前述のように斗南藩は下北半島のほか,青森と岩手の県境付近にも飛び地の領地を持っていた.今の行政区域に従えば,青森県の三戸町,田子町,五戸町,新郷村そして十和田市の一部,岩手県二戸市の一部となる.この地域への入植は五戸が中心だったようだ(斗南藩発足当初は五戸に藩庁が置かれたらしい).新選組の副長助勤だった斎藤一も他の藩士たちと共に,この五戸に入植している.
当初斗南藩の藩庁が置かれたのは,旧南部藩の五戸代官所である.建物そのものはすでに失われているが,門は残っており,建物も復元されて歴史未来パークにある.
復元された代官所は,藁葺き屋根の決して立派とはいえない建物であった(復元に当たった八戸工業大学の高島教授によると,当時の代官所は大庄屋の屋敷よりも劣る建物だったそうである). |
五戸町内にある斗南藩関連の史跡 |
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五戸代官所門の案内 |
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代官所復元について |
復元された代官所 |
質素な建物です |
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五戸といえば会津藩家老の内藤介右衛門と倉沢平治右衛門の墓所の高雲寺がある.ここは代官所から街のメイン道路を挟んで反対側にあった.目指す墓所は寺の本堂から道路を隔てたところにある.会津藩家老の内藤介右衛門は梶原平馬の実兄として知られている(平馬は後北海道に渡り,最後は根室で亡くなったらしい).一方の倉沢平治右衛門は教育に力を注いだ人物で,自宅に私塾を開いていたとのことである. |
高雲寺の入り口です |
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私が訪れた時,内藤介右衛門のお墓には地元の高齢の女性が来ていて,掃除をしているところであった.
二人のお墓の位置については以下のサイトに詳しく記してあります.
月虹-MOONBOW PALACE-神殿(史跡のページから五戸の高雲寺に入ります) |
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寺の本堂です
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倉沢平治右衛門のお墓です |
内藤介右衛門のお墓です |
さて,次は倉沢平治右衛門の私塾,すなわち自宅跡を訪ねるのであるが,実はここに関する情報はとても少ない.星亮一氏の著書「会津藩斗南へ」でも町の郊外としか触れていない.私が知る限りこの場所についてもっとも詳細に述べられているのは隼人氏のサイト東北不思議の旅であり,私も参考にさせていただいた. |
国道4号線から立体交差で五戸町内に向かって(上の地図左端からの緑の道路)少し行くと,右に入る狭い道がある.道なりに進み,道が分岐しているところを右に進んでいくと,小高いところがありここに目指す住居跡があった.倉沢平治右衛門は新選組副長助勤斎藤一の妻時尾の義父にあたり,斗南時代彼も(藤田五郎と名を変えていたが)ここに同居していたという.会津のみならず新選組愛好家にとってもはずせないポイントである.今は小さな祠と記念碑が建つだけの寂しい場所であった. |
ここから細い砂利道に入っていきます |
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赤い小屋の手前を右に行くと… |
小高い丘に何やら赤い屋根が見えます |
ここが倉沢平治右衛門の住居跡です |
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