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イスラエルの概要


1.イスラエルの地理

 イスラエルは地中海東岸に位置する南北に長い国である.南北方向には470キロあるが東西方向には130キロ程度しかない.北にレバノン,北東部にシリア,東にヨルダン,南西にエジプトといずれもイスラム教の国々と国境を接している.またヨルダンとの国境を形成するヨルダン川の西岸部(ヨルダン川西岸地区)と地中海に面しエジプトと隣接する地域(ガザ地区)はパレスチナ国の領域となっている(日本政府はパレスチナを国歌として承認していないためパレスチナ自治政府と呼称).

イスラエルの概略図(パレスチナ自治区を含む)
 
 イスラエルの国土は地中海沿岸の平野部,中央部の高地帯,ヨルダン川流域の低地帯に分かれている.沿岸の平野部は肥沃な農業地帯であり,この国の人口の多くが住んでいる.中央部は歴史的にユダの高地と呼ばれた地域で世界史で有名なエルサレムはここにある.ヨルダン川流域はヨルダンとの国境を形成しており,南の死海と併せて世界的にも標高の低い土地として知られる(死海の標高は海抜マイナス400メートルにもなる).細長い南北方面では南はネゲブ砂漠と呼ばれる乾燥した不毛の大地が広がるが,北部のガリラヤ湖周辺は一定の降雨量があり果樹園が広がる緑豊かな光景が広がっている.またガリラヤ湖の北東部のゴラン高原は第四次中東戦争後イスラエルが実効支配する地で,標高2000メートルを越える山があってスキー場もある.このためイスラエルは面積は日本の四国程度しかないものの,地域によって気候が著しく異なり,海水浴とスキーが同時にできる国と呼ばれる.
 イスラエル政府は同国の首都をエルサレムとしているが,国連などの国際社会は認めておらず,各国の大使館は沿岸部のテルアビブにある.しかし2018年にアメリカのトランプ政権が大使館をエルサレムに移転させ波紋を呼んでいる.
 


2.イスラエルの歴史

 イスラエルの歴史は波乱に満ちている.古代この地はエジプト文明とメソポタミア文明を合わせたオリエント文明の中心地であり,様々な民族が興亡を繰り返してきた.イスラエルの民(以後ユダヤ人)もそうした諸民族のひとつである.旧約聖書によると紀元前18世紀ごろにユダヤ人の祖とされるアブラハムが神からこの地を与えられたとしている.その後紀元前13世紀には,当時エジプトで奴隷とされていた人々がモーゼに率いられてエジプトを脱出,40年間荒野を流浪した末この地にたどり着いた.そして紀元前10世紀ごろにダビデ王によって古代イスラエル王国として統一国家が形成され,エルサレムが都として発展し始める.そしてダビデの子,ソロモン王の時代にはエルサレムに神殿が築かれ(第一神殿),古代イスラエル王国は最盛期を迎える.「ソロモンの栄華」と呼ばれるイスラエルの栄光の時代だ(旧制第八高等学校の寮歌「伊吹おろし」に”見よ,ソロモンの栄耀も”という一節がある).
 しかしソロモン王の死後内紛が起こり,北のイスラエル王国と南のユダ王国に分裂,紀元前8世紀にはアッシリア王国の侵攻によって北のイスラエル王国は滅亡する.南のユダ王国はかろうじて命脈を保ったものの,紀元前6世紀初頭に新バビロニア王国のネブカドネザル王の侵攻によりついにエルサレムが陥落し,第一神殿は破壊され住民の多くがバビロンに連れさられた(バビロン捕囚).だが同世紀後半にアケメネス朝ペルシャによって新バビロニアが滅ぼされると,ユダヤ人は解放され故郷に帰還,エルサレムに再び神殿を建てる(第二神殿).このユダ王国の滅亡からバビロン捕囚の体験が現代に続くユダヤ教の原体験になったとされる.
 その後この地はアレキサンダー,プトレマイオス朝エジプト,セレウコス朝シリア,共和制ローマといった大国の影響下に置かれるものの,ユダヤ人の宗教と自治は基本的に保たれた.しかし帝政ローマの時代に入ると次第に彼らに対する抑圧が強まっていく.この時期にナザレ出身で新しい福音を述べていたイエスがユダヤ教の保守派に捕らわれて処刑される事件が起こり,これをきっかけにキリスト教が誕生する.その後も帝政ローマによるユダヤ人への抑圧は強まり,ついに反乱が発生,そして70年に鎮圧にやって来たローマ軍の攻撃を受けてエルサレムは陥落し,第二神殿は徹底的に破壊されてしまう.ユダヤ人はこの地から追放され,世界中に散り散りとなった.
 その後この地はローマ帝国の属州とされ,エルサレムも単なる一地方都市になった.しかし4世紀に入りキリスト教がローマ帝国に公認されると,にわかに聖地として注目されるようになる.今に続く聖墳墓教会の基礎ができたのもこの時代である.その後のビザンチン時代にはエルサレムはローマ,コンスタンティノポリス,アレキサンドリア,アンティオキヤとともに五大総主教座のひとつとされ多くの教会が建てられた.しかし6世紀になると東のササン朝ペルシャの攻勢が強まり,7世紀初頭にはついにエルサレムを含むイスラエルはペルシャに征服されてしまう.これに対してビザンチン皇帝ヘラクレイオスが自ら反撃し一時は奪回に成功するが,同世紀後半にイスラム教が急成長するとその勢力に飲み込まれてしまった.以後十字軍による一時的な回復はあったものの,基本的にイスラム諸王朝による支配下に入り近代に至った.イスラム教を開いたムハンマドがエルサレム神殿跡(遠隔の礼拝堂)から大天使に伴われて昇天したという伝承から,7世紀末から8世紀にかけて神殿の丘に岩のドームやアル・アクサー寺院が造られ,ここはまたイスラム教の聖地にもなった.
 近代に入り世界各地に民族主義が高まってくると,ユダヤ人たちの間にも自分たちの国家を持たなくてはならないという思想が生まれてきた(シオニズム).第一次世界大戦でイスラエルを支配していたオスマントルコが崩壊すると,この地はイギリスの委任統治下に置かれた.この直前1917年にイギリス外務大臣バルフォアが同国のユダヤ系議員だったロスチャイルドにシオニズムを支持する旨の約束を行う(バルフォア宣言).これを受けて第一次大戦後多くのユダヤ人たちがかつてのイスラエルの地に入植し始めた.しかし同時期にイギリスはアラビア人ともフセイン=マクマホン協定を結んでおり,中東地域におけるアラブ人国家の建設も約束していた.これは先のバルフォア宣言と矛盾しているように見えたこともあっって,今に至るパレスチナ問題の原因になったとされる.
 第二次大戦後イギリスが撤退すると,ユダヤ人は1948年に独立宣言を行いイスラエル国が建国された.以後それを認めない周辺国との間で四次にわたる中東戦争を経て,現在の勢力線が作られている.当初イスラエルを国家として承認しなかった周辺国のうち,エジプト,ヨルダンは現在イスラエルを承認している.しかしサウジアラビアやシリアをはじめとする多くのアラブ諸国やイランなどは未だにイスラエルを承認しておらず,政治的に緊張状態が継続している.
   


3.イスラエルの観光


エルサレムの観光地図
   
 先述のように海水浴とスキーが同時にできるほど多様性のある国であり,古代史関連の歴史的遺産を含め観光資源は多い.

@北ガリラヤ地区 標高2000メートルを超える山岳地帯であり,森や滝などイスラエルの他地域では見られない光景が広がる.冬季にはスキー場もオープンする.

Aガリラヤ湖周辺 淡水湖でイスラエルの水がめとなっているガリラヤ湖とその湖畔に散らばる教会,イエスが育ったナザレの町などがある.

Bエルサレム 古代からイスラエルの中心地であり,ユダヤ教・キリスト教・イスラム教3つの宗教の聖地である.教会やモスクなどの重要な施設が数多くある.

C死海周辺 海面下400メートルと陸地としては世界でもっとも低地帯.死海は,塩分濃度が30%とどんな金槌でも浮く湖として知られている.周囲には死海写本で知られるクムランやマサダ要塞などがある.

D地中海沿岸 国際的に首都とされるテルアビブがある.気候がよく快適なリゾート地でもある.

Eネゲブ砂漠 南部の砂漠地帯,ラモーン・クレーターと呼ばれる巨大な窪地が知られている.

イスラエルあれこれ
首都 イスラエル政府は首都をエルサレムとしているが国際社会はそれを認めておらず,各国大使館等はテルアビブに置かれている(2018年に米国トランプ政権がエルサレムをイスラエルの首都と認め,大使館をエルサレムに移した.
人口 880万人
言語 公用語はヘブライ語
通貨 イスラエルシェケル
 




 

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