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タヒチ旅行記(4)


2002年8月26日(月)

サメの餌付けツアーに行く

一夜明けて26日,この日はサメの餌付けツアーに参加することにした.サメといっても,別に映画「ジョーズ」に出てくるような人食いザメではない(もしそんなサメがこの辺の海にウヨウヨいたら,怖くて誰も海に入れないではないか.もっとも,オーストラリア近海などには,ホオジロザメなどの獰猛サメが生息しており,ダイバーが襲われることもあるようだ).彼らはよほど人間側からちょっかいを出さない限り,人間を襲ったりはしないということだ.さすがに客自身が餌付けをするわけではなく,餌を与えるのはツアーのスタッフのようである.
 まずはホテルの前に集合である.このツアーを引率するスタッフの一人は,ウクレレを抱えた陽気な現地人のおっさんであった.彼は当時ヒットしていた「おさかな天国」(当時住んでいた,大東町内のスーパーの鮮魚コーナーでも盛んに流れていた)を歌いつつ,参加者を楽しませていた.この歌はどうも前に参加していた日本人客から教わったもようである.彼の引率でツアーに出発である.
 まず船に乗り,最初のポイントであるエイの餌付け場所へと向かう.そう,餌付けされているのは何もサメだけではない.巨大団扇のような姿のエイにも会えるのである.ただし,ダイバー憧れの「マンタ」(イトマキエイ)ではないが.船をポイントに停め,そこから海に入ってエイの観察である.この辺は水深が浅く,足も海底に楽勝で届くので,泳ぎの苦手な私でも大丈夫である.シュノーケルを装着して海の中をのぞくと,おお,いるわいるわ,しっぽの生えたマットのようなエイが乱舞しているのである.中にはしっぽが取れてしまったものもいるが,大丈夫なのだろうか.試しにエイの体表を触っていたが,何だかぬめぬめした肌触りであった.ちなみにKは触らなかったようである.どさくさにまぎれてサメも泳いでいた.他の参加者もエイの群れに驚愕したり,触って確かめて喜んだりしていたようだ.その一方で,ガイドのおっさんは手にタコをつかんで掲げ,嬉しそうにしていた.

これからエイを覗きます

おー!いるいる

触るとヌメヌメした感じです

現地ガイドがタコを捕まえた
 
 ひととおりエイの群れを観賞したあとは,また船に乗って次のポイントへ移動である.そしてこの2番目のエリアが,噂のサメの餌付けポイントである.ここでも先ほどのポイントと同様,シュノーケルを装着し,ロープで区切ってあるサメの餌付けポイントへ泳いでいく・・・はずだったのだが,ここはさっきのポイントと異なり,水深が深い!こ,これはかなり危ない!怖い!私は溺れそうになってしまった.とっさに船で待機していたスタッフが駆けつけ,事なきを得たが,あれは怖かった.このまま死んでしまうかと思ったものである.一方のKは特に問題もなくポイントにたどり着き,サメの餌付けを観賞していた模様である.(それでもすぐに戻ってきたようであるが)このように,私は溺れかかって大変だったために,残念ながら餌付けの模様をカメラに収めることはできなかった.
 最後に,船はまた別の場所に移動し,シュノーケルスポットへと連れて行ってくれた.しかしシュノーケルスポットとはいえ,水深が少なくとも5mから10mは優にありそうなところである.先ほどのサメの餌付けポイントで溺れかかった私には,到底無理といっても過言ではない.しかしその一方で,海の中をのぞいてみたい・・・という気持ちも,また捨てられないでいた,何しろ現地人の女性スタッフが素潜りで海に入り(マスクもゴーグルも着用していなかった.鍛えられているとは思うのだが,塩分で目が痛くなったりしないのだろうか),「ウツボがいるよ」と教えてくれたりしているのである.ついにKが意を決して海に入ることにしたようだ.幸いこのシュノーケリングでは,ライフジャケットを借りることができる.Kはライフジャケットを着用し,海に飛び込むことにした.残念ながらカメラは持っていかなかったので,海中の様子を写真に残すことはできなかったが,私よりは泳ぐことができるKは,それなりに海の中を楽しむことができたようである.今回私はまた溺れるのが怖かったので参加は見送ったのだが,次回は是非ライフジャケットを着用し,シュノーケリングを楽しめるようになりたいと思ったものである.
 合計3箇所で海の中をそれぞれ異なる様相で楽しみ,船は帰路へとついた.ホテルに戻った後は,今回のツアーの様子を収めたビデオ鑑賞である.幸い,写真を撮ることができなかった人でも,こうしてあとで当時の模様を楽しめるように,スタッフがビデオ撮影をしてくれていたのである.なお,この模様のビデオは,別料金でDVDにしてもらうことができた.そして例のウクレレを持ったおっさんは,相変わらず「おさかな天国」を歌ってみんなの笑いを誘っていたのである.
 
 
 


ヨットクルーズ

 ホテルに戻ってから,我々はもう少しコテージのそばの海で泳ぐことにした.コテージ群の最先端部あたりまで来ると,やや深くなった部分があり,その辺りでは,「いかにも南の海の海水魚」といういでたちのチョウチョウウオが乱舞していた.この魚を見ると,やはり南の海へ来た,という気分に浸れるものである.そして彼らを誘う餌は,かっぱえびせんである.

ヨットクルーズから見るオテマヌ山.手前には豪華客船が
 
 さて,夕方近くなり,我々は,ヨットクルーズに参加してみることにした.我々のほかに数人が参加して乗り込み,この船はボラボラ島近海をほぼ一周する形でクルージングすることになった.船が海へ繰り出し,すぐそばにはオテマヌ山がその男性的な山肌を我々に示している.いたるところにモツ(小島)が点在し,椰子の茂みが風にそよいでいる.よく漫画や冒険小説に登場する無人島は,恐らくこれらの「モツ」を想定しているのであろう.そして水平線の彼方には,夕陽が沈もうとしている.シックな色合いの別のヨットとすれ違い,なんともいえない情緒をかもし出している.ちょうど良いことに,グラスのシャンパンも振舞われ,否が応でもムードは高まってくる.まるで映画のワンシーンのような,ロマンチックな光景に,我々も旅情をかきたてられる・・・といきたいところだったのだが,間抜けなことに私は,デジタルカメラのスマートメディアを交換しようとして,ケースを海風に吹き飛ばされ,紛失してしまったのであった.(なくしたのがスマートメディア本体でなかったのが,せめてもの救いであった)  

クルージングで見たいかにも南洋系の島です

これはセイシェルのではなく,タヒチの夕陽です(笑)

この辺の海は非常に浅いのでカナヅチでも大丈夫です
 


タヒチアンダンスと南十字星

 クルーズから帰ったあとは,シャワーと着替えを済ませて夕食である.この日はビュッフェとタヒチアンダンスの夕べであった.各種ガイドブックやホームページで,「タヒチアンダンスのショーは大抵のホテルで行われているので,一度は見ておくことを推奨する」とされているイベントである.そこで我々もそれに習い,見ておくことにした次第である.
 まずディナーであるが,ビュッフェなので自分で食べる量を調整できるのが魅力である.この日は豪華に,グリルでロブスターが焼かれていた.リゾート地のディナーというと真っ先に連想されるロブスター,早速我々も取り分けて食べる.この日はチリのワインをすすめられたので,それを飲むことにした.(チリといえば,モアイ像で知られるイースター島はチリ領であるが,日本からこのイースター島へ行くには,このタヒチ経由で行くのが便利である.タヒチとイースター島がセットになったパックツアーもあるほどである.なお,この年(2002年)の4月に亡くなった,ノルウェーの人類学者ヘイエルダールは,筏船‘コンチキ号‘で南米ペルーから101日間かけてタヒチのツアモツ諸島にたどり着いた.現在では彼が唱えたポリネシア人の南米起源説はあまり支持されていないようだが,ポリネシアと南米との縁の深さを,このお勧めワインを通じて感じた次第である)
 我々はワインと海の幸に舌鼓を打ち,食後にKはデザートにも手を出していた.食事をひととおり終えると,いよいよダンスショーの始まりである.いわゆる「タヒチアンダンス」(ポリネシアンダンス)は,たまに岩手県雫石町にある「けんじワールド」でも催されていることがあるが,彼らもやはりこの辺から派遣されてきたりするのだろうか.花で作ったレイを首から提げ,いわゆる腰みのをつけて,腰の動きを生かした独特の振り付けで踊る.その動きが官能的であることから,キリスト教宣教師らによって迫害されたこともあったが,20世紀後半になって復興運動が起こり,今では普通に観賞できるようになっている.毎年7月には,このダンスやタヒチの伝統芸能をメインにした祭りも行われているようだ,この日行われたダンスは,前半がダンサー6人で踊る優雅な動きのダンス,後半は両端が燃えている木の棒をバトンのように振り回して踊るファイヤーダンスであった.

ホテルのロビーにて.夕食に向かうところです

ボラボラ島の優雅なディナータイムです

ワインで顔が赤くなっています

ポリネシアンショーの始まり

ファイヤーダンスです
 
 ファイヤーダンスは日本でも稀に何かのイベントで催されることがあるので,目にすることもあるだろう.器用に燃えるバトンを振り回して躍る様は壮観であるが,よく見るとたまにバトンをとり落としてしまうダンサーもいたりする.週2〜3回のペースでこのダンスをやっているのであれば,たまにはコンディションが悪くてうまくできないこともあるのかもしれない.(別にそれがいいわけではないのだが)なお,火を使わないほうのダンスでは,宿泊客も参加しての催しがあった.新婚旅行で来たと思われる女性が参加していたようだ.またダンサーとの記念撮影もあり,Kも彼らと一緒に写りこんでいた.
 賑やかなダンスも終わり,レストランに面したプールサイドも徐々に静かになっていく.先ほどのダンスショーで音楽を担当していたバンドのメンバーがタヒチアンギターを弾いているのが聞こえた.その音色を聞きながら,この楽器で「ドン・ジョヴァンニ」のセレナードのマンドリン・パートを弾いたらいいのではないかとふと思ってしまった.
 コテージに戻って,次に私が行ったのは,「南十字星」の撮影である.前年にニューカレドニアに行ったとき,せっかく南半球に来たにもかかわらず,南十字星を見ることなく帰ってしまったのである.今回再び南半球に来たにあたり,せっかくデジカメもあることだし,今度は是非撮影しようと意気込んだ次第である.カメラと三脚を用意し,早速撮影である.(なお,この南十字星のそばに,よく似た星の並びの「ニセ十字」がある.見分ける方法は十字架の左上(βとγ)の角が鈍角(90度以上)なのが本物で鋭角(90度以下)なのがニセモノである)かつて私は,父に買ってもらった天体望遠鏡を友に,夜空の星に親しんだ天体少年であった.あの時からの憧れであった南十字星を,今こうして撮影することができるのは,大変感慨深いものがあった.まさにあの時の興奮が,よみがえってくるようであった.今回は家庭用デジカメによる撮影ゆえ,不鮮明な感は免れないが,どうかご容赦いただきたい.
 
南十字星に魅せられ,ライトアップされた船を遠くに見つめ,ボラボラ島最後の夜は,穏やかに更けていった.
 

ダンサーと記念撮影するK



美しくライトアップされる客船です(夕方のクルージングで見たのと同じ船)

そしてこれが南十字星(正式には南十字座)
 
 
 



 

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