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 ミャンマー旅行記(6)


2014年2月11日


ミャンマー最後の朝

 明けて2月11日,ミャンマー旅行最終日である.この日は終日ヤンゴン市内を観光して夜のフライトで帰国という流れになる.この日のモーニングコールは6時半,実は今回の旅行では結構ゆっくりな部類である.支度をして7時に朝食会場へ,最初の日は早朝出発のためお弁当だったので,ここでの朝食は初めてということになる.内容は一般的なビュッフェスタイルで卵料理もあったのだが,2日目のバガンのホテルとは違って出来合い

ヤンゴンのホテルからの朝焼け
 
のものが置いてあるだけなのが残念だった.その後部屋でくつろぎ,8時半に出発となる(ちなみにチェックアウトはまだ).  


シュエダゴン・パゴダ

 まず最初に向かうのはシュエダゴンパゴダ,ヤンゴンを代表するパゴダである.高さは99.4メートルということで,昨日見たバガンのシュエモードーパゴダよりは小さいが,元々シングッダヤという小高い丘の上に立っているために,市街地からの高さはこちらの方がありそうだ.このパゴダは東西南北に入り口があるのだが,この日は南の入り口から入った.
 いつものようにサンダルを脱いで受付を済ませてから向かう先は… なんとエレベーター! このシュエダゴンパゴダは丘の上にあるため,誰でも簡単に行けるようにとエレベーターが設置されているのだった(大阪城状態 (^。^),もちろん歩いて丘を登ることも可能).エレベーターを降りて長い渡り廊下を歩き外に出ると,目の前に巨大な金色のパゴダが聳えていた.我々は時計回りにパゴダを一周してみることにした.

遠くからでもその雄姿が拝めるシュエダゴンパゴダ

内部にはなんとエレベーターが
 

セキュリティもあります

拝観にあたっての注意

長い廊下を進んでいくと
 

ここが出入り口です

菩提樹の木が

金色に輝くパゴダ
 
 ところでミャンマーには八曜日と 呼ばれる独特の風習がある.現地の人々は自分が生まれた日が何曜日かという点に関心が深く,曜日によって性格や相性も決まると考えられている(日本でいえば星座や血液型みたいなものだろうか).八曜日といっても別に8日サイクルの暦を使っているわけではなく,普通の一週間のうち水曜日を午前と午後に分けて八曜日としているものである.各曜日にはそれぞれ方角やその曜日を守護する動物も指定されていて,人々は自分の曜日の方角や動物を大事にしている.ガイド氏に調べてもらったところ私は月曜日,Kは火曜日とのことだった.ここシュエダゴンパゴダには,それぞれの方角に各曜日の祠が設置されていてお参りをする人々が絶えなかった(自分の曜日と占いはこのサイトで確認できる 八曜日占い).  
 曜日  日  月  火  水(午前)  水(午後)  木  金  土
 方角  北東  東  南東  南  北西  西  北  南西
 星  太陽  月  火星  水星  ラウ  木星  金星  土星
 動物  ガルーダ  トラ  ライオン  象(牙有り)  象(牙無し)  ネズミ  モグラ  ヘビ
ミャンマーの八曜日
 

日曜日

月曜日

火曜日

水曜日(午前)
 

水曜日(午後)

木曜日

金曜日

土曜日
 
 ちなみにミャンマーは上座部仏教を信仰する人が非常に多いのだが,人々は功徳を積むために様々なことを行う.特にパゴダに金箔を貼ることは一般によく行われていることのようだ(ミャンマーに金ぴかのパゴダが多いのは別に寺院側がやっているわけではなく,人々が個々に金箔を貼っていった結果である).ここでは我々も金箔貼りをしてきた.前々日のチャイティーヨ・パゴダは女人禁制だったため私だけが貼ったのだが,屋外でしかも風が強くて大苦戦だったのだが,ここは屋内でだったので非常に貼りやすかった(金箔そのものはパゴダの売店のようなところで購入する).結局1時間半ほど見学してパゴダを後にした(この頃になると日の光に照らされて床が熱くなり裸足がちょっと辛くなる 笑).

様々な尖塔が

お坊さんの姿も
 

これが金箔です

こうして貼ります

うまくいくとこんな感じ
 

主要な方角にこうした東屋が

鐘が吊るされています

記念撮影
 


チャウッタージー・パゴダ

 シュエダゴンパゴダを後にして続いては巨大寝仏があることで知られるチャウッタージーパゴダに向かう.ここの寝仏は昨日見たバゴーのシュエターリャウン寝仏よりも大きくて,体長70メートルもある(ウルトラマンでさえ40メートルなのに… ).バゴーのは宝箱を枕に寝ているイメージだったが,ここのはいわゆる手枕スタイルで,世間一般の寝仏のイメージに一番近いものであろう.足の裏に文様が描かれているのはバゴーと一緒だが,こちらのは仏教宇宙観図なのだそうだ.

チャウッタジーパゴダ
 

体長70メートルの寝仏

前の人との対比がすごい!

足底の文様は宇宙観図です
 


ボージョーアウンサン・マーケット

 寝仏見学の次はヤンゴン中央駅近くにあるボージョーアウンサン・マーケットへ,ここは宝飾品を中心にいろんなお土産物がそろった巨大市場である.通路に面して小さなショップがたくさん立ち並ぶさまは,イスタンブールのグランドバザールを彷彿させる.最終日にこういう場所に案内するのはこうしたツアーの定番であるが(笑),我々も各種のお土産物を購入した(昨日のショーにも出てきたミャンマー風の傘も購入).
 マーケットを出たあたりから気温がだいぶ上がってきて汗ばんでくる(この時日本は大雪で大変なことになっていたらしいのだが,それを知ったのは帰国後のこと).買い物後は一旦ホテルに戻ってお土産をスーツケースに詰める作業などを行い,チェックアウトを済ませた(朝チェックアウトをしなかったのはこれが理由).
 チェックアウト後は市内のレストランでのミャンマー料理である.このお店はガイド氏の知り合いがやっているらしく,我々のところにもあいさつにやって来た.この日のメニューは豆のスープに牛肉,魚料理である.野菜も出てきたのだが,焼きナス料理にKの 苦手食材パクチーが入っていて断念していた(笑).このレストランでは隣のテーブルにフランス人の団体さんが入っていたのだが,ミャンマー料理でもしっかりとワインを注文してたのはさすがフランス人だなと感心した(我々は定番のミャンマービール 笑).

ボージョーアウンサン・マーケット

巨大なマーケット

ミャンマー料理のレストラン
 

豆のスープ

牛肉料理

魚料理
 


マハバンドゥーラ公園

 ランチ後は中央駅の南,海に近い方面の散策に向かう.ヤンゴンはイギリス植民地時代から1980年代まではラングーンいう名前で呼ばれていた.19世紀後半の英麺戦争でこの地がイギリスの植民地となると,政府は当時シンガポールの都市計画にかかわっていたウイリアム・モンゴメリーに依頼してこの街の改造計画を進めていった.こうして英領時代にラングーンの中心となったのがこの地域である.特にスーレーパゴダを中心とした界隈は道路が碁盤目状に区画され,植民地時代の建物が立ち並ぶ歴史的な地域となっている.
 スーレーパゴダに隣接するマハバンドゥーラ公園は当時は ヴィクトリア広場と呼ばれていたが,現在では巨大な独立記念塔が立つきれいな公園になっていて,市民の憩いの場となっている.中には若いカップルが非常に多く,昼間だというのに芝生の上でいちゃついている人もたくさんいた(日本の公園だとこういうのは夜なんだが 笑).ガイド氏によると,軍事政権の政策で若者に欧米風の文化を与えて政治に対する関心を薄れさせているのではないかとのことだった.公園の北,スーレーパゴダの隣にあるどっしりした白い建物がヤンゴン市庁舎,そして公園の東にある見るからに英国風な建物が旧ヤンゴン最高裁判所である.ヤンゴンは軍事政権下,国際社会からの制裁で経済が停滞したために,結果的にこうした歴史的建造物がたくさん残ることになった.しかし2006年のネーピードーへの首都移転によってこうした建物の多くは空き家になり,現在急速に荒廃が進んでいるとのことであった(ようやく近年保護に向けた動きが始まったらしい).

旧税関

メソジスト教会

ヤンゴン市庁舎

最高裁判所
 

後方にスーレーパゴダが見える

独立記念塔

昼間っからいちゃつくカップルも
 


スーレーパゴダ

 公園を一周した後はスーレーパゴダを見にくことにした.で,道路を横断しようとするのだが… 交差点の歩行者用信号が青にもかかわらず,右左折車が次々に突っ込んでくる.日本だとこういう場合歩行者優先で,左折車(こちらでは右折車)は歩行者の横断が終わるのを待ってから交差点に入ってくるのが一般的だが,こちらでは基本的にそんな概念はなく,すべてが車優先で,結局渡れないうちに信号が赤になってしまう… なんていうケー スも当たり前にある.そうした事情のためか,こちらの人は車がビュンビュン走っている幹線道路でも,絶妙な間合いを取ってひょいひょいと横断していた.我々も結局ガイド氏のタイミングで道路を渡れたが,仮に自分たちだけだと車にはねられる危険があると思った(この辺の話題は2016年4月の日本旅行医学会のシンポでの「ミャンマーの医療事情」でも語られていた).
 スーレーパゴダは午前中に見たシュエダゴンパゴダに比べると小ぶりだが,八曜日の祠も設置されているなど設備は充実していた.ただ,この時間帯になってくると朝から照り付けている太陽の熱で床がかなり熱くなっていたのが辛かった(裸足なので結構熱さを感じる).なので係員がホースで床に水を撒いていたのは嬉しかった.ふと近くを見たらスマホをいじっている僧侶がいる,伝統文化と現代文明の混在が面白いなと思った.

横断歩道があっても渡るのは至難です

スーレーパゴダ

床が熱いので水を撒いている
 
 その後はトイレに行きたくなったために先ほどの公園内にある有料トイレへ,有料だけあってきれいな環境だった.途中で公園の北側が閉鎖されていて大勢の警備員が配置されているのに遭遇,なんだろうと思っていたら,どうやら政治家(もしかして海外の要人かも)が来ていた模様である.  

お祈りをささげる人々

スマホをいじる僧侶

八曜日の祠(土曜日)
 


チャイナタウンそして帰国

 公園を後にして今度は中心部にあるチャイナタウンを散策する.ヤンゴンは植民地時代からヨーロッパやアジア各国からやって来た人々が大勢生活していた国際都市であり,中華系の人々も多く当然のようにチャイナタウンが形成されている(この街には仏教系のパゴダの外に英国国教会の建物やユダヤ教のシナゴーグまである).ここのチャイナタウンはスーレーパゴダの西側にあるが,夕方になると多数の出店と大勢の買い物客ですごい熱気でる(アジア的な熱気というべきか).ここでは地元のカフェに入ってミャンマービールの生ジョッキをいただいた(美味しかったです).
 そうこうしているうちに日が暮れてきた.そろそろ空港に向かう時間である.最後の観光はライトアップされたシュエダゴンパゴダを見学,通りの向こうに金色にライトアップされた塔がそびえる姿はパリのエッフェル塔に似てるなと思った.
 その後は空港へ.ここで5日間お世話になったガイド氏とお別れ,本当にありがとう.待合で久しぶりにサンダルから靴に履き替え(笑),そのまま手続きに向かう.チェックインはあっという間に完了して出発ロビーへ,しばらくカフェでワインを飲んで時間をつぶした.そして搭乗の時間となり機内に入る.往路は8時間近くかかったヤンゴン−成田だが,気流の影響なのか復路は6時間ちょっと.安定飛行になったのち機内食が配られたが,空港でけっこう飲んでていい気持になっていたために断って爆睡モードに入っていた.そして,次に気が付いたのが着陸ちょっと前であった.
 こうして東南アジアの熱気の世界から真冬の日本に帰って来たのだった.

凄い熱気です

アジア的な集合住宅

ミャンマー式串焼き

ミャンマー風タコ焼き?
 

ミャンマー風お好み焼き?

寿司のカウンターも

ガイド氏とともに乾杯!
 

ライトアップされたシュエダゴンパゴダ
(何となくエッフェル塔を彷彿させます)
 

       完(明日からまた日常の世界)

   
     
     



 

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