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 SINCE 2011年9月25日

 恐山肝試しツアー


日本三大霊場

  東北大混声合唱団時代私と友人のNは暇を見つけては(暇がなければ授業をサボって)あちこちに出かけていた.大抵は我々二人もしくは仲間内数人だったが,たまにツアーと称して一般の合唱団員も引き連れて出かけることもあった.そういう場合,目的地は大抵仙台から日帰りで行ける観光地に設定されることがほとんどだったが(最上川舟下りツアーや奥松島ツアーなど),唯一の例外といえるのがここで紹介する恐山肝試しツアーである.
 恐山は青森県の下北半島にある日本三大霊場のひとつである.他の2つは和歌山県の高野山,滋賀県の比叡山であるが,高野山と比叡山にはそれぞれ弘法大師(空海),伝教大師(最澄)という超有名人が関係しており,また京都から近いこともあってこれらが三大霊場に入っているのはなんとなく理解できる.これに対して恐山はVIPの関与(一応,慈覚大師が開いたことにはなっているが)もなく,また都からも遠く離れており,ここが三大霊場に入るためにはこういった不利な要素を打ち消す,何か大きな理由があるはずである.

恐山の境内入り口にて何となくみんなの表情が硬い.周囲の電話ボックスや公衆トイレの古さが昭和60年代を彷彿させる.

境内.見てのとおりあちこちに石が積んである.
 その理由こそ,恐山が醸し出している一種独特の何ともいえない”あの”雰囲気だと私は考えている.最近は恐山もすっかり観光地化されてしまい,霊場の雰囲気が薄れてしまったと嘆く向きもある.しかしそれでも高野山や比叡山の俗っぽさに比べればまだまだ恐山は十分に霊場の空気を残しているのではないだろうか.ましてや私やNが夢中になって出かけていた今から20年前の恐山は,それこそ身の毛もよだつような霊場の雰囲気に満ち満ちていたのである.   


夜の恐山

  私が初めて恐山に足を踏み入れたのは昭和61年の春であった.Nに恐山に行こうと誘われ二人で出かけたのである.朝仙台を出発して国道4号線をひたすら北上,盛岡を過ぎて一戸(いちのへ),二戸(にのへ),三戸(さんのへ)を通過し陸奥湾の付け根の野辺地から国道279号線に入る.この国道は下北半島の付け根からむつ市まで陸奥湾沿いにまっすぐに走る道路である.カーブがあまりないまっすぐな道路でスピードは出せるがアップダウンはかなりきつい道路である.ほぼ夕方にむつ市に到着,市内の弁当屋でうなぎ弁当を買って(これははっきり覚えている)車内で食い,夜になってから恐山に向かった.
 当時市内から恐山に向かう道路はセンターラインもない一車線道路で,しかも途中未舗装区間もあった.夜の山道を恐山に向かって走っていく.勾配もきつく,カーブも多い道路だ.と,急カーブを曲がったところに赤い涎掛け(のようなもの)をつけた地蔵が立っていた.突然ヘッドライトに照らされて目の前に出現した地蔵,我々の間に緊張が走る.最初は馬鹿話をしていた我々も黙りこくってしまった.そうこうしているうちに,山道が終わり平らなところに出た.恐山に着いたようであった.何となくH2Sの臭い(硫化水素.俗に言う硫黄の臭い)が漂っている.少し行くと川がある.これが三途の川(正式な名前は正津川)で,ここから先があの世ということらしい.自動車用の橋は普通の橋であったが,そばには歩行者専用の赤い太鼓橋が架かっている.
 恐山とはいってもそういう名前の山があるわけではなく,実際の霊場は宇曽利山湖と湖畔にある寺(円通寺)の境内(かなり広い)ということになる.宇曽利山湖は強酸性の湖で,特殊なウグイのほか生物が棲めない環境のために水の透明度の高いきれいな湖である(日中湖畔から見るとエメラルドグリーンに光って,リゾートのようである).寺の境内には入浴自由な温泉の湯小屋が4ヶ所(すべて泉質が違うらしい)あり,さらに奥には血の池地獄や賽の河原といった霊場の雰囲気抜群の場所がある.我々は境内に進入した(今はどうか知らないが,当時は夜間簡単に中に入れた).硫化水素の臭いが鼻をつく中を進んでいく.見るとそこここに石が積んであり(崩したりしたら罰が当たりそうである),水子供養用と思われる風車が風に乗ってカラカラと回っている.灯火はなくいつの間にか寺も見えなくなってしまい,明かりといえば月明かりのみである.さらに進んでいくと宇曽利山湖の湖畔に出た.湖面が月明かりに輝いて幻想的な雰囲気を醸し出している.湖岸の真っ白い砂が闇の中に不気味に浮かび上がっていた.音といえるものは風に回る風車の音だけである.現代人にとって音がないというのは本当に心細いものである.このときの我々がまさにそうだった.その後我々は逃げるように境内を後にしたのである.
 

境内を進む一同.真ん中の白いハンチング帽が私である.


水子供養の風車.夜の恐山はこの風車が不気味に回る音だけという静寂の世界である.

湖岸の砂浜.見てのとおり真っ白で,夜中には闇の中にこの白さが不気味に浮かび上がる.
 


恐山肝試しへ

  夜の恐山は私に大きな衝撃を与えた.縁日のお化け屋敷など比較にならないまさに本物の恐怖である.その年の夏休みにみんなでどこかに行こうという企画が持ち上がった時に私は躊躇せず恐山肝試し大会を提案したのである.肝試し大会とはいっても準備は全く不要,万一何か出てきたらそれは本物である.幸い人々の賛同を得ることができ,実行に移した次第であった.この肝試しがどんなものだったかは,以下の写真に写っている人々の表情が物語っている.
 注) この企画から仙台に戻った後しばらく私は体調不良(食欲がなく,空腹感は強いにもかかわらず食事をすると胃が痛くなってしまう状態)に悩まされた.同僚のS木N子女史(彼女もこの企画に参加していた)に,「何かに取り付かれたんじゃないの?御祓いに行ってきたら」といわれたのだった.
 

湖岸にて.酸性で生物の生息が困難なため非常に透明度が高い.

恐山境内にはこのように熱湯(温泉)が湧き出るスポットがあり,温泉卵が作れる.

恐山に向かう道路の途中.こんな交通安全標語なら気も引き締まる?
 


オマケ: 恐山周辺にはいい温泉がたくさんあるが,その中でも特に有名なのが奥薬研温泉”河童の湯”である.いまでは男女別の風呂があるらしいが我々が活動した昭和60年代には混浴の露天風呂があるばかりであった.周囲の道路も舗装されておらず,よほどの物好きしか訪れることもなかった場所であった.   



 

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