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タヒチ旅行記(6)


2002年8月30日(金)〜8月31日(土)

楽園に別れを告げて

 いよいよ帰国の日である.早朝の出発なのでかなりきつかった.眠い目をこすり,送迎の車で空港へと向かう.そして搭乗手続きやらセキュリティチェックやらを済ませ,搭乗して離陸を待つばかりである.まもなく機体は滑走路を離れ,我々はタヒチを去ることとなった.
 思えばタヒチはまさに楽園であった.珊瑚礁に囲まれた穏やかな海,海の中をのぞけば色とりどりの魚,特に今回は魚たちの写真を撮ることができたのが大変大きかった.夜になれば南十字星,かつて天体少年であった私は大いにロマンをかきたてられたものである.その一方で,このような一年中温暖で穏やかな気候の島で暮らしていれば,北半球の寒冷地に暮らしている人のように,「勤勉に働いて生産性を向上させよう」という気持ちにはやはりなれないよなあとも思ったものである.少なくともサービス残業もものかわと,がむしゃらに働こうという気持ちは起こらなくなるのも無理はないかなあ.しかしそれにしても,よい休日であった.本当に帰りたくない,このままこの飛行機が落ちても構わないと心の底から思ったのである.
 私と同じ気持ちを,多分Kも抱いていたとは思うのだが,彼女は依然,胃腸の不調に悩まされていた.どうも機内食すらも受け付けないらしく,乗務員にカップ麺を頼んでいたのであった.あとはソフトドリンクでしのいでいた模様である.うーん,やはり美食が続くとお腹がだめになってしまうようだ.
 日付変更線を越え,日本の上空に来たのは翌31日である.機内で休んでいたりするうちに,成田上空まで来たのであるが,なかなか着陸の態勢に入れない.機内アナウンスによると,どうも滑走路が混んでいるらしく,暫く待たないと着陸できないようだ.そんなこともあったので,暫く上空で旋回して待機してからの着陸となった.
 そうしてからやっと着陸である.ところで,我々は今回,普段とは異なる手続きを踏んで到着ロビーへと向かうことになった.その手続きとは,検疫である.今回,我々はお土産として,現地の日本人係員も推奨していたパイナップルを購入した.もちろん,その辺の店で適当に買ったものではなく,お土産用として用意されたものを,正式な手続きを経て購入したのである.(いうまでもなく,外国からの野菜や果物をはじめとする生鮮食品や畜肉加工品は,持ち出し,持込ともに厳しい制限がある.外国から不用意にこれらの品を持って帰ったりすると,税関で没収されることがある)当然,このパイナップルを,植物検疫のカウンターに提出して,検査を受けなければならない.幸い,我々が購入したパイナップルは,全て「合格」であった.(ちなみにこのパイナップル,芯の部分まで食べられるほど大変旨い.Kと母親の生け花の師匠をはじめ,数人におすそ分けしたが,大変好評であった)
 検疫つきの手続きを済ませ,スーツケースの託送を頼んで,あとは家路につくのみである.いつものように成田エクスプレス,新幹線を乗り継いで,一関から大船渡線で摺沢駅へ出て,そこからバスで帰ろう・・・なーんて考えていた我々は甘かった.なんと,摺沢駅前から出るバスは,まだ18時前であったにもかかわらず,運行が既に終了していたのであった.まだ一関市と合併する前の話であるが,大東町とはこのようなところなのであった.結局我々は,駅前でタクシーをつかまえ,それに乗って家路につく羽目になったのである.

 
完 (明日からまた日常の世界)  



 

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