影です
 
 10時かっきりに開場となり(さすがドイツ系は時間に正確だ.イタリア系なら……),ゾロゾロと中に入っていく.受付でチケットを買い,ガイドフォン(ガイド音声が聞けるトランシーバーみたいなやつである.日本語バージョンもあり,当然我々はこれ)を借りていよいよ入場である.あちこちに係員が立っていて,ちゃんと順路に従って進むように目を光らせている(15年前は,どこでも勝手に歩けた).まずはエレベーターで4階に上るよう指示された.
 4階はモーツァルト時代(18世紀後半)のウィーンの様子が紹介されていた.まずここでモーツァルトの時代背景を学習しろということらしい.同時のウィーンの街や教会を描いた絵画や彫刻が展示されていた.その他にカントの「純粋理性批判」の表紙やフリーメイソン新聞(モーツァルトは熱心なフリーメイソンリーだった)なんてのもあったらしい(覚えていないが).
 ついで3階に降りる.このフロアはモーツァルトの音楽世界の分析らしい.まずはヨゼフ・ハイドンの胸像やアントニオ・サリエリなど同時代にウィーンで活躍した音楽家たちの肖像画が飾ってある部屋に入る.次は「フィガロの結婚」初演のプログラムや出演歌手のシルエット,「フィガロ…」の原作(ボーマルシェ作)の銅版画の部屋であった.以後の部屋にはドン・ジョバンニ初演プログラム,プラハの国立劇場の図面,レクイエムの楽譜や自作目録から,果ては瀉血のための発条ランセット(死の近くモーツァルトは瀉血を受けたらしく,これが死期を早めたともいわれている)や彼の死亡鑑定書,彼のものといわれるデスマスク(オリジナルは妻コンスタンツェが壊したらしい)なんてものまで展示していた.次の2階はモーツァルト時代の住居が再現されたフロアである(この部分が昔のフィガロハウスである).ここには当時の寝台などの家具やビリヤード台(当時モーツァルトはかなり羽振りがよく,高級官僚の1年分の収入を一晩の演奏会で稼ぐこともあったという)などが置いてあった(もちろん,触ってはいけませんと書いてあったが,触ったやつが一人はいると思う.例:山本耕史 笑).その他,映画「アマデウス」のビデオも流れていた.
 ふと窓から外を眺めてみると,なんと!長蛇の列,もはや15年前の面影は全くないハウスであった(おそらくガイドフォンの数だけ順番に入場させているのだろう.日本語のフォンは数が少ないから,日本人の団体観光客がいる時はピンチである).
 その後1階に降りると,ここには売店やカフェがあった.我々は売店で絵葉書や携帯ストラップなどを購入した.そして15年前とは打って変わって充実したモーツァルトハウスを後にした(入場料9ユーロ≒1300円,ちなみにフィガロハウス時代は25シリング≒230円 トホホ).
 


ブルク公園のモーツァルト像

 モーツァルトハウスを後にした我々は,そのままシュテファン寺院に戻った.そこには何台もの観光用の馬車が客待ちをしている.我々はせっかくだからと乗ってみることにした.先頭の御者に乗りたい旨を伝えると,看板を指しながら,どのコースにするか聞いてくる.どうやら乗車時間別にいくつかのコースが設定されているらしい.そこで我々は,中位の30分コースを選択した(どうも日本人は中間を選びたがる習性がある).馬車に乗り込み待っていると,ゆっくりと出発した.30分コースはリンクを1/4周して,リンク内をチョコチョコっと探索するルートであった.リンク内の石畳の道路を馬がパカパカと進んでいく.
 シュテファン寺院から西に向かい,リンクに出た.ちょうどここは王宮のある所である.王宮の中を馬車で進んでいくのはなかなか気分のいいものである(他の観光客が注目しているし,まさに皇帝の気分 笑).王宮からブルク門をくぐって,さらに道路を横切り,マリア・テレジアの像のある所(自然史博物館と美術史博物館が向かい合っているところ)に入る.ここの自然史博物館は15年前にも来たことがある場所だ.
 マリア・テレジア広場を一周してリンク通りに出ると,今度は通りを時計回りに走っていく.途中左手に国会議事堂,右手にブルク劇場(モーツァルトの「後宮からの誘拐」,「フィガロの結婚」が初演された劇場)が見える.ブルク劇場を少し過ぎたところから再びリンク内に入り,かつてベートーベンが住んでいた家(パスクヴァラティハウス)の横を通り,ペスト塔(17世紀のペスト大流行の終息を神に感謝するために,時の皇帝レオポルド1世が建てさせたもの)のあるグラーベンを通ってシュテファン寺院に無事戻ってきたのであった.

シュテファン教会前には観光客用の馬車が並んでいます

王宮の庭のカール大公騎馬像

オーストリアの国会議事堂

王宮からリンク通りに抜けるブルク門
 
 馬車での観光を終えた後,昼食にすることにした.別にどこでも良かったのだが,オペラ座の近くに「天満屋」(新選組と土佐藩士が戦った料理屋と同名 笑)という日本料理屋があったため,入ってみることにした.日本料理屋だが,テラス席もあるなど,ヨーロッパ風のところもある.ここで私はうな重を,Kは天丼を食べた.日本人以外に現地人の客も多く,ウエイターはオーストリア人であった.
 昼食後,腹ごなしも兼ねてリンク通りのブルク公園に向かう.ここには,あの有名なモーツァルトの像(2006年になって何度テレビに出たことか)があるところだ.公園ではたくさんの人が芝に寝転んで日光浴をしている(こういう,公園で日光浴をするというのはヨーロッパ人の特性である.特に北に行くほどその傾向が強い.これは恐らく,冬の日照時間の短さが関係しているのだろう).地図を見ながら歩いていくと,目指す像が目の前に現れた.私は15年前にも見ているが,はじめてのKは「オォー!」と感激した様子である.ここで記念写真を撮ったりして過ごしたのだった(ちなみに像の裏側にも彫刻が彫ってあるのだが,それは幼少のモーツァルトがクラヴィーアを弾き,父レオポルドがバイオリン,姉ナンネルが歌っている有名な絵をモチーフにしている).
 

有名なモーツァルトの像

2006年にはこの映像がどれだけテレビ等で流れたでしょうか

裏側のモチーフも有名
 


クロハラハムスター発見!

 さて,ブルク公園でモーツァルトの像と戯れた後,せっかくだからと,目の前にある自然史博物館に寄って見ることにした.ここは15年前にも寄ったことがあり,鉱物(宝石を含む)から昆虫,魚類や爬虫類から哺乳類にいたるまで,数多くの動植物や石などの標本が展示してある.まさにハプスブルグ家が700年の歴史の間に収集した貴重な資料というわけだ.私もKも生物学が好きなため是非行ってみようとなったのである.とはいっても,展示してある品は本当に膨大で,全部まじめに見ると,数日はかかってしまう.そのためある程度的を絞って見物することにした.
 1回には主として鉱物が展示されている.各種の岩石が並んでいるのだが,岩石については私もあまり詳しくないため,適当に端折って見物した(途中の宝石のところは少しゆっくり見たが).その後生物のコーナーに入る.ここには微生物(もちろん生では見られないため,顕微鏡が置いてある)から昆虫,さらには鳥類から哺乳類に至るまで,きわめて多くの動物の標本や剥製が展示してあった.変わったところでは甲殻類のコーナーに”タカアシガニ”が展示してあったのだが,なんと!これは,明治天皇がフランツ・ヨーゼフ1世に贈ったものだそうだ.
 動物の標本は本当に数が多く,めまいしそうになりながら見ていたが,しばらく行くとげっ歯類のコーナーにたどり着いた.いろいろなネズミの仲間が展示してあったが,ふと見ると腹が黒いネズミが!「あっ!クロハラだ」と駆け寄る私.そこにはまぎれもないクロハラハムスターの剥製が展示してあったのである.クロハラハムスターは別名ヨーロッパハムスターとも呼ばれる,大型のハムスターである.体長は30cm近く,体重は1kgにも達することもあるといわれる.ドブネズミよりも大きいくらいである.特徴はお腹の部分が黒いことで,その名の由来となっている.ハムスターの仲間であるため頬袋を有し,時には頬袋に空気を入れて浮き袋代わりにして川を泳ぐこともあるという.1997年頃日本にも入ってきて,一時はペットショップにも並んでいたものの,今では全く姿を見なくなったハムスターである(ペットとして飼われた歴史がなく,性格も凶暴でなつかなかったためと考えられる).
 元来,天邪鬼的な私は,マイナーであればあるほど妙に愛着を感じるため,クロハラハムスターは昔から注目していたハムスターなのである.いつかクロハラハムスターの生体を見たいと思っていた.今回,生体ではないものの,クロハラの姿を見ることができて大いに感激した次第であった(今日の最大の収穫はもしかしてこのクロハラだったりして 笑).

自然史博物館はマリア・テレジアの夫フランツ1世の膨大なコレクションを基礎としている


自然史博物館の向かいは美術史博物館になっています


自然史博物館と美術史博物館の間には有名なマリア・テレジアの像があります


これが,夢にまで見たクロハラハムスターの剥製です


こちらはチンチラになります.我が家のチンチラと比べてやせている気がします(野生のためか)
 


悲しそうなジーコ

 さて,自然史博物館で思いがけずもクロハラハムスターを見つけた我々は,夕方4時半過ぎに博物館を後にした.今夜は7時半から国立歌劇場で「魔笛」を観劇するという,今回の旅行最大のイベントが待っているからである.自然史博物館からグランドホテルまでは路面電車に乗るほどの距離でもないが,かといって目と鼻の先というわけでもなく,中途半端な距離である.外は快晴,カンカン照り,一般に「夏のヨーロッパは湿度が低くて,カラッとしてる」などといわれるが,暑いものは暑い.我々は露天でミネラルウォーターを買って飲みながらホテルに急いだ.
 ホテルに戻ると,さすがに空調が効いていて涼しい.汗だくのシャツが一気に冷えて,寒気すら覚える.オペラ用の服に着替える前に,まずはシャワーを浴びることにする.その時私はふと,今日が6月12日であることを思い出した.そう,FIFAワールドカップドイツ大会,我が日本の初戦,対オーストラリア戦の日だ.たしか3時キックオフだから,まだやっているはずとテレビをつける.チャンネルを回しているうちに,サッカーの試合が,丁度シュートが決まった場面,見ると川口がゴールに立っている.日本でないユニフォームの選手が喜んでいる.「ありゃ,点を入れられたのか」と見ていると,スコアが映し出された.1対1の同点だ.見ると既に後半の40分だ.ということは,後半40分まで勝っていたということか,やるなぁなどと感心した私であった.ウィーンもこの暑さであり,ドイツの暑さも相当なものと思われる.選手の消耗も激しかろう,こりゃ1対1の引き分けでいいか,などと考えているうちに………(以下,皆さんもご存知の結果 泣),オーストラリアに立て続けに点を入れられ,1対3で敗れたのだった(特に3点目を入れられた瞬間,国際映像では,歓喜にあふれるヒディングと泣きそうな表情のジーコの余りに対照的な二人を画面二分割で映し出していた).
 


ウィーン国立歌劇場の魔笛

 日本の敗戦はショックだったが,我々は涙している暇はない.さっさとシャワーを浴びて準備しなくてはならないからだ.着替えをして軽く食事を摂り(博物館からの帰りに,売店でクロワッサンを買っていた),おもむろに出かけたのだった.ウィーンの国立歌劇場は,ミラノ・スカラ座,パリのオペラ座と共に世界の三大歌劇場に数えられる有名どころである.昨日訪れたアン・デア・ウィーンが大衆的な劇場であったのに比べて,建物から装飾に至るまで品格に満ち満ちている.会場に入りまずは席を確認する.我々の席はパルケットと呼ばれる,1階の平土間席である.席について周囲のボックス席を見渡すと,老若男女が着飾って並んでいる.開演前から雰囲気は盛り上がってくる(この華やかな服装が,歌劇場の雰囲気作りに重要であり,こういう場にラフな格好でやってくるのはやはり,すさまじきこと(興ざめなこと)であろう.もっとも,一般客の目に触れない天井桟敷ならいいかもしれないが).
 そうこうしているうちに開演の時間となった.序曲に引き続いて,開幕である.この「魔笛」は,主人公の王子タミーノが大蛇に追われるところから始まるのだが,今回の演出はかなり変わっていた.いきなり3人の童子役の子供たちのひとりが,手に蛇の人形をはめて,他の子供が小さな斧で迎え撃つという,人形劇のような仕草から始まるのである.そこにタミーノが現れ,彼から小さな斧を取り上げ,本物(?)の大蛇と闘おうとするという演出であった.もちろん勝てなくてその場に倒れるが,大蛇は夜の女王の3人の侍女に倒される.(後でわかったが,今回の舞台は,どうも本物の世界とその縮図という構図を意識したものであるようだ)最初,人形劇のような始まり方だったものだから,我々は「エッ!?」と戸惑ったのであるが,そのうちさほど違和感を感じずに楽しむことができた.もっとも,「魔笛」は御伽噺の世界が舞台なので,ある意味で演出は何でもありという雰囲気があり,それはそれで楽しい作品である.(ところで,私が直接見たわけではないのだが,さるテレビ番組で「魔笛」が紹介された時,このオペラでも特に重要なキャラクターである鳥刺しパパゲーノについて,司会者の一人が「鳥刺しって何だか恐ろしいイメージですね」と話している場面があったらしく,「お前,(このオペラについて)勉強してないだろー!」とテレビ画面に向かって思わず突っ込んだという人のブログを読んだことがある.実際のパパゲーノはお笑い系キャラである)また,この作品では,特に夜の女王のアリアが良く知られており,特に第2幕の「復讐の心は地獄のように燃え」というアリアは,3点Fという高音が出てくることで有名である

ライトアップされた国立歌劇場の外観です

歌劇場の外で記念撮影です

開演前の風景です.みな着飾って来ています.ちなみに我々の席はParkettでした

Parkett(平土間)周囲のLoge(ロージェ)と呼ばれるボックス席です.ヨーロッパのオペラハウスの雰囲気です

ボックス席の一番上にはGalerieと呼ばれる天井桟敷があります(最もコアな聴衆がいるところ?)
 
(なお,この作品が初演された時,この夜の女王はモーツァルトの妻コンスタンツェの姉・ヨゼファが演じた.ちなみに前掲のパパゲーノを演じたのは,台本作者のシカネーダーである.それゆえこのオペラでは,主役のタミーノよりもパパゲーノの方が出番も多く,目立っている).今回夜の女王を演じていた人(Ana Durlovskiという歌手であった)も,なかなか良い歌いぶりであった.ただしKは,この夜の女王よりも,タミーノの相手役であるパミーナのほうが好みらしい.第2幕でタミーノは数々の試練に打ち勝って無事パミーナと結ばれ(パパゲーノもパパゲーナという伴侶を得る),最終的に夜の女王側の勢力がザラストロ側に打ち破られる……という筋書きであるが,この日の演出によるエンディングは,動物たち(笛の音に聞きほれる場面がある)の着ぐるみも出てくるということもあって,何だか数年前に放送されていた「パチンコ平和」のCM(“こんな平和見たことない”といって動物たちが抱き合っているやつ)を髣髴させるものがあった。  
 今回の演出では,賢者ザラストロの側の人々が白系の,夜の女王側の人々が黒系の衣装とメイクという,結構判りやすいいでたちであった.この作品には,奴隷頭のモノスタトスというキャラクターがいるのだが(結構間抜けな役回り),この彼のコスチュームが岩手県議会議員でもある”みちのくプロレス”のザ・グレート・サスケ氏そっくりであった(もともと彼はムーア人(黒人)のキャラなのだが,最近の演出ではあまりそういう外観に基づいた役作りはしないようである).
 一方のザラストロも,何だかどこかのプロレスラーみたいなコスチュームである.またこのオペラはフリーメーソン・オペラ(今回の演出でも,フリーメーソンのシンボルである「真実の目」が効果的に使われていた)として有名であるが,ザラストロ側の人間である合唱団員の服装は,フリーメーソンというよりもなんだかパナウェーブみたいであった(胸元にバーコードらしきものがあしらわれていたが,あれは専用の機械で読み取れるのだろうか?).
 余談だが,冒頭で出てきた3人の童子(タミーノを導く役柄)は,第1幕ではTシャツ姿であったが,最後のほうではモーツァルトのミニサイズのようなコスチュームであった.いずれにせよ,モーツァルト最晩年の作品であるこの「魔笛」は,ドイツ語によるオペラの最初の傑作といえるものであり,後のウェーバー(モーツァルトの妻コンスタンツェの従兄弟)の歌劇「魔弾の射手」から,やがてワーグナーに至るドイツオペラの系譜の始まりに位置する記念すべき作品なのであった.

開演前のオケピットです

魔笛には人間の他,キリンやワニなどの動物も登場します.背景のでっかい目はフリーメイスンの真実の目でしょうか

カーテンコールに応える出演者たち.今回の演出では,ザラストロチームは白,夜の女王チームは黒がモチーフでした
 
 品格あふれる歌劇場の雰囲気と,モーツァルトの不朽の名作オペラを堪能し,終演の時間となった.もう11時近くである.これから食事をしたくても,ほとんどの店は閉店(でなければラストオーダー)の時間に近くなっている.オペラや芝居がはねたら優雅にディナー……とは,そう簡単にいかないのが現実である(地元の人は,あらかじめ家で食事を済ませてから来るのだろうか?).深夜なのであまり街中をウロウロしたくないし,仕方がないので我々は,ホテル近くの屋台でピザを購入し,部屋に持ち帰って細々と食べたのであった.なんだかオペラ鑑賞の後にしては,貧乏臭い光景である.  

歌劇場内にて
幕間にはこうしてワインを飲みながらひと時を過ごします
終演後の客席にて
 



 

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