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 イスタンブール旅行記(5)


2009年9月2日(水)


トプカプ宮殿

 明けて9月2日,イスタンブール観光3日目である.昨日の午前中は予想外の雨降りだったのだが,この日は朝から快晴の青空だった(昨日の雨はなんだったのか 笑).ホテルで朝食を済ませると,さっそく行動開始である.この日の予定は午前中にオスマン帝国時代のスルタンの居城であるトプカプ宮殿を訪問し,午後からは旧市街の西部にある史跡を巡ることにした.
 ホテルを出て徒歩で宮殿に向かう.この日もヒッポドロームやブルーモスクを横目で見ながら旧市街を北東に進んでいく.アヤ・ソフィアのそばを通って,トプカプ宮殿の入り口である皇帝の門をくぐった(実はここは一昨日も来ている).この門を入った部分が第1庭園で一昨日見たアヤ・イリニ教会は入ってすぐ左手にある.そのまま庭園内をまっすぐに歩いていくと正面に,八角形の尖塔を持った門が見えてきた.これが表敬の門で,ここからが実際のトプカプ宮殿内部ということになる.門の右手にあるチケット売り場で券を購入して,門から入ろうとするとセキュリティチェックが待っていた.まあオスマン帝国時代の財宝が山ほどあるわけだから,中にはよからぬことを考える輩がいるかもしれないので,必要なものなんんだろうなと思ったのだった.
 表敬の門を入るとここが第2庭園と呼ばれる広々とした庭となる.ここから見て右手が陶磁器の展示されている厨房,中央に幸福の門,そして左手がハレムになる.トプカプ宮殿の入場料は10トルコリラなのだが,このハレムは別料金でさらに10リラ必要となる.早めにいかないと混雑するといわれていたため,まずはハレムを見学することにした.入り口にチケット売り場がありここでお金を払って中に入る(正面には正義の塔と呼ばれるひときわ高い塔がそびえていた).ハレムは日本でいえば江戸城の大奥に該当する施設で,スルタンの母や妻,それに女奴隷たちが生活する場所である.ここに入れる男性はスルタン以外は去勢された黒人奴隷のみという特殊な空間なのであった.
 スルタンの生活というと何となく華やいだ明るい響きがあるが,実際のハレムの内部は小さな部屋に区切られた日陰の世界といった雰囲気だった(スルタンの広間だけは広々としていたが).内壁の装飾はブルーモスクにもみられたようなブルー〜グリーンのタイルで中心となっている.黒人奴隷の部屋やスルタンの母親の部屋などには当時の生活を再現した人形が配置されて往時の雰囲気を偲ばせていた.また,トルコと言えばハマム(トルコ式のサウナ風呂)が有名であるが,ここにはスルタン専用のハマムも設置されていた.

皇帝の門

表敬の門

当時ここから先には特別な者しか入れなかった

宮殿全体の模型

正義の塔

ハレムの入り口
 

内壁はブルー系のタイルが使われている

黒人宦官の部屋


侍女の中庭

 

寵姫の中庭(前出の侍女の中庭より明るい)

スルタンの母親の部屋


スルタン専用のハマム

 

スルタンの広間(ハレムでは最も広い部屋)


皇子たちの部屋(皇位継承権を失った皇子が幽閉されていた部屋)

同じく皇子たちの部屋,ここにあるのはソファーでしょうか

 
 ハレムを一通り見学したのち今度は第2庭園正面にある幸福の門に向かう.この門がスルタンの私生活の場である内廷(エンデルン)と行政や公式行事が行われる外廷(ビルン)との境になる.もちろん第2庭園のある側が外廷である.幸福の門に向かって歩いていたら左わきに”Byzantine”と書かれたプレートを発見,なんだろうと思ったら,どうやらここに5〜6世紀に造られた貯水池があったらしい.見渡すとレンガの一部がマンホールのようになっていて,ここの地下が貯水池になっているようだった.
 幸福の門をくぐって内廷に入ると目の前にお寺の本堂のような建物が立っていた.これが謁見の館と呼ばれるもので,スルタンが政府の高官や外国の使節に謁見した館である.内部には天蓋付きの豪華な王座があって,往時のスルタンの権力を物語っていた(ベッドにも見えるのだが).
 謁見の館を出て今度は内廷の見どころである聖遺物の間と宝物館を見学した.聖遺物の間には歴代スルタンによって収集されたムハンマドに関連した品々が展示されている.ムハンマドはイスラム教で最も重要な預言者である(ちなみにイスラム教においてはモーゼやイエスも預言者である).ここにはムハンマドの剣や外套,さらには髭まで保管されており,宗教的に極めて重要な施設である.内部にはコーランも流れかなり厳粛な雰囲気だった(もちろん内部は写真撮影不可).一方の宝物館は一転して世俗的な施設であり,歴代スルタンが収集した宝物が山のように保管されている.特に有名なトプカプの短剣は巨大なエメラルドなどの宝石が惜しげもなく飾られた,とても実戦には使えそうにない(笑)一品だった.その他の壺や食器なども素晴らしく,これらを売却すればトルコ政府の債務はすべて解消されてお釣りがくるという噂は本当だと確信したのだった.
 その後はボスポラス海峡に面したテラスで潮風を浴びたり,幸福の門で開催されていた軍楽隊の演奏を見学して過ごした.
 こうして一通り宮殿内を見学しているうちにお昼過ぎとなる.せっかくだからということでこの日は宮殿内のレストラン・コンヤルに入ることにした.ここはビュッフェスタイルのカフェコーナーとアラカルトのレストランコーナーがあり,我々はレストランにした.メニューから注文を終えて待っていると,突然自分の携帯が鳴りだした(正確にはマナーモードにしているので震え出したというべきか 笑).出てみると普段付き合いのある他の病院のドクター,「今日資料を送りましたからよろしく」とのこと.日本とトルコの時差はこの時期6時間,ということは夕方の7時ということになる.考えてみたら自分の病院以外には夏季休暇の話はしていないから,まさかこのドクターイスタンブールに国際電話しているとは夢にも思ってないだろうなと心の中で笑ってしまったのだった.
 この日注文したのはイスラム圏を意識したわけもないのだが羊肉料理だった(飲み物は午後も歩く予定だったためアルコールは避けてコーラにした).

こんなところにもビザンチンの史跡が…

幸福の門

謁見の館

謁見の館内部

聖遺物の間

ここがテラス
 

海峡が一望できます

宝物館のトプカプの短剣
(パンフより)

レストラン・コンヤル
 

幸福の門の前で行われていたオスマン時代の軍楽隊の演奏です
 


アクビル

 コンヤルでの昼食をすませた我々はトプカプ宮殿を後にした.午後からは,旧市街西部にある昔の教会やビザンチン時代の遺跡を見に行く予定である.
 イスタンブールは周辺人口を含めると1000万人という,ほとんど東京と変わらないような大都市である.しかしながら複数の地下鉄や電車が縦横に走っている東京と比べると,これら公共交通機関はかなり貧弱で,人口の割に住民の移動が少ない街だといえる.そんなイスタンブールで数少ない交通機関が路面電車や地下鉄なのだが,これらを利用する際に便利なのがアクビルである.日本でいえばJR東日本のSUICAのようなプリペイド式のIC乗車券にあたるのだが,イスタンブール市内の市電,バス,地下鉄などほとんどの乗り物が利用でき,しかも普通に切符を買うより割安で乗れるというスグレモノである.
 日本でのこの手のアイテムは100%カード式だが,このアクビルは違う.ヨーグルトやアイスクリームのスプーン

こうして自動改札機で使うことができます
 
のような形状で,先端部分についているボタン電池のような部分に情報が記録されるスタイルである.使用方法は市電や地下鉄の場合は改札機の所定の部分に,バスなどでは乗り込んだ部分に設置してある機械にそれぞれ金属部分を押し付けると,ピッと音が鳴って完了である(金額が不足してきたらチャージするのは同じ).
 カード型に慣れた目から見ると異様な形に思えるのだが,現地の人はキーホルダーに付けるなどして利用しているようだった.今回は旅行申込み段階でこのアクビルが一人1個ついてくるという企画だったので,この日ついに使用する機会が訪れたのだった.
 


コンスタンチヌスの塔

 トプカプ宮殿最寄りのギュルハネ駅から路面電車(トラム)に乗り込む.日本では路面電車が走っているのは地方都市が多いためか,一両編成(単行)の古いタイプが多いのだが,さすが1000万都市の路面電車は新しくて車両も複数だった.
 まず目指すのはチェンベルリタシュ駅の目の前にある塔である.これはコンスタンティヌスの塔ともよばれ,4世紀にこの街がローマ帝国の新しい都(新ローマ)として歩み始めた時期に建設されたものである(コンスタンティノープルの開都式が行われる2年前の西暦328年).当時ここはコンスタンティヌス広場と名付けられた,いわばビザンチン帝国の都コンスタンティノープル

工事中のコンスタンティヌスの塔
 
の原点とも呼べる重要な場所なのだ.路面電車を降りて期待して見てみたのだが…

 たしかに塔は存在するのだが,何やら改修工事が行われているらしく,無骨な工事用の鉄骨で覆われたその姿は,古代ローマの塔というよりも,むしろ京都や奈良で見かける五重塔のようだった (*_*).
 


ヴァレンス水道橋

 工事中だったコンスタンティヌスの塔を後にして我々は再びトラムに乗った.次の目的地はヴァレンスの水道橋である.イスタンブールの街というのは海に突き出た半島で,実はこれといった水源がない.このため都市生活に必要な水を確保することは,初期の皇帝たちにとって極めて重要な問題だった.この問題の解決のために遠くの水源から水を引っぱってくることが計画され,そのために整備されたのが水道橋である(ローマ帝国はもともとこうした土木技術に長けた国であり,その後継国家たるビザンチン帝国にもその技術は継承されている).特にここが帝国の新首都になった4世紀の後半の皇帝ヴァレンス帝によって作られた水道橋が当時の姿を今に遺す史跡として知られている.
 チェンベルリタシュ駅から西に3駅行ったアクサライ駅で下車,ここから北に向かって伸びる太い道路(アタチュルク通り)を歩いて行った先にその水道橋はそびえていた.今では片側3車線の幹線道路と水道橋は交差する形となっており,古代の遺跡と現代文明の象徴ともいえる自動車が激しく交差する姿は,まさに文明の十字路のこの街らしいと感じるのだった.
 

ヴァレンスの水道橋

向かいには市庁舎が

橋桁の間は車道になっている
 


パントクラトール修道院

 しばし水道橋の雄姿を鑑賞した後はそのままアタチュルク通りを北上する.次なる目的地はゼイレック・ジャーミイ,ここは12世紀初頭に造られたビザンチン帝国最大の修道院であるパントクラトール修道院だった建物である.この修道院は12世紀の皇帝ヨハネス2世の皇妃イレーネが主イエスに捧げるための聖堂を造ったのが最初で,皇妃の死後皇帝が聖母マリアに捧げる聖堂,さらにはイレーネの作った聖堂とをつなぐように3つ目の聖堂を造り今の形になった(敬虔な信仰者だったヨハネス2世とイレーネはアヤ・ソフィアにそのモザイクが描かれている).15世紀のコンスタンティノープル陥落後,他の教会の例にもれずここもモスクに改装されて現在に至っている.
 アタチュルク大通りを北上して途中から左へ,小高い丘に向かって登っていく.近代的な大通りも一歩外れるとたちまちローカルな住宅地に変わるのがこの街の特徴である.しばらく登って行くうちに,噂の3つのドームが見えてきた.

 し,しかし…

 なんと修道院は工事中で見学できず,かろうじて周辺からドームを眺めて内部の様子を想像するしかないのであった(残念!).

パントクラトール修道院のドームが見えてきました

残念ながら工事中でした

本来ならこの姿が見られたはずでしたが…
 
 工事中の修道院を後にしたのだが,そのまま同じ道を戻るのはつまらないので,そのまま反対側に抜けて,水道橋の上流に大回りすることにした.アタチュルク通り付近では2層でかなり高い橋も,標高の高いこの辺に来るとだいぶ低く感じられる.この辺は歩行者天国の商店街になっているのだが,周囲を見渡しても観光客の姿はほとんどなく,完全に地元の人達用の商店街らしかった.こうした住民の日常に触れつつ,我々はホテルに戻ったのだった(この日の夕食はホテルのレストランでスズキの塩焼き(レヴレッキ・ウズガラス)をいただいた).  

この辺に来ると水道橋も低くなります

地元の人達がメインの商店街です

魚はスズキでした.大根おろしがあれば完璧
 
     



 

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