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ニューカレドニア旅行記(2)


4.2001年11月11日(日)

 Kの心配をよそにエールフランス機は無事ニューカレドニアのトントゥータ国際空港に着いた.国際空港といっても日本の地方空港程度の規模である.飛行機から降りると早くも南国の暑さを実感し,日本から着てきたジャケットがうっとうしくなる.入国審査は予想以上にまとも(?)であり,パスポートの写真や,入国カードを熱心に見ていた.10年前フランスに行った時の入国審査官などは”ボンジュール,ムッシュウ”といいながら無造作に入国カードだけ抜いてパスポートは見もせず返してよこしたものだ.同じフランス領でありながら相当に趣が違う.これもテロ事件の影響なのか.
 空港を出ると日本人らしき若い女の人がにこやかにやってくる..”受付はお済ですか”と言って私のスーツケースをしげしげと見ていたが,納得したように”向こうのアルファのカウンターへどうぞ”と,お祭りの夜店のような露天のカウンターを指差した.言われるがままに,そのアルファのカウンターに行く.今度は若いお兄さんが立っていた.受付をしたい旨を告げると,どこのツアーかというので日本旅行のベストツアーだと答える.旅行日程表を見せてくれというので見せると,ここではなく向かいのカウンターだということであった.どうやら前述のお姉さんが間違えたらしい.後で気付いたのだが,私が持っていったスーツケースは母親のもので,彼女が参加したあちこちのツアーのシールがベタベタと貼ってあり,お姉さんはそれを見て勘違いしたらしい.アルファのカウンターのお兄さんに言われた方を見ると,同じような屋台があり,サウス・パシフィック・ツアーズと書いてある.そこに行くと今度は別のお姉さんがいて受付をしてくれた.
 その後サウス・パシフィック・ツアーズ(SPT)のバスでヌメア市内に向かう.見渡すとまわりは新婚旅行風のカップルばかりである.1時間程でヌメア中心部に到着,市内の各ホテルに寄って荷物を降ろした後ツアーに付属する市内観光に出かける.まず向かったのがウアントロの丘であった.ここには第二次世界大戦時に据え付けられた海岸砲がある.ニューカレドニアの本島であるグランドテール島はバリアリーフに囲まれ,戦艦など巨大艦艇の侵入を阻んでいるが,一ヵ所だけバリアリーフの切れ目があり,ここを防御するために据え付けられたのである.しかし,発注を受けた会社が射程距離の単位を間違えたため(メートルとマイル)実際には使い物にならなかったという.考えてみれば昭和17年にはこの近くのサンゴ海まで日本の海軍が進出しており,オーストラリア北部は何度も空爆を受け,シドニー港には特殊潜航艇が侵入するなど,当時はこの島もかなり緊迫していたのだろう.結局そうこうしているうちに戦争が終わり,この大砲も使われることなく現在にいたっている.
 次に行ったのはヌメア水族館である.ここは日本の鳥羽水族館等には比べるべくもないが,生きた化石といわれるノーチラス(巨大な巻貝)や光るサンゴなど見るべきものがある.Kは大きな水槽で泳いでいるウミガメに興味を示していた.本当は半日くらいじっくり見学したかったが,ツアー観光の宿命とと言うべきか30分足らずで出発となった.
 そこから今度はF. O. Lの丘に行く.ここは聖堂や朝市さらにヌメア港などが一望できる観光スポットである.実際ガイドブックに載っているヌメアの写真はここから撮ったものが多い.F. O. Lの丘で記念撮影をしていると市内観光電車のプチトランに出くわした.これは列車風の電気自動車で,定期的に(1日5本くらい)市内の見所を回っている.車両のてっぺんに縞模様のウミヘビのキャラクターが乗っており,これがこの辺のマスコットである(店などではこのキャラクターのTシャツやトレーナーを売っている).2年前,ノルウェーのトロムソに行った時にも同様の観光列車があった(もしかしたら同じ会社が作っているのかもしれない).Kが乗ってみたいというので,日を改めて乗ることにした.本来なら次にヌメア博物館に行くはずであったが,そこは日曜日は休みということで,後で行くようにとチケットを渡された(結局行けなかったが).


ウアントロの丘にある大戦中の大砲前にて

F. O. Lの丘から見たヌメア市街.ガイブックなどでおなじみの構図である.

市内観光電車プチトラン.F. O. Lの丘にて


 市内観光が終わりメリディアンホテルに戻る.イル・デ・パン島に行く人は3時45分にホテルのロビーに集合といわれたが,まだ2時間くらいある.そこで我々はアンスバータの海岸へ行ってみることにした.メリディアンホテルを出て左手に曲がり,自動車が進入できないようゲートのある道に入る(SPTのパンフレットにはアンスバータビーチへの抜け道と書いてあった).クラブ・メッドの前を通り,まっすぐ2〜3分歩くと行くと,もう一ヶ所ゲートが見えてきた.どうやらここはクラブ・メッドの入り口らしく,現地人の守衛が立っている.怒られないかな,とそ知らぬ顔で通過しようとすると「ボンジュール」と陽気に声をかけてきた.やはりこの道は観光客がよく通るらしい.ゲートを越えるともうアンスバータの海岸である.浜辺に行くとフランス人のトップレスが日光浴をしている.「あ!トップレスだ」とKに言うと,「本当に好きだね」とバカにされた.海岸沿いの道路を歩いていると,まもなくパームビーチショッピングセンターが見えてきた.ここはお土産や色々な店が入ったショッピングモールである.日曜日のためか開いている店は少なかった.開いていた土産物屋に入り私は帽子を買った.南国の太陽はボサボサ頭の私にはこたえたからである(旅行前に床屋に行こうと思っていたのだが,忙しくて行く暇がなかった).買い物の後ショッピングセンターのカフェ,ル・ファレで地元のビールナンバーワンビールを飲む.味は日本のドライビールに近いであろうか.
 適当にくつろいでいるうちに集合時間が近づいてきた.ホテルにもどるとさっきとは違うSPTのスタッフが待っていた.ホテルからSPTの車でヌメアの国内線の空港であるマジェンタ空港に向かう.マジェンタ空港は国際線のトントゥータ空港よりさらにこじんまりとした所であった.空港では我々観光客の他,ビールを飲んですっかりできあがった地元の陽気なオジサン,オバサンがいた.沢山荷物を抱えている所を見るとどうやらヌメアに買出しにきた帰りらしい.イル・デ・パン島行きの飛行機は40人乗りのプロペラ機であった.ノルウェーの北極圏を飛んでいたのと同じような飛行機だったが,さすがに操縦席が丸見えということはなかった(これもテロ事件の影響か?).
 イル・デ・パン空港はノルウェーのホニングスヴォーグ空港を思わせるひなびた空港であった.空港に着くと各ホテルの迎えの車が待っている.メリディアンの車に乗りホテルに向かったが,ホテルへの道は原野の中の一車線道路である.20分ほど走ると,上高地の河童橋のような橋を渡ってホテルに到着した.日本人スタッフの説明の後部屋に案内される.ここは広い敷地にバンガロー形式の部屋と,ホテル形式の部屋,占めて35室くらいしかない贅沢なホテルである(ニューカレドニアの離島唯一の五つ星ホテル).部屋に着くとその日の疲れが一気にでてベッドに転がった.窓からはきれいな海や南洋杉の林が見えるが今はどうでもいい気分であった.19時半頃夕食のためにレストランに行く.このあたりはホテルの他,店などの人工物がほとんど無いため食事は必然的にホテルのレストランで摂ることになる.食事の前にフロントに寄った.明日は有名なクトビーチ・カヌメラビーチに行くつもりなので,送迎とお昼の弁当を頼むためである.イル・デ・パン島内には公共交通機関はほとんど無い(バスはなく,わずかのタクシーがあるだけらしいが,タクシーは一度もお目にかからなかった)ため,島内の移動はホテルの送迎を利用せざるをえないのである.昼の弁当にはオプションでビールも追加した.
 翌日の手配を済ませ,レストラン”ピローグ”に入る.ピローグとは現地の帆掛け舟の意味である.メニューはおいしそうなフランス料理がならんでいた(日本人観光客が多いため,当然日本語の表記もある).Kがエスカルゴが食べたいというのでそれを注文する.メインディッシュは,その日のシェフのおすすめであったエビとトマトソースのパスタにした.デザートはアイスクリームの盛り合わせである(当然これもKの希望).白ワインも1本注文した.味については,こんな辺鄙な所とは思えないくらいうまかった(だから五つ星なのか).2人でワインを1本空け,部屋にもどる.昨日からの疲労もあり,強烈な睡魔におそわれ,まだ午後10時前だがそのまま寝てしまった.


ル・ファレでくつろぐ私.すっかり休暇モードである



イル・デ・パン空港にて.後ろに見えるのが我々が乗ってきた飛行機である.


ホテル前の橋(上高地のシンボル,河童橋を彷彿させる).下を流れているのは川ではなく海である.


 

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