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 ミャンマー旅行記(5)


2014年2月10日


ゴールデンロック・ホテルの朝

 一夜明けて2月10日,ミャンマー旅行4日目の朝となった.この日はチャイティーヨから下山し,途中の古都バゴーを観光してヤンゴンに戻る日程である.モーニングコールは6時半だったが,前夜寝るのが早かったこともあって勝手に目が覚めた.外に出てみると,ゴールデンロックが遥か彼方に見えている(昨夜はホテル名が名が体を表しているのか疑問だったが,まあとりあえずは正しいわけだ 笑).身支度をして朝食のためにレストランへ(昨夜と同じところ),朝食はトーストにバナナ,卵料理,スイカジュースのセットだった.その後しばらく部屋でくつろいで,8時5分にホテルをチェックアウ トして出発となる.昨日の夜下ってきた道の続きを数分歩くとバスターミナルに到着した.すでにほぼ満員状態のトラックが待機していたが,ガイド氏がこのトラックは昨日のと違って手すりもなく狭いこと,次のトラックなら交渉して前の座席に座れるからということで,このトラックはパスすることになった(結局交渉の結果,無事に次トラックの前の座席に乗れることになった).

朝焼けに輝くパゴダ

ゴールデンロックホテルの前で
 
 先発のトラックが出発したのち,我々のトラックの番となるのだが,運転手がどこかに行ってしまったために乗り込めない… 仕方ないのでその辺の痩せこけた犬を眺めていました(地元民に飼われているっぽい犬だったが,考えてみればこの辺は狂犬病が普通にある地域である.飼い犬とはいえ直接触るのは危険である.  

道をさらに下っていく

竹(?)で作ったおもちゃが

サンダルは定番商品です
 

このトラックはパスします

これが我々が乗る車

株式会社大和だそうです
 


バゴーへの道

 しばらく待っているとようやく運転手が現れ,我々も乗り込む.このトラックは元々日本の長距離トラックとして使用されていたもので,前列に運転手を含めて3人座ることができ,さらにその後部(運転交代要員が仮眠をとるスペース)にも客を3人乗せるのがスタンダードとのこと.ただこの日は我々だけの独占だった(私とK,それに運転手が前席,ガイド氏が仮眠スペース).
 やがてトラックが満員となり出発となる.しかし… 行き違いのためすぐに停車,しばらく道のわきで待機することに.やがて対向車が5〜6台通過してようやく出発かと思ったが,なぜか後続のトラックに先に行かれてしまった(なぜだ!別にお坊さん専用トラックとかでもなかったのに).まさに「後か〜ら〜,来た〜の〜に,追〜い越〜さ〜れ」状態である(笑).それでもようやく出発したトラック,急こう配&急カーブの下り坂をほぼロー&セカンドで下って行った(さすがに荷台と違って前席は快適だった 笑).
 9時半ごろに麓の街キンブンに到着,トイレを済ませたのち,迎えの車&スーツケースと合流しバゴーに向けて出発である.このルートは昨日来た道を戻るだけなので景色は変わらないのだが,途中に願いがかなうパゴダというのがあった.また柑橘系の果樹園にも立ち寄りドライフルーツのお土産を購入した.

前席に乗り込みます

対向車をやり過ごす

後続車に追い越される
(;゚Д゚)
 

果樹園です

売店も併設されている

お土産のドライフルーツ
 

願いが叶うパゴダ


こんな農村にもさりげなく金色のパゴダがあります

バゴーの街に到着

 


シュエモードー・パゴダ

 11時ごろにバゴーの町に到着した.ここはかつてペグーと呼ばれていた古い町で13〜16世紀にモン族の都として大いに栄えたところである.一昨日観光したバガンやミャンマー中部の都市マンダレーと同様多くの仏教遺跡があることで有名だ.まずはこの街のランドマーク,シュエモードーパゴダに向かう.このパゴダは1200年以上の歴史を誇るといわれており,過去何度も地震の被害にあったもののその都度再建が行われ,現在その高さは114メートルとミャンマー最大を誇っている(ヤンゴンのシュエダゴンパゴダよりも高い).実際にここには過去の地震で倒壊したパゴダの先頭部分が保存展示されていた(こういうのを見るにつけ昨日のチャイティーヨパゴダが落ちないのが凄いと感じる).
 シュエモードーパゴダは巨大な黄金の仏塔を中心にその周囲に何十もの小さな仏塔(こちらも金ぴか)が取り囲む形になってる.さらには東西南北各方位に祈祷の施設やいろいろな展示物を並べるスペースが設けられていた.この展示スペースには日本人が寄進したという鎌倉の大仏のレプリカ(?)も飾られていた.
 ちなみに上座部仏教は各々が功徳を積むことで成仏できる思想であるが,パゴダにはそうした功徳を積むためのアトラクション(?)も充実しており,ここでは鐘を突くイベントの他,鳥を空に放つなんてのもあった.

ミャンマーで最も高いシュエモード−パゴダ

昔はあさひ幼稚園のスクールバスだったようです

パゴダの入り口
 

謎のTシャツ

右にあるのが昔の先頭部分

豪華な東屋が建っています
 

昔の石板です

鐘を突くイベント

鎌倉大仏のレプリカも
 

各種ジオラマも充実しています

日本は真冬ですが…

大尖塔の周囲には小さな塔が
 


王宮博物館とシュエターリャウン寝仏

 続いてバゴーの王宮博物館の見学に向かう.前述のとおり,この街は13〜16世紀に王都として栄えた歴史がある.残念ながら当時の建物はすべて失われてしまったが,近年16世紀のバイナウン王の時代の王宮を構成していた柱や柱穴が発見され,往時の姿を復元したものが造られ博物館となっている.金ぴかの玉座や車などは想像の産物であろうが,一方で当時の柱やボートなど考古学的な成果は非常に興味深いものだった.
 その後は町郊外のシュエターリャウン寝仏へ.ここは10世紀にモン族のミガディパ王が造ったといわれる体長55メートルの巨大寝仏である.モン族の王朝が衰退したのちジャングルの中に埋もれていたが,19世紀末のイギリス植民地時代に発見され,再び日の目を見ることになったものだ.シュエモードーパゴダにあった鎌倉大仏との違いを見れば明らかだが,日本の仏像は渋いイメージなのに対して,ミャンマーの仏像は明るくて,表情もお茶目な感じがする.全身像なので足の裏も見られるのだが,細かい文様が描かれているのが凄いなと感じた(ちなみにこの寝仏については1942年の日本ニュースにも登場しており,当時この地にやってきた日本軍兵士はこの仏像を見てどんな感想を抱いたのだろうか).
 寝仏の見学を終えて出ようとしたら,お土産物売りの子供が多数寄ってきた.あんまり熱心なので(笑),古いコインや竹の扇などの小物をいくつか買ってあげた.

仙台泉観光のバスです

王宮博物館

当時の柱を展示しています
 

金ぴかの車

玉座にて

発掘されたボート
 

シュエターリャウン寝仏

1942年当時のもの(今とほとんど変わっていない)

足の裏の文様
 

記念撮影

注意事項

壁画もあります
 


第55師団の慰霊碑

 この後は昼食となるのだが,実はこの寝仏の近くに寄りたい碑があるため,ガイド氏にお願いして行ってみることにした.ミャンマーは第2次大戦で日本軍とイギリスを中心とする連合軍との間で激しい戦闘が行われた場所である.双方に多くの死傷者が出たのだが,緒戦から昭和19年の秋までこの地の第一線で戦い多くの犠牲者を出した部隊が第55師団である(四国四県で編成).そんな師団の慰霊碑が寝仏近くの僧院(チェーニガン僧院)にある.ここでは古い建物の中で子供たちへの初等教育を行われていたが,そんな建物の間にひっそりと慰霊碑が立っていた(元は市内のお寺にあったものが後にこの僧院に移設されたものらしい).
 僧院を後にして昼食となる.昨日入ったチョー・ソワ・レストランが美味しかったので,今日もそこにしようということになった.昨日とは違うものを食べようということで,

チェーニガン僧院

子供達が遊んでいます
 
焼きエビとチキンヌードル,チャーハン(とビール)を注文した(それとビールも).やっぱりおいしかったです(特にエビが美味).  

第55師団の慰霊碑

鎮魂の文字が

慰霊碑の由来
 

焼きえび

チキンヌードル
 


カンドーヂ湖のディナー

 昼食後はヤンゴンに向かってひたすら走る.途中ガイド氏と運転手が家に持って帰るスイカを買うということで屋台に立ち寄った.日本ではスイカというと丸いイメージだが,ミャンマーのスイカはみな細長い形をしている.所変われば… というものの,なんだか面白いなと感じたのだった(普通の果肉が赤いスイカの他に,いわゆるクリームスイカタイプもあった).
 16時過ぎにヤンゴン市内に入り,初日に泊まったパノラマホテルに再びチェックイン,今日は結構砂ぼこりの中を歩いたので,まずはシャワーを浴び夕方までくつろぐ.そして18時過ぎに夕食に向かった.この日は市内のカンドーヂ湖に浮かぶレストラン,カラウェイ・パレスでのショー付きのビュッフェである.このレストラン,ガイド氏は屋形船と呼んでいて,たしかに船の形にも見えるのだが,

細長いミャンマースイカ

クリームタイプもあります
 
正確にはミャンマーの伝説の鳥カラウェイを模ったものらしい.客の大半は外国人観光客で,我々の近くにはミャンマーに進出しようとしているっぽい中小企業のオーナー団体と思しきオッサン集団がいた.食事はビュッフェスタイルで東西のいろんな料理が並んでいた.Kによるとナマズのミャンマー料理が美味かったらしいのだが,一方で日本風の蕎麦は乾麺を1時間茹でたらこうなるんだろうな(笑)というようなシロモノだった(笑).
 食事後はホテルに戻る.で,明日はいよいよ旅行最終日なのだった.
 

ガンドーヂ湖に浮かぶレストラン

入場の際の記念写真


やっぱりこの地域は象です

 



 

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