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セイシェル旅行記(3)


2004年7月 1日(木)


コーラル・ストランド〜ヴィクトリア市内

 機内で十分に睡眠をとることができたためか,午前中に目を覚ますことができた.外からはプールサイドが見え,空はさわやかに晴れ渡っている.我々は朝食に日本から持参したカップ麺を食べた.係員の出迎えは午後1時なので,それまで部屋でくつろいだり,ホテル内をうろついたりして過ごした.このホテルはボー・バロンというビーチに面しているが,既に何人かのバカンス客が日光浴をしたり,浜辺をジョギングしたりしているのが見えた.なお,このホテルにはセイシェルでも屈指のインド料理店が入っているそうだが,我々が利用することはなかった.その代わりというわけでもないのだが,私はフロントで両替を済ませた後に,ホテルのバーでソフトドリンク「ビターレモン」を飲んだ.この「ビターレモン」,既にグロリアツーリストのパンフレットやいくつかのサイトで紹介されており,その味についても「はまってしまった」など概ね好意的な声が寄せられている飲料である.現地の飲料メーカーから発売されており,外観はファンタレモンに似ているが,レモン果汁も原材料に入っており(ファンタレモンは無果汁),甘みもファンタレモンほど強くなく,さっぱりとしている.たとえばアルコールを飲めない人が,食事のお供として飲むのには良いかもしれない,ちなみにKは,うっかりスプライトを頼んでしまったようだ.大丈夫だ,セイシェルにいるうちはまだ飲むチャンスはある.
 そして午後1時,迎えの時間である.ホテルから首都ヴィクトリアを経由して空港へと向かう.昨晩も同じ道を通ったはずだが,なにしろ夜中なので,外の景色がわかるはずもなかった.改めて「このようなところを通ってきたのだ」と気づいた次第である.

休憩用のコーラルストランドホテル.こじんまりとしたホテルです


ホテルで伸びる我々.寝てきたとはいえ合計15時間のフライトは堪えます


コーラルストランドホテルのビーチ.観光客の姿がちらほらと見られます
 
 まず,左側通行ゆえに,日本の中古車が大変多い.我々が旅行した時期は,丁度三菱ふそうグループによる大量リコール事件が発覚して間もない頃だったため,三菱の車を見かけるたびに「あれもリコール対象車じゃないか」などとささやきあっていた.しかしこの辺の人は,仮に自分の車に日本でなら即リコール対象となる不具合があったとしても,かまわずに乗り続けるのではないか・・・という気もする.ヴィクトリア市内では,中国大使館付近でフロントガラスが粉々に割れた事故車を目撃した.
 今回の旅行では,我々はヴィクトリア市内を見て回る時間は取れなかったが,空港へ向かう車の中で外観だけは見ることができた.市の中心部には時計塔があり,これがヴィクトリアのシンボルとなっている.これはイギリスのビッグベンを模して造られたそうだ.街自体は小ぢんまりとしているが,結構賑わっている.
 


バードアイランドへ

 間もなく車は夕べ降り立ったばかりの空港に着いた.ここから国内線のプロペラ機に乗り,バードアイランドへと向かう.ところで,バードアイランドへ飛ぶ便は機体が大変小さいので,荷物の重量に厳しい制限があり,一人10kgまでしか持ち込むことができない.このため我々は,あらかじめバードアイランドへ持ち込む荷物のためのバッグを用意し,日本の自宅でも実際に重量を量ってテストしてきたのである.このバッグに,当地で使うだけの荷物をあらかじめ詰めておき,残りはスーツケースに入れて,マヘ空港の荷物置き場で預かってもらう.
 国内線のターミナルでは,他にも乗客が集まっていた.中国系と思しき若夫婦(本土在住かどうかはわからない)もいて,我々とも互いに写真を撮りあったりした.チェックインを済ませ,搭乗券を受け取るが,この搭乗券は,環境への負担軽減として紙のごみを出さないために,使い回しできるプラスチックのプレートになっている.旅行会社側から既に話は聞いてはいたのだが,「プラスチックの板」と聞いて,よく食堂などで「この番号札をもってお待ち下さーい」と渡される縦幅3センチくらいの楕円形のプレートを想像していたのである.

バード島行きの搭乗券は見ての通り,再利用可能なプラスチック製です.ちなみに搭乗番号は3番と4番でした

国内線のカウンターです.バード島行きとプララン島行きしかありません.
 
しかし実際の搭乗券はそんな貧弱なものではなく,表にはっきりと「Air Seychelles BOARDING CARD」と書かれた立派なものであった.幅30cmくらいはある.利用者数が少ないからこそできる技であろう.
 私は空港内でも写真を撮ったりしていた.かつてセイシェルは社会主義体制をとっていたこともあり,このような体制の国では空港内の写真撮影は禁じられているのだが,今回の旅行では特にお咎めらしきものは受けなかった.もう社会主義体制はとっていないのかもしれない.(なお余談だが,私が所属する合唱団の指揮者S先生は,かつてドイツ留学に向かう途中,経由地の金浦空港で,物珍しさのあまり空港内で写真を撮りまくっていたらカメラを没収されてしまったそうだ.まだ韓国が軍事政権下にあった時代の話である)セキュリティチェックをうけ(なぜか搭乗するわけではない職員も探知機をくぐり,そのたびにいちいち警告音が鳴っていた),後は搭乗を待つばかりである.
 
 バードアイランド行きの飛行機は本当に小さい.たしかにこれではスーツケースなんて積み込めないだろう.これに乗って約30分,目指すはバードアイランドである.
 ところで,我々は2002年にタヒチを旅行した際,オプショナルツアーでティティアロア島という小島(故マーロン・ブランドのプライベート・アイランドである)に日帰りで出かけ,滑走路と宿泊所のほかには何も人工的な建造物のない自然のたたずまいに魅了された.「次回は是非一泊したいね」と思ったものであるが,このバードアイランドも,そのような「滑走路と宿泊所のほかはただ自然のみ」という,まさに同じような体験のできる島なのである.しかしバードアイランドはティティアロア島と違って日帰りはできない.(飛行機は1日1便しかないのである)今回我々はこの島に2泊した.
 マヘ空港から約30分のフライトの後,我々はバードアイランドに降り立った.バード・アイランド・ロッジの従業員と家族らしき人々が出迎えてくれた.しかし彼ら以外にも我々を歓迎してくれた(?)存在がある.そう,である.前述したようにこのバードアイランドは,ヒッチコックの映画「鳥」のモデルとなったといわれている場所である.通路に沿って植えられている木々に,おびただしい数の黒い鳥が巣をつくり,あるものはその巣にすわり,あるものは枝に止まり,アーチのように我々を出迎えている.(もっとも,彼らには「出迎え」なんて概念はないと思うが)これはなかなか壮観である.(この鳥は「ブラック・ノーディ」とよばれるアジサシの一種であった)

これがバード島行きのプロペラ機です.とても小さいので荷物は一人10kgまでです

バード島行きの機内から見えた島.バード島ではありません

客室から操縦席が丸見えとセキュリティはかなり甘いです
 


バード・アイランド・ロッジ

 我々はまずロビーに通され,宿泊に当たっての説明を受けた.バード・アイランド・ロッジはメイン棟と24のバンガローから成る宿泊施設である.そしてルームキーの替わりに渡されるのが懐中電灯である.そう,この島は自家発電(どうも太陽光発電のようだ),当然外灯なんてものは存在せず,夕食時にメイン棟へ行くには懐中電灯をつけなければ真っ暗で歩けないのである.その他にもいろいろ注意事項があるのだが,このような小さい宿泊施設にも一応ドレスコードに関する規定はあるというのが,やはりヨーロッパの影響が強いリゾートである.(まあ,「襟付きシャツとスラックスを着用しろ」という程度のものであるが)
 その後各々のバンガローへの移動である.移動の途中,我々はこの島のもう一人の主役とでもいうべき存在に対面することとなった.そう,亀である.和名アルダブラゾウガメ,太平洋のエクアドル領ガラパゴス諸島産のガラパゴスゾウガメと並び称されるゾウガメの一種である.これは地球上でこのセイシェルにのみ野生個体が生息している希少種である.この島で飼育されている亀のうちの1頭は,200歳を超えているという.(なお,2006年春にインドの動物園にて死亡したと報じられた,推定250歳といわれる亀は,このアルダブラゾウガメである.もしこの推定年齢が本当だとすれば,まさにモーツァルトが生まれた年から生きてきたということになる)この亀は草食性で,基礎代謝も高くはないのだろう.ただ悠々と年を重ねているようであった.

バードアイランド・ロッジのロビー.奥がレストランです

バンガローです.数年前の写真では藁の屋根だったようです

セイシェルの主,アルダブラゾウガメです.比較用のタバコと比べてみる
 
我々がこの亀と対面した時は,亀は水飲み場で水を飲んでいるところであった.動きがとてもゆっくりしており,なかなか余裕を感じさせる.この亀はワシントン条約の対象動物であるが,密輸されることもあるらしく,2003年7月には横浜市の駐車場で捨てられている幼個体が発見される事件も起こっている(「アニファ」2003年10月号より)
 バンガローは屋根がトタンでちょっと無粋(数年前の写真では,松田聖子の「セイシェルの夕陽」にも出てくるようにわらの屋根のバンガローだったようだ)というほかは,わりと良い感じである.外に椅子とテーブルも配置されており,よしずのような日よけもおろせるようになっている.日本にもあるような小奇麗なバンガローを見慣れた人には,もしかしたら抵抗があるかも知れないが,我々は大して問題にはしない.部屋のベッドには蚊帳がついている.セイシェルにはマラリアはないようだが,一応アフリカ島嶼部に分類されるところでもあり,何といっても赤道直下である.やはり蚊には十二分に注意したい.(部屋には蚊取り線香もついていた.さすがに○鳥とか○ース製薬ではないが.)部屋にはこのベッドのほかに,机と椅子,ソファとテーブル,奥にはシャワールームと,その反対側にトイレとビデが設置されている.Kはここで初めて「ビデ」を見たらしい.(「ヨーロッパのホテルには,便器のような「ビデ」というものがありますが,間違えないでくださいね〜」と説明会で添乗員らによく言われるものの,そのビデ自体を見ることが一度もなかったそうだ)もっとも我々は一度も使わなかったが.そして番号入力式のセーフティボックスもあった.最初我々は「このロッジはセーフティボックスはない」と聞いていたが,どうもあれから設置されたようである.(もっとも,この島には宿泊客と従業員しかおらず,空路以外では筏か何かで密航するより他に外部から上陸する手段はないのであるから,もしこの島で盗難が起こればそれは内部犯行である.) あとエアコンなどという電気を喰うシロモノはもちろんない(カラッとしているため,夜間になるとかなり涼しくなる.また日中は暑くても海に入ればいいだけなのでエアコンなど必要ないのだった).
 ポーターが運んできた荷物を受け取り,一休みしたいところなのだが,このロッジにはミニバーはない.メイン棟に申し訳程度の売店はあるにはあるが,飲料や食品を置いているわけでもない.つまりこの島では,食事時間を逃すと飲食はできず,自分で持ち込んだ飲食物でしのぐしかないのである.仕方がないので持ち込んだマグヌードルやカロリーメイトをつまむことにした.ちなみに我々と一緒に搭乗した中国系らしきカップルは,スナック菓子らしきものを数種類持ち込んでいたようである.
 


セイシェルの夕陽

 その後我々は島を散策することにした.この島は珊瑚礁に周りをぐるりと囲まれているというわけではなく,そのまま外洋(インド洋)に面している部分も多く,その部分はかなり波が荒い.そのため泳げるところはかなり限られている.砂浜を散策すると,あちこちに蟹の巣穴が見える.これらは明るいうちに掘り起こしてみても,別に蟹が出てくるわけではないが,日が沈むと穴から這い出して活動を始めるのである.我々は2001年にニューカレドニアを旅した際,砂浜を歩いている蟹の姿を初めて目撃し,大変感動したものだが,この日はそのときよりももっと絵になる光景が目の前で繰り広げられていた.
 この日は我々は泳ぐことはなかった.遊泳可能なエリアに行く時間がなかったからである.散策するうちに日が暮れてゆく.目の前に広がる海はインド洋,生まれて初めて生で見るインド洋である.このインド洋の彼方の水平線に,今まさに日が沈もうとしている.それをさえぎるものは何もない.ああ,まさにセイシェルの夕陽,あの歌の歌詞そのままの光景が,今私の目の前で繰り広げられているのだ.あの歌を知ってから20余年,私はまさに「セイシェルの夕陽」を全身で感じ取っていた.
 日が沈むと,待ってましたとばかりに蟹が活動を始める.巣穴から這い出し,砂をかき出している.巣穴のメンテナンスを行っているのであろう.鳥たちは依然周囲を飛び交い,月明かりにその姿を映し出している.鳥の鳴き声は絶えることはなかった.

夢にまで見たセイシェルの夕陽です.写真では本当の感動を伝えられないのが残念です

インド洋に沈んでいく夕陽.松田聖子さんの歌のように”真っ赤なインクを流した”ようです

日没後,今度はカニたちが一斉に活動を開始しました.昼間は暑くて動けないのでしょうか?
 


バードアイランドの夜

 しばらく浜辺を散策した後,我々はシャワーを浴び,夕食会場へ向かうことにした.前述のようにこの島には外灯などないので,メイン棟に行くためには先ほど渡された懐中電灯をもっていかなくてはならない.この明かりを頼りにメイン棟へ向かう.既に何人かの宿泊客が到着しており,中には隣接するバーで食前酒を楽しんでいる人もいた.
 我々はテーブルにつき,飲み物をオーダーした.いつもこのようなディナーでは,我々はワインを注文することが多いのだが,今回もその例に漏れずワインを頼んだ.「ここはアフリカ(に便宜上分類される地域)だから,アフリカのワインを飲もう」というKの意向により,南アフリカ産のワインにした.ここではまずスープが運ばれ(カレーっぽい味わいの芋か何かのスープであった),それを飲んでからビュッフェに移行するというスタイルである.夕食のおかずではさすがに「カレー味」というのはなかったが,スパイスが効いていてなかなか旨い.しかし食事を始めて間もなく,私は電話に呼び出されてしまった.Kは家で何かあったのかと心配していたが,電話の相手は現地の日本人の嘱託スタッフで,「問題なくやっていますか?」という内容の電話であった.日本人旅行者が少ないだけに,いろいろと心遣いをしてくださるのだろう.レストランの天井を見上げると,梁の部分でヤモリが活動しており,蛾を捕らえて食べているさまを観察することができた.

月光に照らされるバンガロー

食事後寛ぐ私

こんな感じの寝室です
 
自然の営みを観察しながらのディナーは,まさにこのような場所ならではといえよう.料理の水準も高く,デザートも旨い.ただチョコレートアイスクリームを注文したKは,「なんだかアイスがぬるい」という感想を漏らしていた(このロッジに泊まった他の人のホームページでも,デザートに関しては,ただひとつアイスクリームに関する評価だけが低かった.やはり日本で食べるものよりもぬるいと感じたのかもしれない).食事の時の照明が日本より暗いせいもあってか,酔いが早く回ってきた.食事を終えると,ワインと一緒に注文したミネラルウォーターのボトルを持って(これはこの島に滞在するにあたり,大変重要である.この島では水道水はもちろん,部屋のポットに入っている水もそのまま飲むことはできない.よって例えばマグヌードルを作るにもミネラルウォーターでお湯を沸かす必要がある.そして前述のようにこのロッジの売店で水は買えないので,食事の際にミネラルウォーターを大きいボトルで注文し,飲み残しを部屋に持ち帰るという作戦をとる必要があるのだ),恐らくこの島に今いるメンバーの中で知っているのは我々のみであると思われる「あいつの名前はレインボーマン」を歌いながら(Kはあきれていたが)バンガローへと戻り,眠りについた.  


 

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