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セイシェル旅行記(2)


2004年6月30日(水)


いよいよ出発

 前日の6月29日に成田で前泊したわれわれ(2004年4月から転勤で岩手県北の久慈市に引っ越している)はシンガポール行きの便に乗るべく時に成田空港第1ターミナルに到着した.既に航空券は受け取っていたため,搭乗手続きをすべくシンガポール航空のカウンターに行く.航空券の束を手渡し,シンガポールでトランジットしてセイシェルまで行く旨を伝えると,カウンターの女性は「セイシェル?」と怪訝そうな顔をした.な,なんとこのお姉さんはセイシェルを知らないらしい.一般人ならともかく,航空会社の人にも知られていないとは,セイシェルってそんなにマイナーだったのかとちょっと不安になった.結局そのお姉さんはマヘ島の空港のコードが分からないと,他の職員に問い合わせたりして手間取ったため,チェックインを済ませて荷物を預けるまでに15分以上かかってしまった.
 チェックインを済ませたわれわれはまだ時間に余裕があったので,空港内の本屋や旅行用品店をのぞいたりした(このとき例の水中造形センターから出ているセイシェルのガイドブックを発見した.しかしこの本は1988年初版発行,1996年第3版発行という,ガイドブックとしては既に恐ろしく古くなっていた本であった).またホテルを朝食抜きで出てきたため,空港内のそば・うどんの店で朝食を取った(空港なので値段は高かった).出発の1時間前になったのでそろそろ搭乗口に行こうとセキュリティーチェックから出国審査に向かう.2001年の同時多発テロ以後機械の感度が上がっているため,私のベルトはいつもチェックに引っかかってしまう.今回は最初からベルトをはずしてゲートをくぐったのでブザーは鳴らずにすんだ.
 出国審査を終えてターミナル内に入ると免税店でタバコを買ったり(免税のタバコは1カートンが1700円と市価より1000円も廉い)して時間をつぶした.


新婚旅行と間違われる

 飛行機はほぼ定刻に出発した.目指すシンガポールまで約7時間のフライトである.ヨーロッパに行くほど長いフライトではないので,機内食の提供は一回である.アジア系の(日系を除く)航空会社を利用するのは,私は1989年にアメリカからの帰りに乗った大韓航空以来2回目である(Kは今回が初めてらしい)アジア系ということで,恐らくイスラム圏の人であろう,特別仕様の機内食(健康上もしくは宗教上の理由で食事内容に制限がある場合,搭乗の前にあらかじめ申告しておくとその人に合わせたメニューを用意してくれる)をとっている人を何人か見かけた.飛行機が離陸してから機内食の提供までに結構時間がかかっているなあと思っていたが,あまり気にしないことにした.
 しばらく飛んでいるうちに,急に機体に「ドンッ」という衝撃が走った.何事かと思いびっくりしたが,いわゆる「エアポケット」というもののようである.噂には聞いていたが,まさか本当に遭遇するとは思わなかった.飛行機は嫌いというわけでは決してないのだが,こういうのはあまり気持ちの良いものではない.
 機内食をとった後はしばらくうとうとしていたのだが,そのうちに客室乗務員が何やら持ってこちらへ向かってくる.彼女たちはなんとケーキとシャンパンの入ったグラス,それに結婚式の衣装をまとったムーミンとノンノンのぬいぐるみを持って我々の座席に近づいてきたのである.そして我々に向かって一言,「○×様,ご結婚おめでとうございます」な,なんと新婚旅行だと思われてしまったらしい.そういえばセイシェルは「新婚旅行で是非行きたい」と言っている人が結構多い場所である.今回利用したグロリアツーリストのツアーも,ほとんどの需要は新婚旅行なのであろう.そのため会社側も,恐らく我々が夫婦での参加を申し込んでいるのを見て,「恐らく新婚旅行なんだろう」と思ってしまったに違いない.このとき私はうつらうつらしていたのだが,起きていたKが「違う方じゃないですか」と断ってしまっていた.黙って受け取っていればよかったかも知れないとちょっと悔やんでみたりした.
 


シンガポール空港にて

 まずはシンガポール空港に着陸である.シンガポールはもちろん最終目的地としての利用も多いが,アジア各国やヨーロッパ,その他各地へと飛び立っていくための経由地としても重要な位置を占めている.そのため空港もトランジットのための設備がかなり充実している.
 さて、我々もこの6時間にも及ぶ乗り継ぎ時間を空港内で過ごすわけだが,ありがたいことにこのシンガポール空港には,時間単位で利用できるトランジットホテルがある.早速我々も利用することにした.(シンガポール乗換えのツアーには,一度シンガポールに入国し,専用バスなどで観光をするプランを追加できるものもあるが,6時間という乗り継ぎ時間は,そのような観光をするには短いのである)トランジットホテルの部屋は,一見普通のホテルの部屋と変わらないが,仮眠を取りやすくするためか,あるいは単なる構造上の問題か,窓がないのである.我々はホテルの部屋でシャワーを浴び,しばらく寝ることにした.
 時間になったのでチェックアウトし,しばらく空港のトランジットエリアをうろつくことにした.サボテンが栽培されている中庭に出てみると強烈な湿気が襲ってくる.その他にもインターネットが使えるコーナーやら,軽食がとれるコーナーやら,かなり賑わっている.観光客だけでなく,ビジネス客の姿も沢山見受けられた.我々はカフェテリアで軽食をとることにした.スパゲティを食べたが,いわゆる「ソフト麺」とまではいかないがやはり外国としての限界を感じる味であった.
 さて,いよいよセイシェル航空への搭乗準備の時間である.指定されたゲートへと向かい,搭乗を待つばかりである.
 


いざ,セイシェルへ

 我々は指定のゲートで搭乗時間を待っていた.シンガポールからセイシェルへ向かう便は水曜日のこの1便のみ,しかも夜中にひっそりと飛んでいるという,かなり侘しい路線である.(前掲の水中造形センター刊のガイドブックによると,かつては週2便あったのだそうだ.どうも需要があまりなかったのか,あれから便数を減らされてしまったらしい)ゲートで待っている他の面々を見てみると,商用で利用すると思われる中国系の人は何人か見かけたのだが,どうも日本人と思しき人は我々だけのようである.前回のスバールバル旅行のときも,我々は日本人に全く会わないという経験をしてはいるが,さすがにセイシェルは「新婚旅行で行きたい」という声も結構あることから,「いくらなんでもスバールバルみたいに日本人に全く会わないということはあるまい,日本人も何人かはいるだろう」と思っていた.が,この雰囲気を見ると,もしかしたら今回も,他に日本人がいないなんてことがあるのではないか・・・という気がしてしまっていた.(この懸念(?)は現実のものとなった.我々は実際,この旅行中にセイシェル国内で他の日本人の姿を見ることは一度もなかったのである)
 そうこうしているうちに搭乗開始である.セイシェル航空機は座席が3−3という,国際線としては小さい機体である.当然座席ごとのモニターはない.しかし我々はこれが深夜にひっそりと飛ぶ便ということもあり,離陸を待たずにさっさと眠りについてしまった.
 次に我々が目を覚ましたのはほとんど着陸間際である.着陸時刻ももう現地時間で夜中の3時過ぎである.夜中なのでもうほとんど流れ作業のように入国手続きを済ませた.空港の到着ロビーで,現地の旅行会社である「MASON」(なんだかフリーメーソンとの関係を疑いたくなる社名だ)のスタッフが出迎えてくれた.ちなみにグロリアツーリストの小冊子では,‘セツ子さん‘という方が出迎えてくれるという記事が書かれていたが,セツ子さんは退職してしまったらしく,実際の出迎えは現地人スタッフだった.(なお,セイシェルでは宿泊施設は全て観光局によって統制されており,観光目的で来る旅行者は,全て旅行会社側が把握していることになっているようだ.この国では観光産業は重要な外貨獲得の手段であり,そのせいもあってか,野宿は禁止されている)そして送迎の車に乗り,休憩用のコーラル・ストランド・ホテルへと向かう.ところで,セイシェルは1976年に独立するまではイギリスの植民地であった.つまりイギリスの影響を強く受けており,そのために車道は日本と同じ,世界でも数少ない左側通行なのである.「おお,左側通行だ」と感動してしまった.(左側通行ということは,日本の乗用車がそのまま使えるということである.実際我々も,この国で数多くの日本の中古車を見かけることになった)やがて車はホテルに到着,我々はチェックインを済ませ,部屋へ向かった.ホテルは別に高層ではないのだが(セイシェルでは椰子の木より高い建物は建ててはいけないことになっているらしい.恐らく景観上の問題からだろう.ウィーンの旧市街で聖シュテファン大聖堂より高い建物を建ててはいけないのと何となく似ている)エレベーターがあり(異様に狭かった),それに乗って部屋へと移動し,そのまま部屋で眠りに着いた.
 



 

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