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イスラエル旅行記(7)


2016年9月18日(日)


45.神殿の丘

 一夜明け,9月18日とうとうイスラエルを発つ日となった.この日のモーニングコールは5時30分と早め,これは安息日の関係で観光できていない場所があり,そこを今日の朝回ることになっているからだ.身支度をして大きな荷物は部屋の外に出し,朝食会場に向かう.野菜食べ放題のイスラエルの食事もこれで食い納めかと感慨に浸りながらの朝食だった.
 食事後はフロントに降りてチェックアウト,60人の大所帯のため集合にはどうしても時間がかかる(これだけの規模だと遅れる人が出てくるのは仕方ない).とはいえ出発予定の7時より3分しか遅くならなかったのは上出来といえよう.バスに揺られて旧市街に向かう.しばらくするとアル・アクサー寺院の黒いドームが見えてきた.今日まず観光するのは旧市街の神殿の丘,ここは聖書時代にユダヤ教の神殿が建っていたことに由来する.神殿そのものはローマ帝国時代に破壊されてしまったが,その土台部分は残存しており,その上に岩のドームなどイスラム教の施設が立っている.また土台の西側の壁が通称嘆きの壁と呼ばれ,ユダヤ人の祈りの場となっている.エルサレムを代表するスポットにひとつだが,最終日まで未訪だったのはここが金曜はイスラム教の休日のため閉鎖されることと,土曜はユダヤ教の安息日なので写真を撮る行為が禁止される(労働とみなされる)ため観光のための環境が十分でないからである.
 神殿の丘というのは,聖書の時代アブラハムが最愛の子イサクを神への生贄として捧げようとした場所(モリヤの丘)という伝承から始まる.その後紀元前10世紀にダビデ王が神との契約の箱をここに納め,その子ソロモン王がこの地に最初の神殿(第一神殿)を建てた.しかし紀元前586年に新バビロニア王国のネブカドネザル王の侵攻によってこの第一神殿は破壊されしまう.この時多くのユダヤ教徒がバビロンに連行された(バビロン捕囚).

チェックアウトの時間

古の神殿の丘の想像図

アル・アクサー寺院

糞門から入ります
 
 その後ペルシャ帝国によるオリエント統一がなされ,国王キュロス2世によってユダヤ人は解放されエルサレムに戻る.やがて紀元前6世紀の末にペルシャ王の支援の下再建されたのが第二神殿であり,イエスが度々訪れていた神殿もここである(この間ヘロデ王による神殿の拡張が行われている).だが西暦70年のユダヤ戦争によってエルサレムはローマ軍に攻められ,第二神殿は破壊された.以後ユダヤ人はこの地から追放されたため,ユダヤ教の神殿が再建されることはついになかった.ローマ帝国時代ここにはジュピター神殿が造られたが,7世紀にイスラム教が勃興しその勢力下にはいると,ここには岩のドームやアル・アクサー寺院などイスラム教の施設が造られ現代に至っている.
 この日は神殿の丘に一番近い糞門から入る(これで今回の旅行で通ったのはシオン門,ライオン門,ヤッホ門についで4つ目).門をくぐって少し行くと,神殿の丘の南西部にあるモロッコ門と呼ばれるゲートに着く.丘の上部に登るにはここを通らねばならない.現在エルサレム旧市街はイスラエルが実効支配しているが,この神殿の丘はイスラム教の一大聖地であり,ここを訪れるイスラム教徒を保護するため(過去にはモスクでテロ事件も起こっている),イスラエルの兵士がセキュリティチェックを行っている.ユダヤ教徒はそもそも入場が禁止されているし,それ以外でも危険物はもちろん例えば新約聖書や十字架を象ったアクセサリーなど,キリスト教っぽいアイテムを持っている場合も入場を拒否されるらしい(なのでそういったものはバスに置いてくる).まだ朝7時台だというのにかなりの行列ができていた.順番に手荷物検査を受けるのだが,ふと見たらユダヤ教の正装をバッチリきめた男性がやってきて,係員に追い返されていた(ガイドさんに聞いたら,抗議の意思を示すため確信的にやっているのだそう).
 ユダヤ教徒にも見えずご禁制の品も持っていない我々は無事にセキュリティを通過,神殿の丘に向かう木道を登っていく.途中左手の壁に大勢のユダヤ教徒が見える.そう,あそこが嘆きの壁である.ユダヤ教の聖地を横目に見ながらイスラム教の聖地に向かうという不思議な瞬間である.そんなことを考えているうちに城壁の上に到着,さっそく散策開始だ. 
 

セキュリティ

神殿の丘へ登る木道

嘆きの壁が見えます
 


46.岩のドーム

 まず入り口右手には糞門からも見えたアル・アクサー寺院,ここは8世紀のウマイヤ朝時代に建立されたモスクである.その後火災などによる消失,再建を繰り返したため当時の面影は残っていないらしい.内部はイスラム教徒以外立ち入り禁止になっており,残念ながら見学はできなかった.金色に輝く岩のドームとの対比で銀のドームの異名があるが,実際のドームの色は黒っぽく,この辺りは実際には黒っぽいのに銀閣と呼ばれる東山の慈照寺を連想させた.
 アル・アクサー寺院から北を見ると,目の前には木立があり,その奥に金色に輝く岩のドームが見える.そちらに向かって歩いていくと,ドームは周囲よりも一段高いところにあり,階段を上ったところに神社の鳥居のようにアーケードがあった.そこから先に進むと噴水のような円形の施設がある.これは礼拝前にイスラム教徒が身を清めるための沐浴場とのこと.きれいな水が湧き出ていた.
 沐浴場から先に進むと,いよいよ岩のドームの全景が目に入った.ここはイスラム教の預言者ムハンマドが昇天した岩を守るように立っているドームである.その創建はウマイヤ朝時代の7世紀末とされており,アル・アクサー寺院よりも古いが,こちらは今でも当時の面影を残しているという.形状は上空から見ると八角形をしておりそのうち4面に出入り口が付いている.各面はブルーのタイルで装飾されており,見た目はどの面もほとんど同一で区別がつきにくい.黄金のドームとなったのは20世紀になってからで,それ以前は普通の銅板だったそうだ.ここも現在はイスラム教徒以外は中に入れないため見学はできなかった.外観だけの観光ではあるが,背景の青空とブルーの建物,黄金のドームの組み合わせが眩しかった.

アル・アクサー寺院の入り口

手間にあるのはローマ時代の柱

奥に岩のドームが

沐浴場
 

黄金の岩のドーム
 
 岩のドームの東側には鎖のドームと呼ばれる小さなドームが立っており,こちらは東屋タイプなので内部の見学ができる.名前はダビデ王の時代ここで裁判が行われ,その際に天井から鎖が下げられ,証人が真実を述べると鎖に触れることができたという伝承に由来するらしい(イスラム教の施設がユダヤ教の伝承に由来するというのが面白い).内部はタイルで装飾されていたが,一般的なイスラム教の施設らしく,抽象的なものだった.
 神殿の丘からは昨日訪問したオリーブ山の諸教会が見渡せた. 
 

記念撮影

直前から

ブルータイルが美しい
 

鎖のドーム

幾何学的な装飾

オリーブ山を望む
 


47.嘆きの壁

 神殿の丘の見学を終え,帰路はトンネルようなところを通って下界に降りる.途中にはオスマン帝国最盛期のスレイマン大帝が造った共同水汲場があった.トンネルを抜けるとそこは神殿の西の壁,次は嘆きの壁の見学だ.こちらはさっきのような検問はないが,男女別になっているためKと別行動になる.先述のように,かつてここにはユダヤ教の神殿が建っていた.西暦70年のユダヤ戦争によってユダヤ人はこの地から追放され,再び戻ってきてここに国家ができたのは20世紀になってからである.

帰路はトンネル
 
 丘の上にはイスラム教のモスクが造られており,ユダヤ人たちは古代の神殿跡として現存しているこの壁の前で祈っているのだった.男性は帽子の着用が義務付けられており,持ってない人用に入り口で簡単な帽子(キッパ―)を貸してくれる.ユダヤ人たちはある者は壁にもたれて瞑想し,ある者は椅子に座って聖書を朗読するなど各自思い思いの方法で祈っているようだった.この大勢のユダヤ人で賑わう嘆きの壁から直線距離で100メートルも離れていない場所にイスラム教の岩のドームがあるという事実に身が震えるのを感じた.  

スレイマン大帝の水汲み場

ここでも祈りが

左が男性用,右が女性用
 

嘆きの壁


思い思いに祈っています


こちらは女子エリア(ウチのK 撮影)
 


48.ゼロメートルポイントと国境越え

 嘆きの壁でエルサレム観光は終了である.時刻は9時,ここからは帰国に向けて国境を越えヨルダンを目指すことになる.標高800メートルの小高い丘にあるエルサレムから国境のあるヨルダン川に向けて道はどんどん下っていく.途中に標高ゼロメートルスポットがあり,せっかくなのでここで休憩する.SEA LEVEL と書かれたこの看板,地中海と同じ高さなのだそうだが,坂道の途中,しかもさらにどんどん下っていく道が見えるので全くそういう感慨はわかない(笑).周囲はいかにもといった感じの典型的な砂漠が広がっている(日本人がイメージする砂漠ってこんな感じだろう).ここにも観光用のラクダがいたが,MERSが怖いので近寄らなかった.しばしの休憩の後,バスは再び走り出す.ゼロメートルポイントからさらにどんどん下っていく.酸素が濃い世界だ.試みに周囲を凹ませたペットボトルを用意していたら,下界に着いた際にはちゃんと膨らんでいた(笑).
 そうこうしているうちにイスラエル側の出国審査場に到着する.入国は厳しい国でも出国は緩い場合が多いので緊張感は緩い.一同スーツケースを転がしながらブースに向かう.ガイドさんとはここでお別れだ.
 さあ,審査と思って入ったら… なぜか閉まっている ( ̄▽ ̄) 特に安息日というわけでもないのだが… 大人数グループなのでこうした停滞が発生すると,後から増幅して影響が出てくることがあるので心配だ.中には「なんで動かないんだ」とブツブツ言っている人も….それでもしばらくしてようやく動き出す.始まってしまえば早いだろうと思っていたのだが,手荷物検査なら何やらで予想以上に時間がかかる… 結局一同が緩衝地帯に抜けたのは11時過ぎになっていた(入国時はVIP用だったので早かったんだと実感).

ここが海抜ゼロメートル地点

記念写真用モニュメント

ラクダに乗った観光客

いかにもな砂漠
 
 そこから今度はヨルダン側のバスに乗って国境を越え,ヨルダンの事務所到着.こちらは以前と同じで全員分のパスポートを提出し,一気に手続きをするパターン,来た時がトイレに行っている間に終わっていたので今回も早いだろうと予想,が… みんなトイレに行って戻ってバスで待っているのになかなか来ない(汗).時計を見てイライラする一同,結局12時すぎになってようやくパスポートが到着した(結局この国境越えで3時間近くかかったことになる).  

謎の建物(十字軍関係か?)

膨らんだペットボトル

国境付近の道路
 


49.聖ジョージ教会

 ヨルダンに入国し一路東へ向かう.この後は国境と首都アンマン空港の中間に位置するマダバという街に向かう.ヨルダンもイスラエルに負けず劣らず砂漠ばっかりである.その中をバスはひたすら走っていく.国境がゼロメートル地帯なので,道は基本上り坂,約1時間ほどで峠のようなところに着き,そのまま近くのドライブインに入った.どうやらここが昼食会場らしい.
 ここのランチは比較的シンプルで,サラダとスープに加え,メインはミックスグリルだった(イスラエルのホテルのようにサラダは取り放題というわけでもないため,トイレに行っているうちに品切れになってしまい取り損ねた人もいた).ついでにビールも注文したのだが,なんと8USD!た,高い! 峠だからなのかと思った.
 昼食後はマダバ市内へ.ここで観光するのが聖ジョージ教会というギリシャ正教の教会である.建物自体は近代に造られたもので,特にどうということはないのだが,この教会の床に,なんと!6世紀にモザイクで描かれた東地中海世界の地図があるのだ.オリジナルは17m×6mほどあったといわれ,現在はその4分の1程度が残っている.この地域を描いた地図としては最古といわれている.特筆すべきはその情報量で,エルサレム市街地にはローマ風の街路や聖墳墓教会,ダビデの塔が描かれている.またベツレヘムやエリコの町,死海やヨルダン川,そこを泳ぐ魚なども描かれており,今でいう絵地図といった趣である.

昼食のレストラン

マダバの町

聖ジョージ教会
 
そして当たり前だが,この時代には存在しなかったもの,そう,イスラム教関係のものが一切描かれていないのも大きな特徴である.まさに6世紀,ユスティニアヌスの元で領土的な最盛期を迎えたビザンチン帝国時代の地図なのであり,ビザンチン皇帝を名乗るものにとっては非常に感慨深いものであった.  

聖ジョージ教会に残されている6世紀の地図の解説
 

教会の聖堂

ギリシャ正教っぽいイコン

6世紀のモザイク地図
 

エルサレム(聖墳墓教会やダビデの塔も描かれている)

死海とヨルダン川(魚が死海から逆行しています)

ナイルデルタも描かれています

 


50.帰国へ

  この聖ジョージ教会の見学で今回の旅行の観光はすべてお終い,後は帰国するだけである.アンマンの国際空港まで距離があるのかと思っていたら予想外に近くて,30分ほどで着いてしまった.チェックインカウンターの長い行列に並んで手続きをする.そういえば今回の旅行は60人と演奏旅行を除けば最大規模だが,ビジネスクラス客が一人もいないことに今更ながら気づいた(普通は何人かいるものだが).その後のセキュリティチェックはあっさり通過してそのまま搭乗口へ.ビールでも飲んで寛ごうかなと思ったが,近くに店がないのであきらめた.この日は機体の準備が早くできたらしく,予定よりも早めに搭乗開始,出発も予定より数分早かった.
 約3時間のフライトで無事にドバイに着陸,ここから日本行きの便までトランジット時間は5時間もある.往路と同じラウンジに行ってシャワーを借り,そのままビールやワインを飲みながら時間を潰した.そしてドバイ時間2時50分,我々は機上の人となった.
   

完(明日からまた日常の世界)
   

アンマン国際空港

カウンター

ヒマラヤ上空を通過
   
     
     



 

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