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イスラエル旅行記(4)


2016年9月15日(木)


12.ガリラヤ湖畔の朝

 さて明けて9月15日,この日はガリラヤ湖周辺の観光をする日である.6時にモーニングコールで起こされ身支度をする.窓から見えるガリラヤ湖の朝焼けが美しい.その後朝食会場へ(昨夜の夕食と同じところ).夕食同様,野菜の充実ぶりが凄い.が,昨夜と違ってハムやソーセージといった肉製品がない! その一方で昨夜はなかったチーズがたくさん並んでいる.そう,これがユダヤ教の食事規定「コーシェル」というやつで,それによると肉と乳製品を同時に提供してはいけないことになっているからである(これは聖書に「子山羊を、その母の乳で煮てはならない」とあるからという).

ガリラヤ湖の夜明け
 
 コーシェルの朝食後はいったん部屋に戻って準備,ホテルは連泊なので荷物の整理は不要だ.身支度を終えてロビーに集合となる.この日から1号車と2号車は基本的に別行動となるらしい.たしかに60人規模の団体が同一行動を取ったら狭い教会なんかの観光は大変だろうし,集合移動だけでひと騒動になってしまうことは容易に想像できる(10人程度の団体でも集合に遅れたり,行方不明になったりする人がいる).  

朝食会場

肉類がありません

このバスで観光します
 


13.パンと魚の奇跡の教会

 8時5分にバスはホテルを出発,ガリラヤ湖畔を北上する.この日も快晴の良いお天気だ.
 ガリラヤ湖は昨日行った死海とは異なり淡水湖である.イスラエル最大の水がめとして貴重な飲料水の供給源となっている.そんなガリラヤ湖畔はまた,若き時代のイエスが布教活動を行っていた地としても知られる.今日はそんな史跡を巡る予定になっている.
 我々2号車はまずパンと魚の奇跡の教会と呼ばれるところに向かった.ここはルカの福音書に,イエスが5つのパンと2匹の魚を祝福して5000人の人々を満足させたとされる奇跡にちなんだ教会である.教会そのものは5世紀のビザンチン時代に立てられたらしい.ここにあるものでとくに有名なのが魚が描かれたモザイクで,同時代のイスラエルではもっとも素晴らしいモノらしい(お土産用のTシャツなんかにもこれが描かれていた).

この日も快晴です

ここがパンと魚の奇跡の教会
 

教会の中庭


オリーブを擦りつぶした岩とされます

ビザンチン時代に使われた洗礼槽とされます
 

ビザンチン時代のモザイク画

教会の聖堂

これが有名なモザイク
 


14.ペテロ召命教会

 続いてはここから徒歩数分のペテロ召命教会(ペテロ首位権の教会)に向かう.ここはイエスが漁師をしていたペテロ&アンデレ兄弟と出会い,「わたしについてきなさい.あなたがたを人間を漁る漁師にしてあげよう」といったとされる地に立つ教会である.またゴルゴダの丘で刑死したイエスが3日目に復活し,弟子たちと食事をとったとされる岩もここにある.
 食卓の岩ということなので,平らになったテーブル状のものを想像していたのだが,実物はごつごつした普通の岩で,ここで食事をするのは正直無理があるんじゃないかと思った(笑).
 ここに教会が建ったのは4〜5世紀とされるが,現在の建物は20世紀になってからできたものらしい(ちなみにペテロ首位権の教会とは,ここでイエスがペテロに「私の羊を飼いなさい」と語り,これが事実上ペテロに自分の後継になれと宣言したから).周辺は緑も美しく快適な環境だった,

ペテロ召命教会へ

教会が見えてきました.緑が眩しいです
 

食卓の岩

イエスとペテロの像

教会をバックに
 

ガリラヤ湖畔

ペテロ以下歴代ローマ教皇が描かれています.拡大して見てみてください
 


15.カペナウム

 ペテロ召命教会の見学を終えて再びバスに乗り込む.次に向かうのはここから西に3キロ離れたカペナウム,若きイエスが布教活動を行った地である(カペナウムはヘブライ語で”クファル・ナフム”から来ており,”慰めの村”の意).この町については旧約聖書には記載がなく,紀元前6世紀のバビロン捕囚以降に作られたのだろうと言われている.

カペナウムに来ました
 
 ここの最大の観光ポイントは3世紀ごろのものとされるシナゴーグ(ユダヤ教の会堂で,日本でいえば公民館みたいなニュアンス)の跡である.黒玄武岩の土台の上に石灰岩による建物の一部が残っていて,当時の雰囲気がしのばれる
 このシナゴーグの向かいには使徒ペテロの実家の跡とされる土台もあって,こちらの上にはギリシャ正教の教会が建っている.教会の床はガラス張りになっていて,下の遺跡が眺められるようになっていた.この教会は行事のために立ち入れないことが多いそうだが,自分たちが訪れた時は入ることができた(日頃の行いがいいからだろう).また当時ここには税関があったそうで,徴税人のマタイはここでイエスに声をかけられて弟子になったらしい
 

シナゴーグの跡

当時の町の土台?

当時の柱でしょうか
 

これはギリシャ正教の教会

教会内部

教会下にあるペテロの実家跡
 


16.山上の垂訓教会

 カペナウムを後にしてバスで次に向かうのは山上の垂訓教会,ガリラヤ湖北岸の湖が一望できる高台に建つ教会である.ここはイエスが弟子たちに「山上の垂訓」を語ったとされる地である(マタイ福音書5章).またイエスが十二使徒を選んだ場所ともいわれる(ルカ福音書6章).現在ここには1930年代に建てられたフランシスコ会(カトリックの修道会のひとつ)の教会が建っている.八角形をした綺麗な聖堂を持つ教会で,これはマタイ福音書5章に出てくる8つの聖句にちなんでいる.現地ガイドさんは解説に当たって聖書の朗読をしてくれた.キリスト教に関心が深い我々は熱心に聞いていたが,その他の参加者はそうでもない.キリスト教色の濃いツアーなので,参加者にも教会関係者が多いのではないかと思っていたが,逆に教会関係者はほとんどいなかった(後で周辺とお話して分かったことだが,このツアーがこれだけ大人数になったのは,他社の類似ツアーが軒並み催行中止になったために,そちらに申し込んでいた人たちがみんな流れてきたかららしい(そういえば自分達もそうだ 笑).

山上の垂訓教会

beati pacifici quoniam filii Dei vocabuntu(平和をつくり出す人たちは、さいわいである、彼らは神の子と呼ばれるであろう マタイ第5章)
 
 山上の垂訓教会を後にして丘を下り,今度は湖畔の船着き場に向かう.ここからガリラヤ湖のクルーズに参加することになっているからだ.この近くには近年発見された1世紀ごろの船もあるらしい(残念ながら見る時間はなかった).  

庭に魚の模様が

教会の聖堂

ガリラヤ湖の眺望
 


17.ガリラヤ湖のクルーズ船

 1世紀の船は小型ボートであるが,現代の遊覧船はもちろんそれよりも大きい.ここでは久々に1号車の人たちとも合流して船に乗り込んだ.出航に当たっては国旗掲揚・国歌演奏のセレモニーがあり,イスラエル国旗と日の丸が掲揚され,両国の国歌が演奏された(イスラエルと乗客の国旗が掲げられる模様).この辺りに国家を大切にするイスラエルの人々の意識が感じられる.
 桟橋を出た遊覧船は湖を北東に進んでいく.左手には先ほど観光したパンと魚の教会,ペテロ召命教会,山上の垂訓教会の姿が見えた.一方右手には小高い高原地帯が広がっている.ここがニュースなどで話題になることもあるゴラン高原である.
 元々ガリラヤ湖はイスラエルとシリアの国境で,ゴラン高原はシリア領だったのだが,イスラエルと敵対するシリアはここに砲台を築いてしばしばイスラエル領内を砲撃した.

港へ向かいます

いよいよ船に乗り込みます
 
このため1967年の第三次中東戦争によってイスラエルはこの地域一帯を占領して現在に至っている(イスラエルは当地の併合を宣言しているが,国連をはじめとする国際社会はこれを認めていない).現在ゴラン高原には国連の監視軍が置かれており,日本の自衛隊も1996年から2013年まで部隊を派遣していた.そんなゴラン高原であるが,ここは雨もほどほどに降る肥沃な土地であり,現在はワイナリーもあるらしい(ワイン好きの自分にはたまらない話題).湖には我々と同様の他のクルーズ船も走っていた.また航海途中では船員が網で魚を捕るパフォーマンス(これも聖書に由来する)も行われた.  

国旗掲揚

同型船です

先ほど見た教会
 

向こうがゴラン高原

魚を捕るパフォーマンス

記念撮影
 


18.聖ペテロの魚

 約50分ほどでクルーズは終了,もとの桟橋に戻りこの後は昼食となる.この日は湖畔にある魚料理専門店でだった.ガリラヤ湖といえば,ティラピアという淡水魚が名物で,これはマタイ福音書17章にイエスがペテロに「湖に行って釣りをしなさい.そこで釣れた魚の口に銀貨が入っている.」といった記事に由来している.日本だと煮付けになりそうだが,当地では油でカラッと揚げたようなのが一般的のようだった.淡白な味わいだが,塩とレモンでいただくのが一番なのかなと感じた(ポン酢もいいかも).参加者の中には日本から持参した醤油やケチャップを使っている人もいた.自分たちはというと,当然のようにビールも注文した.

ガリラヤ湖畔の魚料理店
 

ペテロの魚

コインを咥えさせてみました

地元のビール
 


19.カナの婚礼教会

 昼食の後はバスに乗り込んで引き続き観光となる.午後からはガリラヤ湖を少し離れて西部のカナ・ナザレを訪問することになっている.まずはカナに向かった.
 カナは婚礼に招かれたイエスが水を葡萄酒に変えて祝福したことで知られる場所である.ヨハネ第2章に書かれているこの記事こそ,イエスの最初の奇跡とされ,現在はこの記事を記念して,ローマカトリック(フランシスコ会)とギリシャ正教の教会(一般に婚礼教会と呼ばれる)が建っている.ビザンチン皇帝としては当然ギリシャ正教会も訪問したかったのだが,残念ながら一般観光客(笑)には開放していないらしく,今回はフランシスコ会の教会のみの訪問となった.ちなみにこの教会はザルツブルクの大聖堂をモデルとして建造されたらしい(そういえば似てる).
 このフランシスコ会の婚礼教会,もともとシナゴーグがあった場所にビザンチン時代教会が作られ,その後紆余曲折を経て今の建物が作られたらしい(なので教会の床の下から4世紀のシナゴーグ時代のモザイクも発見されている).ここに限らず,イスラエルの旅ではビザンチン時代というキーワードがちょくちょく出てくる.その言葉を聞くたびに嬉しい気分になるのは,自分がビザンチン皇帝を名乗る者だからだろう(笑).それはさておき,この教会,明るい聖堂の他,一説によると葡萄酒に変わった水が入っていたという瓶も展示されていた.

カナの婚礼教会

参考 ザルツブルクの大聖堂(そういえば似てる)

教会にある水瓶(ワインが出てくるかは不明)
 
 ちなみにカナは葡萄酒の奇跡のおかげもあって,お土産として葡萄酒が有名である.ただここはゴラン高原と違って良質な葡萄が採れるわけでもないため,質の良い葡萄酒というよりは,お土産としての葡萄酒という感じらしい.我々が立ち寄った土産物屋にもこうした葡萄酒が並んでいた(試飲できたのだが,非常に甘かった.記念なので購入した).  

4世紀のシナゴーグ跡

当時のモザイク

その英訳です
 

婚礼教会の聖堂

カナはワインのお店が多いのが特徴です

ギリシャ正教の婚礼教会にはビザンチンの双頭の鷲が!
 


20.イエスの故郷ナザレ

 カナの街を後にして,続いて向かうのがナザレである.イエスが育った地として非常に名高いが,旧約聖書にはこの町についての記載はない.このため新約聖書のヨハネ福音書では「ナザレからなんの良きものが出ようか」などとひどいことを言われている.しかし実のところナザレは古代以来交通の要衝で,そんなに無視されるような町でもない.ただ,旧約聖書に代表される古代ユダヤ人の世界観では,エルサレムを含む南部イスラエル(ソロモン王死後のユダ王国)こそが正統であり,ナザレを含む北部イスラエル(ソロモン王死後のイスラエル王国)は傍流扱いされていたことも関係するのだろう.北部のイスラエル王国は紀元前8世紀にアッシリア帝国に滅ぼされるのだが,この時南部のユダ王国の人々は「彼らは信仰心が足りないから滅ぼされたのだ」といった認識だったらしい(その150年後,紀元前6世紀に新バビロニアのネブカドネザル王によってユダ王国自身も滅ぼされ,住民がバビロンに連行されてしまった(バビロン捕囚)のは有名な話である).

ナザレの町は結構賑やか

中東っぽい光景です
 


21.聖ガブリエル教会

 ナザレは現在人口7万人を数える都市となっている.住民の大半はアラブ人で宗教はイスラム教である.キリスト教における重要な街がユダヤ教の国イスラエルのしかもイスラム教徒が多数を占める場所にあるという事実に驚く人もいるが,実はこうした異教徒の共存は中世以来,東地中海では日常的な光景なのである.今回我々はまず聖ガブリエル教会に向かった.ここはギリシャ正教の教会で,伝承によるとマリアがここで水を汲んでいるときに,天使ガブリエルから御告げを受けたとされる場所に建つ教会だ.教会前には実際にマリアの井戸と呼ばれる共同水場(?)のような施設がある.現在では枯れてしまったが,比較的最近まで現役で使われていたらしい.
 一方で教会内部にはかつてイスタンブールを訪問した際によく見た,おなじみのフレスコ画やカラフルなイコノスタシス(聖堂内部で一般大衆が待機する部分と特定の聖職者のみが立ち入ることのできる至聖所を分ける壁)があって華やかなギリシャ正教の教会という感じだった.また地下には教会のいわれとなっているマリアの泉があったが,この手の観光地では宿命なのか,大量のコインが投げ込まれていて風情が台無しになっていた(泣).

聖ガブリエル教会

マリアの井戸

イコノスタシス
 

きわめてギリシャ正教的なフレスコ画です

地下施設


マリアの泉

 


22.受胎告知教会

 次に向かうのはフランシスコ会による受胎告知教会,マリアが受胎告知を受けたとされる洞窟上に建つ教会である.フランシスコ会の教会としては中東で最大規模のものらしい.全体的に三角形をした外観はマリアのAを意味するとか.入り口の大きな扉には旧約聖書,新約聖書の物語が描かれている.
 教会内部の真ん中には,当時マリアが天使から受胎を告知された洞窟とされる場所が大切に保護されており,そこを見学しようと大勢の巡礼者や観光客で賑わっていた(マリアの受胎告知場所は教派によって微妙に異なるようだ).一方で礼拝堂の2階部分には世界各国から贈られた聖母像が架けられていた(日本からは長谷川路可作の華の聖母子(細川ガラシャをイメージしたとも)が贈られている).
 ちなみにこの教会の歴史は4世紀に遡る.キリスト教を公認した最初のローマ皇帝であるコンスタンティヌス大帝の母ヘレナがこの地に教会を作ったのが始まりとされている.以来何度も建設と破壊が繰り返され,現在のフランシスコ会の建物ができたのは1969年のことである.教会の下部には昔の教会の土台が保存されていて,中にはビザンチン時代のものと思われるモザイクもあって感動した.

受胎告知教会

旧約聖書の物語が描かれた扉です

こちらは新約聖書です

 

美しいステンドグラス

日本から送られた聖母子像

教会内部
 

マリアの洞窟

2階にある礼拝堂

ビザンチン時代のモザイク
 


23.聖ヨゼフ教会

 受胎告知教会の次は,そこから徒歩圏内の聖ヨゼフ教会である.マリアの夫ヨゼフを記念した教会だ.入り口には苦悩の表情(?)を浮かべたように見えるヨゼフの銅像が建っていた.ヨゼフがマリアの許嫁だった時代,マリアは突然天使から受胎を告知される.ヨゼフもその事実を知るわけだが,その時彼の受けた衝撃はさぞ大きかったであろう.まだ処女だったマリアが懐妊したというのだから.いくら天使の御告げだと言っても,果たして額面通りに受け取ったかどうか.なんといっても貞操観念の厳しいユダヤ教の世界である.
 だが結局ヨゼフはすべてを受け入れた.生まれたイエスも我が子のように育てている.もしもヨゼフが律法に厳しい人物であれば,身重のマリアは追い出されていたかもしれない.そうしたらイエスが成長できたかどうかも怪しい.後のキリスト教の誕生もヨゼフの寛大な心があったからこそともいえる.
 そんなヨゼフは,労働者の守護人だけあって教会の地下には彼の時代の仕事場とされる遺跡があるほか,ビザンチン時代の地下礼拝所なども残されていた.
 このヨゼフ教会の見学でこの日の観光は終了,後はバスでホテルに戻る流れとなる.1号車の方では行方不明になった参加者がいる!と大騒ぎになっていたようだが(無事に発見された模様),何はともあれバスは出発した.
 帰りはホテルに着く前にティベリアのスーパーに寄ることになった.要はお土産用である.実は当初の予定ではエルサレムでスーパーに寄る予定だったのだが,その日はユダヤ教の安息日に当たってしまうためらしい.
 ユダヤ教徒の安息日は普通の暦でいえば金曜日の夕方日没から翌日土曜日の日没までの一日だ(日没スタートなのは,ユダヤ教の一日は日没から始まるため).

ヨゼフの像

ビザンチン時代の礼拝所への階段

ステンドグラス
 
その間正統派のユダヤ人は一切の労働が禁止されており,店の営業なんてもってのほかだからだ.スーパーは本当に普通のスーパーで,そこに数十人の日本人観光客が押し掛けたのだから,店の人も驚いていた(話題の爆買い状態か !(^^)!).私はというと,お昼に話題になっていたゴラン高原のワインを購入した.
 買い物後はホテルに帰還,ナザレを明るい時間に出発したのだが,結局ホテル到着は昨日と大差のない時間になっていた.我々は部屋に戻ってシャワーを浴びたあと夕食に繰り出したのだった(この日もワインを堪能 笑).さあ,明日はいよいよエルサレムに向かう日である. 
 

ヨゼフ教会内部

ティベリアの町

コーシェルのマック
 


 

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