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ラオス旅行記(5)


2017年2月6日


29.タート・ルアン

 一夜明け2月6日,今回の旅行の最終日となった.この日は終日ビエンチャン市内の観光をして夜の便で帰国する日程である.身支度をしてホテルのビュッフェの朝食を摂った.その後は荷物をまとめてチェックアウトし,迎えの車に乗って観光開始である.
 まずは市の中心部から北西に向かう.メイン通りをひた走り,途中ビエンチャンの凱旋門を横目に見ながら約10分ほどで最初の目的地タート・ルアンに到着である.
 タート・ルアンはビエンチャンのみならずラオスのシンボルともいえる仏塔で,この国を紹介する観光ガイド本等には必ず載っているほど有名な建物である.紀元前3世紀に古代インド・マウルヤ朝のアショカ王に派遣された僧侶によって建立された寺院を起源に持つとされる(その際に持ち込まれた仏陀の骨が納められているという).その後13世紀にクメール様式の仏塔として建てられ,朽ち果てていたものを16世紀のセーターティラート王によって再建された.その後19世紀にタイに攻められた際に破壊されたものが,1930年代から修復され現在の姿になった.ちなみにタート・ルアンとはラオス語で「大きな塔」という意味らしい.
 この日は南側からアプローチした.南国風のカラフルな門をくぐって境内に入る.仏塔に前には16世紀にここを再建したセーターティラート王の像が建っていた.仏塔は中央の巨大な塔(高さ45メートル)を四方から小型の塔群が取り囲むように設置されており,上空から見ると一辺約100メートルの正方形をしている.全面に金箔が施され,青空にキラキラと輝く様は素晴らしい光景である.現在仏塔の中には入ることはできず,外観を観察するのみなのが残念である.
 仏塔に隣接して大きな寺院があり,こちらはラオス最高位の僧が暮らす宮殿とのことである(バチカンでいえばサンピエトロ寺院みたいなものか).また仏塔の南側に置かれている黄金の寝仏も独特の表情を湛えており感慨深かった(ミャンマーの寝仏とは表情が異なる).

カラフルな入口

仏塔が見えてきます

セーターティラート王の像

最高位僧の宮殿
 

タート・ルアン
 

記念撮影

南寺院

寝仏
 


30.ビエンチャンの凱旋門

 黄金の仏塔を見学した後は来た道を引き返し,朝方車窓に見えた凱旋門に立ち寄る.凱旋門といえばパリにあるそれを思い出すが,実はここはまさにそれを意識して造られた建物である.
 ラオスは1953年にフランスから独立した直後から国王派と共産主義勢力との内戦状態となった(最終的には1975年に共産主義派の勝利で終結する).まだ内戦が続いていた1960年代に戦いの勝利と戦死者の慰霊とを祈念して共産主義勢力側によって建設されたのがこの建物である.ラオス語でパトゥーサイ,直訳すると勝利の門(凱旋門)だ.ラーンサーン通りをシャンゼリゼ通りに見立て,その中心に市内を一望できるような大きさの凱旋門として造られた.その工事は現在でもまだ完了しておらず,実はは未完の建物である(共産主義勢力が旧宗主国風の凱旋門を造ったというのも印象深いが,フランスという国そのものが強烈な革命を経て誕生しているのでこれはこれでありかもしれない).
 パトゥーサイ一帯は公園として整備されており,隣接する噴水や緑地帯の緑も美しい.またこの地区は官公庁の立ち並ぶこの国の中枢でもあり,目の前には首相官邸の白い建物もあった.
 外観を一通り見学した後内部に入る.まずは天井を見上げると,カラフルな仏教画の装飾がなされていた(フランスならキリスト教絵画になるところだろう).その後階段を上がる.途中のフロアにはお土産物屋が並んでいたが,そこはスルーして屋上へ.ビエンチャン中心部は高い建物がないため,この高さ45メートルのパトゥーサイから360度市内が見渡せるのだった.他の都市なら郊外の丘にでも行かないと見られない景色が市内のど真ん中から見られるというのも凄いなと感じた.

パトゥーサイ

噴水をバックに

首相官邸

天井には仏教画が
 

上に登ります

市内が一望

ラーンサーン通り
 

31.サオマーケットと昼食

 パトゥーサイの観光の後はラーンサーン通りを南下した先にあるサオマーケットと.名前のイメージから竿をたくさん売っているのかと想像するが,サオとはラオス語で朝という意味らしく,直訳すると朝市という名前のショッピングモールになる.
 ここはルアンパバーンで見たプーシー市場とは異なり,海外の都市でよく見かけるタイプのショッピングモールである.各種専門ショップやお土産品を扱う店舗が入居しているのだが,MINI SOU と書いてメイソウと読む謎のショップが印象的だった.尚このモールにはエスカレーターも設置されており,ルアンパバーンとは違ってちゃんと稼働していた.
 マーケットの見学後昼食のために市内の福滿樓というところへ.なんでもここはビエンチャン一の中華料理店らしい.店内に一歩入ったところですでに高級感を漂わせる趣だった.一般に海外旅行のツアーでは旅行の後半に中華料理が入るパターンが多いが,やっぱり舌がホッとするからだろう.

サオマーケット

中にはたくさんのテナントが
 

メイソウという名のショップ

日本語が!
 

ビエンチャン一の中華料理店

豪華なロビー

客席です
 
 


32.ワット・ホーパケオ

 昼食後は午後の観光へ.まずはラーンサーン通り南端の大統領宮殿(パトゥーサイの屋上から見えた宮殿)の隣にあるワット・ホーパケオに行く.この寺院は16世紀にルアンパバーンからビエンチャンに都を遷したセーターティラート王が当時王国に伝わっていたエメラルド仏を安置するために建立した寺院である.
 *エメラルド仏: 古代インドの高僧ナーガセーナが作ったとされるヒスイ製の仏像,インドやスリランカを経て14世紀にタイのチェンマイを中心に栄えたラーンナー王朝の所有となる.16世紀にラーンサーン王国のセーターティラート王がラーンナー王を兼ねていた時代にルアンパバーンに持ち去られた.
 その後18世紀にシャムの侵攻を受けた際に寺院は破壊されエメラルド仏も持ち去られた(現在エメラルド仏はバンコクのワット・プラケオにある).

ワット・ホーパケオ

建物は新しい
 
 現在の寺院は20世紀に入ってから再建されたものである(ただ昔の破壊前の寺院の図面等が残されていなかったため,過去の寺院の復元ではない).建物としては新しいが寺院周囲に並んだ仏像や入り口の階段にある龍の像,ラオス北部のジャール平原から持ってきた石壺も見ごたえがある.  

龍の装飾

周囲には仏像が

ジャール平原の壺
 


33.ワット・シーサケット

 ワット・ホーパケオの次はそのすぐ北にあるワット・シーサケットに向かう.こちらも16世紀のセーターティラート王によって建立された寺院だが,ワット・ホーパケオとは違い創建当時の姿をそのまま留めているといわれる.今は博物館となりたくさんの仏像が展示されるスポットだ.仏像のサイズは色々でしっかりとした造りのものもあれば,小さく簡素なもの,首が取れてしまったものなど大小様々なものが並んでいる.回廊の壁にはたくさんの穴が掘られているが,そこにも2体ずつ小さな仏像が置かれていた.

ワット・シーサケット
 
 こうした仏教関係のものを国家として保存しているところに社会主義でありながら仏教が篤く信仰されているラオスという国の奥深さを改めて感じた.  

建物は古いです

仏像のある回廊

外の塔
 

綺麗な仏像

穴にも小さな仏像が

首のない仏像
 


34.ブッダ・パーク

 ワット・シーサケットでたくさんの仏像を見学した我々は,隣接する大統領宮殿(ラオス国家主席宮殿)前で記念写真を撮った(こうした重要国家施設は(特に共産主義国家の場合)撮影禁止の国が多いのだが,ラオスは慈悲の心があるのだろう).宮殿から反対方向を見るとラーンサーン通りの彼方に午前中見学したパトゥーサイが眺望された(こうして見てもビエンチャンは高い建物が少ない).
 その後車に乗り込み郊外に繰り出す.今度の目的地はこれまた仏像に関係したスポットで,メコン川岸にある正式名をワット・シェンクワン,通称ブッダ・パークと呼ばれる場所だ.通称から想像できるように様々な仏像が野外展示されている公園である.
 ただここに展示されているものを単に仏像と表現するのは正しくないかもしれない.世間で(特に日本で)イメージする仏像とは全く異なるものが多いからだ.さらに言えば,仏教以外のヒンズー教に関連したと思われる像もあるほか,ちょっとユーモラスに感じられる像もあって面白い(この辺はかつてノルウェーの首都オスロ郊外にあるフログネル公園に多数設置されているたくさんの像を思い出す).
 2つとして同じものがないたくさんの仏像群をゆっくりと見て回る.巨大な寝仏もあるほか,なんかカーリングのストーンみたいな施設の中にも無数の像が置かれていた.また地域性からか象をモティーフにしたものも多く見られた.

大統領宮殿

宮殿からパトゥーサイを眺望

ブッダ・パーク
 

ブッダ・パークの全景

ヒンズー教っぽい像

面白い造形
 

右の仏像がちょっと太っています

象のモニュメント

踊っているようです
 

カーリングのストーンみたい

左の内部です

巨大寝仏
 

物語のシーンでしょうか?

観音様のようです

千手観音?
 


35.友好橋

 ブッダ・パークの見学が終え,そのまま車でメコン川沿いを西に進む.10分ほどで着いたのはタイとの国境に架かる橋,その名もタイ=ラオス友好橋である.両国の国境の大部分がメコン川となっているが,大河であるこの川に架かる橋は少ない.この友好橋は1994年に運用が開始された両国を陸路で行き来できる国境となっている.橋の両岸にそれぞれの出入国管理事務所があり,それぞれ出国→渡橋→入国の手続きを踏む.橋には片側1車線の車道と中央に1線の軌道(軌間1000mmの狭軌),車道の外側に歩道が設置されているが国境を越えられるのは車と汽車のみで徒歩での越境はできない.とはいえ今回はタイに入国する予定も(時間も)なく見学のみだったので徒歩で橋に入った.
 友好橋はたくさんの行き交っていたがそのほとんどがタイの車輛らしい(その辺にも両国の経済関係が現れている).ちなみに車両の通行に関してラオスは右側通行であるがタイは日本と同じ左側通行である.陸路の国境越えで,その辺の問題はどうクリアすのだろうと思ったが,橋のラオス側最終地点でそれぞれの車線が立体交差することで解決しているらしい.すなわち橋本体はタイと同じ左側通行というわけである.
 橋の中央国境地帯に立って巨大なメコン川というきわめて大陸的な光景を目にして非常に感動したのだった.

川の向こう側はタイです

タイ=ラオス友好橋

国境(この先は徒歩では行けません)
 

橋の記念碑

大河メコン

川で漁をしているようです
 


36.ラオスを後に

 友好橋をもって我々のラオス観光はすべて完了,あとは帰国の途に就く.そのまま車でビエンチャンのワットタイ国際空港に向かう.思えば3泊の旅行はあっという間だったが,その分密度の濃い旅だったように思う.ニワトリに起こされたルアンパバーンの朝からクアンシーの滝に行ったのがだいぶ昔のようだ.そんなことを考えているうちに空港に到着した.ハノイ行きの便にチェックインをして4日間お世話になったガイドのチャンボンさんとお別れである.本当にありがとうございました.その後セキュリティチェック,出国審査を経て出発ロビーへ,日が暮れて20時10分ハノイ行きの飛行機は無事離陸した.
 国際線とはいえラオスとベトナムのハノイは1000キロに満たないほど近い.1時間ちょっとのフライトであっという間についてしまった.やっぱり東南アジアとはいえ冬のハノイは肌寒い.のここでの3時間半の待機は往路と同じく使えるラウンジがないためカフェで過ごす(これでも4年前よりはまし.かつての旧ターミナル時代はカフェすらなかった).
 時計は0時を回り2月7日になった.いよいよ成田へ向かう飛行機に搭乗となる,朝着いてそのまま職場に直行の予定のため,なるべく睡眠を取ろうということで,ハノイ−成田便はあえて窓側の席を取り,登場と同時に眠剤を服用して爆睡する予定である(国際線の場合,自分は基本通路側を取る).ただ飛行機での眠剤服用はロングフライト血栓症のリスクがあるため,搭乗前2時間くらいに水分を多めにとって,搭乗直前に出し切るという作戦も併用した.

ラオス名物のタクシー「トゥクトゥク」結局利用することは無かった

地味にラオス国内はペプシが優勢な気がする

ハノイ空港にて(水分摂取作戦)
 
  飛行機に乗り込み席に着く,そして眠剤をキメると4日間の疲れが出たのか,あっという間に眠ってしまった.飲み物も食事もシャットアウトしての爆睡に見事成功!次に目が覚めたら成田の滑走路だった.  

                  
             明日から日常の世界

 
 



 

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