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第1回パラオ旅行記(2)
2005年2月12日(土)
日本からパラオに行くには,日本航空のチャーター便で行く方法と,コンチネンタル航空などでグアム経由で行く方法とがある.今回はチャーター便だと休みの日程が合わないため,やや面倒だがコンチネンタル航空でグアム経由で行くことにした.ちなみにグアムへ行く便は仙台からも出ているのだが,今回は成田発の便を利用することにした.
まず我々は成田のホテルで前泊し,翌日の便でグアムへと発つことにした.今回はアメリカ系の航空会社利用ということで,セキュリティチェックや荷物の検査が厳しくなっている.特に航空会社預かりのスーツケースは,鍵を開けた状態で預けないといけない(鍵が閉まっていると,鍵を壊して中を検査される場合がある).そのため我々も,鍵が開いていても大丈夫なように,スーツケースに巻きつけるベルトを使うことにした.一方のボディチェックは,いつものように初めからベルトをはずしてゲートをくぐる.こうして一通りの手続きを経て,我々は機上の人となった.
約3時間少々のフライトを経て,まず我々はグアムへ着いた.ここで一旦入国となるのだが,やはり2001年の同時多発テロの影響か,入国審査もかなり厳しくなっているようである.指紋の照合やら,人によっては写真撮影もあるようだ.さて,グアムで乗り換える場合,我々がまずやらなければならない作業がある.それは時計合わせである.というのも,日本とパラオの間に時差はないのだが,ここグアムは日本より1時間早くなっている.よってここで時計の針を1時間進めておかないと,パラオ行きの便に乗れなくなる恐れがあるのだ.
これらの作業を経て,我々は一旦外へ出てみることにした,外に出るといっても,単に私がタバコを吸うためである.ただでさえ喫煙者に厳しいアメリカ領である上に,これまた喫煙者に厳しい最近の風潮である.外へ出ないとタバコを吸う場所がないのだ.前の年もグアムには来たことがあるのだが,あまり変わっている様子はないようである.
暫く空港で待機した後,いよいよパラオ行きの便に乗る時間である.最初,私は日程表を見て,妙にパラオまでのフライト時間が長いなあと思っていたのだが,ここへ来てやっとその理由がわかった.どうもこの便は,ヤップ島経由でパラオに行くらしい.そうか,経由便だったか.それにしても,ヤップ島とはいったいどんな所なのだろう.ダイビングをする人が結構行きそうな気がするが,ダイビングができない人でも楽しめる場所なのだろうか,こっちはこっちで興味を引かれる島である.空港でそんなことを考えているそばで,どうやら海外挙式の準備らしい一群に出くわした.これからグアムで結婚式でも挙げるのであろうか.
まもなく搭乗開始となり,我々は再び機上の人となった.夜のフライトである.前述のようにこの便はヤップ島経由である.約3時間ほどで飛行機は一旦ヤップ島に降り立ったのであるが,この時乗務員がボケてて,うっかり「パラオに到着です」と(英語で)アナウンスしてしまい,乗客につっこまれる場面があった.
ヤップ島では,降りる人以外は機内に残って待機である.このときKはどうしてもトイレに行きたくなってしまったらしく,この待ち時間中に機内のトイレを使っていた.今回は機内での待機であったが,一旦全員降ろされて空港内で待機というパターンもあるらしい.
ヤップ島で降りる人を降ろし,整備を終えると,飛行機は再びパラオに向かって飛び立った.そして間もなく,我々はパラオの空港に降り立ったのである.まずは入国手続き,カウンターの前には長い行列ができている.南の島に行くとよく見られる,小ぢんまりとした空港である.しかし,周りを見渡してみると,Kの服装だけ妙に浮いているのがよくわかる.他の人はショートパンツや七分丈パンツをはいていたりして,それなりにアクティブな印象を与えているのだが,一方のKはロングのワンピースである.もっともKに言わせると,パンツスタイルよりワンピースのほうが機内では楽らしいのだが.
入国審査を終え,スーツケースを受け取って,いよいよ送迎バスに乗り込むこととなった.日本からの便の到着に合わせて送迎バスを出し,それぞれの宿泊先へと連れて行くというスタイルである.さすが旧日本領リゾートというだけあって,日本語の書かれたバスがたくさん停まっている.それだけでなく,台湾からの観光客を相手とした送迎バスもたくさん停まっていた.(どうもパラオは台湾(中華民国)と国交があるらしい.実際我々も,この国でたくさんの台湾人観光客を目にすることとなった)我々もバスに乗り,ホテルに向けて出発である.
バスの中では,現地の旅行会社,ベラウツアーの係員による説明が行われた.彼の点呼に従って,各自必要な書類を受け取るのだが,彼によると,今回我々が乗ってきた便に乗り遅れた人がいたということであった.どうもグアムで時計を1時間進めることを忘れてしまったようである.乗り継ぎ先で時差を間違えたり,サマータイムを忘れていたりして,交通機関の発着時刻を間違えるという話はたまに聞くのだが,今回本当にこの便に乗り遅れた人がいたとは思わなかった.今頃その人は,一緒に参加した人と喧嘩になったりしているのだろうかと余計な心配をしながら,我々はバスに揺られていたのである.ちなみに,同じバスに小学生くらいの孫を連れた年配の夫婦が乗っていたが,この人は自分か身内がかつてパラオに住んでいたのであろうか.
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バスは各所で順々に客を降ろし,いよいよ今回の宿泊先である「パラオ・パシフィック・リゾート」へと到着した.実はパラオには,ここパラオ・パシフィック・リゾート(以下PPRと略す)のような,広い敷地と泳げるプライベートビーチを有した高級リゾートホテルはあまりないのである.どちらかというと,ダイビングをする人がよく使う,「昼間はできるだけ多く海に潜り,ホテルには寝に帰るだけ」というスタイルの宿泊所のほうが多い.どうもパラオに来る人は,ダイバーがほとんどのようである.
しかしダイビングのライセンスなどない我々にとっては,やはりホテルでのんびりと寛ぐ時間もほしい(というより,我々のリゾート滞在はいつもそうであった)ということで,今回はホテルそのものも楽しめるここPPRにしたのである.(ホテルの選択にあたり,我々はもう1軒の「パレイシア・ホテル」にも惹かれたのだが,やはりPPRならプライベートビーチがある(しかも結構魚が見られるらしい)ということでパレイシアは却下となったのである.ちなみにパレイシアは,一応プールもあるらしいのだが,どちらかというと「街中にある高級ホテル」といった雰囲気である)なにしろこのPPR,ホテルの裏のビーチが既にダイビングスポットであるらしく,ダイビングとまで行かなくても,シュノーケリングだけでたくさんの海の生物を見ることができるらしいのだ.
ホテルに着いた頃はもう深夜となっていたが,とりあえずレセプションに集合して,係員の説明を受け,チェックインとなる.同じバスに乗っていた,孫連れの年配の夫婦も同じホテルに宿泊らしい.ここのホテルは,恐らく地元の木造建築物をイメージしているのか,木の感触を生かした素朴なつくりとなっている.我々の泊まる部屋は,フロントからやや離れている.ちなみに棟続きのバンガローのようなつくりである.厳寒期の自宅周辺とは全く異なり,真夏の夜の空気が漂っていた.
部屋に入って調度品を確かめるのだが,実は部屋のテレビで日本のNHKの海外向け放送を見ることができた.しかしもう深夜ということもあり,我々はシャワーを浴びるとさっさと眠りについたのである. |
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