さて,グランドバザールの見学を終えた我々はいったんホテルに戻った.ちょうど昼食時だったのだが,ハマムでゆったりしてきた直後ということもあり外には出ず,非常用に残してあったカップ麺を作って済ませた.しばし休んだ後,午後の活動開始となる.
この日の午後は新市街にあるオスマン朝後期の宮殿であるドルマバフチェ宮殿の見学がメインの予定である.オスマントルコの宮殿は15世紀後半からトプカプ宮殿にあったわけだが,近代化の流れの中で手狭となってきたために,1843年新市街のボスポラス海峡に面した庭園跡にアブデュルメジト1世の命によって着工,1856年に完成し以後第1次世界大戦後の革命に至るまで王宮として使われていたものである. |
|
さて,ホテルを出発した我々は最寄のトラム駅,スルタンアフメット駅に出た.ここから東行きに乗りこむ.電車はアヤ・ソフィアやトプカプ宮殿を右手に見ながら進み,旧市街と新市街を結ぶガラタ橋(昨日ガラタ塔から見えた橋)を渡り,そのままボスポラス海峡沿いを進んで終点のカバタシ駅に到着した.ここからさらに海沿いに歩くと目指すドルマバフチェ宮殿に到着である.ここは一度に入場できる人数が制限されていて,混んでいる時間帯だと入り口で待たされることもあると聞いていたのだが,予想通り待たされた(笑).
内部は残念ながら撮影禁止だったのだが,ここはオスマン帝国最盛期の宮殿であるトプカプと比べると敷地面積的には小さいものの,部屋(285室)やホール(43室)の数では前宮殿をずっと上回っている.ヨーロッパの影響を強く受けた壮麗な建築様式と相まって,スルタンの栄華を今に伝えるものとなっていた.内部はセラムルクと呼ばれる公的なエリアとハレムにはっきりと分かれている点はトプカプ宮殿と同様である.セラムルクの部屋はイスラム風というよりもヨーロッパ風の雰囲気が濃く,この辺りに近代化を目指して苦悩していた当時のオスマン帝国の様子が垣間見られた.
第1次世界大戦とその後のトルコ革命によって,最後のスルタンメフメト6世がこの宮殿を去り,オスマン朝が正式に滅亡すると,この宮殿は新生トルコ共和国の大統領執務所となった.初代大統領にしてトルコ共和国建国の父といわれるケマル・アタチュルクは宮殿内のハレムの一室を改造してそこを執務室としていた(彼自身も1938年11月10日,この部屋で亡くなった).現在この部屋は公開されており,豪華な宮殿の中でもここだけは非常に質素で,彼のキャラクターが偲ばれた.
宮殿内部の観光は基本的に集団で動くスタイルのため,人々の流れに従って見学は終了した.その後は,これもまたヨーロッパ風の庭園を散策して過ごしたのだった. |
ドルマバフチェ宮殿の重厚な入り口です
|
微動だにしない衛兵は観光客の人気の被写体です
|
ヨーロッパ風の中庭
|
豪華な宮殿です |
|
|
海の向こうはアジアです
|
アタチュルクの執務室(Wikipediaより) |
宮殿を退去するメフメト6世(Wikipediaより) |
|
|