コロール島からロックアイランドを通って,ぺリリュー島まで約1時間の行程である.我々は現地旅行会社ロックアイランド・ツアー・カンパニー(RITC社)の日本人ガイドとともにぺリリュー島の波止場に上陸した.ぺリリュー島は現在人口600〜700人程度.コロールのような喧騒はなく,ひっそりとしている.波止場で現地人ガイドと合流し,車に乗る,まずは波止場近くのMAYUMI INN(マユミ・イン)という宿泊所でトイレ休憩をする(要するに,この先トイレはないぞということらしい).ちなみにここでは手作りの揚げ菓子(ココナッツ味のドーナツみたいなもの)をご馳走になった.
マユミ・インを出発して早速島内の散策開始である.まずは現地人ガイドの案内で近くの洞窟に向かう.ここは日本軍守備隊が拠点としていたらしい洞窟で,今でも当時の遺物が出てくるところだという.洞窟内に入るとややヒンヤリとしている.中には当時のものと思われる瓶(褐色や緑色のもの)や一斗缶を加工したかまどのようなものが散らばっていた.現地ガイドの話によると,今でも時々遺骨が出てくることがあるという.戦後60年を経た現在でも,遺骨収集は終わっていないのである.
洞窟から外に出ると,真夏の太陽が照り付けてくる(今は2月で日本は真冬のはずだが,ほぼ赤道付近のパラオは常夏である).地面からの照り返しも強烈でうだるような暑さであった.洞窟に続いて戦没者慰霊碑を訪ねた.ここは地元の墓地と同じ敷地内にある.ここには様々な慰霊碑が建っていた.ところで,以前のガイドブックにはぺリリュー島には元海軍の軍人で中川束(つかね)さんという方が,「大東亜戦争で犠牲になった人々の慰霊のために半生を捧げたい」と1992年から現地に住み,訪れる日本人旅行者のガイドをされているとの記述があったが(”地球の歩き方リゾート パラオ”の旧版にもその記載があった),中川さんは残念ながら2004年に亡くなられたとのことであった(慰霊碑の近くに中川さんのお墓もありました.沢山の御花が添えられていて,生前のお人柄が偲ばれるようでした).
慰霊碑を訪ねた後,しばらく車で島内を走り,各所に残された戦跡を巡った.途中には日本陸軍の九五式軽戦車の残骸や,米軍のLVT(敵前への強襲上陸戦に用いられる水陸両用戦闘車両)の残骸,墜落した零式艦上戦闘機,朽ち果てた大砲などがあった.その後内陸に入り,今も残っている日本軍の施設を訪ねた.ここは旧海軍の司令部跡で,当時激しい攻撃を受けたものの,かなり造りが頑丈だったようで,主要な骨組みはいまだに残っている建物であった.中に入ってみると当時 |
九五式軽戦車の残骸(1944年9月の米軍上陸直後の戦闘で破壊されたようです) |
これが在りし日の九五式軽戦車です.故障が少なく戦車兵の評判はよかったようです |
日本軍の大砲です.うまく遮蔽され,破壊されずに最後まで残ったようです |
こちらは米軍のLVTです.九五式とは比較にならないくらい程の大きさです |
日本海軍の司令部跡です.さすがにかなり頑丈な造りです |
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