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 SINCE 2011年9月25日
       

フランス旅行記(1)


フランス旅行決定のいきさつ


獅子の時代

 私が時代扮装に目覚める前からやってみたかったこと.それはパリのシャンゼリゼ通りを侍装束で歩くことだった.
 昭和55年に放送されたNHKの大河ドラマ獅子の時代.このドラマの序盤の舞台が皇帝ナポレオン三世治世下の1867年(慶応三年),万国博覧会に沸くパリであった.この万博は日本が初めて参加した万博としても知られており,様々な産物がパリに運ばれ,好評を博したという.この時フランス政府は将軍徳川慶喜を招待したのだが,当時は幕末の激動期,国内では慶応二年1月の薩長同盟締結,6月の第二次長州征伐の失敗など難題山積であり,とても慶喜自身がフランスに出かける状況にはなかった.このため彼の実弟であり,松戸藩主の徳川昭武が名代として派遣されたのである.この昭武の随員として一人の会津藩士が派遣されたという設定でこの大河ドラマはは始まるのだった.この会津藩士が菅原文太さん扮する平沼銑次で,彼が侍装束でパリの街を闊歩するシーンが格好よく,当時幼かった私の心に「いつかやってみたい」という感慨を抱かせたのである.
 とはいえ,海外旅行など夢のまた夢だった時代である.そのまま月日が流れて,いつしかその夢も忘れ去られていった.その後国民所得の増加や円高の進行(昭和50年代には1ドル200円台だった!)によって,日本でも海外旅行が身近になり,私も海外に出かけるようになったが,別に侍装束にはならなかった.
 しかし2003年頃から時代扮装,特に新選組扮装をやるようになり,2006年にひの新選組まつりに参加する頃から再び,パリ侍装束の野望が盛り上がってきたのだった.
 


転勤

 海外旅行に出かけるようになったとはいえ,行けるのは夏季休暇の年1回程度であり,元来マニアックな私は北極海やマダガスカルなど一風変わったところの旅行を好むため,パリのようなまともな(?)ところは,「そのうち行けるだろう」と考えてなかなか足が運ばないのだった.
 2008年初頭,そんな私に転機が訪れた.転勤である.しかも遠隔地である(岩手県から神奈川県).従来の転勤は岩手県内が多かったため,引っ越しと同時に休みなく次の勤務という形態がほとんどだった.しかし遠距離転勤となれば,いくらなんでもちょっとは休みがとれるだろうと考え,なんとかやりくりしてパリに行けそうな雰囲気になってきた(有給休暇はほとんど手つかずで残っている).新勤務先の管理者にもお願いしてなんとか4月初めの休みを貰い,結局実際の引っ越しをちょっと早めに設定して,3月30日出発,4月4日帰国の日程をひねり出した.
 パリは超メジャー都市であり,自分で航空券とホテルを手配してもいいのだが,異動準備やらで忙しく面倒だったため,いつも利用している旅行デスクにお願いして手配してもらった.結局ANAハローツアーのパリフリープランで行くことにした.
 


旅行のテーマは?

 さて,パリに行くことは決まったが問題はテーマである.一番の目的は侍装束でパリを歩くこと,もっと具体的にいえば新選組装束でシャンゼリゼ通りを歩くことであるが,せっかく行くのだからそれ以外にも見て歩こうと考えた.我が家にとってパリ訪問は初めてではない.私は過去2回,Kは1回訪問したことがある.それゆえルーブル美術館やベルサイユ宮殿といった超メジャースポットは訪問済みである(特に私は1991年にパリに10日ほど滞在してルーブル美術館は2日間にわたって探索したことがある).というわけで今回はこれらメジャースポットは外すことにした.モーツァルト大好きのKはモーツァルトがパリを訪れた足跡を探りたいと言っていた.一方私は万博ではないが,パリに残る幕末の跡を見てみたかった.その他せっかくだからと過去に行ったことのない有名なキャバレーや,レストランにも行ってみようということになった.  


旅行日程


月日  旅程  宿泊
 3月30日(日)  成田 − パリ  メルキュール・オペラ・ガルニエ
 3月31日(月)  パリ滞在(史跡巡り)  メルキュール・オペラ・ガルニエ
 4月 1日(火)  パリ滞在(ロワール川の城廻)  メルキュール・オペラ・ガルニエ
 4月 2日(水)  パリ滞在(新選組 in パリ)  メルキュール・オペラ・ガルニエ
 4月 3日(木)  パリ − 成田  翌日帰国



 

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