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第1ステーション
ライオン門から徒歩数分の場所.元はピラトの官邸跡だった場所で,現在はムスリムの学校になっている.自分が訪問した時間は終業前だったので中には入れなかった.ここでイエスはピラトによる裁判を受け,十字架刑の判決を受ける. |
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ヴィア・ドロローサの始まり |
この道を歩く |
第1ステーション |
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第2ステーション
第1ステーションのすぐ西側,イエスが十字架を背負わされローマ兵によって鞭打たれたとされる場所である.今は鞭打ちの教会が立っている.内部は周辺よりも低くなっていて昔の床が残っている.
ここから少し西に行ったところにエッケ・ホモ教会がある.これは「この人を見よ」の意でピラトがイエスをさして群衆にそう呼びかけた記事に由来する.ここには十字架が置かれていて,毎週金曜日の午後フランシスコ会の修道士がこの十字架を担いで実際にこのルートをたどるのだそう.第1&第2ステーションと,このエッケ・ホモ教会はかつてアントニオ要塞と呼ばれるローマ軍の駐屯地だったところらしい. |
鞭打ちの教会 |
第2ステーション |
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イエスが十字架を背負わされた場所 |
その場面がステンドグラスに描かれています |
一段低いのは古代の床だと言われます |
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エッケ・ホモ教会 |
エッケ・ホモアーチ |
フランシスコ会の十字架 |
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第3ステーション
エッケ・ホモ教会から西に進み,エル・ワド通りにぶつかるT字路の曲がり角,イエスが最初につまずいたとされる場所である.ただしこのエピソードは聖書にはなく他の伝承による.ここと次の第4ステーションは1856年に建てられたアルメニア正教の教会敷地内にある. |
さらに進みます |
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第3ステーション |
アルメニア正教の教会 |
躓きの像が |
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第4ステーション
第3ステーションの曲がり角を左折し南下して少し行った道の左側,十字架を背負ったイエスをマリアが目撃した場所とされている.このエピソードも聖書の記述にはない.ここの古い床にはビザンチン時代のモザイクがあり,そこにはマリアのサンダル跡が描かれている. |
第4ステーション |
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アルメニア教会の聖堂 |
地下のイエスとマリアの像 |
マリアのサンダル跡 |
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第5ステーション
第4ステーションのすぐ先を右折してヴィア・ドロローサ通りに入る.そのすぐ南側に第5ステーションがあり,ここは兵士たちがイエスの十字架をキレネ人のシモンに担がせたとされるポイントだ(マルコ福音書の15章に記事あり).ここの壁には倒れかかったイエスが触れたとされる岩があり,歴史上数えきれない巡礼者たちが触ったため,かなりすり減っている. |
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第5ステーション
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多くの巡礼者が触りすり減っています |
この辺から土産物屋が
増えてきます |
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第6ステーション
第5ステーションからのヴィア・ドロローサ通りは狭い歩行者専用,周囲にはお土産物屋が立ち並び賑やかな通りである.その途中に第6ステーションがあり,ベロニカという女がイエスの顔をハンカチで拭ったとされる場所である.今はギリシャ正教の聖堂が建っている. |
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第6ステーション |
ギリシャ正教の聖堂 |
歴史映画のような光景 |
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第7ステーション
ヴィア・ドロローサ通りをさらに進みハン・アルザイト通りとの交差点に第7ステーションがあり,イエスが2度目につまづいたとされる場所である.1世紀当時エルサレム市街はここまでで,ここに市外への城門があったという.当時ここにイエスの罪状が掲げられたと考えられている.今でこそゴルゴダの丘とされる聖墳墓教会は旧市街内部にあるものの,穢れを極端に嫌うユダヤ教世界において市内に処刑場があったとは考えにくいからである. |
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第7ステーション |
かなり世俗的な光景 |
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第8ステーション
ハン・アルザイト通りに左折しすぐの道を右折,少し西に行ったところが第8ステーション,イエスがエルサレムの娘たちに語ったとされる場所である(ルカ23章).ここにもギリシャ正教の教会が建っていて,壁には十字架が描かれている. |
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第8ステーション |
十字架が描かれています
(写真左端) |
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第9ステーション
来た道を戻り再びハン・アルザイト通りを南下し,少し行った先を右折するとそこが聖墳墓教会である.この教会の入り口に第9ステーションがあり,イエスが3度目につまづいた場所とされる(これも聖書には記事のない伝承).ここはコプト教会の管理下にある. |
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いよいよ聖墳墓教会 |
第9ステーション |
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