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セイシェル旅行記(8)


2004年7月 6日(火)〜7月 7日(水)


最終日,島巡りへ

 あっという間に最終日,セイシェルを去る日である.もっとも出国は夜なので,日が出ているうちは観光に充てることができる.この日は前に交渉した,クーザン・キュリューズ・サンピエールの3島を回るツアーである.特にクーザン島は,自然保護区に指定されていて,ツアーに参加しないと上陸できないのである.以前クーザン島に行った人のホームページを見たことがあり,かねてから行ってみたいと思っていたのである.それで帰国の日というやや厳しい条件ながらも,何とか交渉して参加にこぎつけたのであった(前出のように,このツアーは週3日の催行である).
 まず我々は,旅行記5に書いた手順に従って荷物をまとめ,ホテルにスーツケースを預けてチェックアウトした.そして送迎の車に乗り,このツアーの出発地であるホテル「ベルジャヤ・プララン・ビーチ・リゾート」の前に集合する.出発の前にミネラルウォーターを買おうと思い,目の前の売店へ行った.
 
そして水を買い,支払いをしようとしたところ・・・
げっ,5ルピーほど足りない.Kも持っていないようだ.到底カードや米ドルが使えるはずもなく,仕方なく足りない分はまけてもらったのであった(泣).
 このホテルのビーチから船に乗り,クーザン島へと向かうのであるが,別に桟橋から乗るわけではない.そう,海から入って乗るのである.長ズボンをはいてしまったKは,必死ですそをまくっている.このぶんだとお腹の部分まで濡れてしまいかねない.しかし何とかボートに乗り込むことができた.そしてこのボートから順次クルーズ船に乗り,一路クーザン島へ行くのである.
 ツアーの参加者は,おおよそこの船に十数人ほど乗っていただろうか.甲板に出て甲羅干しをしたり,海から島影を見たり,皆思い思いに過ごしていたようだ.約40分ほどでクーザン島に着いた.またそれぞれボートに分乗して,数人ずつの上陸である.(どうやらネズミの上陸を防ぐため,このような上陸の形態をとっているらしい)上陸の際,砂浜にボートが突っこんでいく様は,なかなか壮観である.
 ところで,このツアーの参加者の中に,ピエトロ・ジェルミ監督の映画「鉄道員」に出てくる父親のような,いかにも「頑固親父」といった雰囲気のイタリア人のおっさんがいた.彼は絶対にイタリア語しか話そうとせず(他国語が話せないのかもしれないが),ボートの乗り降りの際も「ピアノ,ピアノ(静かに,静かに)」とか「フェルマータ(ちょっと待て),フェルマータ」という単語を連発していた.「ピアノ」や「フェルマータ」は音楽用語としておなじみであるが,音楽と無関係の場で日常会話の単語として用いられるのを聞いたのはこれが初めてである.この彼は「巨人の星」の星一徹をラテン系にしたような感じで,奥さんとのかけ合いもかなり面白く,このツアーの最後まで独特の雰囲気で押し切っていた,なかなか味のあるおっさんだった(私は彼をイタリアおじさんと命名した 笑).

いよいよクーザン島上陸です.現地係員が出迎えてくれます

ついに念願のクーザン島に上陸,嬉しいやら暑いやらです

クーザン島上陸地点に立つ小屋.ここで簡単な説明を受ける

こんな小屋の中でもフェアリー・ターンが戯れているようです.人間を恐れないようです
 
     


クーザン島を歩く

 こうして我々はクーザン島へ上陸した.この島は,前述のように島全体が自然保護区になっていて,行動は全てガイドの指示に従わねばならない.そこで我々はガイドの指示を仰ぐのであるが,ここでツアー客は英語ガイドチームとフランス語ガイドチームに分かれるのである.我々は当然英語ガイドチームであるが,一度でいいからフランス語ガイドチームに加わってみたいものである.
 この島も野鳥の宝庫であるが,この島にしか生息していない鳥も何種類かいるらしい.最初にスズメかウグイスのような小鳥を紹介されたが,小さい上に動きがすばやく,体色も地味であったためにうまく撮影できなかった.しかしこの島でも多く見られるのが,やはりブラック・ノーディのようなアジサシの仲間である.なぜか道端で羽を中途半端に開いたまま地面にいる個体がいたが,怪我でもしているのだろうか.そのほか,木のうろでうずくまって営巣しているシラオネッタイチョウの姿も観察できた.
 次に我々が見ることができたのは,昨日アンスラジオでも見ることのできたトカゲである.道端の一角に小さな水溜りがあり,そこに群がって水を飲んでいた.今は乾季にあたるため水が乏しく,少しでも水があれば先を争って飲むのであろう.かなりいろいろなサイズの個体がおり,面白い光景であった.
 そしてこの島にも,あの亀がいるのである.ここの亀もまた,野生種というよりも,個体の保護のためにここで飼育されているもようであった.数頭の亀が,そこいらをのっしのっしと歩いており,ある個体はガイドやツアー客の手から木の葉をもらってムシャムシャと食っていた.そしてここでも紹介されたのが,先にバードアイランドのネイチャーウォークでも紹介された,亀の頭のような植物の実であった.気のせいか,バードアイランドのものよりも例の「ブルーチーズのような臭気」が強いような気がする(そして困ったことに,帰りのシンガポール行きの機内で飲んだ白ワインが,まさにこの実とそっくりな臭いだったのである).

島のインフォーメーション.この時はレッサー・ノーディの繁殖期について記されていました

ガイドの説明(英語or仏語)を聞きながら島をめぐります

ここにもゾウガメが.観光客の差し出す草を食べています

地面で伸びたようになったブラック・ノーディ.怪我をしているのかは不明です
 
なお,この亀のいる周辺で,なかなか綺麗な体色のバンの仲間の鳥が2,3羽走り回っていたが,残念ながら撮影のチャンスを逃してしまった.
 そのほかここでは,沢山の鳥たちが営巣したり育雛をしたりしている姿を双眼鏡なしで,至近距離で観察することができた.ところでこの島には「lesser noddy」という,ブラック・ノーディをやや小型にしたような黒っぽい体色の鳥がいるが,ボート乗り場のそばの東屋にあるホワイトボードの解説によると,今は丁度彼らの繁殖期なのだそうである.そのためいたるところで,木の枝に,ひよこをミニサイズにして体色を黒くしたような彼らの雛が泊まっているのを見ることができた.また,彼らだけでなく,シロアジサシもどうやら繁殖期のようで,ぽやぽやした産毛の雛が枝にちょこんと止まっているのも見ることができた.
 この鳥たちの楽園で自然の営みを観察した後は,キュリューズ島へと向かうのであるが,船に乗る前に東屋で休んでいると,例のイタリア人おじさんがKに何やら話しかけている.しかしイタリア語なので意思の疎通ができずちょっと困っていたようだ.
 

森の中を走っているトカゲです

フェアリー・ターンの雛です

フェアリー・ターンの成鳥です
 
     


キュリューズ島,そしてサンピエール島

 次の目的地は,双子椰子の原産地として知られるキュリューズ島である.まずはこの島に上陸し,先に下りている人々のように海で泳ごうかと思ったのだが,船からボートで数人ずつ上陸するという手間のかかる方法をとらざるを得ないために,時間がかかってしまって,結局降りたらすぐ昼食の時間となってしまった.
 ここの昼食はバーベキューである.そのための設備も用意されていて,肉が焼かれ,好みで野菜とパンを各自で添えて食べるようになっている.料理は旨いが,やはり屋外ゆえ,ここでも我々は蝿に悩まされるのである.常に蝿との闘いである.他に彼らの食糧もここにはなさそうなので,余計に料理にまとわり着くのであろう.ああ,○ポナがほしい・・・.
 食後はガイドの案内で,キュリューズ島の散策である.ここは双子椰子の原産地として知られている以外にも,いくつか見所があるようだが,水中造形センター刊のガイドブックによると,ここはかつてハンセン病患者の隔離島として用いられていたらしい.途中に(ガイドの説明がうまく聞き取れなかったので,もしかしたら違うのかもしれないが)恐らく彼らが使っていたと思われる住居(もしかして入院施設か?)の跡が残されていた.
 しばらく歩いていくと,マングローブが現れた.我々はここの遊歩道を歩いていくのである.今はちょうど干潮時で,干上がった泥地にマングローブの気根がたくさん突き出ている.そして沢山の巻貝が転がっていた.巣穴に蟹が潜んでいるのも見える.マングローブを見ると,いつも「ああ、南の島に来たなあ・・・」という感慨にふけることができてよい.Kもたまたま近くにいた例のイタリア人のおっさんに,このマングローブの姿についていろいろ話しかけていたが,やはり意思の疎通ははかれないでいたようだ.
 マングローブを抜けて高台に出る.ここから下を見下ろすと,眼下に広がる海が,石でできた橋か防潮堤のようなもので仕切られているのが見えた.この防潮堤のようなものから手前が,ちょうどせき止められたようになっていて,波もない静かな潮溜まりのようになっていたのである.この海の中に何かいるのか,のぞいてみたかったが,残念ながらこの海に行く時間はなかった.
 そしてここにもまた,亀がいるのである.我々が高台へ登り,それから浜辺へと降りていくと,浜辺を亀が闊歩しているのである.浜辺の亀といっても,別にウミガメではない.アルダブラゾウガメである.ちなみにアルダブラゾウガメは,別に海に好んで入ったりはしない.(たまに水浴はするのかもしれないが)浜辺近くの広場で悠々と草を食んだりしているのである.よって,セイシェルに行けば,アルダブラゾウガメを見たいと思えば観光客が行きそうなところには大抵いるのである(もっとも,彼らはほとんどが飼育下の個体であるが).
 そしてキュリューズ島に別れを告げ,最後の目的地,サンピエール島である.といってもこの島に上陸するわけではなく,周辺の海域でシュノーケリングをするのである.船から直接海(海底に足が届かない深い場所)へ入ってのシュノーケリングは,タヒチで一度経験しているが,実際にやったのはKだけで,私は海に入れなかった.サンピエール島の沖合いの,シュノーケリングスポットで船を停め,海へ入る準備である.しかし恐ろしいことに,水深2m以上の場所なのに,みんなライフジャケットなしで,悠々と飛び込んでゆくではないか.

クーザン島を後にします

キュリューズ島に向かう船内にて.例のイタリアおじさんに撮ってもらったひとコマです

キュリューズ島上陸後,ガイドの説明を聞きながらひたすら歩きます

キュリューズ島のマングローブ.ちょうど干潮の時間でした

キュリューズ島の休憩地点にて.歩き通しでへばっています

ここから小さなボートに乗って船に帰ります(ピストン輸送)

サン・ピエール島.付近はシュノーケリングスポットです
 
 これを見たKは,もしかしたら何とかなるかもしれないと思い,自分も挑戦してみることにしたようだ.しかし,結果は・・・やはり船のはしごから手を離そうとした途端,怖くなってしまったらしく,「やっぱりだめだ」と速攻で船に戻ってきたのであった.タヒチで経験した時はライフジャケット着用であった.今回ライフジャケットの用意はなかったものの,頼めば貸してもらえたのだろうか.今度ここに来る機会があったら,是非「マイ・ライフジャケット」を用意して参加したいものである.ちなみに女性の方がわりと積極的に参加しているようで,男性で船に残っていたのは私と例のイタリア人のおっさんと,もう一人ぐらいであった.しかしそれにしても,彼らはよくこんな深いところで,ライフジャケットなしで泳げるものだなあと感心することしきりであった(まあ慣れているのかもしれないが).
 船を操縦していたスタッフが,我々に帰りの飛行機の時間を訊いてきた.時間に間に合うように便宜をはかってくれているらしい.何かと心配りをしてくれる彼らに感謝しつつ,このツアーの終わりを迎えたのだった.そしてあのイタリア人おじさんともお別れである.
 


さらば,セイシェル

 3島巡りツアーから帰り,あとは帰国の途につくのみである.はじめに紹介した手順とやや異なり,マヘ空港で浴びる予定だったシャワーが,ホテルのジムのそばのシャワールームで浴びられることになった.これでさっぱりして帰路につくことができる.幸いシャワールームが2つとも空いていたので,私とKとでそれぞれのシャワーを使うことができた.
 シャワーを浴びた後,あらかじめ預けていたスーツケースを受け取って,空港へと向かう.機内預けをする前にパッキングのしなおしである.プララン島で機内預けをすると,成田まで受け取れないそうだからである.そして搭乗手続きを済ませ,飛行機はマヘ空港へと飛び立った.窓から赤い夕陽が見える.まさにセイシェルの夕陽,我が青春の歌そのままのセイシェルの夕陽が,今海に沈んでゆくのであった.これほど心にしみる夕陽が,かつてあったであろうか.ああ,あの歌をラジオで聴いたあの頃は,どこにあるのかわからなかったセイシェル,そのセイシェルに私はこうして確実に滞在し,今この地を去ろうとしているのだ.
 マヘ空港に着いた頃には,すっかり夜になっていた.空港内は多くの人で賑わっている.しかし,これだけ多くの人がいるにもかかわらず,我々以外の日本人らしき人の姿は見られなかった.やはり日本人旅行者は我々しかいなかったのだろうか.前の年にスバールバル諸島を訪ねた時は,日本人に会わなかったのはスバールバルにいたあの3日間だけで,オスロに出ればたくさんの日本人に会うことができた.しかし今回は,このセイシェル滞在中,6日間というもの全く日本人を見かけなかったのである.現在,日本でセイシェルに関するガイドブックが「地球の歩き方」ぐらいしか入手できず(水中造形センター刊の本は絶版になってしまったらしい)その「地球の歩き方」も2002〜2003年版を最後に更新されている気配がない(しかも版元にネット注文しても「在庫なし」といわれ,現在私が持っているのも,東京の書店にただ1冊だけ残っていたのをやっと見つけて購入したのである)理由がようやくわかったような気がした.訪れる人があまりにも少ないので,需要がないのである.確かにセイシェルは,日本人が出かけるリゾートとしては,かなり条件が不利な場所であることは確かである.他の空港で乗り継がないと行けない上,便数も少なく,しかも中途半端な曜日にしか飛んでいない.モルジブやモーリシャスのように豪華なリゾートホテルが多くあるわけでもないし,買い物できる場所があるわけでもない.また,日本からなら太平洋側のリゾート地のほうが断然行きやすいし,選択肢も豊富である.そのようなことを総合的に考えれば,わざわざセイシェルを選ぶ人が少ないのも無理はないのだろう.
 しかし,少なくとも私にとっては,セイシェルはいい場所であった.この国は自然環境との共生を売りにして生きていく道を選んだため,必要以上の快適さを求めることはできなくなっている.そのため普段の先進国では普通にやっていることでも,この国(に限ったことではないかもしれないが)では我慢しなければならないこともたくさんある.そのため,不便に思うことも多々あるかもしれない.しかし,我々はそれらを補って余りあるだけの,楽しい思い出を作ることができた.何よりも高校時代に聴いた青春の歌「セイシェルの夕陽」を,こうして肌身で感じることができたのである.
 いくつもの楽しい思い出と感慨とを胸に,我々は機上の人となった.シンガポールを経由して(今回は行きと違って,空港で6時間も待ったりしない),翌日7日の夕方に成田に到着した.そこから成田エクスプレスと新幹線を乗り継ぎ,二戸に出て車で久慈に着いたのは深夜であった.既に日付は変わっていたが,その後数時間寝ただけで,翌朝私はごく普通に出勤したのであった.

        完 (明日からまた日常の世界)
 



 

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