翌朝,目を覚ました我々は,朝食をとりに会場へ出かけた.ここでは朝食はアメリカン,コンチネンタル,パリジャンの3種類から選ぶことができた.いうまでもなく,アメリカンは調理された卵料理つき,コンチネンタルはパンにハムやチーズ程度のおかずつき,パリジャンは最も貧相(?)でパンとコーヒー,紅茶だけである.私はコンチネンタル,Kはアメリカンを選択した.
この日はル・トラックに乗って,パペーテ市街地へ出ることにした.ル・トラックとは,トラックの荷台にバスのような覆いをつけた,個人経営の公共交通機関である.機能はバスのようであるが,トラックの荷台に人を乗せて走っているようなもので,座席はベンチ,つり革や手すりがあるわけではないので,ベンチに座れる人数しか乗車できない.いかにも牧歌的な(しかし急ブレーキは曲者である)乗り物である.ホテルの前で乗車し,市街地へと繰り出す. |
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パペーテは人口約2万5千ということだが,中心部は結構賑わっている.路上駐車している車も結構見られる.ちなみに街を歩いている人は,皆普通の洋装である.あるサイトで,「よくガイドブックなどでパレオの着方が紹介されているために,それをやるのは悪くないのだが,市街地でもやってしまう人がいるのは信じられない」という旨の記事があったのだが,確かにパレオ姿の現地人はいない.あれはビーチでのみやる行為(つまり下は必ず水着)なのだそうだ.渡航前に知ることができてよかった.ともあれこの街は,南の島とはいえ,やはりフランス領だけあって,わりと洗練されている.ところで,タヒチといえばゴーギャンだが,彼は楽園を求めてタヒチに渡ったものの,1891年に実際にこの地に足を踏み入れた時は,既に西洋文明に毒されていたパペーテの街に失望したといわれている.(なお,彼は後に同じポリネシアのマルケサス諸島にあるヒヴァ・オア島に渡り,そこで生涯を閉じた.) |
カテドラルです |
パペーテ市内にある某ショッピングセンターにて |
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我々がまず向かったのは,市の中心部にあるカテドラルである.やはりフランス領だけあり,街の中心には必ず教会がある.ちなみにここはカトリック教会である.内部の撮影はできなかったが,「ヨハネによる福音書」に基づく場面の壁画があった.兵士たちのくじ引きの場面もしっかり登場する.
「兵士たちは,イエスを十字架につけてから,その服を取り,四つに分け,各自に一つずつ渡るようにした.下着も取ってみたが,それには縫い目がなく,上から下まで一枚織りであった.そこで,「これは裂かないで,だれのものになるか,くじ引きで決めよう」と話し合った.それは,
「彼らはわたしの服を分け合い,わたしの衣服のことでくじを引いた」
という聖書の言葉が実現するためであった.兵士たちはこのとおりにしたのである.
「ヨハネによる福音書」第19章23〜24節,日本聖書協会発行・新共同訳聖書より
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ちなみに兵士たちのくじ引きのシーンは,サイコロ賭博で表現されている.壁画の題材は聖書だが,バックに描かれた樹木などは,どう見てもタヒチアンな植物である(笑).さすがにゴーギャンの作ではないようで,なかなか素朴な画風であった.写真で紹介できないのが残念である.なお,我々が聖堂内に入ったときは,別にミサをやっていたわけではないので,礼拝堂内の長いすに横たわって高いびきをかいて寝ているおっさんもいた.
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パペーテ市内.後方には世界中どこにでもあるMacが |
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このカテドラルからさほど離れていないところには,あのマクドナルドがある.やはりマックはどこにでもあるのだなあと感心(?)してしまった.しかし,我々がここを利用することはなかった. 次に,我々はマルシェ(市場)に行ってみることにした.いかにも南国の市場といったムードで,活気にあふれている.野菜や果物,鮮魚類のほかに,お惣菜やお菓子を扱っている店もあったが,バゲットサンドを置いている店の商品の中に,焼きそばパンがあったのは大変興味深かった.焼きそばパンといっても,別に日本のもののようにソース焼きそばが挟んであるわけではない.挟んであるのは中華料理店でよく食べられている五目焼きそばのようなスタイルのものである.現地では「チャオメン」と呼ばれている.(なお,タヒチには結構中華料理を食べられるところが多い.かのルロット(屋台)にも中華料理の店があるくらいである.ここには早くから中国系の人が出入りしていたようで,サマセット・モームの小説「月と六ペンス」にも,中国人が経営する簡易宿泊所や,中国人の料理人を雇っているタヒチ在住のキャラクターが登場する)残念ながら我々が買って食べることはなかったが,食べたら旨いんだろうなあと思った.
このマルシェで,我々はパレオやココナッツオイルでできた石鹸を購入した.パレオ購入の際,いろいろ物色した末に,ある柄のものを買おうとしたら,「それタヒチ産じゃないよ」と店の人に言われ,別のものを購入することにした.しかし,何のことはない,彼は単に「TAHITI」とプリントされたものを我々に勧めていただけであった.
われわれのこの日の昼食は,カフェでの軽食にすることにした.私はビール,Kはミント味のソフトドリンクを注文し,それらを飲みながらピザをつまむことにした.このようなスタイルのカフェがあるということで,やっぱりここはフランス領であるなあと強く実感したのであった.(その後,フランス系リゾートにばかり出かけたために,Kは「ドイツ語圏に行ってもうっかり「メルシー」などと言いそうになってしまい,これはこれで困った」といっていた)
その後,バイマ・ショッピングセンターにも立ち寄り,店をいろいろのぞいてみた.本屋では,日本の和歌や唐代の漢詩を紹介した本が販売されており,大変興味深かった.無論フランス語なので解読の自信もなく,購入はしなかったのだが,中を見ていたKによると,「古今和歌集」や「唐詩選」なんかに収録された作品の紹介だろうと言っていた. |
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例えば在原業平や和泉式部,また漢詩の分野では李白や杜甫の作品は,フランス語訳にすると,どんな感じになるのだろう.(ちなみに我が家には,李白の詩の英訳文が紹介された,A・ウェイリーの「李白」(岩波新書)ならある)なお,市内のキオスクで,日本語の看板を見かけたのだが,テレホンカードが「てれほんカード」になっていた上,「ほ」の上に縦線が突き出ていたのには笑ってしまった.また,別の売店で「かっぱえびせん」が売られていたのには驚きであった. |
市内で見つけたVOWな看板.現地の人が書いたのでしょう |
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ひととおり市内観光を終えて,ホテルに戻るために再びル・トラックに乗った.あらかじめドライバーに降りる場所を伝え(日本のように車内放送があるわけでもないので,降りる場所がわからなければこうしないと停まってくれない),乗り込んだ.しかしやっぱり降りるべき場所を見落としてしまい,ホテルの前からかなり離れた場所で降りて歩く羽目になってしまった. |
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