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イスラエル旅行記(5)


2016年9月16日(金)


24.ティベリアを離れる

 明けて9月16日,旅行の中日となった.今回のツアーは7日間ということになっているが,第1日目が夜から始まるため実質6日間しかない(なんて短い!).この日はガリラヤ湖畔に別れを告げ,いよいよエルサレムに向かう日程である.
 身支度をして朝食へ.この日もコーシェル朝食でチーズがあってハムはない.食後ホテルをチェックアウトして外に出る.この日も快晴の良いお天気だった.まだ8時前だが気温は高い.昨日と同じバスに乗りこんで出発である.
 ちなみにこの時期のイスラエルは暑くて乾燥している.油断すると脱水症になってしまうため,頻繁な水分摂取が欠かせない.今回のツアーでは,バスに冷えたミネラルウォーターが常備されていて,1本1USDで購入できた(備え付けの籠に1ドル入れて,各自冷蔵庫から持っていくスタイル).イスラエルでは一応水道水も飲めるらしいのだが,硬度の高い(ミネラルが多い)水のため,軟水に慣れた日本人の胃腸にはきついだろうと,ミネラルウォーターの利用が推奨されていたからである.
   

充実した野菜ブッフェ

こちらは温かい料理

いただきま〜す
   


25.エリコにて

  ヨルダン国境の西側を縦断する国道90号線をバスは快調に南下していく.左側の車窓からはヨルダンの山々が見えた.この道は2日前の夕方に死海から北上してきたのと同じ道である.途中でヨルダン川を渡ったのだが,歴史上超有名な割にはやっぱり地味で小さい川だった(笑).やがてイスラエルとパレスチナのヨルダン川西岸地区との境界を越え(パレスチナからイスラエルに入るときはそれなりのチェックがあったが,逆の場合はさほどでない),約1時間でエリコの街に到着する.
 エリコは西にエルサレム,東にヨルダン,南は死海に至る交通の要衝であり,海抜マイナス250メートルという世界でも有数の標高の低い街である.周辺はユダの荒野と呼ばれる荒れ地が広がっており,この地域の貴重なオアシスとして古くから栄えてきた街である(1万年前から人が定住していたといわれ,世界最古の街とも呼ばれる).古くからの城への遺跡であるテル・アッスルターンやイエスが断食中に悪魔の誘惑を受けたとされる山(デール・クルントゥル)など,真面目に観光すると確実に1日かかる場所であるが,この日はトイレ休憩&お土産物屋散策だけだったため,それらのほとんどはあきらめざるを得ないのが悲しい(泣).それでもデール・クルントゥルと山の中腹に散在する中世の修道院跡(中世には多くの修道士がイエスの苦行を追体験しようと,この山に住み着いていた)の姿だけは見ることができた.麓から山へはロープウェイで行くことができ,このロープウェイは世界でもっとも低地にあるロープウェイとしてギネスに認定されているそうだ.一方の土産物屋はというと,けばけばしい色彩で,聖書世界とのギャップの激しさを感じた.店舗のそばには観光用と思われるラクダの姿があったが,世界を騒がせたMERSの流行からは数年たっていたとはいえ,中東のラクダは怖いので近寄る勇気はなかった.またここの近くにはルカ福音書19章でザアカイがイエスを見るために登ったとされるイチジクの木がある.

ヨルダン川(あまり歴史的に重要そうに感じません 笑)

イエスが悪魔の誘惑を受けた山

ロープウェイが見えます

修道院の跡
 

お土産物屋

ラクダがいます

ザアカイの木
 

26.ユダの荒野

 休憩と買い物を終えて再びバスに乗り込む.少し南下して国道1号線を西へ,いよいよエルサレムに向かうことになる(ワクワクする).死海とエルサレムの間に広がるのがユダの荒野と呼ばれる荒涼とした大地だ.何もなさそうな荒地であるが,実は季節により少量の降雨があり,放牧可能な程度の草も生える.聖書のイエスの生誕のお告げを聴く羊飼いたちが野宿をしていたのもこの辺と思われる.そのほかサウル王に追われたダビデが身を隠したのもこの荒野であり,まったく人気がないわけではない(洞窟も多いため,逃亡者や反乱者が隠れる場所として最適だったらしい).そんな荒野をバスは進んでいく.
 死海とエルサレムは直線距離では30キロメートルほどしかないのだが,高低差は1200メートルもある!(死海がマイナス400メートルでエルサレムが800メートル),特にエルサレムに近づくとどんどん標高が上がっていくのがわかる.ぼちぼち周辺に家などが見え始め街に近づいたことを実感する.

荒野ですが若干草も

徐々に登っていく
 
やがて前方に教科書や世界史の資料で見たことがあるような教会の尖塔やモスクのようなものが見えてきた.あれがエルサレム旧市街,「つ,ついにここまで来たのか」と感動にふるえる.とはいえエルサレム旧市街内部の観光は明日以降,今日は近郊スポットとベツレヘムを観る予定である.バスは旧市街の南側に沿って走っていて,車窓からは門が見えた.これはエルサレム旧市街にある門のひとつ「糞門」である.ひどい名前だが,ここから住民の排泄物を運び出したことに由来するらしい.そこから少し西に行ったところで停車,一同降りることになる.  

中央マグダラのマリア教会,左は万国民の教会

アル・アクサー寺院のドームが見えてきました

これが「糞門」その名のままの用途の門だった
 


27.シオン門

  降りたところにはさっきとは別の門があった.ここがシオン門で,聖書でおなじみのシオンの丘のそばに位置することからその名前がある.丘といっても特にここから山登りをするわけではなく,旧市街の南西部の土地が盛り上がっている辺り一帯のことで,古代には上流階級の人たちの住居があったらしい.まずは門を見学,造られたのが1540年だから,日本でいえば戦国時代だ.城壁と一体化された門だが,よく見ると壁面のあちこちに小さな丸い穴が… そう,近代以降ここは政情不安が多かった土地柄,これは第1次中東戦争(1948〜49年)の際の銃撃の跡らしい.  

シオン門

銃撃の跡が

城壁の周辺
 


28.マリア永眠の教会

 門からは徒歩観光,狭い路地を通っていくと,向こう側にベージュの尖塔を持つ教会が見えてくる.これがマリア永眠教会で,聖母マリアを祀った教会だ.建立は1910年と新しく,当時のドイツ皇帝ヴィルヘルム2世の寄進によって造られた.プロテスタントのホーエンツォレルン家の皇帝がカトリックの教会を寄進するという構図が不思議だが,当時ドイツは3B政策(ベルリン−ビザンチウム−バグダッドを鉄道で結ぶ)を展開して中東進出を目指していたので,当地のカトリック教徒を懐柔したい思惑があったと思われる.教会内部の聖堂やマリア像,モザイク画は非常に洗練されたもので,ヴィルヘルム2世の気合を感じさせた.エルサレムというと,「古い!」というイメージがあるが,少なくともこの教会は別だと感じた(この聖堂は音響が素晴らしく,時々音楽会が催されるらしい).

マリア永眠教会

尖塔も目立ちます
 

立派な聖堂

ビザンチン的なモザイク画

綺麗です
 

マリア永眠の像


その天井画(こちらもビザンチン風です)

イエスと十二使徒のモザイクがあります
 


29.最後の晩餐の部屋

 マリア永眠教会の次はそのすぐに南にある建物へ.ここは1階にダビデの墓があり,2階部分にはイエスと弟子たちが最後の晩餐を摂ったとされる部屋がある凄いところだ.まずは2階の部屋を見学する.部屋は窓も少なく真ん中に柱が何本か立っている感じで,お世辞にも明るいとは言えない狭い部屋である.最後の晩餐というとレオナルド・ダ・ヴィンチによる同名の絵画が有名であるが,実はあの絵のように長いテーブルに着いて食事をするような習慣は1世紀のパレスチナにはなく,当時は地面に座ってあるいは寝そべって食べていたそうだ.それでもここが聖書でも有名な最後の晩餐の部屋なのか,といわれるとなんとなく感慨深いのだった.地味な最後の晩餐の部屋を出て,そのまま屋上へ.ここは展望台になっていて,先ほど行ったマリア永眠教会やオリーブ山などがよく見える.  

1階がダビデの墓,2階が最後の晩餐の部屋です

最後の晩餐の部屋は狭くて地味です

屋上からはマリア永眠教会がよく見えます
 


30.ダビデの墓

 展望台から階段で降りて今度は1階のダビデの墓に向かう.入り口には竪琴を持ったダビデの像が置いてある.ここはさすがにユダヤ教にとって重要な王様のお墓ということで,一般の観光客はもちろん,正装したユダヤ教徒の姿もたくさん見かける.拝観(?)は男女別で,入り口でそれぞれのルートに分かれるようになっている.中では全身黒服に身を包んだユダヤ教徒が熱心に聖書を読んでいる姿も見られた.肝心のダビデの墓は,棺の真ん中部分に壁が作られていて,棺の頭側(あるいは足側?)が男性スペース,反対側が女性スペースとなっているそうだ.

ダビデのお墓です
 
 ここの観光を終えると,バスに乗り込んで今度はベツレヘムの聖誕教会に向かう.まさに讃美歌「飼い葉おけに眠る」の一節,♪さあ行こうよベツレヘム♪である.  

正装したユダヤ教徒

難しそうな本が!

ダビデの像
 


31.ベツレヘムの昼食

 イエスが生まれた地とされるベツレヘムは,エルサレム旧市街からほぼ南10キロにある人口3万人ほどの町である.現在はパレスチナ自治政府の管理下にあり,住民の多数はイスラム教徒である(昨日のナザレもそうだが,この辺りにはキリスト教の聖地だが住民はイスラム教徒というケースは多い.だが特にそれでトラブルになっているわけでもなく,これがこの地の中世以来の共存なのだろう).
 エルサレムから20分ほどでベツレヘムに到着,バスはショッピングモールの立体駐車場みたいなところに停車,一同徒歩で聖誕教会方面に向かう.モールの中を抜けて外に出るとお土産物屋やカフェなどが立ち並び賑わっている.世界的に有名なカフェ,Starbucksらしき姿もみえて,さすが国際的観光地と思ったのだが,なんか様子が変,よく見たらStars & bucksというニセモノ店だった(笑).通りの壁面にはイエスの誕生に関係する場面の絵が描かれていて聖地の雰囲気を盛り上げている.

ベツレヘムの町

聖誕の壁画
 
歩くこと数分で目の前に聖誕教会の尖塔が見えてきた.さっそく観光かと思ったら,まずは教会目の前にあるカフェSt. Georgeで昼食である.店内は赤を基調としたおしゃれな感じ,この日のメニューはイスラエル定番の野菜盛,ピタパンと呼ばれる平たくて,へにょへにょした食感のパン,メインはしてラム,チキン,ヒヨコマメのフライだった.飲み物として地元のパレスチナビールも注文したのは言うまでもない.  

某コーヒーチェーンのニセモノ(笑)

城塞のような聖誕教会


昼食のレストラン

 

イスラエルは野菜が豊富です

パレスチナビール

左の丸いのがヒヨコマメのフライ
 


32.聖誕教会

  昼食後いよいよ聖誕教会の訪問である.教会を建立したのは4世紀のローマ皇帝コンスタンティヌス大帝,イエスが生まれたとされる地下洞窟の直上に教会が建てられた.6世紀のユスティニアヌス帝によって改築され,11世紀の十字軍の時代に今の姿になったという.当時のエルサレムは周囲をイスラム勢力に囲まれており,教会を防御するために周辺に城壁が築かれたものらしい(なので聖誕教会の外観は要塞のように物々しい).全キリスト教徒にとっての聖地なのでいったい誰が管理しているのだろうかという疑問がわくのだが,現在はギリシャ正教とローマ・カトリック(フランシスコ会),アルメニア正教が分割管理している.このうち聖誕洞窟を含むメイン部分を管理しているのはギリシャ正教だ.エルサレムの聖墳墓教会と並ぶキリスト教の超メジャー聖地であり,世界中から観光客がひっきりなしにやってくる.ガイドさんの話だとひどい時には入場までに2〜3時間かかることもあるらしい.ただこの日はスムーズに入場で来た(日頃の行いがいいからだなと納得 笑).
 教会の入り口はとても小さく,人一人が屈んで入れる程度なので「謙虚のドア」と呼ばれている.中に入るとそこはギリシャ正教の聖誕教会,この時大規模な改修工事が行われているらしく,教会内部は無骨な足場が組まれていた.教会身廊の床には所々ガラス板がはめられており,その下にはモザイク画が見える.これは4世紀のコンスタンティヌス帝時代のものだそう.身廊を進んでいくと正面にギリシャ正教らしい金ぴかの祭壇が見える.その脇に地下に降りる通路があり,ここがイエス聖誕の洞窟ということになる.観光客の流れに乗ってその方向に向かう.地下はさすがに湿度が高く蒸し暑い.洞窟の真ん中にひときわ人だかりができている場所があり,ここがイエスが生まれたとされるスポットである.その中心地点には銀で作られた星が埋め込まれ香油が塗られている.人々は一人一人この星を触って頭を垂れていた.

イエス生誕地のプレート

奥のレンガが新しい部分がカトリック教会,手前の古い部分がギリシャ正教会

教会の入り口は狭いです

聖誕教会の身廊
 

4世紀のモザイク

金ぴかの祭壇

聖母子のイコン
 

巡礼者がロウソクに火を灯す

幻想的な感じです

いよいよ地下洞窟へ
 

これが聖誕地の星



観光客のカメラが凄い



洞窟最深部(実は左の小さな扉の向こうがカトリックの聖堂です)
 


33.聖カテリーナ教会

  聖誕洞窟を抜けて次は隣接するカトリックの聖カテリーナ教会に入る.ここの中庭には聖ヒエロニムスの像が立っている.5世紀初頭にヘブライ語・アラム語の聖書をラテン語に翻訳した人物である.像の足元には頭蓋骨が置いてあるが,これは彼の翻訳作業に協力したローマの女性パウラのものである).
 教会の聖堂は見慣れたカトリックらしいもの,ステンドグラスから差してくる光加減もカトリックだ.ここには生まれたばかりのイエスを模した人形があり,毎年クリスマスの時期になると,ここから先ほどの聖誕スポットまで運ばれるらしい.実はこのカトリックの聖堂と聖誕洞窟(ギリシャ正教管理)はドア1枚でつながっている.普段は宗派の垣根で遮断されているドアが,年に1度クリスマスの時にだけ開けられるというのが興味深い(七夕みたいだなと感じた).聖堂からは当時ヒエロニムスが籠ったとされる地下洞窟に降りることができる.ここで彼は聖書の翻訳作業を行っていたそうだ.,
 聖カテリーナ教会の見学を終えると隣接するお土産物屋を覗きつつ休憩時間,各自トイレなどを済ませる.その後は駐車場に戻りバスに乗り込んだ.この後は今日明日と連泊するホテルに向かう.エルサレム市街地西部の高台にあるリモニム・シャロムというところ,名前のイメージから昨日まで泊まっていたホテル(リモニム・ミネラル)と同系列と思われる.到着してチェックインしたのは16時半頃,この手の観光旅行としては早い時間だが,出国以来結構ハードな日程だったので,この日はゆっくり休んでもらおうという趣向のようだ.
 さてこの日は金曜日,日没とともにユダヤ教の安息日が始まる日である.彼らは週の終わりである土曜日を安息日として,一切の労働をしない日と定めている.ユダヤ教の一日は日没から始まるので,金曜日の夕方が彼らの土曜日の始まりなのである.そんな安息日が間もなく始まろうという雰囲気もなかなか非日常的で面白かった.

ヒエロニムスの像

聖カテリーナ教会の聖堂

聖母子画

幼子の人形
 
 部屋に入ってシャワーを浴び,しばらく寛ぐ.やがて日没となり夕食のレストランへ.ブッフェスタイルは昨日までのホテルと大差ない感じだったが,この日は正装した見るからにユダヤ人という家族が多い.聞いてみたら,安息日は夕食の支度などもしてはならないため,こうしてホテルに泊まる人たちがいるんだそうである.まさにユダヤ的発想! もちろんお金がなければ不可能だが,こういうのもありだなと感心したのだった.結局この日もワインを1本空けた我々だった.さあ,明日はエルサレム旧市街の観光である.  

銅版画もありました

ヒエロニムスの洞窟に降ります

地下にも彼の像が
 

地下ののステンドグラス

この日から連泊するホテル

日没,安息日の始まりです
 



 

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