ビザンチン皇帝の部屋 本文へジャンプ
アクセスカウンター
 SINCE 2011年9月25日
       

第2回パラオ旅行記(6)


2005年9月24日(土)


雨のパラオ

 さて,なんだかんだ言ってパラオ最終日である.帰国は深夜なので,日が出ているうちは活動できる.この日はクラゲと共に泳ぐことができる,「ジェリーフィッシュ・レイク」に行くツアーを申し込んでいた.これはクラゲのいる湖に出かけてシュノーケリングを行い,その後通常の海でのシュノーケリングも楽しめるツアーである.我々が当初申し込んだのは,1日コースであった.
 し,しかし…….前日の午後辺りから,何となく雲行きが怪しいなあとは思っていたのであるが,いざ当日になってみると…….ガーン!なんとこの日は朝から雨,件のツアーも中止というではないか.そ,そんな…….雨に煙るパラオの島々,うーん風流だ,などとしみじみしている場合ではない.もしここがグアムやサイパンなら,雨が降ったら実弾射撃場に行くとか,ショッピングモールへ繰り出して買い物をするとか,天候に左右されない楽しみがいくらでもあるのだが,このように悪天候に見舞われると,途端にすることがなくなってしまうのがパラオである.

雨のPRRのビーチ.パラソルも閉じたままで寂しそうです


読書をする私
 
 仕方がないのでこの日の午前中は,ホテルの部屋でゴロゴロしていることにした.もっとも,ホテルで寛いで過ごすのも,リゾートでは重要な過ごし方のひとつなので,部屋でゴロゴロできるのもまあ良いであろう.我々はバルコニーのテーブルに腰掛けて読書でもすることにした.雨は激しくなってみたり,弱まってみたりしていたが,何となく雨が徐々に弱まって,一部の空が明るくなってきたような気がする.そのうちに部屋に電話がきた.内容は,「天候が回復するようなので,ジェリーフィッシュ・レイクのツアーを午後から催行できそうなのですが,参加されますか?」というものであった.そうか,催行できるか.それならと参加を申し込むことにした.
 ちなみに,この日の昼食をどうしようということになったが…….おお,そうだ.昨夜食べきれずに部屋に持ち帰ったチャーハンがあるではないか.もっとも,部屋に電子レンジがあるわけではないので,温めて食べるわけにはいかないが,冷蔵庫から出して常温に戻し,日本から持ってきたマグヌードルをスープ代わりに添えれば十分食べることができる.かくして我々の昼食は,このチャーハンになったのである.
 


ジェリーフィッシュ・レイクツアー

 昼食後,我々はジェリーフィッシュ・レイクへのツアーに参加すべく,所定の場所へと向かった.ツアー参加者はボートに乗り込み,RITCのスタッフから渡されたビニール合羽を着用する.まだ何となく小雨模様だからである.ツアーに同行するスタッフは,日本人男性のほかに,現地人スタッフのヘスス氏(通称ヘッチャン)という男性であった.この彼がなかなかいい味を出していたのである(しかし,RITCのホームページを見ても,このヘスス氏の名前は見当たらない.非常勤なのか?).ともかく彼らと共に,ボートで目的地へと向かったのであった.
 さて,噂のジェリーフィッシュ・レイクのある島へ到着である.ジェリーフィッシュ・レイクへは,船着場からしばらく山道を歩かなければならない.雨が降った後である上に,足元はビーチサンダルなので,かなり歩きにくい.しかも手にはシュノーケル用のマスクとフィンを持っている(ライフジャケットはあらかじめ着用してある)足がむき出しなので,転んだらかなり痛そうだ.そのようにして歩きにくい山道を歩いていくと,ほどなくして目的地であるジェリーフィッシュ・レイクへたどり着いた.ここに生息するクラゲ(タコクラゲの一種)は,長い間外海と隔絶されたこの環境で生きていくうちに,通常のクラゲが持っている毒のある刺胞を退化させ,体内で光合成ができるように自らの体を進化させて,現在の姿になったということである.早速我々もシュノーケルとフィンを装着し,クラゲと戯れることにした.
 湖の水温は,所々でやや冷たい水流があるものの,おおむね心地よいぬるさであった.湖の中心部へ向かって泳いでいくと,おお,いたるところで半透明のピンクかオレンジがかった体色のクラゲたちが,ふわふわと泳いでいるではないか.体長2〜3mmあるかないかの極小サイズから,両手のひらに乗るくらいのサイズのものまで,全く同じ姿かたちでふわふわ,ふわふわ泳いでいる.日本近海で大量発生して漁業に深刻な影響をもたらしている,悪名高い巨大越前クラゲと違い,こちらのクラゲたちの群舞は,なんとファンタスティックであることか.彼らの泳ぐ様を写真にとって加工すると,可愛らしい壁紙やテンプレートが作成できそうである.我々も早速,このクラゲたちの群舞の中で,かのヘッチャン氏に写真を撮ってもらった.しかしこのクラゲたちに我々が魅了される一方で,この絵に描いたような「クラゲ」そのものか,あるいはその寒天質の肌触りに恐れをなしたのか,

これからクラゲがたくさんいる湖をのぞきます

綺麗な小型のクラゲ(ジェリーフィッシュ)がウヨウヨいます

何だか,アダムスキー型UFOのようなクラゲです

水面スレスレを漂うクラゲ

逆光ですが我々です
 
「気持ち悪いー!」とずっと騒いでいるガキンチョもいた.
 彼は「もう2度と来ないー!」などと騒いでいたが,再び海外旅行に連れていってもらえる保証はあるのだろうか(我々が彼ぐらいのときは,たとえグアムやサイパンであったとしても,海外旅行など夢のまた夢だったのだが).
 ところで,この湖の船着場のような場所(我々が湖に出入りする場所)に,なにやら写真と注意書きが掲げられていた.どうやらこの湖に,近年もともと生息していなかったイソギンチャクのような生物(詳細は不明だが,いずれ腔腸動物の一種)が見られるようになり,本来の生態系に影響を与えているという内容であるようだ(きちんと読んでいないため,詳細は不明).どうも他の海域で使用したシュノーケル用品を,そのまま使うことによって彼らの幼生が持ち込まれ,繁殖してしまったらしい.外の海とほとんど隔絶したこの湖のような環境は,大変デリケートなのである.よってシュノーケル用品をこの湖で使うときは,十分に水洗いしてから使って欲しいとのことであった.今回我々が使ったシュノーケル用品も,ヘッチャン氏がその都度洗っているのだろうか.
 


シュノーケリング

 我々はジェリーフィッシュ・レイクでのシュノーケリングを終え,船へと戻った.しかし長時間水に浸かったせいもあり,どうやらKがトイレが近くなってしまったらしい.そこで船に乗る前に,島にあるトイレを使わせてもらおうとしたのであるが,なんと困ったことに,このトイレの出入り口が封印されていて,使用不能となっていたのであった.まったく我慢できないわけではないが,やっぱりトイレには行きたい.Kが困っていると,かのヘッチャン氏がボートの縁にはしごをかけて,「ここから水に下半身だけ入って用を足せばいい」と言い出したのであった.しかしKはかなり困り果てている.「皆が見ている前で用を足せというのか……」と嘆くKであった.
 さすがに水の中で用を足すのは,あまりに屈辱的だというKの意向もあって,ボートは一度トイレのあるガルメアウス島(実はこの区域からさほど離れていない)へと寄ることになった.幸いにもトイレに行きたいと思っていたのはKだけではなかったようで,ガルメアウス島に上陸したときは,他の参加者もトイレへと向かっていた.しかしトイレットペーパーがなかったらしく,「小」のほうしかできなかったようであった.そこで用を足した後の下半身は,(もちろん水着のパンツははいている)海に浸かって洗い流すのであった.(さすがに「大」をした人はいないと思う,多分)

ロックアイランドにはシュノーケルグスポットが沢山あります

珊瑚の間にグリーンの魚が泳いでいます

色とりどりの珊瑚です
 
 ガルメアウス島での「お手洗い」のあとは,近くのシュノーケルスポットでのシュノーケリングである.実は2月のときと違い,我々は今回,満足なシュノーケリングをしていなかった.前回宿泊したPPRと違い,今回はホテルのそばの海で泳ぐことができなかったためである.思いがけずシュノーケリングをする時間をとることができた.早速我々も参加することにする.
 今回初めて気づいたのであるが,一度スキューバダイビングの機材を実際に海で使うと,マスクを使った呼吸に慣れるのか,一段とシュノーケリングがしやすくなるのであった.さすがにシュノーケルを銜えた状態で潜水するという高度なテクニックは望むべくもないが,少なくとも体験ダイビングに参加する前よりは,やりやすくなったような気がするのである.それまでよりも余裕を持って,海の中を覗くことができるようになったと思う.外の天気はイマイチだったが,海の中は実にファンタスティックであった.
 

凄い数の魚です

珊瑚の形も様々です

今にも捕まえられそうです
 


居酒屋モグモグ

 ジェリーフィッシュ・レイクから戻ると,我々は帰国に向けてある程度の荷物をまとめることにした.深夜にはここを発たねばならない.そして夕方である.パラオ最後の夕食をどこでとるかということになり,とりあえずホテルの前からシャトルバスに乗って町に出ようかと思っていた(ついでにお土産の購入も行おうかと思っていたのであった).ホテルの玄関前の敷地に立つと,他にもバスを待っていると思しきグループがいた.ところがほどなくして,彼らはホテルの外を出て歩き始めたのである.「バスの乗り場が変わったのか?」ぐらいにしか考えていなかった我々は,何も考えずに彼らの後をついていくことにした.しかし彼らは別にバスに乗るわけではなく,ホテルの近くにある「居酒屋モグモグ」という店に入っていったのであった.そこで我々も,せっかくここまで来たのだからと,この店に入ることにしたのである.
 この「居酒屋モグモグ」は,かのアントニオ猪木氏がオーナーを務める居酒屋である.アントニオ猪木氏は,日本人にとって海外旅行が珍しかった時代からしばしばパラオを訪ねていたということで,氏のパラオへの思いはかなり強いようである(実際,「イノキ・アイランド」というプライベート・アイランドを所有しているほどである).メニューは日本の居酒屋でもおなじみの,刺身や揚げ出し豆腐,麻婆豆腐や焼きそばなどが食べられるほか,パラオならではのシーフード料理やタロイモの天ぷら(さすがに天つゆはついてこなかった.タロイモ自体にそんなに味はないので,卓上にあった醤油をかけて食べた)などもあった.飲み物はパラオの地ビール「レッド・ルースター」やチューハイなどが飲める.クレジットカードが使えないのは残念であるが,気楽に楽しめる店であった.我々もこれらの品々に舌鼓を打ち,パラオ最後の夜を楽しんだのである.
 なお,この店では,可愛らしい少女たちのダンスを鑑賞することができた.そのほかにも海中で撮影された珊瑚礁の映像も上映され,いかにも「南の島」といった雰囲気を堪能することができたのであった.
 


そして帰国

 「居酒屋モグモグ」を後にして,後は帰国の準備だけである.我々の帰国日は翌日の9月25日である.しかし成田へ行く便は,恐ろしいことに午前3時発である.したがってここを出るのは深夜である.これがなかなかきつい.ホテルから送迎のバスに乗って空港へ向かうが,夜空には時々稲光が見えた.もっとも,昼間から天気は悪かったので,ある程度の悪天候は予想していたが,空港につくと,外の雨が一層激しくなってきた.Kは「こんなんで飛行機飛べるのかなあ」などと不安がっていた.Kは過去に何度か,ニュースで離陸直後の飛行機に雷が当たったという報道を目にしたということで,今回もそうなったらどうしようと思っていたようである.
 Kの不安をよそに,我々は搭乗手続きを済ませ,空港内のカフェで待機していた.カフェにある読み物の中には,前の大統領だったクニオ・ナカムラ氏の著書もある.我々は読まなかったが,読んでみればよかったと思っている.(なお,後で調べて判ったが,彼は「新しい歴史教科書をつくる会」の主旨に賛同しているそうである)雨は相変わらず激しく降っている.9月ということもあり,やはり台風の季節ということで,この辺の気候は不安定であるようだ.
 そうして搭乗開始となり,我々も乗り込むことになった.この深夜便の何がつらいかというと,約4時間20分という短いフライトなので,少し眠ったかと思ったらもう降りる時間になってしまうということである.2004年のグアムや前回のグアム経由のパラオ旅行も,やはり夜中の短時間ずつのフライトということで,眠気でボーッとなりながら空港内を歩いていたのを覚えている.しかも今回はこれに加え,おりしも日本列島に近づいていた台風の存在があった.実際日本に近づくにつれ,かなり揺れたのである.さすがに飛行機酔いとまではいかなかったが,かなりきつかったのはいうまでもない.(なお,Kが恐れていた,機体に雷が当たるということは,さすがになかった)
 それでも飛行機は何とか無事に成田に到着した.揺れる機内で,しかも短時間のフライト,睡眠量なんてたかが知れている.我々はやはり前回のときのように,眠気でボーッとなりながら空港内をさまよい,いつものように成田エクスプレスと新幹線を乗り継ぎ(新幹線の車内では,泣き叫ぶ幼児の声にKがブチ切れていた),何とか盛岡へと戻ったのである.盛岡の実家では,母親と妹,その他親戚が,相変わらず賑やかに快気祝いの続きのようなものを行っていたのであった.

        完(明日からまた日常の世界)
 



 

第2回パラオトップへ   旅行記(5)へ