昼食を終えて,いよいよ午後の観光の開始である.まずはイスタンブール最大の観光名所アヤ・ソフィア!と行きたいところだったが,この日は月曜日,アヤ・ソフィアは定休日だった(月曜休みとは床屋みたいだ 笑).そこで向かったのがアヤ・ソフィアの南西,ブルーモスクの西隣の細長い公園である.今では何の変哲もないただの公園にしか見えないが,実はここ,ビザンチン帝国時代には戦車競技場だったところなのである.
ローマ帝国の繁栄と退廃を象徴する言葉に「パンとサーカス」がある.古代ローマでは奴隷制と属州から流入する大量の穀物によって,首都に住む市民にはパンと見世物が無料で提供されていた(これは歴代ローマ皇帝の人気取り政策である.ローマ帝国では皇帝は市民の第一人者という建前があり,市民の支持が得られなければ皇帝の地位を維持できないこともあった).ローマの歴史を引き継いだ初期ビザンチン帝国にもこの伝統は残っていたが,この時代の市民の娯楽として大人気だったのが戦車競争である.今でいえばF-1などの自動車レースのようなもので,市民はそれぞれ贔屓のチームを熱狂的に応援していた.当時今のブルーモスクがあるあたりに皇帝の住む宮殿がありその西隣に,10万人の観客を収容できた巨大な競技場があったというわけである.6世紀にこの街を破壊したニカの乱もこの競技場での暴動が引き金となった.時代の推移と共に戦車競技は行われなくなり,やがてオスマントルコの時代には競技場そのものもなくなったが,土地だけはそのまま残り今はかつてのフィールド部分が公園となっているのである.現在ここはヒッポドロームと呼ばれているが,これはギリシャ語で馬の道を意味する.
ヒッポドロームに佇んでもかつてここが競技場だった面影はあまり感じられない.しかし当時の建築物がないわけではない.公園内にそびえる3本の塔がそれである.一番南にあるのがオベリスク,これは元々紀元前15世紀古代エジプトのファラオ,トトメス3世が建立したものを4世紀末のローマ皇帝テオドシウス1世がこの地に持ってきたものと言われている.オベリスクが置かれている台座には競技場で優勝者に冠を授ける皇帝や政府高官の姿が描かれている. |
ヒッポドロームの前景(3本の塔が見えます)
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一番北にはこのような東屋が
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周辺の屋台が準備されています
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4世紀にエジプトから
持ってきたオベリスク |
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