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ビザンチン帝国とは


 ビザンチン帝国
とは古代地中海世界に覇権を唱えていた大ローマ帝国のその後の姿である(なれの果てという言い方は適当ではない).別名東ローマ帝国と呼ばれることもある.しかし当のビザンチン帝国の住民たちは(皇帝から民衆に至るまで)自分たちの国が東ローマ帝国であるとか,ましてやビザンチン帝国だ,などとは思ってもいなかった.東ローマもビザンチンも後世の人間が勝手につけた名称であり,彼らにとって自分たちの国はローマ帝国以外の何ものでもなかったからである.7世紀以降公用語がラテン語からギリシャ語に代わり,ローマを含むイタリア半島の大部分がが帝国の領土ではなくなってからも人々は自分たちをローマ人と呼び続けた.10世紀のローマ教皇が時のビザンチン皇帝ニケファロス2世に宛てた書簡の中で彼を「ギリシャ人の皇帝」と呼んだことにニケファロスが激怒したのも,彼が自分はローマ人の皇帝であると意識し続けていた事実を良く表している.最も彼らがそう思っていたのも決して強がりではなく,初代アウグストゥスから続いたローマ皇帝の称号は,途切れることなくビザンチン帝国に受け継がれていたからである.だからこそ後に西方でローマ皇帝を名乗ったフランク王カールやオットーもビザンチン皇帝のお墨付きを得ようと躍起になっていたのである.であるから,ローマ帝国が滅亡したのはいつかと問われれば,コンスタンチノープルがオスマントルコに占領され,最後の皇帝コンスタンチヌス11世が戦死した1453年5月29日である,と答えるのが法理学的には正しいのである.
 とはいえ,ビザンチン帝国は1000年の長きに渡って続いた国であり(日本でいえば古墳時代から室町時代になる),その国情は決して一様ではない.残念ながらわが国の世界史の教科書ではビザンチン帝国はあまり重要視されておらず,その歴史を系統的に学ぶ機会はほとんどない.西ヨーロッパの中世史やイスラム史の中に断片的にその姿を見せるだけである.このため常に西ヨーロッパやイスラム社会との兼ね合いでしか語られず,1000年の間,何となくそこに存在していたといったイメージしか浮かばない.また世間一般においてもビザンチンという言葉から連想されるイメージは決してポジティブなものではない.18世紀のボルテールは「タキツス以降のローマの歴史よりももっと馬鹿げた歴史がある.それはビザンチン史で,美辞麗句と奇跡ばかりを寄せ集めたくだらぬものだ.」(文献3より抜粋)とひどいことを言っているし,若き日のカール・マルクスに至ってはビザンチン帝国を「最悪の国家」とまで言い切っている(文献1).現在でもビザンチンというと陰謀とか権謀術策といったドロドロしたイメージがある.試みに独和辞典を引いてみると
byzantinischにはビザンチンの,ビザンチン風のという意味のほかに卑屈なとか追従といった意味も載っている(英語のbyzantineにはそういう意味はないようだが).システム障害のなかで特にたちの悪いものを”ビザンチン障害”と呼んでいることなど,この国のネガティブなイメージが世界レベルで広がっている証拠といえよう.
 しかしながら実際のビザンチン帝国は決して,宮廷でドロドロした陰謀ばかり繰り広げて,1000年かけて徐々に衰退していった内向きの国家ではない.むしろ積極的に外部とかかわり続けた非常に波乱に満ちた歴史を持つ国家である.一般には4世紀から6世紀辺りまでを東ローマ帝国,7世紀以降をビザンチン帝国とされることが多い.これは6,7世紀までは,古代ローマ帝国の要素(パンとサーカスの習慣,市民の第一人者としての皇帝や奴隷制に基づく経済など)が残っていたものの,以後それが急速に失われていったという事実を反映している.帝国の中心地であるバルカン半島やアナトリア半島は東西文明の合流する文明の十字路であり,古くから多くの民族国家が興亡を繰り返した地域である.こんな場所でひとつの国が1000年も永続したというのは歴史の奇跡といってもいいだろう.事実帝国の歴史の大部分は,押し寄せる外敵にいかに対処するか苦悩する歴史なのである.帝国が1000年間の歴史のうち外に向かって攻勢をとれたのは6世紀のユスチニアヌス,7世紀初めのヘラクレイオス,そして9〜10世紀のマケドニア朝の諸皇帝の時代のみであり,それ以外の時代は四方から侵入してくる外敵から必死に国を守る防戦一方の時代ばかりである.帝国を脅かした外敵も当初のゲルマン人(東西ゴート族),フン人に始まり,ペルシャ人(ササン朝),アラブ人(ウマイヤ朝),スラブ人(ブルガリアなど)と続き,後には西ヨーロッパ人(第4回十字軍),トルコ人(セルジュク朝,オスマン朝)と非常に多種多様にわたっている.これら諸民族の興亡を尻目に存在し続けたのだからまさに奇跡であろう.
  このようにビザンチン帝国が1000年もの永きにわたって(ローマ建国からローマ帝国の東西分裂までの期間より,ローマ帝国分裂からビザンチン帝国滅亡までの期間の方が長い)続いたことは,この国が並外れたバイタリティを持っていたことを示している.このバイタリティはどこから来るのか.それこそが私がこの国に惹かれる最大の理由である.

  まずはこの国が歩んだ歴史から見ていこう.

 

 

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